お正月準備モード起動!


ここ数年、12月に入ると気になってくるのは、

「今年は正月準備モード起動できるか」

という事である。


15年前の私なら気にもかけずにお正月準備モードに突入できていた…

が、ここ数年はどうも調子がアップするのが遅くなっている。

離婚やなんやかやでブランクが空いてしまったのとか、台所環境がとてつもなく前近代的(つまるところ、台所が寒い)というのもある。


私がお節料理を作り始めたのは中2の頃、
実家は商売をしていたので年末ギリギリまで忙しい。
忙しい母に変わって私がおせち作りを担当するようになったのだ。


それまで簡単に買って済ませていたものも手作りにした。
当時料理に凝りまくっていたので、お節料理を作ってみたかったというのもある。
単に食い意地がはっていたというのも大きな理由。

で、おせち作りはそれ以来なのだ。


さて今年は、15日には通販で蟹の注文を済ませ、順調にスタートを切った…かに見えたが、そうは問屋が卸さなかった。


なぜなら、突拍子もない連載記事を書きたくなってしまったからだ。


古い友人のメールがきっかけで、過去を整理したくなったのだ。
書き始めてみると、フラッシュバックが起こる…まあ、それが怖くて今まで整理した事がなかったのだが、この際と思い、書き続けた。


なにせどん引きするような内容の離婚の顛末である。
ブログに書いていいものか正直迷った面もある。


三日くらいかけただろうか、書き進むうちに何となく気分が軽くなってきた。


まさに「吐き出し効果」である。


まあ、そんなこんなで書き上げる頃にはすっかり復調。


おせちのメニュー、材料、年末の日程などをエクセルにまとめるという例年の作業に戻る事ができた。


一昨日には数の子を水戻し開始と、好調な滑り出しを
で、本日の作業はというと、お飾りなどの買いだしと小豆の炊きあげ、黒豆の下ごしらえなどである。


夜七時には蟹も無事北海道から到着し、暮れらしくなってきた。


重曹がないことに気づき、あわててスーパーへという一幕はあったがおおむね順調におせちの準備が進んでいる。


何とか私の中でお正月モードが起動したようである。


多分この記事が今年最後になるだろう。
それでは年末のご挨拶。


みなさま、今年一年のご愛読ありがとうございました。
よいお年をお迎え下さいませ。







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私が離婚するまで 第11話(最終回) 脱出

都合により連載のペースを極限まで早くしてます。
で、そんなことすると埋もれる記事が出てくる。
埋もれそうなのがこれ→単発記事「ああ…大失敗
アスペルガー的失敗についての記事です。よろしければみてみてちょ。



第10話はこちら


11 脱出


その頃、お金にはとことん困っていた。
電気や水道やガスの督促状が届くのは当たり前化していた。

夫(元)に見つかると。


「もう終わりだ!死ぬしかない」


となるのは目に見えているので、そういった督促状は夫(元)の目に触れぬところに隠しておいた。


しかしある朝、仕事に行く直前、電気料金の督促状が見つかってしまった。

実はお金はあったのだが、慣れないガードマンの仕事で疲れてしまい、お金ができて数日というものコンビニに行き損ねていた。

案の定、


「これは何だ」
「電気料金も払えないのか!!!」
「もう終わりだ、お前を殺しておれも死ぬ!」


日常茶飯事化していたが、私の中でなにかがプチンと切れた。


たかが電気代ごときで殺されてたまるか。


「電気代が何よ!死ぬならひとりでどうぞ、私はヒイロがいるから死ぬわけにはいかないわ」

はっきり宣言した。


夫(元)が包丁を持ち出す事はなかった。


そして続けた。

「出て行って!後腐れないように離婚届に判を押してこの家から出て行って!」

夫(元)は言った


「わかったそうする。俺は死んでやる!」


私は続けた。

「帰ってきたとき居ないでね!」

私は振り返らずに家を出た。


今まであった事が走馬燈のように頭を駆けめぐる。
なぜか涙が出てきた。

あっけないものだ…。

仕事中も何度も涙があふれそうになった。


が、


帰ると家に夫(元)はいた。

何かを懇願するように。普段と同じように振る舞う。

「何でいるの?」

私は夫(元)に向かって言った。
私の口から出た言葉は

「出て行って」だった。

夫(元)は懇願するように。

「これから家事も手伝うから…」

という。

私の心の中で涙が完全に止まった。

『もう、この人は要らない、私はヒイロと生きていく』

そう思った。

その後、紆余曲折はあったが、3ヶ月後、離婚した。


その紆余曲折の最中でヒイロ(小6)が私と一緒に暮らすのを拒み、父親と暮らすことを選んだのだけが唯一の心残りだった。


ともかく元夫のいる異常な環境から私は脱出した。


そして、それから2年後、元夫の虐待から逃れるように、ヒイロが私のところに脱出してきた。


13年間の結婚生活はこうして幕を閉じた。
異常な環境だったと本当に理解できたのは脱出してからだった。


そしてあとに残ったのはPTSDだけだった。


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私が離婚するまで 第10話 終焉と光


<第9話はこちら>


10 終焉と光


殴る蹴るのDVは何回かあった。


そして、夫(元)の異常な行動は半年ほどで収まったが、今度は経済苦が襲ってきた。


夫(元)の疾病手当も支給終了となり、失業保険も使い切った。
借金もした。実家の母に金を無心した事もたびたびだった。


とうとうお金に詰まった私は、ある警備会社の門を叩いた。
理由は簡単だ。大学中退、そしてその後専業主婦しかしていない、キャリアも何もない私を雇ってくれる、そして、スーパーのレジをやるより高収入な職はガードマンくらいしか無かったからだ。


パソコンのスキルには少々自信があったが、資格の1つも持っていない私が派遣などの職にありつける可能性は少ない、そして事務系には向いていないと踏んだのもある。


研修も終わり、私は痛み止めのカプセルを飲み、初現場に立った。


そしてその初現場で目にしたものは衝撃的だった。


そこには生きる事に必死なオッサン達の姿があった。
彼らは笑いながら仕事をこなしていた。


中年以上の男性でガードマンをやるのはそれなりに理由がある。
リストラ・事業の失敗等々、それなりの理由があって警備業界に入ってくる。


あとで知ったが、大手出版者をリストラされた人物と、介護の都合で大手ホテルをやめざるを得なかった元ホテルマンがその現場にはいたのだった。


家に帰れば口を開けば「もう終わりだ、死ぬしかない」としか言わない夫(元)。


その「生きる気力・根性」の落差に愕然とした。


現場のオッサンたちが輝いて見えた。


二度目の現場に行っても三度目の現場に行っても同じだった。
必死に生きている人達の間で、私は路上でのきつい仕事にのめり込んでいった。


そして私の心は段々と家にいる夫(元)に見切りをつけはじめていた。



<最終回へつづく>

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私が離婚するまで 第9話 地獄絵図

第8話はこちら

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9 地獄絵図

夫(元)の病状は投薬により、安定しているかに見えた1年後の夏だったが、労働意欲は相変わらずなく、毎日を話しに費やす日々が続いた。

ヒイロは小学校4年生になっていた。


そして、夫(元)は自身がこだわっていたT大の再受験を言い出した。

逆らう事は夫が逆上し、「死んでやる」となるのが目に見えているのでできなかった。

試験に関係する書籍を買い込み、受験勉強にいそしむ夫。
今度は受験に関する話題で話しをし続ける…そんな状態だった。


明らかに何かが変だった。

私の生活感覚もせまい閉ざされた生活の中で段々崩壊していっていたのかもしれない。


そして、秋口になり、それは起こった。


コンビニで買ってきた弁当を食べていた最中だった、


夫(元)の脳は暴走をはじめた。

突然「あ!」というなり手にした弁当を落とし、
「大丈夫」とニコニコしながら手づかみでその弁当を床から直接口に放り込む夫(元)を呆然と見ながら「狂った」と感じた。

今まで潔癖症だった人間の考えられない豹変ぶりだった。


その後数ヶ月、夫(元)のその症状は酷さを増していく。

まるで統合失調症の急性期のよう…。
言っている事は支離滅裂。
怨霊は飛び出すわ、地図をマジックで黒塗りにするわ
「私は大侯爵である」と言ってみたり…

いわゆる「妄想着想」がひどかった。

それでいて、医者に行くときだけ、普通の鬱患者を振る舞う。


ただ、なにかこれはただの統合失調症とは違う…そんな気だけがしていた。


「首相に会って直談判してこい」
「文部科学省」に行って○○について次官と話しをつけてこい

無理難題をふっかけ、できないと言うと、


「死んでやる」と包丁を持ち出す。
ベランダから飛び降りようとする。


押し入れに籠もり、別人格のように話す事もあった。


今思うに自閉系の障害が根底にあり、二次障害としての統合失調症様症状や解離症状が出ていたのだと思うが、そのとき私にそんな知識は無かった。


無理難題に追い立てられるように部屋を追い出され、行く当てもなく国会議事堂駅まで行き、夜の国会議事堂近辺をヒイロとフラフラ歩いていて、お巡りさんに保護されかかったこともあった。



「父ちゃん、なおるの?」

「うん、たぶん…今病気だから…」

ヒイロの問いかけに、私は弱々しく答えた。



そしてある日、とうとう肉体的なDVに遭った。

何のきっかけかハッキリとは思い出せないのだが、夫(元)と話をしていて突然、


「お前なんか役に立たない、要らない」と、夫(元)は私を殴り、蹴った。

あまりの突然のことに私は抵抗もできなかった。

そして、とうとう馬乗りになり、私の首を絞めはじめた。


脇にいた小さなヒイロは夫(元)の恫喝にただふるえるだけだった。


苦しさのあまり、手近なもの(ミキサーのカップ)をつかんで、夫(元)を殴ろうとしたその瞬間、夫(元)は我に返ったように手を離し、「大丈夫?」「本気じゃなかったんだよ」と…。


その変わりようは、まるで別人だった。


私の悲鳴を聞いた近所の人がマンションを管理している不動産屋に連絡したらしい。
ほどなくして、不動産屋の人が玄関のベルをならした。


玄関には私が出た。
何度も「助けて下さい」と叫びそうになったが、まん中の部屋に夫(元)が、そして奥の部屋に小さなヒイロがいた。


ヒイロをすぐには脱出させられない…
私は助けを求めるのを断念した。

「何でもありません、大丈夫ですよ」

そう言うしかなかった。

この時ヒイロが私の側にいたなら、多分不動産屋さんに助けを求めていただろう。


もう、この時点でどこかに相談すべきだったのかもしれないが、夫の状態を見抜けない精神科医にどこか失望もしていた。


精神疾患に理解のない実家の母にも相談はできなかった。


ただ、「この人とはもう一緒には暮らせないかもしれない」
そんな予感を感じはじめていた。



<第10話へつづく>

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私が離婚するまで 第8話 出社拒否から


第7話はこちら

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8 出社拒否から


ある日、夫(元)が出社できないと言い出した。
やりかけの仕事、それも、提出日のせまったデータがあるにも関わらずだ。

恐怖感に顔を歪ませ、「もう行けない」と言い、布団に籠もる。

とうとう来たか…という感じだった。

家から一歩も出ない日が続き…げっそりやつれた夫(元)を説得し、精神科を受診。
鬱状態という診断。

会社からは懲戒免職の通知が届く。

現状を説明し、処理済みデータを渡し(私が処理したものだが)、返すべきものを返し、何とか自主退職という形へと交渉した。


その後、精神科で幼児期に自閉症と診断された事も医師に伝えたが、その点については全く考慮されなかったようだ。

とにかく家の外に出たがらず、全く動きたくない様子の夫(元)の話しを聞く。

話しをできる時点で本当は鬱状態ではなかったのかもしれない。
しかしとにかく社会保険の疾病手当の都合上、何らかの診断は必要だった

精神科に通院し、毎日とにかく夫の話を聞く。

会社への恨み辛み
協力が足りない私への恨み辛み
社会への恨み辛み

そういった夫(元)の話と毎日対峙していた。

何かにつけ出てくる。

「もうおわりだ、死ぬしかない」
「もう終わりだ、一家心中するしかない」

この言葉に私は支配されていった。

包丁を持ち出して夫(元)が自分の腹に突き立てようとする。
そんな事も日常茶飯事化していた。


自殺や無理心中が怖いので、不安定な精神状態の夫(元)とヒイロを放り出し、
働きに行くわけにも行かず、社会保険の疾病手当金で当座を凌いでいた。


<第9話へ続く>

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私が離婚するまで 第7話 うつ病に

第6話はこちら


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「これで最後」という夫(元)の約束は守られなかった。

毎日のように仕事の相談を持ちかけてくる。
毎日深夜までそれが続く…。

そして痛みとの格闘は引っ越してからも続いていた。
肩や背中だけでなく首までもが痛くなった。
それを更に強力な痛み止めで押さえ込む。

その繰り返し。

経営企画室に配属になった夫は表面的には「いい位置」にいた。
しかし、難しい仕事がが矢継ぎ早に降ってきた。

夫(元)の私への依存はその度を増してきた。

会社での仕事を逐一私に話し、私に意見を求めてくる。
企画書の一行一行まで意見を求められる。

わからない…それは禁句だった。

もうダメだと根をあげれば、夫(元)はヒステリックに


「これで俺の人生終わりだ」
「一家心中するしかない」


私は脳みそにむち打ち、必死に夫(元)の要望に答え続けた


夫のやりクチが完全に「命」を盾にした脅しだったと認識したのは離婚したあとだった。


その頃(ヒイロが小学校2年生の時)、くじ引きでPTA役員にあたってしまった。所属したのは広報委員会。

やりたくはなかった…が、しかたない。


夫(元)のいる時間を夫の相談相手になることに費やした。
そして夫のいない時間にも夫の仕事のデータの処理等に追われた。


そんな中でPTA役員をやる事は私にとって過酷すぎた・

小学校時代のいじめを思い起こすので小学校に頻繁に行くという事だけでもストレスだった。


私は段々精神的に不安定になっていた。


そして私は何をする気力もなくなり、
夫のいない時間は布団にこもり始めた。

そしてとうとう死にたくなった。


私は生に対する執着が強い方である。


死にたくなったら絶対おかしい、そういうときは精神科と前々から考えていたのが功を奏したというのか、とにかくすぐに精神科の門をくぐった。


診断はうつ病


投薬により半年ほどで軽快する。


が、休養が必要である事への夫(元)の理解は得られず、相変わらず夫の仕事の相手として、夫の話相手として、忙殺される日々は続いた。


考えたいのでも話したいのでもない。
ただただ夫の要求に応じる為だけに頭脳を酷使していた。




<第8話へつづく>


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私が離婚するまで 第6話 S市への引っ越し



第5話はこちら


6 S市への引っ越し

前年のアンケートの結果から契約更改の時期に若干の減給を申し渡された夫(元)はその塾を辞める事を言いだしはじめた。

プライドが許さなかったようだ。

もう私も疲れ果てていた。
仕事の手伝いとほとほと疲れていた。

体もしんどかった。
とにかく休みたかった。


辞める事で環境が変わったら私の手伝うことも無くなるかもしれない。
そんな思いから渋々転職を了承した。


それだけ私は心身共に疲れていた。

転職には条件をつけた。

「辞める前につぎを探して!」
前回の転職時の思いから私はそう言った。


夫(元)は隣県のS市の塾を探して来た。

塾はK市からは2時間近くかかる。
最も遠い教室へはもっとかかる。


通勤のために引っ越しが必須だった。


アパートの契約更新の時期でもあり、引っ越しは急を要した。
1ヶ月で準備して引っ越さなければならない。

痛む体にむち打って引っ越しの準備を進めていく。
相変わらずアスピリンを飲みっぱなし状態。


「もう、仕事の手伝いはイヤだよ、無理するのももうイヤ」

私は宣言した。

夫(元)はこう言った。

「無理させるのはこれで最後だから」


引っ越し屋に大半の荷物を運んで貰うが、先もって多少運んでおく必要があった。
そこで、

ペーパードライバーで運転できない夫(元)に代わり、痛む肩でレンタカーのバンのハンドルを握り、荷物を運ぶ。


小学校1年生になっていたヒイロの転校手続きもある。


やっとの思いで引っ越しを終えたのは2月の末だった。




<第7話へつづく>


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私が離婚するまで 第5話 痛み止めとともに

第4話はこちら


5 痛み止めとともに


夫(元)の次の職場は原則13時出勤だったが、実質的には自宅準備可で16時30分出勤が許されていた。
夫(元)は嬉々として16時30分を選んだ。
家を出るのは15時ちょいだ。


これで私は時間的に追い詰められた。


起きてからずっと夫(元)の話、夫(元)の仕事の準備に付き合わなくてはならない。
そして家事をやる時間が無くなる。

銀行1つ行くのに夫(元)の機嫌を伺う状態になった。


夫(元)のいる時間に出かけようとすると

「えー、あとでいいじゃん」と、引き留めようとする。

月に一度の息子の通院で午前中に出なければ行けないときすら、決まって夫(元)は文句を言った。

「え~、今日行かなくちゃいけないの?」

もっと話すことがあるという感じである。


22時30分、夫(元)が帰宅すると同時に、否応なく「討論会」が始まる。

今日の塾での授業の様子、小テストの結果から、生徒の改善ポイントを検討、授業で取り上げるべき問題の解法の研究。

全てに私が付き合わされる。

さらにテレビのニュースの分析の話しに付き合わされる。

考えたい事か否かにかかわらず、夫(元)の話に付き合うと
脳がこき使われているといった感じ。

話は深夜2時3時に及ぶこともザラだった。

それでいて7時には起きて息子を送り出す。

私は段々眠さを感じなくなっていった。
数時間しか睡眠がとれなくても、目がさえてしまう。

そして数日間寝不足を繰り返し、倒れるように爆睡する。

完全な不眠症だった。


痛みもまた否応なく私を追い詰めて行った。

上半身全体がギリギリ痛む中、夫(元)の話を聞き続ける。
上体を起こしていられなくなり肘をついて体を支える

アスピリン30錠(普通の30回分)が3日で消える。
それでも痛みが治まりきることはない。

脂汗をかきながら夫(元)に「…体しんどい」と訴えても

そう言う私に夫(元)は

「もうちょっとだから(仕事のこと)手伝ってよ」
「えー、また、しんどいの?」
「いつになったらなおるの」

としか言わなかった。

いくら体のしんどさを訴えても無駄だった。
なぜなら、寝床に入っても、夫(元)は話しを止めなかったからだ。

横たわる私の前にプリントを突きつける。
話を止めない。


「ねえ、聞いてるの?」
「ねえ、○○ってさあ…」
「ねえ、考えてよ」


痛みをこらえて横になっていても否応なく話しに付き合わされる。
ただ聞いていればいいのではない。
夫(元)は私に思考を要求する。

寝床に入って私が眠れるのは夫(元)が眠さに負けて寝入ってしばらくしてからだった。

夫(元)との話で神経が興奮し、眠けはどこかに行ってしまっている。
体の痛みで眠りづらいというのもあった。

「そんなに痛いなら病院行ったら」
夫(元)は一度か二度、そう言ったが、病院に行く時間は私には与えられなかった。

そう、夫(元)は起きている間中、話し続けたから…。


そんな中、夫(元)は仕事ではどんどん夫(元)は追い詰められていった。
夫(元)の熱心な指導で生徒の成績は向上するのだが、いかんせん生徒アンケートがいい結果を出さないのである。


成績向上に全てをかけている夫(元)には「生徒の気分のアンケート」で仕事の質を判断されるのは多いに不服であったようだ。



<第6話へつづく>


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私が離婚するまで 第4話 支え

第3話はこちら


4 支え


ヒイロが幼児だった頃。
いつ喘息の発作が出るのかとヒヤヒヤした毎日。
そして夫の手伝いをする日々だった。


その頃、私の唯一の楽しみは近所の友人達との交流だった。

今思えばちょっと変わった人が多かったがいい人が多かった。


ところで、夫(元)は料理については何も言わない。

…というより、食事をしながら仕事の話やニュースの分析などをはじめるので、食事は食事ではなかった…ただ餌を放り込むような感じだった。

食事の片付けをしながらも夫(元)は私に思考を要求する。

解釈、分析、検討…仕事上の問題と、ニュース等についてのもの。

とにかく私は夫(元)の思考マシーンだった。


日中、夫(元)のいない間、よく近所の子ども達相手におやつを作った。

子ども達におやつを食べさせながら親同士は年中お茶していた。


おかずのやりとりもよくしていた。

「これ作ったから少しどうぞ」

そして後日

「おいしかった~」

そう言われるのが楽しくて料理に没頭した。


ある日私は気がついた。

私を支えてくれているのは、近所の友人の「おいしかった~」の笑顔だと。

それが夫(元)でない事に気づき、愕然とした。

涙が出てきた。

彼女らがアカの他人の私に分けてくれる笑顔を頼りに私はなんとか自分を保っていられたのだ。

とりわけ、隣の隣の部屋に住んでいたSさんの笑顔とあるいて5分ほどのところに住んでいたHさんの笑顔が今でも心に焼き付いている。

彼女らにはいくら感謝してもしたりない。

私は彼女らに支えられてやっとこさ頑張れていた。


が…そんな日々も長くは続かなかった。


Sさんは隣市に引っ越していった。
そして、夫(元)の転職とともに私の自由に使える時間は減ったからだ。



<第5話へつづく>

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私が離婚するまで 第3話 夫(元)の異動と転職

第2話はこちら



3 夫(元)の異動と転職


3月のある日

夫(元)は塾の個別指導部への異動を言い渡された。

個別指導が塾業界で注目されていたのは確かだったが、塾講師にとって、これはすなわち左遷であった。

確かに、これで辞めていった人も多いのは知っている。

ひと月、ふた月…段々夫(元)の愚痴が多くなる。

話の中で塾業界批判も増える。
それにいちいち付き合わされる。

「別段給料は減らないんだからいいじゃない」などとはとてもいえない雰囲気。

特に夫(元)は出世(昇進)にこだわっていた。

塾のメイン路線である集団授業、そして成果の上げられる成績高位クラスの受け持ちになる事が夫(元)の望みだったが、全く逆を行ってしまったのだからしかたないといえばしかたない。

それでもなんとか辞める辞めるという夫(元)をなだめ続けていた。

が、

年末のボーナスを受け取った直後。夫(元)は会社に辞表を出してきたと言った

つぎの職は決まっていない。

幼稚園の入園やらヒイロの入院やらで貯金はろくすっぽなかった。

無職の状態で年を越すのかと思うとやりきれなかった。

年末で職探しもままならないまま、一家は年を越した。

職のない年越しは最低だった。


夫(元)はただひたすら塾業界批判と、業界分析を続けた。
そして私はその話に付き合わされた。

年が明け、一向に動く気配はなし。

ひたすら話に没頭する。
ニュースの話、業界の話…

だらだらと半月が過ぎ、

「今月中に決めて貰わないと干上がるから」

と伝えると、重い腰をあげて求人を探しはじめる夫(元)

そして1月も末、やっと就職先きまった。


が、それで終わりではなかった。


<第4話へつづく>

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うわ!狸穴猫が本に登場してしまった
かなしろにゃんこ。さんの新刊に狸穴猫が登場します。
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狸穴猫のおすすめ(その2)
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