稼ぐ力、就業する力って何だろう?-発達障害者の雇用を職業準備性から考えてみる-

前回、発達障害者の雇用を拡大するにはどうしたらいいかを考えてみたら…(ちと暴論)と題して1本記事を書いたわけだが、「稼ぐ力」をあげるといってもいったい稼ぐ力ってどういうものなんだ?ってなところをほったらかしていたので今日はそこのところに触れてみる。

稼ぐ力といっても…

稼ぐ力…というと、まず実務スキルとか、コミュニケーションスキルなどを思い浮かべる方も多いと思う。

しかし、実務スキルなんてのは職種によって全く異なるし、資格があったから仕事ができるというものでもないようだ。コミュニケーションスキルにしてもまた職種によって必要なレベルはまちまちだ。

好きこそものの上手なれという諺はあるが、その世界に突入してみたら結構好きになったという場合も結構あるし、いいと思って入ってみたもののイマイチ…というケースもよくあるので、その辺も何ともいえないし、とにかく食うために仕事をしたいという場合などはあれこれ言ってられない部分もあるので、好きなことや得意なことがあることがさほどのメリットにならないケースだってある。

となると、稼ぐ力っていったい何だろう?ということになる。

職業準備性という考え方

最近知ったのだが、職業リハビリテーション方面では「職業準備性」という言葉が結構出てくる。職業準備力とか、就業準備性といった言葉であることもあるがだいたい概念としては同じようなモノだ。

かいつまんで行ってしまえば「職業適性以前の力」である。職業準備性ピラミッドとして図になっていることも多い。↓

syokugyo_s.jpg

このあたり詳しい話はこちら→就業支援ハンドブック/(独)高齢・障害者・求職者支援機構

なるほど、それなりによくできている気はする、確かに下の方は就業の基礎である。

ところが、発達障害で就労の問題が浮上する場合、多くの人が問題にするのはだいたい上から2段目まで、多い場合でも上から3番目までである。

就業準備性というのは重要なんだろう。ただ、実際問題として就業に苦慮している人の多くは、さらにそれ以前の部分で躓いている場合も多いような気がする。

就業準備性はもうちょっととらえ方を変えてみる必要はあるかもしれない。



金剛山登山からの体力考

ちょいと話がそれるが、5月の連休に金剛山に登ってきた。大阪で一番高い山とはいえ標高は1000メートルちょい。スニーカーで登れる軽登山の範囲である。

kongousan.jpg
↑本文には関係ないが金剛山の9合目にあったクスッと笑える道しるべ

リウマチが膝に出ていた数年前は、もう登山にはいけないかな~と諦めぎみだったことを考えれば頂上まで登れたこと自体快挙であるのだが、体力について考えさせられる登山だったのだ。

友人(30代半ば)と友人のお母上(60代なかば)と私(51才)とうちの娘(10才)の四人で登ったのだが、体力差が歴然!

膝に不安を抱えているので一番へばるのは私だろうとはおもっていたが、あとは年齢順にへばるのではないかという予想は大きく裏切られた。

最高齢である友人のお母上が一番元気だったのである。登るのも超早いしバテている様子もまるでなく、さらには翌日も元気に出かけられたとのこと。小学校の教員を長年勤めて退職された方なのだが、いやはや、小学校の先生の体力恐るべし!である。

確かに小学校の先生が遠足くらいでバテていたら仕事にならないだろうな~などと思ったわけだが、ここでバテバテぐみの30代、50代と何が違うのか?というと回復力かなということになる。

これはどの仕事においても重要なポイントだろう。

体力というとついつい筋力だとか持久力だとかといった方に目が行ってしまいがちだが、就業に必要な体力というのは

回復力=翌日に疲れを残さない力

なのではないかと思うのだ。

疲れがたまりにくく回復しやすい体質、落ち込みから回復しやすく、物事にとりかかりやすい思考、そんなものが浮かんでくる。



狸穴猫的に就業準備性の切り口を考えてみた。

そんなわけで、ちょっと前にツイっターでつぶやきながらふらふら「稼ぐための基礎力」を考えていて出てきたのが下記である。

  • あれこれ人に効いたり調べたり工夫したりして物事にトライし続ける力
  • 余計なことを気にしない力、
  • 疲れから容易に回復できる体力

折角だからと図にしてみたのが下記。

syokugyo02.jpg

万全ってわけじゃないけれど、ある程度これらの力を確保しておいたら、色々な職でしばらくやってみることができるんじゃないかなと思うのだ。

所詮仕事はやってみるまで分からない部分がある。そしてある程度がんばってみないことには適性があるのかどうかすら分からないといったことも多い。

正直なところ、細かいスキルはあとづけでもOKだと思う。

上の方にあるピラミッドを構築しやすくするために、この三つの要素が必要なのではないかという話でした。

 

 

 

 

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第56回アスパラガスの会参加登録開始のお知らせ

皆様こんにちは。

第55回アスパラガスの会も先週土曜に無事終了、「理想の職場ってどういうの?」というテーマでしたがなかなか面白くかつ建設的な話ができました。
遠くから近くからご参加の皆様、おつかれさまでした。
レポートはちょっとお待ちくださいませ。


さて、次回第56回アスパラガスの会のご案内です。

第56回アスパラガスの会開催概要



とき:2015年月7月25日(土) 午後2時~午後3時45分

ところ:JR大和路線・近鉄道明寺線 柏原駅徒歩数分の公共施設

参加費:100円(通信費・資料代等)

申込期間 2015年6月27日(月)~2015年月7月12日(日) 

テーマ:世間を気にしすぎないようにするには?

世間…気にしな過ぎるのも気にしすぎるの周囲との問題を生みやすいモノです。
さて、世間さまとどうおつきあいしていったら良いのでしょうか?



定員:25名(先着順)

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発達障害者の雇用を拡大するにはどうしたらいいかを考えてみたら…(ちと暴論)

明日はアスパラガスの会、テーマは何かというと「理想の職場ってどういうの?」である。

で、ふと、発達障害者の雇用を拡大するにはどうしたらいいか?ということを考えてみた。

確かに就労に苦労している発達障害者は結構いる。
就労していて様々なトラブルから発達障害がわかったというケースも多い。

当事者や支援者からは、職場の理解や配慮を求める声が多いと思う。
つまり、「発達障害者はこういう配慮があれば能力を発揮して戦力として働けます」という主張が多かった。

昨今は障害者差別禁止法なんてのもできたし、就労においても合理的配慮をすべきであるという論調が多い。

だが、企業でどれだけ理解と配慮ができるのか?

個別的配慮であるほど、継続的配慮であるほど配慮のためのコストは増大する。
そして、今いわれている発達障害者への就労場面での配慮というのはその両方を満たすモノが多い。
長期コストは身体障害者の場合より高くなりやすいかもしれない。


実際問題として、障害者雇用であっても、
人件費+配慮コスト-各種助成金
が、一般の被雇用者の人件費に比べてあまりに大きくなってしまうのであれば、企業の収益力を低下させる。
というわけで、配慮が可能なのはそうならない範囲に限られるだろう。

そこんとこは障害者差別禁止法でもちゃんと許容されることになっていて、合理的配慮の提供義務について、「合理的配慮の提供の義務は、事業主に対して「過重な負担」を及ぼすこととなる場合を除く。」ってのが明記されている(過重な負担かどうかについては、事業活動への影響の程度、 実現困難度、 費用・負担の程度、企業の規模、 企業の財務状況、 公的支援の有無などを総合的にに勘案するのだそうだ)。
詳しくは厚労省「改正障害者雇用促進法に基づく「障害者差別禁止指針」と「合理的配慮指針」の別添1参照。


極論すれば、収益向上の戦力になれば配慮の幅も増やせるが、戦力にならなければ配慮の幅も限定されるという可能性すらあるだろう。


となると配慮を求める前に、稼ぐ能力を上げることを考えたほうが得策のような気がするのだ。
そしてそれは稼ぐ能力をどう上げるか?を考える上で、「配慮をうける」を除いて考えるということでもある。


「配慮をうける」を抜いた戦略をとったほうが効率いいかも、下手するとそのほうが実は配慮が獲得しやすくなるかも…。
なにやら面妖な話でもあるが、戦略としてはさほど悪くない気がする。



それにしても、発達障害者の雇用について、企業の人事担当者はどう考えているのだろうか?
ちょっと聞いてみたい気もする。



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【番組情報】NHK ETV特集で東大の異才発掘プロジェクトの番組が 2015/06/27放送予定

Eテレで東大先端科学技術研究所の異才発掘プロジェクトROCKETの特集

まず最初に番組情報を

  • 番組名     ETV特集 不器用なぼくらの教室 東大・異才発掘プロジェクト
  • チャンネル   NHK Eテレ
  • 放送日時    2015年6月27日(土) 23:00~23:59 
  •   再放送    2015年7月4日(土) 0:00~0:59 (金曜深夜) 
  • 番組Webページ http://www.nhk.or.jp/etv21c/archive/150627.html

 

去年テレビなどでだいぶ報道されたのでご存じの方も多いかもだが、東大先端研究所と日本財団のコラボで、異才発掘プロジェクトというのをやっている。

イノベーションを起こす異才を若いうちから発掘して育てようという目的と、不登校など、学校になじめない子どもたちに学びの場をという目的があるようだ。

不登校など、学校になじめない子どもたちで発達障害の診断を受けている子も結構いるらしい。

元来私はあまりギフテッド教育には関心がない。

高知能をもちながら結局知能指数オタクみたいになってる人も時折みかけるし、不登校の問題をほっぽって異才認定しちゃったらまずいのではと思う部分も大きかった。

だが、番組HPを見て「ん」と思った部分があったので取り上げてみようかと思った。

選抜された子どもたちの写真・映像から

スクーリングのための旅費までプロジェクトもちという恵まれたプロジェクト、当然応募者数もハンパなく多かった。全国で600名余りの応募者の中から、選抜されたのは15名。

番組ホームページ上の画像を見て「え?」と思ったのは子どもたちの姿勢である。

発達障害児もいるはずなのに子どもたちは割と姿勢がいい…というか、あまりぎこちなさがないように見えた。

他の画像を確かめるべくこのプロジェクトのHPに行ったら、イカをさばいて食べる実習映像があった、そして、Youtubeには開校式の映像があった。

イカをさばいて食べる実習映像はこちらから
開校式の映像はこちら

やはり…

この二つの映像からも、子どもたちの姿勢はわりといいように見える。ぎくしゃくした感じもない。

開校式という式典にある程度耐えられる状態ではある…ようだ。

そしてイカ実習のほうからふと思ったのは、学校になじめないといっても基本的に人嫌いではなさそうだということ。

 

この子たちを学校になじめなくしているモノはいったい何なんだろう?

スクーリングに耐えられる体力があるのだろうから、体力の問題とかではないだろう。そして映像を見る限りでは発達障害児のイジメの原因になりやすい動作面の問題もさほど大きくないような気がする。

こういったプロジェクトの是非はともかく、ちと興味がわいてきたので録画予約をしておいた。

 

 

そうそう、このプロジェクト、今年も募集をするようだ(応募期間は6/15~6/30)。

異才発掘プロジェクトROCKETのホームページはこちら

 

 



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発達障害児の誤学習について授業中の立ち歩き問題から考える

まずはスカイさんという方のブログ記事を紹介させていただく。

立ち歩いてはいけない場所」で立ち歩くなら、そこにはいさせない。入学最初のルールづけ。

発達障害のあるお子さんの小学校入学当初の話である。

授業中立ち歩いてしまうお子さんを親御さんがどうサポートし、落ち着いて授業を受けられるようになっていったかということが綴られているのだが、非常に重要な視点が多数隠れている気がする。

発達障害児の立ち歩きという問題

授業中の立ち歩き、これはしばしば発達障害児の親御さんや、発達障害児のいるクラスを受け持つ教師を悩ませる。

これはかなり微妙な問題だ。立ち歩いくくらいいいだろうという人もいる。多数派の流儀にあわせなきゃいけないことのほうがおかしいという意見もある。

しかし放置すれば周囲の子たちの集中を邪魔することになってしまう面もあるだろう。また立ち歩きが教室外へ及んでしまうえば安全の問題も出てくる。ある子どもの立ち歩きを許容することで他の子への目配りが手薄になったり、クラス全体の統率にも影響が出るかもしれない。

当該児にしても授業への参加がうまくいかなければ当然学力の問題も出てくるだろう。

下手をすると他の保護者からの苦情が出るかもしれない。

だが、一番の問題は「ルールを守る」ということを学べるか否かにつながる問題だいうことだ。

立ち歩きの容認と誤学習

この記事の親御さんがここまで気合いをいれたのか?「誤学習させないため」であったようだ。ちょっとその辺を考えてみよう。

注意が維持できないとか、目に入ったモノに注意が向いてしまうとか、ルールがなかなか理解できないなど、立ち歩く原因は様々だが、もし立ち歩きを容認してしまったらどうなるだろう?

当然、「授業中立ち歩かないというルールは守らなくてもいい」という理解をするだろう。

定型児と異なり、発達障害児は状況からルールの理解をしたりするのは苦手であるので、慣れてきたら落ち着くといった現象は起こりにくい。

親や教師がしびれをきらし、しばらくたった後で「いつまでも立ち歩いてるの?」などといいだそうものなら当然子どもは裏切られたように感じるだろう。必然的に信頼関係もへったくれもなくなるので、どう行動したら良いのか学び損ねる可能性も高くなる。

社会生活を送っていくためには様々なルールを守る必要がある。

発達障害があるからといって守らなくてはいけないルールで大目に見ることを続ければ「ルールを守る」ということが学習できなくなってしまうだろうし、「ルールにかかわらずしたいように行動してもいい」というかなり致命的な誤学習をしてしまう可能性すらある。そしてルールを守らないことを批判されたときに逆恨みする原因にもなりかねない。

ルールというのはある種約束ごとだ。授業中の立ち歩きを放置された子どもは大人になって人との約束やルールを守れるだろうか?

立ち歩きを放置することは約束やルールを守れなくなるリスクをはらんでいると私は思う。

本当に特性だからできないのか?という問題

上記の記事で出てくる親御さんは学校に毎日出向いて根気よくお子さんのわかるかたちで説明を続け、お子さんは二ヶ月ほどで落ち着いて授業を受けられる状態になったようだ。

読んでいただければわかるが一筋縄でいった訳ではない。方法にしてみても、説明するだけでなく、ルールを守れない場合「場にいさせない」というかなり強硬かつ気合いのいる取り組みである。

そして学校側からは「そこまでしなくても」とか「徐々になれていけば…」といったような声がかかる中での取り組みである。

特性だからしょうがないと諦めていたら落ち着いて授業を受けられるようにはならなかっただろう。子どもが本当に学べる範囲を見極め、方法に工夫を重ねることによってなしえたことだ。

(実はこの、ルールを守れない場合、場にいさせないというのは私も娘の幼児期に何度か使った方法で、手がかかるもののかなり有効性は高いと思う。)

立ち歩きだけではなく、他の様々なことにおいても「障害特性だからできない」と言わなくてもいいのではと思うことは多い。親が諦めすぎれば子の自尊心にも関わるだろう。

浮かび上がる問題いろいろ

冒頭の記事のお子さんは、親御さんの努力から多くのものを得たように思う。

授業に参加できるということで学ぶ機会を得たこともそうだし、様々なルールを学ぶということの素地も作っただろう。そして何より「できる」ということを全身全霊をかけて信じてくれる人の存在はかけがえのないものだ、これは後々様々なことに取り組む力になるだろう。

それは非常に喜ばしいことだが、この記事からは他に様々な問題が浮かび上がってくる。

果たして、親がどこまで自力で対処すべきかといった問題は残る。

この記事のお母さんは教室に毎日出向くということができたが(コメントにあるがお仕事は辞められたようだ)、親がシングルの場合など、生きていくためにその余裕がない場合は物理的に無理である。

かといって発達障害の専門家でもない学校教員に対処法の見極めからなにからすべてを求めるのは難しいだろう。ここで医者や心理士などの支援が必要になるが、支援者が必ずしもこういったリスクについて認知しているとは限らないのが現実だ。

立ち歩きに似ているが、感覚過敏などの問題がある場合の逃避から席を立つといったものは、根気よく説明したからといってどうなるものでもないので、しっかり鑑別する必要はあるし、過敏対策は別にしっかり立てる必要があるだろう。

難題は立ちはだかる。

だが、ルールを守ること教えることは社会の中で生きていくために必要不可欠なことだ。これを諦めることは子の将来の可能性を狭め、消化試合にしてしまうことだと思う。

特性を理解するのは諦めるためではなく、先に進むためだと私は考える。

=============================

コメントのお返事がなかなかできなくて申し訳ありません。
いただいたコメントはありがたく読ませていただいています。

 

 

俺ルール!―自閉は急に止まれない

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【書籍】自閉症の子供へのコミュニケーション指導/青山新吾著

今日は久々に書籍紹介。

自閉症の子どもへのコミュニケーション指導―「関係」を育て「暮らし」を支援する (教育の課題にチャレンジ)

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著者の青山新吾氏は通級指導教室を中心に岡山で長年教員として支援教育に携わってきた方、 現在はノートルダム清心女子大学の講師をされている。

自閉症児におけるコミュニケーションの意味

自閉症の子供へのコミュニケーション指導というと、まず思い浮かぶのはABAやSSTという方も多いだろう。

しかし、この本では、ABA的な手法も、SSTのようなコミュニケーションスキルの指導手法についてもほとんどでてこない。

具体的手法がなくていったい何が出てくるのかというと、「コミュニケーション」というものそのものを自閉症児の中にどう形作っていくか、そのための支援はどうあるべきかといったことがその内容だ。

1章では青山氏が支援教育に関わるきっかけからスタートし、支援においてどういうことを大切にしてきたかといったこと。2章はケーススタディ形式で、パニックや自傷など含め、さまざまなトラブル例がでてくるが、その問題を解消・解決すべく氏がどういう道筋で考え、どういう対処をしてきたのかといったことと、その分析が綴られている。
さらに3章では支援において何をどう観察、デザインしていくかといったことのポイント整理。4章ではよりよい特別支援教育を模索するための方法論と続く。
ケーススタディ部分で出てくる子どもたちは知的障害のある子もいればない子もいる。

事例では、青山氏の観察ポイントといったものもかなり参考になるだろう。そして発語がなかったり知能検査ではかれなくても、自閉症児は実は豊かな内面や高度な言語理解力をもっているという前提のもとでの氏の様々な対応が綴られいることも注目すべきポイントだと思う。

この本は支援教育に携わる教職員向けの本だが、4章以外は親御さんや支援者、行政関係者にも十分参考になる内容だと思う。
また、現代の子育てに欠けやすい部分があらわにされている本だとも思う。

療育の手法を選ぶ前に考えるべきこと

青山氏がこの本で強調するのは「関係性と暮らし支援する」ことだ。

自閉症児者はコミュニケーションの障害があることで他者との関係性を構築しにくい面はある。しかしだからといって関係性が不要な訳ではなく、むしろ容易に構築できないからこそより重要で、それぞれの家族のスタイルで日々の暮らしの中で関係性を構築するための努力をすること、そしてそれを黒子のように支える支援が必要だという青山氏の主張は非常に納得のいくものである。

前の記事でもちょっと出したが、療育の方向性として「将来にむけて自由度を上げる」といったところも重要な視点だと思う。

ケーススタディに垣間見える青山氏が用いる手法は非常にバリエーション豊富だと思うが、この本は具体的な支援の手法を学ぶための本ではない。 個別の療育において何を目標にしていくか?支援において何を目標にしていくのか?といったことをどういった道筋で検討していけばいいかといった内容である。

「寄り添う」とか「向き合う」という言葉は福祉や支援の世界でよく聞く言葉だが、真に寄り添う、真に向き合うとはどういうことなのか?ということを考えさせられる本でもある。

 

 



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発達障害者(児)支援をどうデザインするか? -社会性の障害による困難には相手があることから-

ちょっと前に千葉市長の熊谷俊人氏がツイッターで「障害者という表記を障がい者に変えることは反対」というツイートをして波紋を呼んだ。

害の字の表記の問題にも熊谷氏の政治思想についても大して興味がないのだが、氏の主張の理由がなかなか興味深い。

熊谷氏は

『障害者』とは『社会の障害』でも『身体に障害を持つ者』でも無く、『社会との関わりの中で障害に直面している者』という意味であり、私たちはその障害を一つひとつ解消していくことが求められている、と理解しています」https://twitter.com/kumagai_chiba/status/600875438454378496

と、その理由について語ったのだが、これは結構多方面に使える障害モデルになりうるかもしれない。とりあえず発達障害者への支援や配慮を考える際にかなり有用だと思うので、そのことについて書いてみる。

だいぶ長くなるがおつきあいいただきたい。

さて、障害モデルは医学モデル(障がい者の自身の中に不都合があるとする)と社会モデル(社会の側に障がい者が暮らしにくくなる不都合があるとする)の二つが割と知られているモデルである。

近年では社会モデルを重視すべきだとする方向性が主流かもしれない。だがまあ、そのことについての是非はちょっとおいといて話を進めてしまおう。

 

障害というものを行動することという面から見直してみる

生活行動の上での障害(ハードル)

生活を送る上で、無意識化された行動以外の行動をしようと思えば目の前になんらかのハードルが立ちはだかる。

ただそれのハードルが十分に低ければたいした問題にならない。

冬場こたつに入っているときトイレに行きたくなったとする。こういったとき、

「あー、こたつから出たくない」

という思いを抱いたことがある人は多いだろう。

室温が低めだったら寒さがハードルになる。

だが、このハードルは普通十分に低い

たいていの人が難なく越えられるハードルである。

大げさにいえば生理的欲求からわき上がる気力がハードルを越えるに十分な大きさであるひとが多いのだ。

ここでこたつに入っている人物が膝に慢性痛を抱えていたり、あるいは下肢を自由にうごかせない状態であったら…

当然ハードルは上がるだろう。

つまり心身の状態によってハードルの高さは変化するということである。

 

社会生活上の障害(ハードル)

次に、社会生活ということに話を広げてみる。

人間二人いればそれは小さな社会であるというのはよく言われる話だが、ここではわかりやすくするために家庭内社会のことは割愛、家庭外における社会生活について考えてみる。

さて家庭外ということになると当然家の外に出ないといけない。

生活行動にやたら時間がかかったり、膨大な気力を要したり、からだに痛みがあったり、怠かったりすれば家に出るのが困難になる。困難度合いによって外に出るという行動に伴うハードルの高さは異なるが、とりあえずサクサク動けるひとに比べると家の外に出るだけでもハードルは高くなる。

そして外にでて誰かと接触を図るとここで社会関係が生じる。

近所の人に会って挨拶をするという場面を考えてみよう。

挨拶というのはまあ簡単にいえば「敵じゃないよ」ということを互いに表明する行動だが、結構複雑怪奇である。

A「こんにちは」

B「あらこんにちは、いいお天気ですね~。あ、そうだ、先日はどうもありがとうございました…」

まず相手を視認、挨拶をすべきか判断し、すべきとなったら視線を向けたりしながら適当な言葉を選んで相手に届くように発語をする。場合によっては前に接触したときのことを想起し、そのことを持ち出すべきかを判断し、必要とあらばそのことに言及し、場合によっては礼をいったりその他いろいろ言及したり…、もちろん表情なども連動させねばならない…とまあ、かなり複雑なことをしている。

たいていの人は惰性…つまりほぼ無意識でやっている行動とはいえ、まず見えたり、視線を向けたり、適切な範囲の音量で発語ができたりということが必要になるので、その辺の機能に問題があると大変である。そして口頭での応答をするとなると聴く機能もまた重要だ。

さらに挨拶が必要であるということがわかってないとこれまた挨拶は難しいし。前にあったことの記憶が適切に想起できたり、表情を適切に使い回せることもそれなりに重要になるので、これらの機能に問題があれば挨拶という行動一つとってみてもかなりハードルが上がる。

ここまでのところをまとめると、

「恒常的な心身機能の問題に起因する、社会生活上の障害(ハードル)が高く、なんらかの対処を要する状態(及び、対処をしない場合障害(ハードル)が高くなる状態)にある者」

を「障害者」と定義できるのではないだろうか。

 

障害者支援は障害(ハードル)を下げること

上記の定義を使って障害者支援、配慮というものを考えてみる。 支援・配慮というものは、障害当事者の目の前にあるハードルを下げることといえるだろう。

路上の段差を少なくするというのは、車いす使用者の移動の際に立ちはだかるハードルを下げるための支援であるし、料理や飲料にとろみをつけるというのは嚥下に問題を抱える人の飲食の際のハードルを下げるための支援である。視覚障害者が白杖をついて歩くときにちょっと道を空けようというのも移動のハードルを下げる配慮である。 これはハードルそのものを縮小化するタイプの支援・配慮であり、障害当事者の外にある支援である。

そして、視覚障害者への点字教育や脳梗塞の後遺障害のリハビリテーションなど、残存能力の活用を促進するのももまた支援といえるだろう。

これは本人の能力を開発することによってできることを増やし、ハードルを相対的に下げるタイプの支援であり、当事者の内へアプローチする支援である。

どちらがいいということも当然ないので、リソースの許す範囲で障害者のQOLを最大化する方法の組み合わせを選択できればいいわけだ。

下肢の一部欠損の場合の義肢の利用などはこの両方が必要な典型的な例だろう。高性能の義肢の存在はハードルそのものを縮小化するものだが、義肢を装着した状態で歩行するためには適切なトレーニングが必要であるので、トレーニングの提供はハードルを相対的に下げる支援である(もちろん当事者本人の自助努力も必要だ)。

ここまでをまとめると、障害者への支援・配慮を考えるとき

  • 周囲の配慮・支援でハードル自体を下げる
  • 自力のアップでハードルを相対的に下げる

の二つの方策があり、それを柔軟に使いわけすることが障害者のQOLを下げることになる。

発達障害者への合理的配慮を考える

やれやれやっと前置きが終わった。

実はここからが本論だ。

何か行動するときにハードルが全くないなんてことはないというのは冒頭のこたつの例でおわかりいただけていると思う。つまり、ハードルの高さが越える力に比して極端に高い場合に支援や配慮が必要ということになる。

相手がある問題が多いということ

ここで、発達障害者における障害(ハードル)について考えてみる。

視覚や聴覚の問題(過敏や注意の問題など)については基本的に身体障害の場合と変わらないが、社会性の障害部分やコミュニケーションの障害部分となるとちょっと話が異なってくる。

社会性の障害やコミュニケーションの障害、二次障害の問題になってくる場面というのはたいてい社会的場面である。そのため必ず相手というものが存在する。

相手のある問題で発達障害者の前のハードルを外側の支援・配慮だけでどうにかしようとするとどうなるか?相手の前にハードルが生じるという問題が生じてしまうのだ。

 

その配慮は可能なのか?

発達障害関連の本を読むと就業関係の本でも「周囲の支援や配慮を受けながらやっていきましょう」 という類いの文言がしばしば書かれている。

そして最近は障害者差別禁止法という法律もできて「合理的配慮」というのが叫ばれている。

 

障害者就労の場合「合理的配慮を受けられるはず…」と期待して就労する人も多いようだが、「理解がない」とか「配慮がなされない」という不満もあちこちから聞こえてくる(SNS等)。

だが、「もっと理解を」と叫んだところで、理解しても配慮できないことはたくさんあるのだ。

学校で適切な配慮が受けられないとか、支援機関等で適切な支援が受けられないというならそれは解決すべき問題だが、一般社会ではいかに法律ができようと、社会性・コミュニケーションの障害部分への配慮はかなり難しいものがあると私は考えている。

 

「傷つきやすいので配慮して欲しい」といわれてもそりゃほとんど無茶である。

「挨拶も会話もできないけど職場で疎外感を感じたくない」と言われてもいったいどうしろっての?

「叱責されると萎縮するのでほめて育てて欲しい」といわれても、企業は親でも学校でもない(常軌を逸した激しい叱責はパワハラなのでやめるべきだが、そりゃ対象が障害者でなくても同じこと)

社会性の障害、コミュニケーションの障害部分、二次障害部分への配慮をしようとすると、どうしても人的リソースを必要とする。

 

「ある人(Aさんとしておこう)が発達障害の特性のため傷つきやすい」ということに職場が配慮することを考えてみよう。

Aさんがどういう場面で傷つくか?が職場全体に周知される必要が生じる。

Aさんが傷つくような場面を生じさせないように業務を割り振り、上司、他の社員に対してAさんへの接し方を指導し、言動の制御を求める必要がある。

非協力的な人に対しては説得するなり接触しないように働きかける必要も出てくる。

 

ここまで書いただけでも結構無理難題なのはおわかりいただけたと思うが実はまだ先がある。

 

(1)もしAさんが「笑い」に対してすべて「自分に対する嘲笑」というとらえ方をするために傷つきやすいとしたら?

そう、配慮するには職場のAさんから見える範囲から休憩時間も含め笑顔をなくしてしまうしか対策はない。

現実的にはお手上げだ。だれがそれを納得するのか?そりゃだれもしないだろう。 仮に納得したとしてもしそんなことしたら生産性もさがるだろう。

 

もう一ついってみよう。

(2)もしAさんが、休憩時間の同僚の雑談についていけないことに傷つくとしたら?

お手上げだ。休憩時間なんぞどうしようもない。

 

さらにもう一つ。

(3)もしAさんが自分自身がどういう場面で傷つくかということを認識していなかったら?

いつ何でAさんが傷つくのか周囲が予測することは不可能なので対策も立てられない。これではまるで地雷である。

 

ここで上げた「もしAさんが」の例は現実にしばしば見かけるものだ。「笑い=嘲笑」「雑談にはついて行けないといけない」といった誤学習の例でもある。

誤学習を掘り起こしてアプローチし誤学習を解消すれば問題そのものがなくなるが、企業は医療機関でも教育機関でも支援機関でもないのだからそこまでやる義務はないだろう。

誤学習由来の傷つきやすさは本人が意識していないことも多いので地雷のような面もある。こうなると理解や配慮のハードルは青天井だ。

 

正直なところ、誤学習が絡むと発達障害者同士でも理解も配慮もほぼ不可能であることは多々ある。

また、こだわりへの配慮も他者に影響が及ばない範囲でしかできないし、自他区分の問題からくる被害感なんてのには配慮しようがない。

 

相手の前にできるハードル

数行前に「ハードル」という言葉が出てきたのでお気づきの方もいるかもしれないが、あるASD当事者の社会的な障害部分に配慮しようとすると、往々にして相対する人の前にかなり高いハードルが生じる。

対人状況において、なんらかのハードルが生じることはどんな人間同士の関わりでもあるので、人に会うとき初対面で緊張するとか、上の立場の人に会うと緊張するなんてのもこういった対人ハードルである。乗り越えるのにあまり難儀すぎなければ問題はないだろう。

挨拶や礼儀やマナーというのはこういった対人ハードルを下げる為にあるのかもしれない。

ただ、ハードルが高すぎたり、ハードルが地雷化していていつ出現するかわからないとなると、

「この人に関わるとあれこれしんどい」

とか

「この人に関わるとなにかとめんどう」

といって敬遠することになる。これはある意味自己防衛である。

対人関係において相手の前に生じる心理的障壁を下げるように努めるのと、上げるように努めるのと、どっちが受け入れやすいかといったらそりゃ前者だろう。

特に定型者にとっては発達障害者の思考を理解するだけでもかなりしんどい部分がある。 わかったところで気持ちがついて行かないといったことも起こりやすいのでいきおいハードルは高くなりやすい。

ある発達障害者に相対する人の前にできるハードルが異様に高くなってしまうような配慮の求め方をすれば、相対する人のほうが「重い障害者」になってしまう。

障害による問題が社会的な場面、対人場面で起こりやすい発達障害では、配慮の求め方によっては

「どっちが障害者?」

という現象が生じやすいといえるだろう。

周囲との関係性の成立に問題が生じる障害の場合、いたずらに周囲に配慮を求めることは「敬遠」というかたちでさらに周囲との関係性の成立を阻害することになってしまいかねない。

これから先、発達障害者を雇用する企業で人事担当者や直属の上司の胃に穴が開いたり 発達障害者がらみの合理的配慮訴訟なんてのがないことを祈るばかりだ。

相手の前にハードルを作らない戦略

さて、発達障害への理解・配慮を求めることが新たな敬遠を作り出しやすい部分に関しては、取るべきなのは新たな敬遠を作り出さない方法だろう。

そう、前述の「自力のアップでハードルを相対的に下げる」である。

料理から経験値のアップを考えてみる

だいたいさせればできるがさせねばできないことが多いのが人間というものだ。 調理技術なんてのもそういう面が大きい。

昨今、若い世代の調理技術というのは多いに下がっているようで、料理がろくにできない人なんざくさるほどいる。

まあ、昔と違ってそれでも外食・中食産業に金さえ払えば食事にありつけるし、調理関係のお助けグッズ、調理の楽な半調理食品も増えているので、料理が苦手な人の食事へのハードルを下げるのにそういったものが大いに役だっているわけだが、ジャガイモの皮をピーラーでしか剥けないと災害時に困りはしないかなあ?などと思ったりもする。

発達障害者でも料理が苦手という人は結構多いように思う。

ただ「やってないだけでは?」と思うケースも多い。

どうしても発達障害児者は興味関心の範囲がせまくなりやすいので積極的に料理の手伝いなどに引っ張り出さないとやれることが増えにくい面があるとは思う。

やらないからできるようにならないし工夫もしない、当然自信もつかない。成し遂げたという経験も少ないので自己肯定感も下がりやすい。自己肯定感が下がるとさらに物事にトライする意欲がしぼむ→(以下行頭に戻る)

という悪循環に陥っている人が多いように思うのだ。

料理以外でも、様々な面で同様の悪循環が生じてしまっているように思うことは多い。

将来につなげる支援とは

まず一冊の本を紹介しよう。

自閉症の子どもへのコミュニケーション指導―「関係」を育て「暮らし」を支援する (教育の課題にチャレンジ)

青山 新吾 明治図書出版 2005-03
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著者の青山新吾氏は岡山で通級指導等の特別支援教育に携わってこられた学校の先生である。

氏はこの本の中で、

周囲の人や物との関わりが増えることが自閉症児の自由度を上げると、 そして、そのためには親や教師との関係性が重要であるともいう。 さらに氏は日常を丁寧にすことの効用を挙げている

確かに、発達障害者でも特にASD者は他者との関わりを作る(=関係性を取り結ぶ)ということにかなりの困難を抱えている。 となれば、自力をアップして相対的にハードルを下げるための支援は、やはり他者との関係を取り結ぶことへの支援が重要になってくるだろう。

語彙や常識、定型者の発想などを学ぶといった学習部分もちろん重要だ。 そしてもう一つ、いろいろな当たり前のことに日々の生活の中で取り組んでいくといったこと、そして支援としてはその取り組みをサポートしていくことが結果的に周囲との関係をよくしていき、ひいては後々の生きる意欲を支える自己肯定感を揺るがないものとする経験となっていくという視点は非常に重要だと思う。

 

発達障害児者への支援のデザイン

発達障害児者の支援というのは自閉症児者のそのとき表出している欲求を満たすだけの表面的な配慮をすることではなく、困りごとや課題に当事者自らが取り組めるようにサポートしていくことなのだと思う。

発達障害者の声といえば「特性理解を」「特性に配慮を」というようなものが非常に多い。医者の中にもそういったことを主張するむきも多い。

だが、理解は相手がすることだ。理解したくない人もいるかもしれないし、理解が難しい人もいるだろう。 理解しても対応を拒否する人もいるかもしれない。

しゃべりたいことだけを一方的にしゃべるのを特性として理解し、周囲の側が対応するほうがいいとしてしまったら?

過剰に被害的なとらえ方をしがちなことに対してそれを特性として理解し、配慮したほうがいいとしてしまったら?

それは周囲の人の目の前にハードルを作るだけのことだ。

「しゃべるのを自分で止められないこと」や「周囲が見えにくくなること」

「つい被害的に捉えてしまうのを止められないこと」

などといった水面下の課題に発達障害児者自身が取り組めるよう支えるのが真の支援だろうと思うのだ。

いろいろ書いてきたが、発達障害児者の支援というのは、いたずらに一般の配慮義務を増やすよりも、ツールの利用、心身の調子を良い具合にもっていくことを含め、発達障害児者自身の課題への取り組みをサポートする方向性でデザインしていった方がよいように思う。

 

 



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