「昔のこと 」カテゴリ記事一覧


ノートがとれない-ASD児者とノートの相性は悪いのか?-


ミチャポンが「連絡帳なくなったから買ってきて~」と言ってたので、昨日スーパーのノート売り場に行った。


売り場で各種の小学生向けのノートを見るたびに、思い出す事がある。


それは私の小中学生の頃、毎学年末、白紙のページが大量に残ったノートをどうするか?と困っていたという事だ。


私はノートというものがとれなかった。


授業に出てもノートがとれないので、ノートのページの消費量が非常に少なく、その結果、毎度学年末になると


「もったいないな~、どうしよう」


という事態に陥るというわけだ。


算数(数学)のノートは問題を解く必要があるから、適当に消費する。漢字書き取り用のノートも然り。だが、ほかの教科のノートはことごとく「もったいない」状態になってしまう。


この現象をいま振り返って見るに、「ノートをとる」ということそのものがわかってなかったような気がする。


とにかく板書を丸ごと写せばいいというのにはどうにも納得がいかなかった。

また、教科書に書いてあることに関しては、何故もう一度同じ事を書かねばいけないのか納得がいかなかった。


となると、ノートはいきおい、授業の重要な部分を自分の頭で構成し直して、自分に必要な事だけをわかりやすく記述していくというイメージとなっていく。


毎学期はじめにはそれを目指して授業を聞こうとがんばるのだが、すぐに理解できたり、すでに理解していたりすることが多いと、ノートをとるネタがなくなってくる。


さらに悪いことに、ネタがある場合には、前述のような丁寧な作業をしていると時間がなくなってくるし、逆に授業を聞くことがおろそかになってしまったりする。


結果、「ノートをとらない不真面目な子」というあまりありがたくない評価をいただいて、なおかつ、「学期末もったいない現象」に悩まされるということになる。


考えてみたら「ノートをとる」という作業は結構理解するのが難しい使い回しなのかもしれない。


1.板書を丸写しする

2.自分なりにまとめる

3.重要ポイントのメモをとる。



この3つのかなりかけ離れた作業の指示を


「ノートをとりなさい」


の一言ですませているのだから、わかりにくくて当然といえば当然だ。

このあたり、たぶん定型発達の子はうまく使い分けを自然に覚えて使い分けをしているのだろう。

そして、アスペルガーな私にはそれができなかったという事なんだろうと今になって思う。


高校あたりから、授業中は3.でいいやと開き直り、ルーズリーフを使うことで、「もったいない現象」とはおさらばしたが、板書を写す系のノートをとる作業に何の意味があるのかははっきり言って未だよくわからない。


で、何が言いたいのかというと…。


ASD児がノートがとれないということに関して、ワーキングメモリーが足りないから板書が写せないのだといった話も耳にするのだが、「(授業中に)ノートをとる」ということの意味が理解(or納得)できていないためという可能性もあるということを支援者(特に学校教員の皆さん)には頭の隅においておいて欲しいなあ…と思うのでした。



そうそう、もったいない現象の果て…の、白紙のページたちは切り取られ、
たいていはお絵かきに使われたのでした。






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私が人嫌いにならなかったわけ

正直言って小学校時代のいじめはひどかった。


今思うに、アスペルガー症候群のいじめられやすさがあったのだとは思うが、とにかくひどかった。


詳しいことは割愛するが、割愛しすぎるとなにもわからなくなるので概略だけは書いておこう。

はっきり言って、教師も荷担したいじめだった。
帰りの会での反省会というものが私にとっては鬼門だった。
そこで、あることないこと言い立てられ、謝罪を迫られる。

あることないこと…と書いたが、実は「ないこと」のオンパレード。

掃除をさぼったとか
班活動に協力しないとか、
誰それを殴ったとか…

喧嘩っ早かったが人より先に手は出さない主義だったし、
掃除をさぼるなんて想像もつかない。
協力…これだけは概念がわからないので何ともいえないが、班活動をさぼって先に帰ったりということはしていない。

にもかかわらず、やり玉にあげられ反省と謝罪を迫られる。
教師もその反省会を放置していたというより、推奨していたので、クラスメイトと同じ穴のムジナだった。

その他、ものがなくなるのは日常茶飯事、
靴に画鋲は当たり前、
果てはトイレで上から水が降ってくる。

靴がなくなるのがこわくてランドセルに靴をいれて教室に持ち込めば、
「クラスメイトを信用していない」とまた反省会でやりこめられる。

長時間1人立たされ、責められるのに嫌気がさし、教室から遁走すれば、翌日「卑怯だとおもいま~す」とまた糾弾される。エンドレスマーチである。


教師は教師で、「なんでみんなに協力できないの?」と職員室に呼びつけて説教をかましてくれる。

長時間に及ぶ帰りの会で下校が遅くなるのが続いたときなど、他児童の保護者からも苦情が入っていたようだ。

ま、孤立無援の状況だった。
これは小学校3年から6年まで、約四年、エスカレートしながら続いた。


まあ、こんな状況の中、当然、自分なんていても仕方ないという思考にもなってくる。将来に希望もなくなる(だって、クラスメイトが大人になるんだから…)


こんな中、父親だけはいつも私に味方をしてくれた。
「おまえだって悪いところがあるのでは」とはただの一度も言わなかった。


しかし、ある日とうとう将来に希望が持てなくなった私は翌日の事を考えるのがとことん嫌になった。


そしてまじめに自殺を企てたことがあった。
それが4年生の冬。

幸か不幸か、作戦失敗で、椅子ごとひっくり返っただけで済んだ。
成功していればいじめ自殺第1号だったろうと言う時代のことだった。


どすんと言う音に驚いた両親が二階に駆け上がってきたのをなんとか取り繕い、何もなかったことにして、再び一人になると、なんだか父に申し訳なくなってきた。

そして、いじめる側の人間が何も知らずにのうのうと生きていることに腹が立ってきた。


そうだ、当時の私はクラスメイトを恨んでいた。
当然教師も恨んだ。



翌年、5年生になった私は斜視の手術と弱視訓練のために都立駒込病院に二ヶ月ほど入院した。


そこはいじめのない不思議な世界だった。


小児病棟は難病や小児ガンの患者がほとんどだった。
長期入院が多い。
短期入院の多い眼科の部屋だけが妙に異質だった。


いじめがない事に安堵感を持つとともに、なぜだろうと考えた。


そりゃそうだ。みな、生きるのに必死なんだもの。

「私、白血病なの、もう半年入院してるんだ」
「俺、脳腫瘍で来週手術!」
「原因不明の呼吸困難…で、検査してるけど…」


「あの子、上の階(ICU)に行ったんだって」
「帰ってくるかなあ」
(帰ってこないことは当然死亡を意味する)


そんな会話が平然と流れている。
みな優しかった。

私は前年死のうとしたことを恥じた。


生きなくては。
私はそう思った。



そして、私ははたと気がついた…ここの子達は病に冒されているけど心は健全だ。
それに比べて、学校のクラスメイトは…心が病んでいるのだ。


そう思えてきたら、妙にクラスメイトが哀れに思えてきた。


斜視の手術は4回にわたったのでその後2年の間にあと3回、同じ病棟に入院した。
そのたびに、いじめのないことに安堵し、生きなくてはと思った。


そして、クラスメイトを恨むことより、なぜ、いじめが起こっているのかと言う点に私の関心は移っていった。


ストレスと言うことばがメジャーになってきていた時代だった。

6年生の私の出した結論は、いじめの首謀者となっているクラスメイトに関して、
「何らかのストレスによって、弱者をいじめたい心理状態になりやすい」


と言うものだった。


すっかりクラスメイトを恨む気がなくなった頃、突然、いじめはなくなった。
きっかけは、担任が産休に入り、代わりの教師が来たからだった。
臨時できた教師はいじめを絶対許さなかった。


ただそれだけのことだった。


小児病棟の子達と、私をいじめていた子達…その差は実はない。
心の闇の部分と光の部分がそれぞれに見えていただけだ。


そう納得すると、私には人を嫌いになる理由がなくなった。




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私が離婚するまで 第11話(最終回) 脱出

都合により連載のペースを極限まで早くしてます。
で、そんなことすると埋もれる記事が出てくる。
埋もれそうなのがこれ→単発記事「ああ…大失敗
アスペルガー的失敗についての記事です。よろしければみてみてちょ。



第10話はこちら


11 脱出


その頃、お金にはとことん困っていた。
電気や水道やガスの督促状が届くのは当たり前化していた。

夫(元)に見つかると。


「もう終わりだ!死ぬしかない」


となるのは目に見えているので、そういった督促状は夫(元)の目に触れぬところに隠しておいた。


しかしある朝、仕事に行く直前、電気料金の督促状が見つかってしまった。

実はお金はあったのだが、慣れないガードマンの仕事で疲れてしまい、お金ができて数日というものコンビニに行き損ねていた。

案の定、


「これは何だ」
「電気料金も払えないのか!!!」
「もう終わりだ、お前を殺しておれも死ぬ!」


日常茶飯事化していたが、私の中でなにかがプチンと切れた。


たかが電気代ごときで殺されてたまるか。


「電気代が何よ!死ぬならひとりでどうぞ、私はヒイロがいるから死ぬわけにはいかないわ」

はっきり宣言した。


夫(元)が包丁を持ち出す事はなかった。


そして続けた。

「出て行って!後腐れないように離婚届に判を押してこの家から出て行って!」

夫(元)は言った


「わかったそうする。俺は死んでやる!」


私は続けた。

「帰ってきたとき居ないでね!」

私は振り返らずに家を出た。


今まであった事が走馬燈のように頭を駆けめぐる。
なぜか涙が出てきた。

あっけないものだ…。

仕事中も何度も涙があふれそうになった。


が、


帰ると家に夫(元)はいた。

何かを懇願するように。普段と同じように振る舞う。

「何でいるの?」

私は夫(元)に向かって言った。
私の口から出た言葉は

「出て行って」だった。

夫(元)は懇願するように。

「これから家事も手伝うから…」

という。

私の心の中で涙が完全に止まった。

『もう、この人は要らない、私はヒイロと生きていく』

そう思った。

その後、紆余曲折はあったが、3ヶ月後、離婚した。


その紆余曲折の最中でヒイロ(小6)が私と一緒に暮らすのを拒み、父親と暮らすことを選んだのだけが唯一の心残りだった。


ともかく元夫のいる異常な環境から私は脱出した。


そして、それから2年後、元夫の虐待から逃れるように、ヒイロが私のところに脱出してきた。


13年間の結婚生活はこうして幕を閉じた。
異常な環境だったと本当に理解できたのは脱出してからだった。


そしてあとに残ったのはPTSDだけだった。


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私が離婚するまで 第10話 終焉と光


<第9話はこちら>


10 終焉と光


殴る蹴るのDVは何回かあった。


そして、夫(元)の異常な行動は半年ほどで収まったが、今度は経済苦が襲ってきた。


夫(元)の疾病手当も支給終了となり、失業保険も使い切った。
借金もした。実家の母に金を無心した事もたびたびだった。


とうとうお金に詰まった私は、ある警備会社の門を叩いた。
理由は簡単だ。大学中退、そしてその後専業主婦しかしていない、キャリアも何もない私を雇ってくれる、そして、スーパーのレジをやるより高収入な職はガードマンくらいしか無かったからだ。


パソコンのスキルには少々自信があったが、資格の1つも持っていない私が派遣などの職にありつける可能性は少ない、そして事務系には向いていないと踏んだのもある。


研修も終わり、私は痛み止めのカプセルを飲み、初現場に立った。


そしてその初現場で目にしたものは衝撃的だった。


そこには生きる事に必死なオッサン達の姿があった。
彼らは笑いながら仕事をこなしていた。


中年以上の男性でガードマンをやるのはそれなりに理由がある。
リストラ・事業の失敗等々、それなりの理由があって警備業界に入ってくる。


あとで知ったが、大手出版者をリストラされた人物と、介護の都合で大手ホテルをやめざるを得なかった元ホテルマンがその現場にはいたのだった。


家に帰れば口を開けば「もう終わりだ、死ぬしかない」としか言わない夫(元)。


その「生きる気力・根性」の落差に愕然とした。


現場のオッサンたちが輝いて見えた。


二度目の現場に行っても三度目の現場に行っても同じだった。
必死に生きている人達の間で、私は路上でのきつい仕事にのめり込んでいった。


そして私の心は段々と家にいる夫(元)に見切りをつけはじめていた。



<最終回へつづく>

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私が離婚するまで 第9話 地獄絵図

第8話はこちら

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9 地獄絵図

夫(元)の病状は投薬により、安定しているかに見えた1年後の夏だったが、労働意欲は相変わらずなく、毎日を話しに費やす日々が続いた。

ヒイロは小学校4年生になっていた。


そして、夫(元)は自身がこだわっていたT大の再受験を言い出した。

逆らう事は夫が逆上し、「死んでやる」となるのが目に見えているのでできなかった。

試験に関係する書籍を買い込み、受験勉強にいそしむ夫。
今度は受験に関する話題で話しをし続ける…そんな状態だった。


明らかに何かが変だった。

私の生活感覚もせまい閉ざされた生活の中で段々崩壊していっていたのかもしれない。


そして、秋口になり、それは起こった。


コンビニで買ってきた弁当を食べていた最中だった、


夫(元)の脳は暴走をはじめた。

突然「あ!」というなり手にした弁当を落とし、
「大丈夫」とニコニコしながら手づかみでその弁当を床から直接口に放り込む夫(元)を呆然と見ながら「狂った」と感じた。

今まで潔癖症だった人間の考えられない豹変ぶりだった。


その後数ヶ月、夫(元)のその症状は酷さを増していく。

まるで統合失調症の急性期のよう…。
言っている事は支離滅裂。
怨霊は飛び出すわ、地図をマジックで黒塗りにするわ
「私は大侯爵である」と言ってみたり…

いわゆる「妄想着想」がひどかった。

それでいて、医者に行くときだけ、普通の鬱患者を振る舞う。


ただ、なにかこれはただの統合失調症とは違う…そんな気だけがしていた。


「首相に会って直談判してこい」
「文部科学省」に行って○○について次官と話しをつけてこい

無理難題をふっかけ、できないと言うと、


「死んでやる」と包丁を持ち出す。
ベランダから飛び降りようとする。


押し入れに籠もり、別人格のように話す事もあった。


今思うに自閉系の障害が根底にあり、二次障害としての統合失調症様症状や解離症状が出ていたのだと思うが、そのとき私にそんな知識は無かった。


無理難題に追い立てられるように部屋を追い出され、行く当てもなく国会議事堂駅まで行き、夜の国会議事堂近辺をヒイロとフラフラ歩いていて、お巡りさんに保護されかかったこともあった。



「父ちゃん、なおるの?」

「うん、たぶん…今病気だから…」

ヒイロの問いかけに、私は弱々しく答えた。



そしてある日、とうとう肉体的なDVに遭った。

何のきっかけかハッキリとは思い出せないのだが、夫(元)と話をしていて突然、


「お前なんか役に立たない、要らない」と、夫(元)は私を殴り、蹴った。

あまりの突然のことに私は抵抗もできなかった。

そして、とうとう馬乗りになり、私の首を絞めはじめた。


脇にいた小さなヒイロは夫(元)の恫喝にただふるえるだけだった。


苦しさのあまり、手近なもの(ミキサーのカップ)をつかんで、夫(元)を殴ろうとしたその瞬間、夫(元)は我に返ったように手を離し、「大丈夫?」「本気じゃなかったんだよ」と…。


その変わりようは、まるで別人だった。


私の悲鳴を聞いた近所の人がマンションを管理している不動産屋に連絡したらしい。
ほどなくして、不動産屋の人が玄関のベルをならした。


玄関には私が出た。
何度も「助けて下さい」と叫びそうになったが、まん中の部屋に夫(元)が、そして奥の部屋に小さなヒイロがいた。


ヒイロをすぐには脱出させられない…
私は助けを求めるのを断念した。

「何でもありません、大丈夫ですよ」

そう言うしかなかった。

この時ヒイロが私の側にいたなら、多分不動産屋さんに助けを求めていただろう。


もう、この時点でどこかに相談すべきだったのかもしれないが、夫の状態を見抜けない精神科医にどこか失望もしていた。


精神疾患に理解のない実家の母にも相談はできなかった。


ただ、「この人とはもう一緒には暮らせないかもしれない」
そんな予感を感じはじめていた。



<第10話へつづく>

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私が離婚するまで 第8話 出社拒否から


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8 出社拒否から


ある日、夫(元)が出社できないと言い出した。
やりかけの仕事、それも、提出日のせまったデータがあるにも関わらずだ。

恐怖感に顔を歪ませ、「もう行けない」と言い、布団に籠もる。

とうとう来たか…という感じだった。

家から一歩も出ない日が続き…げっそりやつれた夫(元)を説得し、精神科を受診。
鬱状態という診断。

会社からは懲戒免職の通知が届く。

現状を説明し、処理済みデータを渡し(私が処理したものだが)、返すべきものを返し、何とか自主退職という形へと交渉した。


その後、精神科で幼児期に自閉症と診断された事も医師に伝えたが、その点については全く考慮されなかったようだ。

とにかく家の外に出たがらず、全く動きたくない様子の夫(元)の話しを聞く。

話しをできる時点で本当は鬱状態ではなかったのかもしれない。
しかしとにかく社会保険の疾病手当の都合上、何らかの診断は必要だった

精神科に通院し、毎日とにかく夫の話を聞く。

会社への恨み辛み
協力が足りない私への恨み辛み
社会への恨み辛み

そういった夫(元)の話と毎日対峙していた。

何かにつけ出てくる。

「もうおわりだ、死ぬしかない」
「もう終わりだ、一家心中するしかない」

この言葉に私は支配されていった。

包丁を持ち出して夫(元)が自分の腹に突き立てようとする。
そんな事も日常茶飯事化していた。


自殺や無理心中が怖いので、不安定な精神状態の夫(元)とヒイロを放り出し、
働きに行くわけにも行かず、社会保険の疾病手当金で当座を凌いでいた。


<第9話へ続く>

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私が離婚するまで 第7話 うつ病に

第6話はこちら


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「これで最後」という夫(元)の約束は守られなかった。

毎日のように仕事の相談を持ちかけてくる。
毎日深夜までそれが続く…。

そして痛みとの格闘は引っ越してからも続いていた。
肩や背中だけでなく首までもが痛くなった。
それを更に強力な痛み止めで押さえ込む。

その繰り返し。

経営企画室に配属になった夫は表面的には「いい位置」にいた。
しかし、難しい仕事がが矢継ぎ早に降ってきた。

夫(元)の私への依存はその度を増してきた。

会社での仕事を逐一私に話し、私に意見を求めてくる。
企画書の一行一行まで意見を求められる。

わからない…それは禁句だった。

もうダメだと根をあげれば、夫(元)はヒステリックに


「これで俺の人生終わりだ」
「一家心中するしかない」


私は脳みそにむち打ち、必死に夫(元)の要望に答え続けた


夫のやりクチが完全に「命」を盾にした脅しだったと認識したのは離婚したあとだった。


その頃(ヒイロが小学校2年生の時)、くじ引きでPTA役員にあたってしまった。所属したのは広報委員会。

やりたくはなかった…が、しかたない。


夫(元)のいる時間を夫の相談相手になることに費やした。
そして夫のいない時間にも夫の仕事のデータの処理等に追われた。


そんな中でPTA役員をやる事は私にとって過酷すぎた・

小学校時代のいじめを思い起こすので小学校に頻繁に行くという事だけでもストレスだった。


私は段々精神的に不安定になっていた。


そして私は何をする気力もなくなり、
夫のいない時間は布団にこもり始めた。

そしてとうとう死にたくなった。


私は生に対する執着が強い方である。


死にたくなったら絶対おかしい、そういうときは精神科と前々から考えていたのが功を奏したというのか、とにかくすぐに精神科の門をくぐった。


診断はうつ病


投薬により半年ほどで軽快する。


が、休養が必要である事への夫(元)の理解は得られず、相変わらず夫の仕事の相手として、夫の話相手として、忙殺される日々は続いた。


考えたいのでも話したいのでもない。
ただただ夫の要求に応じる為だけに頭脳を酷使していた。




<第8話へつづく>


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私が離婚するまで 第6話 S市への引っ越し



第5話はこちら


6 S市への引っ越し

前年のアンケートの結果から契約更改の時期に若干の減給を申し渡された夫(元)はその塾を辞める事を言いだしはじめた。

プライドが許さなかったようだ。

もう私も疲れ果てていた。
仕事の手伝いとほとほと疲れていた。

体もしんどかった。
とにかく休みたかった。


辞める事で環境が変わったら私の手伝うことも無くなるかもしれない。
そんな思いから渋々転職を了承した。


それだけ私は心身共に疲れていた。

転職には条件をつけた。

「辞める前につぎを探して!」
前回の転職時の思いから私はそう言った。


夫(元)は隣県のS市の塾を探して来た。

塾はK市からは2時間近くかかる。
最も遠い教室へはもっとかかる。


通勤のために引っ越しが必須だった。


アパートの契約更新の時期でもあり、引っ越しは急を要した。
1ヶ月で準備して引っ越さなければならない。

痛む体にむち打って引っ越しの準備を進めていく。
相変わらずアスピリンを飲みっぱなし状態。


「もう、仕事の手伝いはイヤだよ、無理するのももうイヤ」

私は宣言した。

夫(元)はこう言った。

「無理させるのはこれで最後だから」


引っ越し屋に大半の荷物を運んで貰うが、先もって多少運んでおく必要があった。
そこで、

ペーパードライバーで運転できない夫(元)に代わり、痛む肩でレンタカーのバンのハンドルを握り、荷物を運ぶ。


小学校1年生になっていたヒイロの転校手続きもある。


やっとの思いで引っ越しを終えたのは2月の末だった。




<第7話へつづく>


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私が離婚するまで 第5話 痛み止めとともに

第4話はこちら


5 痛み止めとともに


夫(元)の次の職場は原則13時出勤だったが、実質的には自宅準備可で16時30分出勤が許されていた。
夫(元)は嬉々として16時30分を選んだ。
家を出るのは15時ちょいだ。


これで私は時間的に追い詰められた。


起きてからずっと夫(元)の話、夫(元)の仕事の準備に付き合わなくてはならない。
そして家事をやる時間が無くなる。

銀行1つ行くのに夫(元)の機嫌を伺う状態になった。


夫(元)のいる時間に出かけようとすると

「えー、あとでいいじゃん」と、引き留めようとする。

月に一度の息子の通院で午前中に出なければ行けないときすら、決まって夫(元)は文句を言った。

「え~、今日行かなくちゃいけないの?」

もっと話すことがあるという感じである。


22時30分、夫(元)が帰宅すると同時に、否応なく「討論会」が始まる。

今日の塾での授業の様子、小テストの結果から、生徒の改善ポイントを検討、授業で取り上げるべき問題の解法の研究。

全てに私が付き合わされる。

さらにテレビのニュースの分析の話しに付き合わされる。

考えたい事か否かにかかわらず、夫(元)の話に付き合うと
脳がこき使われているといった感じ。

話は深夜2時3時に及ぶこともザラだった。

それでいて7時には起きて息子を送り出す。

私は段々眠さを感じなくなっていった。
数時間しか睡眠がとれなくても、目がさえてしまう。

そして数日間寝不足を繰り返し、倒れるように爆睡する。

完全な不眠症だった。


痛みもまた否応なく私を追い詰めて行った。

上半身全体がギリギリ痛む中、夫(元)の話を聞き続ける。
上体を起こしていられなくなり肘をついて体を支える

アスピリン30錠(普通の30回分)が3日で消える。
それでも痛みが治まりきることはない。

脂汗をかきながら夫(元)に「…体しんどい」と訴えても

そう言う私に夫(元)は

「もうちょっとだから(仕事のこと)手伝ってよ」
「えー、また、しんどいの?」
「いつになったらなおるの」

としか言わなかった。

いくら体のしんどさを訴えても無駄だった。
なぜなら、寝床に入っても、夫(元)は話しを止めなかったからだ。

横たわる私の前にプリントを突きつける。
話を止めない。


「ねえ、聞いてるの?」
「ねえ、○○ってさあ…」
「ねえ、考えてよ」


痛みをこらえて横になっていても否応なく話しに付き合わされる。
ただ聞いていればいいのではない。
夫(元)は私に思考を要求する。

寝床に入って私が眠れるのは夫(元)が眠さに負けて寝入ってしばらくしてからだった。

夫(元)との話で神経が興奮し、眠けはどこかに行ってしまっている。
体の痛みで眠りづらいというのもあった。

「そんなに痛いなら病院行ったら」
夫(元)は一度か二度、そう言ったが、病院に行く時間は私には与えられなかった。

そう、夫(元)は起きている間中、話し続けたから…。


そんな中、夫(元)は仕事ではどんどん夫(元)は追い詰められていった。
夫(元)の熱心な指導で生徒の成績は向上するのだが、いかんせん生徒アンケートがいい結果を出さないのである。


成績向上に全てをかけている夫(元)には「生徒の気分のアンケート」で仕事の質を判断されるのは多いに不服であったようだ。



<第6話へつづく>


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私が離婚するまで 第4話 支え

第3話はこちら


4 支え


ヒイロが幼児だった頃。
いつ喘息の発作が出るのかとヒヤヒヤした毎日。
そして夫の手伝いをする日々だった。


その頃、私の唯一の楽しみは近所の友人達との交流だった。

今思えばちょっと変わった人が多かったがいい人が多かった。


ところで、夫(元)は料理については何も言わない。

…というより、食事をしながら仕事の話やニュースの分析などをはじめるので、食事は食事ではなかった…ただ餌を放り込むような感じだった。

食事の片付けをしながらも夫(元)は私に思考を要求する。

解釈、分析、検討…仕事上の問題と、ニュース等についてのもの。

とにかく私は夫(元)の思考マシーンだった。


日中、夫(元)のいない間、よく近所の子ども達相手におやつを作った。

子ども達におやつを食べさせながら親同士は年中お茶していた。


おかずのやりとりもよくしていた。

「これ作ったから少しどうぞ」

そして後日

「おいしかった~」

そう言われるのが楽しくて料理に没頭した。


ある日私は気がついた。

私を支えてくれているのは、近所の友人の「おいしかった~」の笑顔だと。

それが夫(元)でない事に気づき、愕然とした。

涙が出てきた。

彼女らがアカの他人の私に分けてくれる笑顔を頼りに私はなんとか自分を保っていられたのだ。

とりわけ、隣の隣の部屋に住んでいたSさんの笑顔とあるいて5分ほどのところに住んでいたHさんの笑顔が今でも心に焼き付いている。

彼女らにはいくら感謝してもしたりない。

私は彼女らに支えられてやっとこさ頑張れていた。


が…そんな日々も長くは続かなかった。


Sさんは隣市に引っ越していった。
そして、夫(元)の転職とともに私の自由に使える時間は減ったからだ。



<第5話へつづく>

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