多数派は所属意識をもつことで安心する。

我々アスペルガー症候群の者になかなかわからない多数派(定型発達の人)のありようの一つに彼らが、集団への所属やある属性への帰属を非常に重要視することが上げられるであろう。


彼ら多数派にとって、人と接する際に何らかの所属感・帰属感を得られないことは彼らの精神に非常なる不安をもたらすものなのであろう。


このため、ともすれば多数派主流の集団内において、「所属感・帰属感の共有と、そのメッセージサインの取り交わし」が常時相互に要求され、その要求が当然のものとして多数派同士の間では受け入れられている。


さらにメッセージサインの取り交わしができない場合、往々にして彼らは自らの不安を取り除こうとするあまり、サインの取り交わしができない人物を敵視したり非難したり、その存在を集団から排除しようという行動に出る場合がある。


我々アスペルガー症候群の者にとって、その要求があることに気がつく事がそもそも難しく、気がついたとしてもその要求に応じることも難しい場合が多く、さらにそれが耐え難い苦痛となる場合があると言うことを彼ら多数派は殆ど知ることはない。


我々アスペルガー症候群の者にとって、不必要に彼ら多数派に不安を与えないようにする方が、彼ら多数派との共存において有益である。


すなわち、我々アスペルガー症候群のものは、上記のようなケースで彼ら多数派が不安を感じることを認識し、彼ら相互の帰属感・所属感確認のサインの取り交わしに関しては、そのパターンを知識として蓄積しておき、できるだけ気がつかないことがないようにする必要があろう。

また、そのサインの取り交わしの場において、あまり話しに立ち入らないように(疑問を挟んだりしない等)したり、彼らに合わせた行動(そうね…と歩調を合わせておく等)をする方が不要に非難を受けたり、排除されるなどの不必要な軋轢を生む心配がなく、かつ、彼らに不要な不安を与える危険もおかさずにすむであろう。



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コメント

帰属の有無か、内容の差か?
定型の人間にとって、帰属意識(帰属感)がとても大事だ、ということは全くその通りだと思います。と同時に、ではASの人には帰属意識がないのか?とか、帰属意識(帰属感)は全く必要ではないのか?ということが定型の私には今謎になっています。

たとえば自分の家族という集団はASの人にとっても大事だということはないのでしょうか。そして仮に「自分はこの家族の一員である」という意識があるのなら、それは帰属意識の一種とは言えないでしょうか。また「家族を壊したくない」「家族を大事にしたい」というような気持ちがある場合は、その帰属意識がASの人にとっても価値のあるものである、というふうに考えることは出来ないでしょうか?

そのあたり、帰属意識の有無の問題なのか、帰属意識の内容の違いの問題なのか、あるいは表現の違いなのか、もし内容や表現の違いなのだとすれば、何が違うのか、理解したいと思うところです。
Re: 帰属の有無か、内容の差か?
アナグマさんこんにちは。

私のことをいえば、帰属感、帰属意識…自体がまず実感としてわかりません。

家族はいますが、つながり状態があるとは思います。帰属しているというより、
ゆるく不快でない状態で繋がっているという感じですね。
で、その緩さが私は気に入っています。


「必要なつながりの質と量」の違いか?
狸穴猫さん こんにちは。

別のコメントにも「実感として分かりません」ということを書いて下さいました。この感じ、「実感として分かります」 (^ ^)

異文化接触の時、自分には信じられないような、訳の分からないコミュニケーションが展開することがよくあります。相手がどうしてそういう反応をするのか全然分からなくて、それでその理由を何度も聞いたりするのですが、言われてもぴんと来ません。そのうち、ようやく「理屈は分かる」という状態になるのですが、でも同時に「実感として分からない」という状態になるんです。その限りではASと定型の人の関係と同じですね。(ここ、割合に大事な問題だと感じています)

さて「つながり状態」という表現をして下さいました。この「つながり状態」と「帰属感」は何が違うのでしょう?「帰属」は「相手(または集団)に帰属している」ということで、「つながり」は「相手(個人)と関係がある」ということでしょうか。

もうひとつよろしければ教えていただきたいのですが、そのつながりは「不快でない」という、どちらかというと中性的なレベルにとどまるもので、言い換えると「なければなくても良い」というものでしょうか?それともやはり「なくてはならない(またはあったほうがいい)」ものなのでしょうか?

定型の私の感覚では後者を想像するのですが、もしそちらに近ければ、ASであれ定型であれ「つながりは必要」というところは同じで、ただその「つながりの質」とか「適切な量」に違いがある、ということなのかなとも思ったりするのですが、どんなものでしょうね。

Re: 「必要なつながりの質と量」の違いか?
アナグマさん、こんにちは。

つながり状態…これは線で個々が繋がっているイメージですね。クモの糸のような感じ。(壁はない)
帰属感というとある集合(円で囲まれたようなもの)の内部のイメージがあります。(壁がある)

それと…

「不快でない=楽」→「快」に限りなく近いです。

私にとって、この世の中、楽な関係でいることの方が少ないのかもしれません。

だから、「あった方がいいけど、それは滅多にないことだから、そういう関係が保てればラッキー」って感じです。


狸穴猫さん、こんばんは

少しずついろいろな記事やコメントの連鎖を読ませていただいていますが、ほんとに面白いし、考えさせられています。

お返事を頂いて、ああなるほど、と思いました。
蜘蛛の糸のようということは、あるいは個と個がつながるネットワーキングみたいなと言い換えることが出来るのかもしれないですね。明確に境界がある集団というのではなくて。

もしそうだとすれば、日本社会の人間関係はASの皆さんには特にストレスフルになりやすい気がします。逆にたとえば中国なんかの人間関係はある面で「個と個」の関係が基本だし、親しい仲だと、思ったことは相手にバンバン言い合うし(日本ならKYとか思いやりないとか総スカンを食うようなやりとりがいくらでもあります)、ASの方にはやりやすい部分もあるのだろうか?と思ったり。(ま、これはだんだん考えていきたいことです)

もちろん中国の人が大部分ASだという話ではなくて、彼らには彼らなりの(日本とはずいぶん違うけど)定型的な気の使い方がすごくあるわけで、そのあたりはASの人にはわかりにくいのかも知れません。


「滅多にないことだから、ラッキー」という表現には私は情動的に反応しました。同情ということばは偉そうな感じがするので使いたくありませんが、ああ、そういう大変さを生きていらっしゃるんだな、だからこそほんとに大切なつながりなんだなと、共感した感じです。(もっともこういう情動的な反応自体がずれちゃっているのかも知れませんけれども)

そこから思ったことですが、狸穴猫さんにとって「家族」と家族じゃない人の間に「個と個のつながり」以上の意味の差は全くないのでしょうか。つまり、「個と個のつながり」というだけだと、家庭外でたまたまできた気の良い「個と個のつながり」と、家庭の中の「個と個のつながり」は別に区別はない、ということにもなりそうな気がするんですが。でもたとえ全員ASの家族であっても、家族のメンバーとその他の人々の間では、なにかつながり方に違いはあるんじゃないだろうかと、定型的にはふと思ってしまうんですが、これってやっぱり定型のずれた思いこみでしょうか。
アナグマさんへ
家族は一応「切れにくい糸」という点で違いますね。
夫はともかく、親や子は切ろうとしても切れないですから。
それと、生育環境に関わるという点で、親は影響大だと思います。
ああ、自分も気をつけないと…。

定型とは何か?普通って?
テレビで初めて拝見しました。そして、感じたことをいくつか書きたくなりました。

近頃、病気がやたら増えてきたと思います。でも、本当は病気が増えたんではなくて、昔は、大多数の人とちょっと違うだけのことを、なんでも病名をつけて、病人を増やしている気がします。多動性症候群なんてあるけど、昔で言ったら単なる「落ち着きのない子」で、別に病気ではないと私は思うんですが。

私自身はアスペルガーではないと思うけど、アスペルガーの方の言い分に共感を覚え、大多数の定型人の行動に違和感を覚えることもあるので、どこまでがアスペルガーで、どこからが定型なのか明確な線はないんだと思います。

私は、多趣味なので色んなサークルに参加するのですが、その場においても定型人の異様な行動に違和感を覚えることが多々あります。よくあるのが、すぐユニフォームを作ろうとすること。団体名が入った同じTシャツやジャンパーを作り、「着よう」、「着せよう」とします。そして、自分たちが所属している以外の他の団体の悪口を言ったり、排斥したりします。

そういう意味では私も集団の中で浮いた感じがして、自分は定型ではないのかもしれないとも思います。
定型というのは、多数派であって、ほとんどの人は、心から共感したり、また相手の心を汲み取ろうとしているのではなく、仲間外れにされるのを恐れて、一人ぼっちになるのを恐れて、同調して見せているだけだと思いますよ。そして、そういう人たちは同調しない人に対して大いなる脅威を感じます。だから、攻撃するのです。
特に、日本はその傾向が強い国民性、文化だと思います。個性の時代などといいながら、個人を認めない社会。

出る杭は打たれる。付和雷同。寄らば大樹の陰。長いものに巻かれろ。などなどの文化です。

多くの人は、「普通は」とか「みんなそうしてる」とか「○○するのが常識じゃん」とか言うけど、それはその人が普通と思っているだけで、もっというと他の人も自分と同じに考えている、感じている、考えていて欲しい、感じていて欲しい、自分が世の中の他の人と同じ「いわゆる普通の」人であって欲しい、「普通であるはずだ」という思いで本当は普通でもなんでもないんです。
「わたしはこう思う」といったら聞いてくれないけど、「普通はそうするよ」とか「みんなそうしてるよ」というと、定型人は恐れ戦いてそれに従います。他の人と違うことを極度に恐れるからです。仲間外れにされるのが怖いからです。

これは、店員がめんどくさい客を追い払うのにも良く使う台詞です。
物を探していて店員に何かを尋ねたり、壊れてクレームを言ったりすると、店員はほぼ100%こういいます。

「普通の人はそんなこと聴きません」「そんなことを聴く人は普通居ませんね」「普通は壊れるはずがないんです(あんたの使い方が悪いんだろ)」「今まで、そんなことを聞いたお客さんは一人も居ませんよ」
あなたは「普通」でない。あなたは「特殊」「変人」だ攻撃です。いわゆる「普通」の定型人はこの言葉にたじろぎすごすごと引き下がります。
店員も学習したわけではなく、恐らく、自分が余計な仕事をしなくていいので無意識のうちに「普通は」戦術を獲得したものと思われます。
欧米人は、こんな「普通は」攻撃ではたじろがず、食い下がると思いますが。

ただ、洋の東西を問わず人間が群れで暮らす動物である以上仕方ない部分もあり、裸の王様の話もありますね。
ほんとはみんな裸だと気づいているのに、最初の人が服を着ていると言ったら、「いや、何にも着てないよ」と言い出せないで居るのです。そして、大人の回りに気を使うとか、他と違うことを恐れるとか、いわゆる「空気を読む」ことなどしない子供が、「王様は裸だ」と叫ぶんですね。

何事も程度によるのだと思いますが、一切、自分の意見を述べず、常に人の意見に賛同している人は、胡散臭く、信用できず、結局誰にも相手にされないということもあります。もちろん、だからといって人間には心があるので、たとえほんとのことであっても何でもずばずば言われれば、不愉快になるし、いつも自分の欠点ばかり指摘する人には近づきたくないというのも事実です。

長文ですみません。

言いたかったことは、「普通」とは何か。誰が何をもって「普通」と決めるのか。
世の中の多くの人は、ほんとに人の気持ちを考えて相手に合わせているのではなく、自分が仲間外れになることをもっとも恐れて周りに合わせているだけだということです。
だから、いじめの問題も自分はほんとはその相手に何の不快感も持っていなくても、いやむしろ、可哀想だと思っても、一緒にいじめないと多くの「普通の」人に仲間外れにされ、自分がいじめられるのを恐れるからです。

これは、「普通」の考えではなく、私個人の考えであります。
お久しぶりです
狸穴猫さん お久しぶりです。

この問題について、自分なりにASの皆さんの疑問にブログで答えてみようとしてみました。どの程度納得がいくかどうかわかりませんが、よろしければご覧下さい。

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