発達障害児の子育て、将来を見すえたサポート(支援)のために

サポート(支援)が重要といわれても...


発達障害に関する本は最近ちまたにあふれている。テレビなどのマスメディアでの特集もけっこう多い。


だが多くの場合「特性に沿ったサポートが重要」というのが連呼され、「適切なサポートがないと二次障害に...」ってなことが喧伝され、不安なら医療機関にかかりなさい、支援機関に行きなさいということまでしか出てこない。


だが、特に幼少時は医療機関にかかっても診断がつくだけ、あとは園や学校に相談してくださいってなことも多い。医療機関からのアドバイスもスポット的なものになる。となると親御さんは自分で発達障害児へのサポートについて勉強していかざるを得ない場合が多い。


熱心な親御さんは療育にしろ生活の中でのアプローチにしろいろんな方法を試しているようである。最近はSNSなどでそのリアルな姿を垣間見ることも増えてきて、その熱心さに驚かされることも多い。


しかし、支援に繋がり、いろいろ考えてるしとても熱心なのに次々とトラブルが湧いてきてしんどそう...という場合もけっこうある。


ずっとその原因は何だろう?と長々と考えていたのだが、あまり長くなるのも読む気を削ぎそうなので4000字以内に抑えるべく思考過程は思い切り省いて結論に飛ぶ。ほぼこれにつきると思う↓。


「見通しと目標地点がみえていない」


これがなければ「特性にあわせてサポートを...」といわれても単に甘やかすだけになっていやしないか...という不安が生じてしまいやすいだろう。


ただ、親御さんがこういった状態に陥りやすいのはある意味当然のことである。なにせ発達障害という子の問題はたいてい親業新米のうちに直面するのだから。


となるとプロである医療者、支援者が親御さんに対しちゃんと「見通しや目標地点の提供」をして欲しいところである。


支援の要、見通しと目標地点はどういったものか?


じゃあ、発達障害児の子育てにおいての「見通しや目標地点」ってどういうものなんだろう?


「子の無事な成長」「将来の自立」はまあ子が発達障害児であろうとなかろうと同じだろう。


ただ、無事な成長と将来の自立の為の方策に一般的な子育ての方法が適用できないので


「どうしたらいい?」


が大量発生する。


大量発生するのはしかたないとしても、どうしたら「将来の自立」に繋がるのか?そのあたりが見通しである。


別に発達障害児支援に限らず、何ごとにおいても見通しがないままあれこれやればトラブル対策が後手に回るのは世の必定。もちろん状況の変化はあるし見通し通りにいかないこともある、意外な盲点などが出てくることもあるが、だからといって大局的な目標地点や見通しを持たなくていいということはない。場当たり式の対処が禍根を残しやすいのもまた世の常。


ここでまた思いっきり思考過程をすっ飛ばして次なるポイントにいくが、私は目標として以下のようなものを考えている。


(1)能力を自立のために使うための体力の確保をするため、そして知覚認知の問題からくる認知の問題を生じにくくするために身体面・感覚面の問題をできるだけ少なくする。


(2)社会生活で必要となる生活スキル、対人理解、対人スキルを身に付けるための経験を増やす。


(3)誤学習を早期に発見し2に影響を及ぼさないようにするとともに、セルフツッコミを入れられるようにする。


 


成人後に出てくる問題は水面下に潜みやすい


とはいえ場当たりになりやすいのもわからないでもない。


幼児期には幼児期の問題があり、小学生、中学生、高校生...と、それぞれの時期に出やすい問題があるし、親が直面する問題と子どもの直面する問題もまたちょっと異なる。


食卓で肘をついて行儀が悪いといわれても、子ども心には「わかってるけどなんかいつの間にか肘をついちゃう」だったりするわけで(←ここまでは私の子どもの頃のことである)、これが身体の使い方の問題で姿勢の維持がしにくいこととの関連と捉えるか、単に指示が理解しにくいだけの問題と捉えるかの差は大きい。


前者の対策をとれば将来の体力問題にまで関係するので就労にまで関係する。だが、後者だと食卓だけの問題となり、潜在的にある姿勢ひいては体力の問題には手つかずになり、それが解決するかどうかは運次第だということになる。


ちなみに姿勢の維持に関しては現在の私は困っていない。なんだかんだで自分で対策してしまったようだ。このあたり詳しくはこちらの記事をどうぞ。


とまあ、水面下にもぐりやすい問題の一例を挙げたが、そのとき本人や親御さんが直面している表だった問題の陰にこういった「対策しとくと後が楽」という問題が隠れてしまいやすい。


その辺こそ医者なり支援者なりにちゃんと提示して欲しいと思うのだがあまり出回ってないので、提示されることの多い療育法や。よくありがちでピンとこない(つまり親御さんが途方にくれやすい)医療・支援・教育関係者の言動も込みにして年代ごとに表にまとめてみた。拡大しないとたぶん見えない...ので画像クリックで拡大してみていただきたい。(pdf版はこちらからどうぞ


lifespan.jpg


対策が後手後手に回りやすい理由がおわかりいただけたのではないかと思う。


 


 


将来の適応状態を左右するのは?


発達障害児が成長したときの適応状態を大きく左右するのは「体力と知覚の問題」「自他の境界の問題」「誤学習と未学習の問題」だと私は思っている。(リンクは関連の過去記事へ)。


さて、ここで前述の「目標地点」を再度引っ張りだし、なぜそれが目標たり得ると私が考えるのかかーるく説明しておこう。


(1)能力を自立のために使うための体力の確保をするため、そして知覚認知の問題からくる認知の問題を生じにくくするために身体面・感覚面の問題をできるだけ少なくする。


簡単な話、姿勢維持してある程度の時間座っていられない体力では就労もままならないし、がんばったとしても腰痛肩こりなどの身体のトラブルのもとである。そして知覚刺激疲れで体力を浪費してしまうと疲労も蓄積しやすい、睡眠の時間と質が確保されていないと知覚の問題も生じやすいなど結構身体の問題は重要だ。


さらに知覚の問題は自他の境界という問題に結構関係するだろう(この辺は先送りしてまだ記事にしてません...しばらくお待ちを)。感覚的にさっくりかいてしまうと「コタツで自分の足の存在が怪しくなる状態」では自他の区分はつきにくいだろうということだ。


 


(2)社会生活で必要となる生活スキル、対人理解、対人スキルを身に付けるための経験を増やす。


いわゆる「シングルフォーカス」だったり「他者認知の獲得」が遅れていたりすると、定型児が周囲を見てさっくり学んでしまうことを学習しそこねてしまうことが結構多い。生活スキルを獲得しにくければ自立的な生活をしにくくもなる。そして対人理解や対人理解の面で未学習が多いと「とんでもない誤学習」が起こりやすくもなる。


というわけで最低現の社会的理解、スキルは意識して増やしておくことは重要だろう。


 


(3)誤学習を早期に発見し2に影響を及ぼさないようにするとともに、セルフツッコミを入れられるようにする。


誤学習は正直なところ環境依存である。家庭でどんなに予防しようと頑張っても、子どもの生活圏が拡大するにつれ子どもが家庭の外から情報を得る機会は増える。つまり誤学習のネタは増えていく。そして一旦得た知識も年齢によって意味が変わってくることも多い。


幼保の園や小学校低学年でよく言われる「みんな仲良く」を真に受けて、その上に拡大解釈して「人を嫌ってはいけない」とか「人に嫌われてはいけない」まで思い込んだ状態で年齢があがったら、人付き合いがしんどくなるのは当然の帰結だろう。


となると、子どもがどういった対人関係理解をしているのかをよく観察し、将来に禍根を残しやすい誤学習があるかをチェックしておくとともに、極端な考え方を自分で修正できるようにしておく必要はあるだろう。 


なんのために「障害特性」の理解の必要があるか?といったら、こういった対策を立てるときに「特性を考慮にいれつつ」考えていく必要があるからだと思う。


 


というところでなんとか,目標の字数に収まったようだ、ではまた。


 





先輩お母さんの本▼



脳の可塑性にワクワクする本▼








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発達障害児への支援と療育を「機能-行動モデル」で考えてみる

療育や支援を選ぶということ

療育と支援の世界はカオスだ。

発達障害児の親御さんは結構大変だ。

予想しにくい我が子の不思議な行動に翻弄されながら日々の家事をこなし、いろいろ情報収集しつつ医療機関、支援機関へと奔走する。学校と連絡を取り合うことも多くなる。さらに療育の情報を集め、療育機関を探したり、日々の生活の中でいろいろ工夫をしたり...とまあ,普通の子育てプラスアルファがそれなりに多い。

そして困ったことに発達障害の療育や支援の世界はかなりカオスである。

SST、ABA、RDI、構造化支援、TEEACH、ソーシャルストーリーズ、感覚統合、PECS...さまざまな療育手法、支援手法が群雄割拠の様相を呈している。

群雄割拠などという語は療育にふさわしくないと思う向きもあろうが、いざ選ぼうと思うと、ほとんどの場合その筋の専門家から「改善します」以上の言葉がでてこないので比べようがないし、どうみても「こういう場合はこっち、ああいう場合はこっち」というような使い分け情報も出てこないので群雄割拠としかいいようがない。

どうしようか…迷う、悩むは当然生じるだろう。

 

療育や支援を選ぶ観点は?

さて、親御さんが療育・支援手法を選ぶ観点は「それが我が子の状態を改善しうるか」であることがほとんどだろう。まあ沿うあって欲しいとも思う。

となれば当然その療育・支援の手法でどういう変化が期待できるのか、そして、どういう場合に効果が上がるのか?どういう場合に効果が上がりにくいのか、そういったことがわからないことには始まらない。

だが、そのあたり、Webでも書籍では情報がでてこない。

何か文献でもないかとときどきCinii(NII学術情報ナビゲータ)をあさってみるのだが、個別の療育法についての研究以外は早期発見が重要だとか、アセスメントが重要だとか、アセスメントに基づく配慮が重要だとか...そういう話ばかりである。

さて、親御さんの方を向いてみると結構困っている人が多いようである。まあそりゃそうだ、困ってる人が少ないならこのブログもちゃんと閑古鳥が鳴いてくれているはずである。

  

療育や支援を選ぶためのリソースはあるのか?

発達障害のこと、そしてさまざまな療育について勉強し、日々の生活に活かそうとしておられる方はすくなくない。生活の中でいろいろな工夫をしたり、子どもへの接し方にも注意したり、ことによると多くの時間や金銭を費やして療育施設に通わせたりしても困っているケースは後をたたない。熱心にあれこれ勉強しても合う療育を選べず、親御さんが気持ちの上でしんどくなってしまっているケースも多いように見受けられる。

とはいえ選んだからといっていい方に向かうとは限らない。結構ありがちなのは、1つのあるいは一群の療育法を信奉してしまい、お子さんの状態があまりよくない(問題行動が多かったり二次障害になったり等々)のにもかかわらず「この療育をやっていなかったらもっとひどいはず」と納得してしまっているというケースである。

人間、時間的、金銭的リソースをある程度投下してしまうと「この選択は失敗だった」と思いにくいといった面はあるのだろうとは思うが、納得していたところでお子さんと親御さんのしんどい状態は続いているといった感じである。

医療機関に繋がっても「様子を見ましょう」からはじまり「障害は治りません」「お子さんにあったやり方で」と続き、「支援や配慮があればうまくやれるお子さんですよ」なんてセリフが続いたら「どうすりゃいいの?」状態になるのは至極当然の成り行きであるし、そこに「あれがいい、これがいい」という情報が入ってくれば、翻弄されるのもまた至極当然である。

専門家ちゃんと仕事しろ!

と言いたくなるが、それを書いて終わらせたらやはり屁の役にも立たないのは明らかだし、なぜか私はなぜか発達障害児の子育てで悩むほど困ることがなかったので、ちょっとその辺りを考えてみることにした。

 

直面する問題は移り変わる

親御さんが直面する問題は子どもの年齢によって変わってくる。

幼児期なら、こだわりや多動の問題、言語の問題、意思疎通の問題、躾の問題、かんしゃくへや衝動性への対応といったことに直面する。そして学齢期になると、不注意の問題が浮上することも多い。またお友達関係の問題、ことによるといじめの問題、不登校にならないか?なった場合はどうするかといった問題。そして学習の問題が悩みのタネになってくる。思春期に入ると進学の問題が浮上、青年期には就業の問題が...と。

子ども自身が直面する問題も移り変わる。周囲との違和感にはじまり、学童期以降はいじめの問題も含めてコミュニケーションの問題や、不注意の問題に直面する場合も多い。そして就業となるとコミュニケーションの問題も不注意の問題も切羽詰まった問題になってくるし、遂行能力や体力、疲労という問題も浮上してくる。

そして、実は表だってあまり直面しないが見過ごすと後年影響を及ぼす問題もある。問題が生じていても年齢が低いうちはあまり問題にならないことというのもある。

社会的な知識で未学習、誤学習が多いと実社会に出たときに何かと面倒がわいて出てくるし、心理的な問題や恨み辛みの元になったりもする。

となると療育や支援というのは将来を見すえたものであったほうがいいのは言うまでもない。一時凌ぎでは将来に禍根を残すのは当然といえば当然である。

では、発達障害児の療育や支援のそれぞれにはどういう特徴があるのか?ちょいとそこをひもといてみよう。

 

支援や療育と機能と行動

高次脳機能障害の知見から

Cinii(NII学術情報ナビゲータ)でふらふら文献あさっていたら興味深いものがあった。

早稲田大学坂爪一幸氏の第21回日本健康医学会総会における特別講演の講演録である。

「発達障害と認知症にみる障害の理解と支援 : 神経心理学・高次脳機能障害学の視点から」

(上記リンクはCiniiの紹介ページに繋がる。講演録のpdfはオープンアクセス、つまりタダで誰でも読めるもので、紹介ページにpdfへのリンクがある)

簡単に概要を紹介すると、発達障害児者や認知症者への支援を考える上で高次脳機能障害者への支援モデルを援用できるのでは?という話である。

その中の図に非常に興味深いものがあったので画像を引用しておく。

==

2015saka.jpg

(坂爪一幸(2012) 発達障害と認知症にみる障害の理解と支援 : 神経心理学・高次脳機能障害学の視点から(第21回日本健康医学会総会における特別講演のまとめ) 日本健康医学会雑誌21(2) (20120731)より引用)

==

確かに高次脳機能障害と発達障害は似ている部分は多い。そして機能と能力を分離して考えることによってどこをどう支援するのが効率がよいのがわかりやすくなるかもしれない。

発達を加味した「機能-行動モデル」を作ってみた。

だが、発達障害の場合は生きていくのに十分な知識や能力を培うまでの間にも問題が生じているという部分が違う。

そしてもう一つ。能力を発揮する段階でもまた機能が行動の障壁となる場合がある。

ピンとこないかもしれないので一応1つだけ例を出しておこう(いくつも出してるとキリがない)。

私は普段スーパーで買い物する事に特に不自由はない。だが、調子が最低最悪のときは、BGMやら店内放送やらが頭に響いてしんどくなり、棚を見てもそれが夕食のネタに結びつかないばかりか下手すると「何見てたんだっけ」が多発する状態になり、結局何一つ買うものを決められず...なにも買い物をせずに売り場から撤退するということが起こる(最近はほとんどないが)。

能力...が獲得されていないわけではない。だが、そのときの脳みその機能がそれを許さないのだ。

以前リスクモデルについて書いたが、私は能力があっても運用するための機能が落っこちるリスクを抱えているということである。

運用ということを考えると「知識や能力」が獲得以前と獲得後の「機能」でサンドイッチになっているように思えてくる。というわけで発達障害をうまく表せるモデルはできないいかとあれこれいじってできたのが下の図。

2015base.jpg

目にした、耳にした各種のデータや動作の経験という「情報」を、一群の機能が適切に加工して初めて(使える)知識や能力として蓄積される。

そして課題となる状況に直面したときに一群の機能が働き、動機や意欲が形成される。

さらにその後、一群の機能により、能力や知識から適切なモノを引っ張り出して組み合わせて運用することで初めて行動に至る。

まあ厳密にいえばあちこち影響し合っているし、能力が上がることによってさらに機能の開発が可能になるといった場合もあるのではあるが、ある程度単純化しないと話が前に進まないので仕方がない。

これがまあ機能がほぼまともに働いている時の構図だとして話をすすめる。

 

機能-行動図からの障害モデル

うまく行動ができないOR行動が不適切な場合、上記の過程のどこかでバグがあると考えればいいだろう。

学習を支える機能にバグがあると能力や知識にも影響し、運用を支える機能にバグがなくても行動にバグが出る。学習を支える機能にバグがなくても動機や意欲の形成機能や運用を支える機能にバグがあればこれもまた行動にバグが出る。

上の図1の機能のあっちこっちに障害が起こっている場合も一応図解しておこう

まずは学習を支える機能に何らかの問題がある場合。

2015ptn01.jpg

そして、運用を支える機能に問題がある場合。

2015ptn02.jpg

2015ptn03.jpg

そしてもう一つ、動機や意欲を形成する機能に問題がある場合。

2015ptn04.jpg

最後にあちこちに問題がある場合。実際にはこんな感じなのかもしれない。

2015ptn05.jpg

療育や支援というのは、何らかの働きかけで問題を回避あるいは縮小し、最終的な行動をしやすくするものだといえるだろう。

ここから各論に入っていこう。

(ここまででまだ半分まできてないという...長くてごめん)

 

療育と支援の考え方を「機能-行動図」から考えてみる

これまでの図をもとにいろんな療育や支援見ていこう。

ABAの場合

自閉症の療育といえばABA(応用行動分析)を用いた療育が筆頭にあがるくらい有名だし本もたくさん出ている。自閉症の療育としてはロバース博士が開発した早期療育プログラムが有名である。本格的なセラピーをやろうとすると費用も時間もハンパなくかかるので、エッセンスを取り込んで家庭での療育に取り入れようとする場合がほとんどだろう。

ABAをベースににした療育は報酬(負の報酬含め)を介して動機や意欲の形成を促進もしくは抑制することにより、適切な行動を増やし、適切でない行動を減らすというもの。ABA自閉症療育として行う場合は適切な行動を増やすことを通して、必要な能力の獲得へのフィードバックをも目指す場合が多い。

適切な行動にはご褒美、不適切な行動には無視が基本(罰はあまり用いないようである)。

これを前述の機能-行動モデルに当てはめて見ると下のようになるだろう。

2015ptn06aba.jpg

2015ptn07aba.jpg

この図から考えるに、ABAによる行動変容はオペラント条件付け(リンクはWikipediaの該当ページへ)が可能なことが前提である。つまち基本的な情報の受け取り機能、及び知識や能力の運用機能に問題がないことが前提で、働きかけをする側に目を向けることができることもある程度必要だろう。

このため、基本的な認知機能に問題を抱える場合は効率が悪くなりやすく、効果を上げるためには提示に工夫を要したり多くの時間を必要とすると思われるが、これはロバース法の本格的セラピーに多くの時間がかかることとも矛盾しない。さらに、複合的な能力の獲得や、複雑化した問題行動への修正には適切な報酬の設定が難しくなるといった問題もあるだろう。

(オペラント条件付け自体は人間社会のここかしこで見られるものであるし、学習指導などでも有効に機能することは多い。安直な例を出すと、奥さんの料理が美味しいと旦那さんが酒場に寄らずに仕事場からまっすぐ家に帰ってくる確率が高くなるとか、結構ありがちな話である(もちろん味覚という知覚機能に依存する)。)

また、この方法は脳の機能に対するアプローチではないため、適応的でない行動が脳機能の不具合による心身への負荷に由来する場合に適用しても効果は得られにくいと思われる。

 

知識修正or付加型の療育・支援

SST(ソーシャルスキルトレーニング)やソーシャルストーリーズ、一般的なダメだしといったものなどがこれにあたるだろう。

適応的でないな行動の元になっている知識(誤学習)や適応的な行動に繋がる知識の未学習を適切な知識を追加or上書きすることによって、適応的な行動の獲得を目指すもの。

これを先ほどの機能-行動図にのっけてみると次のようになる。

2015ptn08sst.jpg

2015ptn09sst.jpg

図9を初期の状態として、図10を目標とする療育・支援と言えるだろう。

適応的でない行動の原因が行動規範に直結する知識の問題である場合は有効性は高いが、誤学習が複数であったり複雑に関係している場合が大元の誤学習を特定するのが難しくなる。

知識以降の機能に問題がある場合は効果が期待できないのと、適応的でない知識の新たな産生を予防するものではないし、行動の問題が脳機能の問題由来の心身への負荷によるものである場合は効果が期待できない。

既存のプログラムはよくある比較的単純な未学習・誤学習についての修正プログラムである場合が多く、事例のすくないものや複雑化した誤学習については個別の分析が必要である。

また誤学習の内容によっては指摘されることに対する強い感情的な反発が起こるケースもあり、指摘する側には反発を起こさずに伝えるための技術が求められるだろう。

 

機能補完、改善型アプローチ

機能改善型療育

感覚統合訓練、ビジョントレーニング、各種の身体アプローチ(動作法、操体法、チャイルドスペース、フェルデンクライスボディワーク等)

運動や動作を通した身体機能の調整といったアプローチによって、発達の阻害要因を減らし、発達を促す刺激を与え、脳の機能そのものを向上させていくことを目標にする療育である。

これまた先の図にのっけてみよう。

2015ptn10body.jpg

2015ptn11body.jpg

過剰な知覚刺激を取り去ることも発達の阻害要因を取り除くことになりうるので、次項に出てくるアーレン眼鏡、ノイズキャンセリングツールの使用も機能向上型と言えるかもしれない。

個別の方法についてはエビデンスがどーとかこうとかうるさいむきもあるようだが、脳の可塑性を考えると機能にダイレクトにアプローチするタイプの療育・支援が可能でもなんら不思議はない。エビデンス方面についてはこれからに期待したいところだ。

 

機能補完型ツールの利用

機能に問題を抱える部分を各種のツールで補完し、使える機能の底上げをすることによって能力や知識の獲得を容易にするものである。アーレン眼鏡、ノイズキャンセリングツールなどのように過剰に入ってくる知覚刺激を調整するもの。IT機器のように記憶力や見る機能の補完に用いるものなどがある。

さて、また図だ。ベースの図は既出の図11である。

2015ptn11tool.jpg

機器が必要ではあるものの長時間の訓練が必要ないといった利点がある。

ただし小中学生の場合「周りと違うやりかた」への心理的抵抗が生じる場合もあるので、障害告知がない状態では使いにくい。

特に学齢期の場合、現状学校側がツールの使用に難色を示したりといったことはまだまだあるので学校で使用する場合は交渉が必要になることも。 

機能改善型療育も機能補完ツールの利用も、開始以降の能力や知識の獲得効率をよくするものであるため、すでにしてしまった誤学習をそれだけで直すことはできないといったウィークポイントがある。

 

援助型療育・支援

構造化支援・TEEACH、PECSなどがこれにあたるだろう。

脳の認知機能の未発達に起因する問題を、認知機能に合わせた情報提示、コミュニケーションスタイルや生活スタイルの確立という援助する事によって適応的な行動を容易にするとともに、生活の負荷を低くしたり心身の安定をはかろうとするタイプの支援。

2015ptn13tch.jpg

2015ptn14tch.jpg

学習を支える機能を援助する事によって知識や能力の獲得が容易になるため学習段階でのメリットは大きいが、行動を支える機能に多くの問題を抱える場合は能力や知識があるのにうまく運用できないという問題が生じる可能性はある、また既にしてしまった誤学習に関しては効果は期待できないだろう。

この種の療育・支援は本人の負荷をベースにしたモデルであるので当事者の立場に立ったモデルとも言えるが、特に運用を笹さえる機能の問題を抱えているケースでは当事者本人が自分で自分への援助をできるところまで能力を獲得できない場合は生涯にわたる外部から援助を必要とするモデルともいえる。

 

まとめ-療育・支援の得意不得意-

(あー、長かった。使った画像がここまでで既に15枚だ)

さて、ここまできてやっとまとめの表を作ることができる段階に到達。

見てわかるとおり万能のものは1つとしてない。

2015type01.jpg

自立に近づくことを目標とするならどういった療育・支援の方法を選べばいいのか?

お子さんのどの辺に問題生じているのか?というのを親御さんが冷静に観察して見極めた上で、やはり状態の悪い時は負荷の低い方法から入るしかないだろう。

だが、それだけでは将来にツケをまわすか自立しにくいといいった問題が出てきそうなので、耐えられる負荷の範囲で他の方法を併用する方向に持って行った方が良さそうだし、機能の向上を視野に入れておいた方が自立はしやすくなるだろう。

とまあ、実に安直な結論に至ったわけだ。

まあ、私自身、表の左右でいうとまんなから辺りを多少意識しつつごくごくいい加減に子育てに励んでいるのであまりそれとも矛盾しない結論になったというわけでもある。

上記はあくまで私の解釈であるのではあるが、ことによると屁の役くらいには立つのではないかと思わなくもないところまで考えを詰められたのはちょっと嬉しい。

 

長文におつきあいいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 


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発達障害児と夏休みの宿題のラストスパート

夏休みの宿題のラストスパートは家庭教育のチャンス

そろそろ夏休みも終わり。

「夏休みの宿題は計画をたてて取り組みましょう」と学校の先生がいくら言おうが、ぜんぶ計画的に取り組んで夏の終わりに焦らない…という子は、発達障害児では少数派ではないかと思う。

夏休みの友(ドリルの類)は結構早めに済ませる子でも、読書感想文、自由研究、工作、絵日記などが残っていたりする場合もある。

やり方がピンとこないものほど残りやすい。

親にとってはやれやれ…ではあるが、ちょっと見方を変えると、家庭教育の一大チャンスである。

ある程度負荷のかかることを自力でやりきったら達成感はわくし、自己肯定感が上がるのは当然である。自分のやるべきことを責任もってやり遂げる体験ができるこのチャンスを使わない手はない。

というわけで、娘(5年生)の宿題ラストスパートで使った方法とその背景となる考え方を紹介してみる。

宿題発掘からラストスパートまで

まずは宿題を発掘する。夏の初めに一応宿題チェックはしておく必要はあるだろう。

「そーいや、夏休みの宿題ってどんくらいおわってんの~?」

とゆる~い雰囲気で聞く。 親が関われる時間は限られるので、時期はそこを勘案してのタイムリミットより数日前。

発掘するときに「宿題終わったんでしょうね~!!」と責める口調でやるのは反発や落ち込みを生じるだけだ。

「大丈夫、夏休みの友は終わったし~、あとは工作と読書感想文だけ~」

と悠長なこたえが返ってきてもこの時点では個別のチェックはしない。

そして三日後、もう一度きく。

「宿題どーだい?おわりそう?…そういや宿題って何と何があったんだっけ?」

「えーと、あれとこれと、そういえばあれまだだった…、うわあ、あれもまだ仕上げが!!」

こんな具合にやるべき宿題を発掘。発掘できたらメモ程度でいいのでリストをつくる。

残りが多かろうがここで怒るのは得策でない。ガハハと笑いながら

「そうか、じゃ、とっととやろー」

とほんのちょっとだけ背中を押す。

本人が「私って、なんでこんななんだろう」なんて落ち込み始めたら、

「それ考えてる間にやったほうが早いと思うよ」

とだけしれっと言う。 

「なんで今までやってなかったの~」

なんて怒っても、余計落ち込むかパニクるだけで、処理速度が大幅ダウンするだけ。

慰めるつもりで

「夏休みの宿題多いよね~」とか「なんでこんなに多いのかしら...」

なんて言おうものなら、宿題だすほうが悪い…という解釈から自分で責任とることを学習しそこねかねない。

 

怒らず騒がず慰めず そして、自分でやらせる。

 

自分でやるための道筋をたてる手助けだけするというのが、夏休みの宿題追い込みの鉄則。

 

さてやりはじめたら、リストアップした項目を線で消しながらすすめていく。

部屋にこもると横道にそれやすいならリビングでやるほうがいいかも。

 

これで首尾よく最終日までに宿題が仕上がれば

「間に合ってよかったねえ!」

と一緒に喜んで一件落着。

 

せっかくの達成感がしぼんでしまうだけなので

「もっと早くから取り組んでたらこんなに焦らなくてすんだのに…ブツブツ」

ってな小言は言わないほうがいい。

 

間に合わなかったら…、子どもが泣こうがわめこうが

「そりゃー、やりはじめが遅かったらそうなるねえ」とサラッと言ってのけ、新学期に送り出す。

(かつて息子が小学生のときに一回だけやりましたねねえ、これ)

 

夏休みの宿題、親が管理してやらせるのは小学校低学年までだと思う。それでもちょっとずつはしごをはずしていく。

高学年は基本放置で生温かく見守っておき、最後だけちょっと背中を押す感じ。

 

小5の娘の宿題ラストスパート、ほぼこんな感じで片付けたけど、息子が小学校の頃もやり口は同じでしたねえ。

ってなわけで、今年…はもう間に合わないかもだけど、もしかしたら来年役立つ人もいるかも…と思い、書いてみた。

 

 

 

 



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異才発掘プロジェクトの特集番組(ETV特集)をみて考えたこと(2)

ETV特集の異才発掘プロジェクト番組の感想2発目いってみる。

1発目はこちら

ASDあるある姿勢

前回ネタバレの問題があるので後半に回したが、番組冒頭部分の中学生の子の登校シーンがやはりかなり気になる。

何が気になったかというと身体である。典型的な自閉っ子あるあるの姿勢だ。

首が前傾しやすく、かかとが浮きやすい...といったもの。

もっと端的にいうなら、下の本の表紙の右のシルエットそのまんま。

正直な感想として、身体しんどくないのかなあ?疲れないかなあ?と思う。

番組に映る他の子の様子も、座っている状態で上体をキープできる程度の体力はあるようだが、上のようなあるある姿勢の子も多い、まっすぐ向くのがちょっとしんどそうだったり、そうでなければ身体が固そうな感じがする。

そして番組中で冒頭でてきた中学生の手をもむような「くしゅくしゅ」という動作(この映像は中盤)、あれはいわゆる自己刺激行動の類だろう。番組中では彼にとってだいじなもの...という扱いになっていたが、本当にそうなんだろうか?という疑問がわいてきた。

というのは、身体の一部を無意識に動かす...実は私も小学生の頃までは多少あったし、PTSDで調子が非常に悪かった数年前まではときどき出てきた現象だ。私はほぼ脳みその調子が悪いかどうか、余力の状態などのバロメーターだと思っているからだ。

話をすすめよう。

確かにユニークで才能のある子たちなのだとは思う...が、もし彼らの身体がもっとラクになったら、もっとその才能を発揮しやすいのではないだろうか?などということを考えてしまった。

イカスミパエリアの授業で冒頭の中学生のパニックシーンも出てきたが「パニックをとがめられない」というのは必要なことだろうが、「起こさない」ほうが本人にとってラクだと思うのだ。

最後の方で「障害」を否定するようなセリフがちょっとだけ出てきたが、そこを否定してしまうと身体面の改善に向かいにくいのではないか?という若干の危惧を感じた(まあ、部屋のシーンでバランスボールがチラッと映ってたし、そっち方面もやってるかもだけど)。

身体の問題や感覚の問題は、本人にとっては当たり前になってしまっているし、他者との比較もしにくいので、負荷がかかっていてもなかなか気がつきにくい。そして、支援者によっては「特性」として変わらないものとして扱う場合もあり、そうなるとなかなか改善という視点がでてこずに、「指摘したり揶揄したりしてはいけない」というだけの扱いになってしまうことも多い。

だが、身体がラクになると、心身ともに余裕ができてやれることの幅が増える人は多い。

感覚統合療法、臨床動作法、各種のボディワーク(フェルデンクライスや操体法、気功、ヨガやピラティス等々)、とれる方法は結構最近豊富になってきている。

まあ、昨今は構成論的発達科学という東大が中心となってやっている文部省肝いりのプロジェクトで感覚統合について重要視しているようだし、もしかしたら番組中で出てこなかっただけかもしれないが、冒頭の印象的なシーンといい、そういった身体方面へのアプローチもあってほしいと思わせる映像がたくさんあった。

異才発掘というプロジェクト

番組映像を見ている限り、なんとなくこの子たちを応援したくなってくる。まあ、魅力的な子どもたちが多いというのもある。600名の応募から選ばれた15人、そりゃかなりユニークな子たちだろう。

ふと、選ばれなかった子どもたちはどんな子らなのだろうと疑問がわいてきた。

応募して選ばれなかった子だけでも585人。応募にはアピールポイントがあることが求められるから、ある程度アピールできるポイントがある子たちである。もちろん実験的なプロジェクトであるから人数は限られる。それ自体どうしようもないことではあるが、どんな選考基準だっただろうというのは気になる。

そして、もう一つ、ユニークな子どもたちが異才発掘を目標に集められ、適した教育を受ける機会に恵まれたとしても、もしその子たちが何らかのきっかけで異才としてではない社会との関わり方を望むようになったとき、そういった方向転換を本人、周囲が柔軟に受け入れられるような教育であって欲しいとも思った。

「異才」という言葉もまたスティグマになってはならないと思う。

なぜ彼らは学校環境になじめなかったのか?

ROCKETのQ&Aページでは「学習の機会が奪われている」ということが選考要件であると書いてある。

ここで疑問がわいてくるのは、なにが彼らの学習機会を奪っているのか?ということだ。

まあ、学校とはかけ離れたハイレベルの勉強をしていれば、学校の授業がほとんど復習でしかないということはあり得るだろう。日本の義務教育下では飛び級などの制度もないのでつまらない時間を過ごさざるを得ない...それはそれなりにだるいかもしれない。

しかし中盤のサンショウウオ少年が学校に行けなかったのはどうやら聴覚過敏が主な理由のようだ。「多数の普通にあわせた画一的な教育」が彼の学習機会を奪っていたとはいえないだろう。

ノイズキャンセリングツールの出現をまたなくても、周囲の音響環境がもうちょっと良かったら、彼は学校に行けていたのかもしれない。

(鉄筋コンクリート造りの標準的な学校の校舎は最低の音響環境であることが多い。コンクリートの壁に塗装しただけといった硬質の壁に大量のガラス窓、そしていたみにくいようにだろう、これまた硬質の床材。教室も廊下もガンガン反響してください、定在波(詳しい話はまた別記事にするが、ある条件で発生する減衰しにくい不快音)もどうぞ発生してくださいといっているようなものである。そこに子どもたちの賑やかな声が...となるわけだ。)

ユニバーサルデザインってのが花盛りだが、学校の音響環境こそユニバーサルデザイン化したほうがいいのでは…と思う。

彼らを支えるのに足りなかったのは何だったのか?

映像を見ていると結構楽しそうだ。そこから考えるに彼らにとってこのプロジェクトは意味があるのかもしれない。だが、なぜ彼らにこのプロジェクトが必要だったのだろうか?

番組中で中邑教授が指摘している「さまざまなルールや時間制限」ももちろんあるのだろうが、どうも私にはそれだけとは思えない。

料理なんてのは家庭でできることだ。そして料理の際に感じた疑問を調べて世界を広げていく…というのも家庭でもできる。実験や工作や工芸だって昨今は材料がとても手に入りやすい(40年前に比べたらもうパラダイス!自由研究材料の調達ができるショップのまとめはこちら)。そりゃ多少の費用はかかるが、正直「ROCKET」でなくてはできないことではない気がする。家では学校ほど時間には縛られるとも思えない。

感覚対策、視点がせまくなりがちなことへのアプローチ、周囲との軋轢をうみやすい誤学習を発見・修正していくこと、そしていろいろな生活体験を積むこと…そういうことでかなりの部分をカバーできるような気がするのだ。

まあ、変人色の濃い家庭でないとクセのある子どもたちにそういったアプローチをするための知恵が蓄積されていない部分はあるだろう。

学校を補完するなにか?が必要であるとするなら、それはシステムを作るのではなく、補完をやりやすくするための知恵や情報の提供をすることなのではないだろうか?

とまあ、こんなことを考えた。

番組そのものに対する感想

ずいぶんいろんなことをてんこ盛りにしてくれたなあ...です。

おかげで感想がやたら長くなってしまったw。

 

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異才発掘プロジェクトの特集番組(ETV特集)をみて考えたこと(1)

先日紹介したETV特集の異才発掘プロジェクト、本放送を視たので感想を…と思っていたが、一見「うまくいってるね、よかったね」ってなつくりに見えるが、正直いって重いテーマがてんこ盛り。

学校教育の問題、家庭環境の問題、プロジェクト自体の矛盾。

感覚の問題、身体の問題、誤学習の問題…とまあ、考えさせられることがいっぱいだ。なかなか奥が深い番組だったと思う。

ってなわけで感想が長くなりそうであるがとりあえず書き始める。

今日はとりあえず番組で何回か繰り返しでてき出てきた「友達」の問題、そして、中盤で出てきたノイズキャンセリングツール使用に関する部分について書いてみる。

みんな仲良くの呪縛?

発達障害児者ではコミュニケーションの問題が幼少期より浮上するケースは多い。そして、本人も親御さんも「友達ができない」という問題に悩むケースは多い。

確かに趣味の範囲がかけ離れていたりすると話題が合いにくいといった問題はあるかもしれない。だが学校で友達がいないことが居づらさや不登校にまで繋がるというのはどういうことだろう?

「友達はいなくてはいけない」「みんなと仲良くしなくてはいけない」というような思いこみがありはしないか?「みんな仲良く」幻想が彼らを縛っているのではないか?ということを思わないではられなかった。

つまり、何らかの誤学習が絡んでいないか?という

秀でたところをのばしていく中で「変っている」といわれることを「外からの評価」として自分の内面が影響を受けないようにするのは別に悪くは無いことだとは思し、彼らにとっては救いになったかもしれない。

ただ、彼らの中の誤学習しやすさというものが解消されていなければ、あるいは自分で誤学習を修正できるようになっていなければ、同様の「自分を縛る幻想」が現れてしまう可能性は依然あるだろう。

プロジェクトではそういったところへのアプローチはあるのだろうか?

そんなことが気になった。

ツールの利用と学校の理解

さて、次は過敏対策ツールの問題

番組の半ばで、ノイズキャンセリングヘッドホンやタブレットを学校で利用することを中村教授からすすめられて、使用するようになり、学校での授業参加ができるようになってきたという話が出てきたが、この部分をみた時、私のアタマには最近あるお母さんから聞いた話が浮かんできた。

掲載許可を取ったのでちょっとその話を紹介する。

B君は6年生になる発達障害を持つお子さんで、支援級に在籍してはいるが2教科を除き授業は交流級で受けている。

だが、6年生になったあたりから聴覚過敏がひどくなり、授業を受けれないことが以前より多くなってきた。

そこで、聴覚過敏対策として、ノイズキャンセリングヘッドホンを使用しはじめ、B君もヘッドホンを気に入ったので、学校でも使用できるようにと、診断書を添えて学校に使用できるようお願いしたものの、他のお子さんや保護者への説明の問題を

普通級での使用について「他のお子さんや保護者への説明」「今までなしで過ごしてきたのだから」などという理由で学校側から難色が示されたため、お母さんは教育委員会に穏便になんとかならないかと相談、その後学校側からルールを守って使用するという条件付きで許可するといってきたという。

Bくんはその知らせに喜び、俄然勉強への意欲もわいてきて、お母さんも少しほっとした様子だった。

だが、フタをあけてみたら支援級の担任が作成したルールがとんでもなかった。

nc_rule.jpg

このようなものになったのは、「将来ヘッドホンがなくては生きていけない子になっては困るから」といった理由だそうだ。

これでは使用許可といっても意味がまるでない。

ショックだったのか(とは思う)Bくんはその後、とうとう学校へ行けなくなり、さらには起き上がれないといった状態にまでなってしまい入院加療を余儀なくされている。

Bくんのケースはある意味最悪のケースであるが、学校の現場はまだまだ感覚過敏に関する理解が進んでいない場合もある。

この番組の中で出てきた小学生のうまくいったケースの話を見ながら、もし、中邑教授の薦めや、教授自ら学校へ出向いての協力要請がなかったら、そんなにあっさりツールの使用が許可されただろうか?

Bくんのケースを思い浮かべながら私はそんなことを考えてしまった。

もちろん、こういった番組でさまざまな対策ツールが紹介されることは、その使用が広がるきっかけになるだろうし、後押しにもなるだろう。

だが、現実問題としては交渉に難儀するようなケースもあるということもまた事実なのだ。学習障害の場合のタブレットの利用にしても結構難儀するといった話も時折聞こえてくる。

まあ、別に学校の先生ばかり悪者にしたいわけではない。

というのは学校の先生は聴覚刺激には強い方が多いと思われるからである、学校の音環境が屁のカッパでなければ学校の先生をやっていられないだろう。聴覚刺激に強い人にとって聴覚過敏というのはとても理解しにくいものだとは思うのだ。

ノイズキャンセリングツールはじめ様々なツールによって日々の暮らしが楽になる場合は多い。しかし、学齢期のお子さんでその利用許可を学校に求める場合は、素直にいくケースもある反面、学校との交渉に難儀するケースもある。

ノイズキャンセリングツール、アーレンレンズやサングラス、タブレットなど、各種の補助ツールの利用が容易になれば、生活における負担が格段に少なくなる。学齢期は基本学校での生活時間が長く、環境を選びにくいことから負担の軽減は切実になんとかしていかなければいけない問題だろう。

おまけ:去年作ったものだが聴覚過敏体験サンプル動画なんてのもあるので、もし人への説明に役にたつなら使っていただいて一向に構わない↓。
自閉症スペクトラム児者の聞こえ方を疑似体験してみる動画)

 

続き、異才発掘プロジェクトの特集番組(ETV特集)をみて考えたこと(2)はこちら

 

 

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発達障害児の誤学習について授業中の立ち歩き問題から考える

まずはスカイさんという方のブログ記事を紹介させていただく。

立ち歩いてはいけない場所」で立ち歩くなら、そこにはいさせない。入学最初のルールづけ。

発達障害のあるお子さんの小学校入学当初の話である。

授業中立ち歩いてしまうお子さんを親御さんがどうサポートし、落ち着いて授業を受けられるようになっていったかということが綴られているのだが、非常に重要な視点が多数隠れている気がする。

発達障害児の立ち歩きという問題

授業中の立ち歩き、これはしばしば発達障害児の親御さんや、発達障害児のいるクラスを受け持つ教師を悩ませる。

これはかなり微妙な問題だ。立ち歩いくくらいいいだろうという人もいる。多数派の流儀にあわせなきゃいけないことのほうがおかしいという意見もある。

しかし放置すれば周囲の子たちの集中を邪魔することになってしまう面もあるだろう。また立ち歩きが教室外へ及んでしまうえば安全の問題も出てくる。ある子どもの立ち歩きを許容することで他の子への目配りが手薄になったり、クラス全体の統率にも影響が出るかもしれない。

当該児にしても授業への参加がうまくいかなければ当然学力の問題も出てくるだろう。

下手をすると他の保護者からの苦情が出るかもしれない。

だが、一番の問題は「ルールを守る」ということを学べるか否かにつながる問題だいうことだ。

立ち歩きの容認と誤学習

この記事の親御さんがここまで気合いをいれたのか?「誤学習させないため」であったようだ。ちょっとその辺を考えてみよう。

注意が維持できないとか、目に入ったモノに注意が向いてしまうとか、ルールがなかなか理解できないなど、立ち歩く原因は様々だが、もし立ち歩きを容認してしまったらどうなるだろう?

当然、「授業中立ち歩かないというルールは守らなくてもいい」という理解をするだろう。

定型児と異なり、発達障害児は状況からルールの理解をしたりするのは苦手であるので、慣れてきたら落ち着くといった現象は起こりにくい。

親や教師がしびれをきらし、しばらくたった後で「いつまでも立ち歩いてるの?」などといいだそうものなら当然子どもは裏切られたように感じるだろう。必然的に信頼関係もへったくれもなくなるので、どう行動したら良いのか学び損ねる可能性も高くなる。

社会生活を送っていくためには様々なルールを守る必要がある。

発達障害があるからといって守らなくてはいけないルールで大目に見ることを続ければ「ルールを守る」ということが学習できなくなってしまうだろうし、「ルールにかかわらずしたいように行動してもいい」というかなり致命的な誤学習をしてしまう可能性すらある。そしてルールを守らないことを批判されたときに逆恨みする原因にもなりかねない。

ルールというのはある種約束ごとだ。授業中の立ち歩きを放置された子どもは大人になって人との約束やルールを守れるだろうか?

立ち歩きを放置することは約束やルールを守れなくなるリスクをはらんでいると私は思う。

本当に特性だからできないのか?という問題

上記の記事で出てくる親御さんは学校に毎日出向いて根気よくお子さんのわかるかたちで説明を続け、お子さんは二ヶ月ほどで落ち着いて授業を受けられる状態になったようだ。

読んでいただければわかるが一筋縄でいった訳ではない。方法にしてみても、説明するだけでなく、ルールを守れない場合「場にいさせない」というかなり強硬かつ気合いのいる取り組みである。

そして学校側からは「そこまでしなくても」とか「徐々になれていけば…」といったような声がかかる中での取り組みである。

特性だからしょうがないと諦めていたら落ち着いて授業を受けられるようにはならなかっただろう。子どもが本当に学べる範囲を見極め、方法に工夫を重ねることによってなしえたことだ。

(実はこの、ルールを守れない場合、場にいさせないというのは私も娘の幼児期に何度か使った方法で、手がかかるもののかなり有効性は高いと思う。)

立ち歩きだけではなく、他の様々なことにおいても「障害特性だからできない」と言わなくてもいいのではと思うことは多い。親が諦めすぎれば子の自尊心にも関わるだろう。

浮かび上がる問題いろいろ

冒頭の記事のお子さんは、親御さんの努力から多くのものを得たように思う。

授業に参加できるということで学ぶ機会を得たこともそうだし、様々なルールを学ぶということの素地も作っただろう。そして何より「できる」ということを全身全霊をかけて信じてくれる人の存在はかけがえのないものだ、これは後々様々なことに取り組む力になるだろう。

それは非常に喜ばしいことだが、この記事からは他に様々な問題が浮かび上がってくる。

果たして、親がどこまで自力で対処すべきかといった問題は残る。

この記事のお母さんは教室に毎日出向くということができたが(コメントにあるがお仕事は辞められたようだ)、親がシングルの場合など、生きていくためにその余裕がない場合は物理的に無理である。

かといって発達障害の専門家でもない学校教員に対処法の見極めからなにからすべてを求めるのは難しいだろう。ここで医者や心理士などの支援が必要になるが、支援者が必ずしもこういったリスクについて認知しているとは限らないのが現実だ。

立ち歩きに似ているが、感覚過敏などの問題がある場合の逃避から席を立つといったものは、根気よく説明したからといってどうなるものでもないので、しっかり鑑別する必要はあるし、過敏対策は別にしっかり立てる必要があるだろう。

難題は立ちはだかる。

だが、ルールを守ること教えることは社会の中で生きていくために必要不可欠なことだ。これを諦めることは子の将来の可能性を狭め、消化試合にしてしまうことだと思う。

特性を理解するのは諦めるためではなく、先に進むためだと私は考える。

=============================

コメントのお返事がなかなかできなくて申し訳ありません。
いただいたコメントはありがたく読ませていただいています。

 

 

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発達障害児の子育て支援の盲点(フェルデンクライスコラボイベント報告)

2014年11月8日、「発達障害児の子育てTips講座+フェルデンクライスボディワークプチレッスン」と題してこのブログのスピンオフイベントを開催した。

前々から親御さん向けのこういった情報提供はやってみたいという思いはあったのだが、「さほど目新しいこともないしなあ」と思ったり「準備や募集やなにやらの時間をちゃんととれるだろうか」とか、「参加者あつまるかなあ」とかまあいろいろと躊躇するところもあった。そこをフェルデンクライスボディワークとの出会いが後押ししてくれたというところでもある。

イベントでのフェルデンクライスボディワーク指導を引き受けてくださったプラクティショナーの安藤氏には感謝を申し上げたい。
また、参加者の募集には様々な方面の方に告知、拡散のご協力をいただいた。ご協力いただいた各位に深く感謝する次第である。

さて、イベントを終えておもったことを少しまとめておくことにする。

参加者さんは発達障害児の親御さんが中心に一部支援者の方も。
少人数での開催だったので、皆さんの顔が見える。

フェルデンクライスのボディワーク部分では40分ほどの短い時間の間に参加者さんの表情と姿勢が変化していくのが見て取れたので私としてはちょっとほっとした面も。
中には早速終了後にお子さんに体験させたいとプラクティショナーの安藤氏と相談される方もいらした。

私のしゃべる部分は基本的に講義というか授業に近い形式で進めさせていただいた。
(少人数のセミナー形式は久しぶりだが、私はこの形式わりと好きだったりする)

2時間20分、あっという間に過ぎた。
ちょっと盛り込み過ぎて急ぎ足になってしまったかなという反省もあるが、
情報としてはかなり伝えられてのではないかとは思う。


いただいた感想から発達障害児の親御さんの悩みを考えてみる



そしてここからが問題だ。

いただいた感想メールから掲載許可をいただいた一部を紹介する。

今回、誤学習について、いろいろお聞きできて、特に修正が大事だということがわかったのが、大収穫でした。
息子がアスペルガ-と診断されたのは1年前ですが、それから今まで、大雑把にいうと、学び取りにくい特性があるから、間違えないように教えなきゃ、と抱え込んで、でも、自分一人の知識や教え方では限界、と、変に力みや重荷を背負っていたような気がします。




これを読んで私はうーんとうなってしまった。


コケたらどうしようか?という視点




発達障害児の子育て本、最近はけっこうたくさん出ている。
雨後の竹の子状態といっても過言ではない。

障害や特性のとらえ方にはじまり、問題行動への対処のしかた、生活スキルの身につけ方、就学上の問題解決等々、まあ、かなりいろんな方が書いているのでバリエーションもそれなりにある。

だが、
「どう教えたらいい」
は多いが

「ずっこけたらどうしようか」
という観点のものにはお目にかかったことは確かにない。


正直なところ、私は自分の大ボケ、大マヌケを常時修正しながら生きているので「こけたら直す」が当たり前化している。だから当然子育てという場面でもほぼ同様に「ヌケたたら追加」「コケたら修正」としか思ってないのだが


「発達障害児はどう転がってもそこそこ誤学習する…つまりずっこける」


という前提が見えない発達障害児の育児本が多い。
もうちょっとかみ砕くと「特性がありますからあーしないとこーしないと」のオンパレードで、


「マヌケな思い込みしてたときどうしようか?」に触れた本は少ない。



これでは「うまく育てないと」と親御さんがしんどくなるのもわからないでもない。
我が子によりよい人生を歩んで欲しいと願う親御さんほど上記メールの親御さん同様、煮詰まりやすいという面はあるだろう。
そりゃそうだ。

<strong>「困ったことがあったら相談してくださいね」(ニコッ)


という(医療・支援機関定番の)セリフを頂戴したときに


「いや、それより困ったことが起こらようにしたいんですが…」

とか

「困るってほどじゃないけど気になる思い込みしてるみたいな時のどうしたもんでしょうねえ?」


と、しれっと聞いちゃうなんてことは空気を読んじゃう定型発達の親御さんにはたぶん想定外だろう。この辺は空気を読まない発達障害者の方が実は得意なのだが、それはそれで聞く必要が生じにくいのでまあ聞かないだろう。


かくして、定型発達の親御さんは「具体的な困ったこと」とまでは言えない違和感で悩んでいる、という支援ニーズはなかなか支援者には伝わりにくいといったことが起こるのだろう。


ちょっと盲点だった。



「こういう配慮があったら!、あーいう配慮をして欲しい!」と、「ハイリョ!ハイリョ!」のかけ声をいくらかけたところで、現実生活はお祭りじゃないんだから子どもが大きくなればなるほど「配慮のない場面」に遭遇する。


子の将来を現実的に考える親御さんほど、
(必要な工夫や配慮を自らゲットすることも含めて)
将来的に「配慮のない場面」にも対応できるように育てたい

と思うのは至極当然だと思う。


というわけで、そういったことに繋がる話をもうちょっと発信していったほうがいいのかな?と思うと同時に、親御さんが煮詰まらないためにも


「困ったこと」までいかない違和感の段階で、
「うちの子のこーいう行動、なんか気になるけどこれっていったいなんなのかしら?」
ってな感じに気軽に相談できる場というのも必要なのではないか?


とも思ったわけである。


<本稿おわり>




相談場所ではないけどいろんな違和感の正体のヒントがつかめるかも知れない本

自閉っ子におけるモンダイな想像力

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人の気持ちがわかるまで-ジュースをこぼした時の自閉症スペクトラム児の心境と誤学習-


なぜ自閉症スペクトラム(ASD)児はお母さんの気持ちに応えないのか?



前回の記事「発達障害児のお母さんたちの怒りと嘆きを考えてみる」に対していただいたあざこさんのコメントを読んで私はふと考えた。

確かに定型発達のお母さんではしばしば「気持ちの呼応」を期待するようだ。
まあ、だからこそいらつく、悲しくなる、やるせない気分になるなどがおこってくるのだろう。


気持ちへの呼応とか配慮、それは別段ASD児に無理なことだとは私は思っていない。

トラブル時のASD児は基本パニック寸前




ただ、いきなりは無理なのが自閉ちゃんが自閉ちゃんたる所以である。
ちょっとメカニズムを考えてみる。

さて、お母さんの前で子供ジュースをこぼしたという状況を考えてみる。

定型発達児の場合、まずお母さんの顔を見て、「がっかりしてそうな表情」「怒っていそうな表情」などを見てとり、そこにまず反応する。

基本、自動的にお母さんの波だった感情を慰撫するのに適した表情になるし、お母さんの表情が「あやまる」「片付ける」等のその後の行動の動機となっていく。

だが、これがASD児だとこういう流れでことは運ばない。

まずジュースがこぼれてしまったことに対して「驚く」
自分がやったにせよ、ジュースがこぼれることは想定外なのだ。
想定外のことにビビるのはASD児の一八番である。

そしてそこで行動が止まる。

内心けっこうショックにまみれている。

「こぼれてなくなってしまった→飲めなくなっっちゃった!」
「どうしたらいい?」

想定していた行動ができなくなってしまったことにショックを受けるのだ。
そしてその後の行動を考え、切りかえなくてはいけないので焦る。

「おかあさんの表情」に注目する余裕はとてもじゃないがなくなっている。
となると「お母さんの表情」から得られる「行動指針」という情報は当然利用できないということにもなる。


(適切な行動を学ぶまでに時間がかかるのはこのため)


この時点で幼いASD児にはかなり負荷の高い状況なのだ。

ここでお母さんが「なんで謝らないの」と怒ろうものなら、焦りから制御がききにくくなったASD児の脳みそは

「謝るってなんで?」ということを考え始めてしまうし、
「何に対して謝るのか?」を考えはじめるてしまいいつの間にか負荷が倍増。

「お母さん怒ってる、どうしよう」も当然考えるが表情情報が使えないので判断エラーを起こす。
負荷の倍増したなかで「どうしたら」も考え続けるがこれもまた失敗しやすい。

「なんで固まってるの?なにか言いなさい」

とでも言ったら

「何か言えって何いえばいいの?」
とか
「いや、固まってるわけじゃなくて困ってて考えてるだけなんだけど」なんてのも頭に浮かんでくる。

(もちろんこのときも行動は凍ったまま)

かくして負荷が増えていって、負荷が許容量の限界超えると処理不能になって場合によってはパニックに移行。


とまあこんな具合なんですね。
感情に対する呼応を求められても、その求めそのものが認知できず、へたするとあさっての思考に入り込むのでどんどん周りはイライラするというメカニズムです。

行動学習の動機からASD児の行動を考える



さて、ここで「トラブル後ににどうするか」?といった点に絞って比較すると

★定型児の場合
感情への呼応が行動の動機や行動指針の獲得につながる。

★ASD児の場合
行動の動機は基本自身の困り感や合理性への希求、また行動指針が他者から獲得できないので行動指針も自分の思考で作り上げるしかない。

といったことになるでしょう。


ざくっとまとめてしまうと

トラブル時に親の発する感情表現に対し、定型児はそれを情報として利用できるので児にとっての負荷は下がるが、ASD児では気づくことが難しい上に気づいても負荷を高くなる可能性が生じる。

といったところでしょう。
年齢が低いうちは特にその傾向が強くなると思います。

子供を育てるにあたって、親御さんの側の発する感情表現は多くの場合(要するに子が定型児の場合)子の行動学習上のメリットになるのですから、その自然な発露は生き物として当然という面もあります。

ただ、相手である子供が同様の性質を持っていない場合は負荷をあげてしまうので行動学習を阻害する要因になりかねないということも確かでしょう。


ですから感情への呼応、対応といったものをASD児が学ぶのには別の戦略が必要です。


ジュースをこぼした時、

「ぞうきんを渡し」→「適切に後始末すればいいことを教える」


といった流れが終了した時に


「次からはこう気をつけたらいいかもね」


と今後の指針を提示し、その後に


「ママもちょっとビックリしちゃったよ」
「せっかく買ってきたのに残念」


と語ってあげて欲しいんですね。
そういう流れなら、「焦らなくてもちゃんと対処すればいい」を学んだ後にしっかり「お母さんの感情も動く」

といったことが学べます。


「焦らなくてもいい」を学べたら、結構ASD児もいろんなことに気がつけるようになりますし、他人の気持ちに気づいたり、配慮したりといったこともそこそこできるようになります。

ASD児の定型児の場合と動機の形成部分や社会的情報収集能力に違いがあるので学ぶ順序が逆にならざるを得ないんですね。



もしお母さんが感情への呼応、対応、配慮などを我が子に学習させたいのなら(生きていく上である程度必要だとは思います)、

「焦らないことを教える」→「感情の存在を教える」という順番で教えていくことがASD児の行動制御力及び感情対応力を伸ばす近道だと私は考えます。


焦らない→他者から学べる→他者の感情に気がつく→他者への配慮を学ぶ
という経験を重ねることでASD児も着実に成長します。



ちなみに、逆にありがちだけどわりと危険なのパターンは以下のようなものでしょう。

「そんなところに置くのが悪い」「これが悪い」を言い立てると、”なにか気に染まぬことがあったときにはやった人の悪いところを列挙して怒ればいい”という誤学習の元になりかねないです。

かといって「あんたはあっち行ってなさい、お母さんが片付けとくから」で済ませると、「自分は判断・行動しなくていい」という誤学習の元になりかねません。後年自分で判断して動くことができなくなるということにつながるでしょう。

表情や視線を読むのが苦手なため、「親の行動パターンだけしっかり見ている」ということがこういった誤学習の原因になるのかと思います。


お母さんの気持ちへの反応が乏しいと、定型発達のお母さんは内心複雑だとは思います。

この子いったいどうなっちゃんだろう?
一生このままの親子関係?

等々

でもそれは、気持ちのやりとりをお子さんが理解するようになるまでのしばらくの間のことです。
順序が違うので定型のお子さんよりちょっと時間がかかりますがそこはご理解を!

といったところで今日はこのへんで。



=======================

イベントのご案内(大阪)


★今回の記事でとりあげたような危ない誤学習の発見と防止の詳しいお話もさせていただきます。


仕事に家事に子育てに療育にと忙しくて最近ゆっくりリラックスすることなんてないわ~というお母さま方のために当ブログがとっておきのセミナーを用意しました、(開催地:大阪)
2014年11月8日(土)13:50~/クレオ大阪中央
「発達障害児の子育てTips講座+フェルデンクライスボディワークプチレッスン」
詳しくはこちらの記事をどうぞ



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発達障害児のお母さんたちの怒りと嘆きを考えてみる-腹の立たない子育て-

発達障害児の子育てと怒り

発達障害児を育てていると何かと苦労が絶えないと言う話はよく聞く。

よく聞くのだが私に実感はない。なぜなら子供の行動に対してほぼ怒りを感じないからだ。

しかしうちの子供も2人とも間違いなく自閉症スペクトラムである。
小さいときからいろいろやらかすことは絶えないわけで、そこにさしたる違いを感じない。

しっかりうちの子2人もやらかしている。">やらかすたびに対処するのはよそのご家庭と全く変わらないのである。

ただ、あまり対処に困らないので怒りも発生しないだけだ。

褒めて育てろと言われても…

子供が何かやらかすのは当たり前の話だが、発達障害児の場合、回数がハンパないと言うだけじゃなく、お母さんたちにとって理解しがたい反応するので怒りがわきやすいのかなあと思う。

「何やってるの!」
「何でそんなことしたの!」
「だめでしょ~!!」
「そんなこと言わないの」

といういわゆるお母さんの定番の台詞が引き出す自閉っ子の反応は横っちょにそれることが確実なのでお母さんたちの怒りにつながりやすいのだろうと思う。

何かまずいことをしているのに対し、「何やってるの!」と言ったら「○○してるの」と平然と答えられたとしたら…

「そういうことを聞いてるんじゃないでしょ」といいたくなって当然といえば当然である。

ある意味こういう仕方のない反応がほとんどなのではないだろうか?

だが育児書も自閉症の本もこぞって「自己肯定感を育てるために褒めて育てろ」のオンパレードである。

あれこれ怒ってしまいがちなお母さんがこの「褒めて育てろ」と現実の板挟み状態になるのは容易に想像がつく。

子供に二次障害になってほしいと思う親なんていないわけで、困ったあげく叱れなくなってしまい、子供の要求を何でものむようになってしまうということだって起こりうるし、コミュニケーションがとりにくくなってしまうことも往々にしてある話だ。

だが自閉症児には伝わらない

1つ例をあげて話を進めるが、「何やってるの?」が「制止」の意味があるなんてことは年端のいかぬ自閉症児にはまず伝わらない(年いってても伝わりにくいことも多い)。

そして真顔に質問に答えてさらに「そんなこと聞いてるんじゃないでしょ」とさらにしかられる。

このパターンが常習化すれば、自閉症児の理解は「何やってるの」=「非難」=「怖いor不快」になるだけである。

メカニズムは簡単だ。「質問された」以上の意味がピンとこないだけである。たとえ親の顔であろうと表情なんて見てもよくわからないし、シチュエーションを読むほどの余力は自閉っ子にはない。

さてどうすれば双方のストレスを軽減できるのか?そこが問題だ。

叱る必要のあるときにちゃんと叱れるためにもここが重要になってくる。

伝わないことを前提として話すということ

さて私は実は冒頭にあげた定番の台詞をほとんど使わない。

なぜか?それは単に自分が言われたらあわ食うからである。そして代替手段を持っているので困らないからでもある。

とりあえず単純な例でいくと、幼児がジュースをコップに注ごうとしてこぼした時どうするか。

「焦らないで手をとめる」

「まずボトルを置いて」

「ぞうきんどこかな」

「拭こか」

とまあ、こんな流れになる。

小学生の子が「宿題したくなーい」と言い出した時は

「宿題、やりたくないのか」

「今日の宿題っていっぱいあるの?」

「どれがやりたくない宿題?」

とまあそこらからスタートするといろいろ話がでてくる。話を引きずり出したことろで「どうして宿題やりたくないと思い始めたの」といく。

子供が凍らないので適当に話が続くし特に怒りを発生させる要因も生じないという次第である。

初めからいろんなことが一発で伝わるとは思ってないのである。

危険防止、被害の拡大防止に目的を絞った指示さえ出せば、あとはコミュニケーションとりながらゆっくりやった方がお互いのストレスは少ないし、コミュニケーションとれるきっかけにもなるので、何かやらかしたことがそのうち糧になっていくだろう。

「何で!」を連発しないで済むための方策は「急ぐことをあきらめること」なのではないだろうか?

 

 

 

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2014年11月8日(土)13:50~/クレオ大阪中央

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ASD児にルールを教えるかなり理屈っぽい方法

アスペルガーな私のルールの理解

どうやってASD児に「いけないこと」を教えればいいのか? そういう質問をある人から受けたことがある。

さてはて?
じつはこの質問、私にははじめピンとこなかった。

「いけない」という言葉に引っかかりを感じてしまう。

「いけません」というのは叱るときの言葉として有名な言葉はある。
同種の言葉に「ダメでしょ」というもある。

知識としては知っている。しかし、どうもあまり聞き覚えがない。
子供の頃に少なくとも親からはそういう言葉をあまり聞いていない気がする。
そういえば…私自身もそういう表現を殆ど使わない。
ボキャブラリーとして身についていないような気がする。

だがやって良いことと悪いことの区分はそれなりにしている。
ではやって良いことと悪いことをどうやって学んだのか?

たぶん「ルール(規則)」として理解している。
ただ、

いけないことの集まり→ルール(規則)
 という理解ではなく
ルール(規則)→不適切な行動をしない為の指針
 という理解なのかもしれない。

狸穴流ASD児向け理屈っぽいルールの教え方

ところで社会にはルールはたくさんある。 成文法を筆頭に地域ルール、職場内ルール、学校内ルールなど、盛りだくさんだ。

ASD児は学んだ規則をよく遵守するとも言われるが、その規則をガチガチに守ろうとしてみたり、 ルールを守らない他者に対して怒りを露わにしたりといったこともよく聞く話である。
私に質問をくれた方はそのあたりも想定していたようである。

さて、一応私も人の親、それも息子も娘もASDだ…というわけで、子供にルールを教えたことはあるわけだが、どうやって子供にルールを教えてきたのか?

危険防止は絶対制止だが、それ以外は基本「ルール」として教えていた。

但し、かなりの部分「一応」という但し書きをよくつける。 「あ、それ、一応ルールだからそうしとこう」という感じ。

「絶対じゃないかもよ」「場所によって違うかもよ」という保留をつけておくことによって後々の拡張性を高くしておいたのではあるが。ここは何となくの勘である。
ただ、交通ルールなど、危険防止の部分は絶対守るとしておいた。

だが、交通ルールを守らない人がいるのが気になるお年頃になると様相が変わってくる。息子も娘もASD児らしくしっかりきっちり「ルールを守らない人がいること」が気になったクチである。

「人のことはほっときなさい」

というのも当然いったことがあるが、子どもが納得いかない顔をしたところでチャンスとみて説明を開始
ルールとはなんであるのかについていろいろ説明していった。

こんな感じ↓

誰にとっても(自分も含めて)「嫌なこと」ができるだけ少なくなるようするためにいろいろなルール(きまり)がある。

嫌なことを嫌な順に並べると
 1「人の命を脅かすこと」
 >2「人に怪我や痛みを与えること」
 >3「人の権利を奪うこと」
 >4「その他の不快(納得いかない、見たくない、感じたくないこと)を人に味あわせること」

上にいけば行くほどそれを少なくするためのルールはの重要度は高く、絶対守らなくてはいけないものになる。 というような感じ。

4など状況依存、相手依存の部分が増えてくるし、「お互いさま」という部分も出てくるので、こういうものは折に触れケースに応じて説明し、「ルールの意味を考える」ことの習慣づけを目論んだ。

自閉っ子児童でよくあるのが交通ルールの問題だが、交通ルールが「ある事、それを守ること」は1や2の「嫌なこと」をなくすためだから重要。だけど、守る人がある程度多ければ全体として「嫌なこと」はかなり減るし、守らないことは守らない人が1や2の目にあう可能性が高くなるだけだから、車どおりのない時に信号を守らない人がいても取り締まったり、ルールを守らないことを非難することは多くない。(つまりペナルティ(罰則)は低い)

とまあ、こういうことを子供向けにかみ砕きながら説明していった。

実はこの説明の基本線は、「ルールを守らない人がいること」が気になっていた子供の頃の私に父があれこれ説明してくれたもののパクリである(私も相当理屈っぽい子供だった)。父の説明はもっとまわりくどくて小難しかったので多少アレンジしてはいる。

これ、理屈っぽいタイプのASD児には結構有効な説明なのではないかとおもう。

ルールの理解と自分を大事に思えること

ただ、この説明が有効打になるには条件があるとは思う。
自分や家族の生命や身体に関して「とても大切だ」という気持ちが育っていなかったり、他人を他人として尊重できないと、ルールの優先順位が適切に理解されないという可能性はあるにはある。

自分を大事にできなければ家族や他者を大事にできるわけもない。
そして自分を大事にするには「大事にされたという経験の蓄積と、それが実感できること」が必要だ。

結局ルールの理解というのもそこに行きつくのかも知れない。



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