自閉症児者の特徴として「こだわり」が挙がること多い。
やたら道順にこだわるとか、部屋の造作にこだわるとか、その他、定型発達者の場合にあまり見られないようなこだわりが自閉症にはあることが多いと言われる。
「こだわり」を活かせばいい...という話も多いのではあるが、いわゆる「こだわり」現象の中には、「知らないこと(未学習)による不安」や、「カンチガイ(誤学習)」といったものも多いように私は感じている。
特に生活上不都合の起こりやすいこだわりの場合、その傾向は大きいような気がする。
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前置きはこのくらいにして、今日は私自身の幼少期の話をしよう。
私がまだ物心つく前の話だ。たぶん2~3才頃の話だと思う。
当時、私と父母は埼玉県草加市のはずれの、高度成長期によくあった平屋の建売住宅に住んでいたのだが、ある日母に連れられて東武伊勢崎線の松原団地駅の近くまで出かけた。
高度成長期のシンボルとも言える「公団団地」のさきがけである松原団地には市役所の出張所や郵便局、そして当時まだ少なかったスーパーもあったので、そのあたりへの用向きだったのだろうが、詳しい事はわからない。
何度となく笑い話として母の口から出てきたのは、私の行動で困ったという話だ。
行きの道はまあ何ごともなかったらしいが問題は帰りだった。
50年前は首都圏といえどまだまだ舗装路も少ない時代、ちょっと団地を離れると田んぼの中の砂利道というのどかな風景が広がっていたはずだ。その団地のはずれあたりで問題は勃発した。
母がさて帰ろうとバス停までの道を私の手を引いて歩き出し、しばらく歩いたあたりで私が頑として動かなくなったという。
原因はというと、母がいつもとは別の道を通ろうとしたからだという。
「おうちにかえれないからイヤ!」
と頑として譲らず、泣いて嫌がるので非常に困ったのだという。
途中までは手を引かれるままに歩いていたらしいが、ふと周りの風景が普段通る道と違うことに気がついたといったところらしい。
途中まで機嫌良く歩いていていきなり動かずでは、そりゃ母もビックリだったろう。
その道を拒否するならはじめから拒否しろよと私も昔の私に言いたい。
なんとかなだめすかして...と母は全力でトライ&エラーを繰り返し、ついに魔法の呪文をひねり出した。
「道路はつながってるから必ず帰れるよ」
まあ、厳密には正しくないが、首都圏の公道であれば概ね正しいといえる。
この魔法の呪文で納得した私はまたテクテク歩き出したという。
30分ほど動かなかったらしいのだが、あまりにあっけない結末が印象的だったのだろう。この話は母が私の「納得しないと動かない性格」を語るときに出てくるエピソードの筆頭である。
そう、普段通りの道順にこだわっていたように見えた私の行動は、単に「そこいらの道路」というものの概念、特徴がつかめていなかったために不安に駆られただけのことだったのだ。
つまり「未学習」によって起こった現象である。
歩くのを頑強に拒否するといったことはそれ以降全く起こらなかったという。
発達障害という言葉がまだ日本になかった頃の話である。
「自閉症児のこだわり行動」と呼ばれるものの中には結構こういった「わからないから不安」というケースも含め、「未学習」や「誤学習」が根っこにある行動も隠れているのではないだろうか?
「こだわり行動」と、ひとくくりにしてしまうと見えてこないものもあるかもしれない。
その後の私だが、幼稚園頃には何かにつけて道路地図を引っ張りだし、母の実家に帰省するときのお伴はだいたい道路地図帳だったし、小学生の頃は鉄道の路線図が大好きで時刻表マニアでもあった。
私にとって、地図はある種、安心の源なのかもしれない。
え、今?
今も好きですよ。地図は大好き。グーグルマップもストリートビューもよくつかいます。お出かけ前に地図を入手するのが手軽になったのでエスカレートしてるかもw。
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