第44回アスパラガスの会参加登録のお知らせ

こんにちは、狸穴猫です。

第43回のアスパラガスの会も先週無事終了。
「本音と建て前」というテーマで語り合いました。
やはり皆さん関心の高いテーマなのか、とても盛り上がりました。

ご参加の皆さまお疲れさまでした。


さて、次回のアスパラガスの会のご案内です。


第44回アスパラガスの会は以下の要領で開催します。

日時:2014年5月24日(土)14:00~15:45
場所:大阪府柏原市内某所
   (JR大和路線、近鉄道明寺線柏原駅から数分、お申し込み後に詳細をご案内します)

定員:25名

テーマ:将来設計と就労をどうするか?

参加登録期間 2014/04/28~2014/05/11



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視線認知と自閉症の特性(2)-共同注視ができないことの意味するもの-

前回の記事はこちら↓

視線認知と自閉症(ASD)の特性(1)-社会的学習が苦手なわけ-



定型発達児は視線を通して何を学ぶか?


自閉症児者と視線の問題を語る前に定型者の視線を介した学習について概観しておく。


定型発達者では多くの乳児が母親の顔に視線を向ける。


見つめる、見つめられるといったことから「安心」を得たり、「見つめる人」の存在を認めたりするわけだが、視線というのは見つめ合うだけではない。


他者の視線が向けられた方向を感知し素早くその先にある物を見ることは「共同注視」というが、
それによって、子どもはさまざまな情報を得ている。


どうやって?というと下記のようなものである。


母親が台所でゴキブリを発見してゴキブリをマジマジとみつめ、恐れおののいたような顔をすれば、それを見ていた子どもは「これはあまり近づかないほうがいいしろものだ」と学習する。母親が「ギャー」とでも声を上げれば「とても嫌なものだ」と学習する、もしこれが蝶々だったら逆パターンの学習が起こることが多いだろう。


こういった方法でさまざまなものを無意識に学習していく。


この方式の学習の前提となるのが、前稿で説明したような対人特異的な情報入力及び処理システムである。


また、他者の注視する方向やその時の表情を感知し、素早くその先にある物を見ることは「意図や感情をもった存在としての他者」を認めることにもつながり自他の区分の萌芽ともなるし、「他者の注意を自分の関心あるものに向ける」といった行為や、他者と関心や感情を「共有」するという経験へと発展する。さらに幼児期での言語の学習もこういったメカニズムを通して行われる部分が少なくない。



共同注視の困難がもたらすもの



自閉症児に話を戻そう。




たとえば、自閉症児では視線方向をはじめ、指さしなどの社会的な注意への理解・応答(あるいは「共同注意」への理解)は獲得されても、それら共同注意の産出には障害を持つ、という知見などから共同注意の「理解」と産出は異なる認知的、神経的基盤に基づいている可能性も示唆される。


遠藤利彦 2005 読む目・読まれる目―視線理解の進化と発達の心理学 より引用




自閉症児では視線や表情を感知する力が弱いその結果共同注視にも困難を抱える。


これはいったいどういうことを意味するのか?


ちょと本項の冒頭に戻って考えていただけば、



・前述した「ゴキブリ方式の学習:視線を介した学習」ができない。
・自他の区分が遅れやすい。
・言語理解が遅れる。
・物事の共有体験が少なくなりやすい。
・他者の感情・意図が理解しにくい。
・人と物とを区分せず同列に認知しやすい。

といったことが起こることは容易に想像がつくだろう。


また、よく言われる「見えないものは無い」という自閉症児者の認知様式も「視線の検知能力が弱い」→「視線の先にあるもの」に注意が向かないといったことから起こってくるのかもしれない。


さて、ここで前稿で挙げた図をもう一度持ち出す。




box02.png


box03.png


対人特異的入力・処理システム(赤系の色の部分)をAシステムとし汎用入力・処理システム(青系の色の部分)をBシステムとしておこう。


定型児がAシステムを介して学習をするもの自閉児はどうやって理解するか?
これについても「読む目・読まれる目/遠藤利彦」にこういった記述がある。


また、自閉症児でも、就学以後、言語も含めた知的能力がある程度伴ってくると、かなりのところ、自発的な視線追従を特にターゲットがない状況でもなしうるようになるが、その時期は一般の子どもあるいは発達障害児がそうした知的水準に到達するはるか以前からそれが可能であることを考えるときわめて遅く、彼らの共同注意がSAMなどの特化した認知的基盤によって支えられているというよりは、一般的な繰り返し等による学習効果なのではないかとも指摘されている(Leekam et al. 1998)、本書第7章において別府も。トラヴィスとシグマン(Travis & Sigman 2001)を引きながら、たとえ自閉症児が外形的には一見、健常児とほぼ同様に共同注意にからむ諸行動を成立させているように見えても、実のところ、それは”汎用型学習ツール”(general purpose learning tools)なるものによってかろうじて支えられているのではないかと論じている。


遠藤利彦 2005 読む目・読まれる目―視線理解の進化と発達の心理学 p.49-50より引用


どうやら自閉児はBのシステムを介して学習するらしい。


Bシステムは低速だが意識的に動作する部分であり、どちらかと言えば理屈っぽい学習方法でもある。
このあたりから自閉症児の学習を捉えなおしてみたい。


自閉症児の学習様式を情報入力・処理システムから考えてみる


さて、Aシステムを介した学習とBシステムを介した学習の特徴を整理しておく。


study01.jpg

幼児期、定型児はAシステムという自動かつ高速なシステムを使って人や言語をはじめさまざまなコミュニケーションの基礎について学習していくのだが、自閉児はこれらをBシステムを使って学習することになるわけで、この結果として圧倒的に学習量が不足することが考えられる。これが未学習の問題を引き起こしているではないだろうか。


自動で学習するがために定型者が学習したことすらほとんど意識していないさまざまな学習課題について、抜け落ちが生じるのはある面当然だろう。


そしてまた、自閉症児者ではAシステムの不具合により、他者の意図・感情についての誤入力が発生しやすく、それが修正されないまま学習が積み重なることが誤認知、誤信念が発生しやすさにつながるのではないだろうか(誤認知、誤信念に関しては体感の不具合の影響の可能性も考えられるがそれについてはここでは触れない)。


就学以降の学校での課題のようなものはAシステムを介さなくても学習がしやすい、そして論理性を必要とする学習や分析についてはBシステムの利用がほぼ必須なのでAシステムの不具合が問題として浮上してこないのだと考えられるだろう。
そして就職後など、複雑な対人交渉場面の増加によってコミュニケーションに関する学習が不足したままの場合に問題が浮上してくるのではないだろうか。


また、人間はある機能が障害された場合に残存する機能を向上させて補完するといった性質がある。視覚障害者は健常者には思いもよらないほど気配を察知する能力に長けていたり、指先の感覚が鋭かったりするのはよく知られた話である。


そこから類推するに、自閉症児者はAシステムに不具合があるため、その補完としてBシステムの機能を必要に迫られて向上させている可能性は否定できないだろう。



なぜ自閉症児者のコミュニケーション力の幅が生じるか?


自閉症者でコミュニケーションについての学習が不足しやすいことは上記で述べたとおりである。
これはすなわち、コミュニケーションについての学習をどう促していくか?また対人認知のしにくさに関しては阻害要因の排除、代替手段の獲得をどう促すかといった教育が大きく関わるといったことでもあるだろう。


定型者の場合はこのあたり圧倒的に有利ではあるが、「視線理解」が阻害されるような状況におかれることで学習不足は生じるし、学習機会:すなわち対人接触の頻度の多寡、接触対象の多様性などといったものによってコミュニケーション能力に大きな差が生じうることは十分に考えられる。


上のような要因が、自閉症児者のコミュニケーション力の差異を生じさせるのだろう。


こう考えていくと「コミュニケーション能力」の問題が表面化しない自閉症者がいるのはなんら不思議ではないことだろうし、学習の問題が大きいからには、仮に生育期に学習しそこねたものがあった場合でも、改善できる余地は実はかなり大きいのではないだろうかと考える。



<続く>

==========================

長くてすいません、まだ続きます。


次回は戦略的自閉症児の子育て、自閉症者の自分育てといった方面に入っていく予定です。





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視線認知と自閉症(ASD)の特性(1)-社会的学習が苦手なわけ-

自閉症者の「社会性の障害」「コミュニケーションの障害」とはいったい何なのか?という疑問



自閉症スペクトラム(ASD)といえば、三つ組みの障害特性が有名である。
これだ↓

  • 社会性の障害

  • コミュニケーションの障害

  • 想像力の障害


だが、社会性の障害にしろコミュニケーションの障害にしろ想像力の障害にしろ幅が大きい。
そこそこ社会生活を送れてしまう人からかなり社会生活がしんどそうな人まで非常にさまざまである。

特性にあった環境、充分な配慮があればいい…ともいわれるが、それだけではどうも説明がつくようなつかないような…。

正直なところ私はこのあたり納得していなかった。


社会性やコミュニケーションの面ではどうも「学習」の問題が大きいような気がしてならない。
もちろん「学習」といっても学校の勉強ではない。「人間」「社会」についての学習である。


まあ、このあたり、いろいろ考えてもなかなか埒が開かなかった部分だ。
だが、先だって見つけた書籍読む目・読まれる目―視線理解の進化と発達の心理学を読んで、これはやはり学習の問題が多きいと確信した。
この本の書評記事はこちら


同書は基本的に健常者における視線研究からの知見をまとめたものであり、対比として健常者とは違った動作をする自閉症者のことも多少扱っているのであるが、健常者(=定型発達者)において、視線が感情のみならず、情報のやりとりにもかなりの機能を有するというのだ。

そしてその機能は対人交渉時に特異的に働くようである


健常者における対人特異的視線認知システムの存在




さて、前座としてちょいとこの図を見てみて欲しい。




パソコンの処理システム模式図



現在のパソコンは1つの処理装置で動いているのではない。
中央演算装置(CPU)の他に、画像処理に特化したグラフィックス プロセッシング ユニット(GPU)というものがあり、画像・動画の処理・描画などはもっぱらGPUに処理をまかせる形になっている。


画像処理に、画像というでかいデータを扱うのに適した処理ユニットを使用することで、動画にしろ静止画にしろ高速描画が可能になっている。そして画像処理の負荷をGPU(=画像処理プロセッサ)が担当することによってCPU(=汎用プロセッサ)の機能の低下を招かないシステムになっている。

こういうシステムになっているおかげでエクセルをガンガン使いながら快適にYoutubeの視聴をすることができるというわけだ。(昔なら考えられない!)


これと同様のいやもっと高度なシステムが健常者には備わっているらしいのである。


「読む目・読まれる目/遠藤利彦」よりちょっと気になる部分を引用しながら話をすすめる。



…後でも述べるが、バロン・コーエンが仮定するようにEDD(視線方向検出装置)を完全に生得的な進化の産物と見なしうるかにどうかについてはいくつかの議論があるのだが、少なくともある程度、個体発生が進行した後においては、それがかなり明確な脳神経学的基盤に支えられて在ることは確かなようである。


遠藤利彦 2005 読む目・読まれる目―視線理解の進化と発達の心理学 p.14より引用





どうやら「視線方向」というのを認知するための特有の入力システムがあるようだ。



…心理学的知見からも、「見つめる視線」は視覚探索や顔の記憶を促進することや、「見つめる視線」は見るものの注意を捉え、顔以外の視空間における処理を抑制するといったことが明らかになっている、…<中略>… 「見つめる視線」によって顔処理に関わる脳活動が促進された結果を反映していると考えて良いのかもしれない。


遠藤利彦 2005 読む目・読まれる目―視線理解の進化と発達の心理学 p.212より引用





そして、顔処理のシステムも他の処理とはかなり違う動きをする、つまり独立性が高いということらしい。


かいつまんでしまうと、どうやら、健常者には汎用の情報処理システムとは別に、表情や視線の認知に特異的に関わる高速な処理システムが存在するということのようだ。そして、それは「顔」や「人の視線」を目の前にした場合に自動的に処理を加速させるという。


読んでいてポンと思い浮かんだのが冒頭で出したCPUとGPUの関係である、とてもよく似ているような気がする





これを図にしてみるとこんな感じだろう。
(出力部分は省いた)


box02.png




性能のいいインターフェイスとGPUを積み込んでるパソコンのような感じである。



自閉症者の情報認知・処理システムを考えてみる



さて、では自閉症者の情報認知・処理システムはどうなっているのか?

自閉症者は人の顔・視線に反応しにくいということはよく知られた話である。
目が合わないという現象は早期発見の手がかりともなっている特徴でもあるし、人の顔や表情を見分けるのが苦手というのもよくある現象だ(私もそのひとりである)。

「読む目・読まれる目」にもこういった記載がある。


視線方向への注意シフトと社会的ではない方向刺激である矢印による注意シフトを比較したところ、定型発達児では矢印に比べて視線手がかりによる注意シフトが相対的に強かったのに対し、自閉症児ではこのような傾向は見られなかった。


遠藤利彦 2005 読む目・読まれる目―視線理解の進化と発達の心理学 p.210より引用




これから健常者にある対人特異的認知・処理システムが、自閉症者の場合は無い、機能が低いといったことがうかがえる。

となると、自閉症者の情報処理システムというのは下記のような図になるだろう。


box03.png



また、同書によると健常者では言語や社会的学習の多くが、視線検出や表情検出を基盤とした対人特異的認知・処理システムを利用した形でなされるということのようだ。


さて、ここからわかることだが、


自閉症者ではこの対人特異的入力・処理システムがない、あるいは脆弱であるがゆえに社会的学習に関しては図の青と緑の部分、すなわち比較的低速の汎用の入力・処理システムを使わざるを得ないということであり、充分な社会的学習できない、あるいは学習する機会を逸する(発達遅延or未学習)といったことや、認知・学習のエラー(誤信念or誤学習)が生じやすいものといえるのではないだろうか。
そしてコミュニケーションの障害もこのあたりに端を発するものである可能性も高い。


<つづく>

==========================

先は長いが今日は社会的学習の部分まで。
まだ2.3回分は書くことがありそうだ。
ASD者の得手不得手の大元や、療育や自己改善の方法といった方向に話が進む予定。

今日の話だけでは暗澹たる気持ちになる当事者もいるかもしれないが、「結構自閉脳も捨てたモンじゃない」というお話もでますのでご安心を。





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