テンプル・グランディン女史は「幸せ」がわからないということがどっかの本に書いてあった。
ところで、私にもどうにもわからない概念がある。
「感想」というものだ。
http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-entry-231
上記の記事のコメントで、マルマルさんが、
でも・・・アス君に感想を求めても、
自分の見解や評論めいたことばかり言うので、
受け流し? 嫌なことは見て見ぬふり? 逃避?
と、感じていました。
と書いていた。
そこで私は旗と気がついた。…というより思い出した。
「感想っていったいなあに?」なのである。
(ついでだが、小学校の時、読書感想文は大の苦手であった)
いつぞや、どこぞのグループワークを受けていて、
それの最後の提出用評価用紙の末尾に「今回の感想」という欄があった。
これがこまった。
で、しばらくは無記入ですましていたが、ある時、ワークの終わりのフリートークタイムに司会の心理職の人にこう持ちかけた。
「意見ならわかるけど、感想と言われるとわからないんですぅ」
と。
他にも何人からか同意見が出た。
つぎの回からプリントは「意見・感想」と表記が代わっていたのでほっとした。
さて、話しはちょっっととぶが、この「感想」といいうのが、定型発達者の会話の中心にあるような気がしないでもないわけだ。
ある事象について感想の言い合い…そして、その同質性の確認作業が会話の根幹にあるとするなら、アスペルガー症候群者が「会話に乗れない」のも当然かもしれない。
もし当事者の多くが、私と同じように「感想というもの」がわからないとしたら、「感想の言い合い」について行けるわけもない。
まあ、、人間亀の甲より年の功とはよく言ったもので、定型のお母さん達と話しをしていて何とか話しをつなぐ事はできるようになったが、「でっち上げ感」がぬぐえないのはそう言う事かもしれない。
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この記事のコメント中でズンドさんが提示してくれた会話パターンがある。
(以下引用)
会話Aパターン
事実や情報
↑ ↑
人 人
事実や情報についての各個人の意見・要求を言い合うことで相手の考えていることを推測し結果共感(や差異を理解することでの相互理解の深まり)を感じる。
会話Bパターン
事実や情報
↓ ↓
人⇔人
このタイプがいわゆる「定型」や「女性的」会話なのではないかと思うのですが…補足説明はうまくできません。
この「パターンB」でやりとりされているものの多くが「感想」なのではないかなあと考えたら納得がいく。
ちなみに、タヌキとしゃべっているとき、息子としゃべっているときは「意見、見解」の言い合いなので「でっち上げ感」はない。
果たして、他の当事者の皆さんが「感想というのもの」がわかるのか…ちょっと知りたいのであった。
え、もちろん、定型発達者の皆さまの「ご感想」も聞きたいところです、はい。


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