先週の月曜から風邪をひいた。
タヌキが火曜水曜と休みなのをいいことに、二日間は家事育児を放棄して男2人にまかせて布団の虫を決め込んだが、木曜辺りになって回復してくると、寝ているのがもったいなくなってくる。
で、あちこちのブログにおじゃましていたのだが、気になる記事を二つほど見つけた。
卵畑さんのブログでの
「ありのまま(素)ということということ」という記事
そして、
まちこまさんのブログでの
「不可視の薄絹」という記事
これをを読んで思い出した事がある。
一年ほど前だったろうか、3人の定型発達者の心理職の人と話す機会があった。
そこで、かねがねからの疑問であった、
「定型発達者にとって場面によって振る舞いを変える事は自然な事なのか」
ということを聞いてみた。
話しによると、どうやら定型発達者にとっては場面によって、あるいは対する人によって振る舞いを変える事はごく自然な事で、かなり自動的にやっているらしいということが判った。
対人スキルが自然と身につく定型発達者ならではだなあと感心した覚えがある。
アスペルガー症候群者にとっては対定型発達者の対人スキルというのは自然に身につくモノではなく、後付けで意識的に獲得するものだし、「人がいる」という事自体が多かれ少なかれストレスになるので、
アスペルガー症候群者は、対人関係で問題を起こさないためには、
「適切な対人モード」に意識的に切り替える必要が出てくるだろう。
まあ、そのことを冒頭に示したブログ記事では、「布をかぶる、薄絹をかぶる」と表現しているのだろう。
実際、私自身も外に一歩出たら対人モード起動!というわけで、かなりの緊張をしている。
ありのままでいることと対人モードの起動があまり矛盾しない定型発達者とはえらい違いだ。
こういったことも相まってアスペルガー症候群者では「素のままでいられない」ストレスをため込みやすいのではないだろうか?
ことによると周囲に対し「正直でない」といった否定的な感覚を自ら持ってしまいのやすいかもしれないと、あちこちのブログを読んでいて感じた。
しかし、定型者にとっても「振る舞う」があたりまえなのだ。
「適切に振る舞わない」は逆に相手に失礼に当たるようである。
となると、ここは対人モードの起動なり、対人対応用の薄絹をかぶることを肯定的に考えてもいいのではないだうか。少なくとも否定的に考える必要はなかろう。
とはいえ、対人モードの起動は疲れる。
なにせこちとら手動制御なのだ。
そこんところを支援者には理解してほしいともまた思う。
などということを、病み上がりの頭で考えていた。


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