定型発達者における疑問文の分化とアスペルガー者の陥りやすい罠(後編)

前編はこちら


アスペルガー者が受けやすい誤解…というか評価に、

  「非難がましい」
  「文句が多い」
  「すぐ怒りだす」
  「理屈っぽい」

などというものがある。

これも、前稿で書いた疑問形の分化がアスペルガー者では起こっていないことと関連する。


アスペルガー者の特徴として、

理由について詳しく知りたいというのがある。
つじつまが合わないことが気になるのだ。


これはアスペルガー者の特質であり、どうにもならない部分である。

納得いくまで突き詰める…これはアスペルガー者の良い面であるが、定型発達者が絡むと非常に注意を要する。



疑問形の分化が起こらないアスペルガー者の場合、日常的にダイレクトな疑問形を多用する傾向が見られる。


もちろん悪意はない。
アスペルガー者としては知りたいことをダイレクトに聞いているだけである。



しかしこれはダイレクトな疑問文が定型発達者には「怒りの表明」「非難」「注意」「指示」「制止」などの意味として捉えられることを考えれば、結構危険なことである。


定型発達者は、ダイレクトな疑問文を聞くと瞬発的に上記のような意味を「勝手に」感じ取ってしまうのだ。



そこで誤解が生じる。


というか、定型発達者の心中に


「非難されている気分」
「詰問されている気分」
「相手が怒っているのかという疑念」
「そんなに理屈追求してないよという思い」


などが生じたりする。



で、


ダイレクトな疑問文を相手にぶつけた場合。


定型発達者に「怒っている(のでは?)」という対応をされる
→会話のちぐはぐさにさらに疑問が膨らみ、
→「何で?」とさらに疑問をぶつけ、
→最後には逆に定型発達者に切れられる

という経緯をたどることも多いだろう。



また、相手が上司など目上の人の場合、即座に

「失礼な」
「何で君はそんなことを聞くのかね?」


というような強烈な「怒りの表明」を聞くハメになることを少なくないだろう。


実際に相手の怒りが「すぐ」わかる形で現れればいいが、わからない形で反映することも多い。


「ある日突然怒りの言葉をきく」
「突然の退職勧告」
「無視」
「社内(校内)いじめ」


などである。

アスペルガー者にとって、わけがわからないほど、心理的なダメージは大きい。


そこで、定型発達者の「疑問文の分化」に着目して、


できるだけ「ダイレクトな疑問文」を用いないように気をつけた方が、定型社会で生きていくためには便利


である。


指示がわからない場合
 ×「○○ってどうするんですか?」
 ○「すいません、○○についてわからないんですけど」


仕事で指示が来た場合の疑問
 ×「何で私が○○しなきゃいけないんですか」
 ○「すいません、私でできるでしょうか(いいんでしょうか)」
 ○「あの、ちょっといいですか、○○をどうして私に…」

(ま、基本的には仕事で何故自分がって疑問は禁忌だけど)


井戸端会議で
 ×「○○ってなに?」
 ○「ねぇねぇ、ちょっといいかな、○○ってなんのこと」


まあ、いろいろあるが、具体的なケースがなかなか思いつかないのでこの辺にしておこう。



相手(定型発達者)に無用な感情を抱かせない質問のしかたを憶えておくことだ。


定型発達者が角を立てずに「疑問」をぶつけている場面に聞き耳を立てていると、段々そのこつがわかってくるはずだ。



とりあえずは「ダイレクトな疑問文」は避けておく方が賢明だし、


同様に、


「畳みかけるように何度も連続で質問をする」というのは相手に無用な感情(怒っているのではという疑念…ひどいときは恐怖)を起こさせることになるということである。



さて、2回にわたって分析してみたが、具体例が乏しいのは否めない。
具体例があればもうちょっとわかりやすく解説できると思うのだが…




そこで、当事者の皆さんにご協力のお願いです。

「突然相手が怒りだした」
「質問しているうちに会話がちぐはぐになった」

などの例があれば、できればコメント欄にいただけないでしょうか?
記事にして、分析してみたいと思うのです。
よろしくお願いします


あ、もちろんその他のコメントも歓迎です!





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コメント

はじめまして。
主旨とずれてないといいのですが・・・
仕事をしていたときに体験したことを思い出したので書いてみます。
ある専門知識を持つことが必要な仕事でした。
その仕事は、だれでも最初は人に教えてもらわなければいけない仕事ではありましたが、私は細かいところまで納得いくまで聞かなければおさまりがつかないので、それが原因か、どうもうっとうしがられていたようでした。
あとから思うに、相手の人が忙しくてもお構いなしに、質問していたのがいけなかったのかなと思います。
相手の状況、(今教える余裕があるかとか、忙しくないかとか、)そういうことを考えた上で質問しないといけないんだなと思いました。
それと、質問しても、相手の人はそこまで考えたことがなくて、答えられないような難しいことを聞いてしまうことも多かったのです。
だから、わからないことを聞かれるということへの恐怖というか、いやな気持ちもあったのではないかな、と思います。
その、私を煙たがった人たちも、その後私が自分で一生懸命努力して勉強して、こちらのほうが知識を持つようになると、逆に、教えてといって甘えて聞いてくるようになり、まったく態度が変わりました。
わからないことを聞かれると、うっとうしくなるというのもあるのかな、と思いました。
その仕事の場合は、細かいところまできちんとした知識がなければいけないものでしたので、アスペルガー的な資質は、あるいみではよかったのだと思います。ただ、仕事を覚えるまではつらかったですが。
やはり、必要なのは、相手の状況への配慮と、あと、多少迷惑をかけても許してもらえるような関係を作っておくことかな、とあとからおもいました。(ほかの面で、こちらが相手にとって助けになるようなことをしていて、持ちつ持たれつの関係であれば、多少迷惑をかけてしまうことがあってもある程度大目にみてもらえるような・・・・)

長々とすみません。
あるある
知らないなら「知らない」と言ってくれればいいのに、話が別な方向に流れていくことがあります。

知らないことを非難されると思っているのでしょうか?どういう仕組みか分からなくても出来ることなんて世の中にはたくさんあるし、知らないこと自体を非難するつもりなんて無く、知っているなら教えてほしいだけなのですが…

あ、「知っているなら教えてほしい」と頭につければいいのかな?
これはよく分かる話ですね。

疑問形の分化という今回の記事の
テーマとは少し違うかもしれませんが
広汎性発達障害者の会話の捉え方
と健常者の行っている会話の役割の
間には根本的なズレがあるように思
えます。

健常者にとっては会話の辻褄などさほど
重要でない、それどころか会話の内容
自体には実は意味など存在しないので
はないかとさえ思える時があります。

観察していると大事なのは呼吸、リズム、
タイミング、流れなどで言葉が川の流れの
ようにスムーズに流れて、同じリズムの中
でみんなが一体となっている事が最も重要
でそれを妨げたり途中で流れをぶった切ら
れる事を最も嫌う傾向にあるようです。

アスペルガー症候群の場合会話というもの
は言葉の意味が全てであり、それ以外の
リズム、タイミング、呼吸、流れというもの
が全く存在しないし感知もできないようです。

ですから会話を「話される言葉の意味」と
してだけ捉えられず、その内容に矛盾など
があればその矛盾を指摘して矛盾を正そう
とする訳ですが、健常者の場合、そもそも
会話の本当の目的は息が抜ける事、スム
ーズに流れる事、テンポが合っている事な
どで会話内容などはついでの事に過ぎず、
その為にアスペルガー症候群の行為は会
話の流れを乱し、テンポを狂わせ、一つに
なっていた場のリズムを壊す存在として
嫌われるようです。

そう考えるとアスペルガー症候群の人間は
その「会話の内容」に矛盾があると会話が
成立しない為、「おかしい」「それは辻褄が
合わない」といつまでも指摘して、周囲から
「こいつは一体何なんだ!」と思われる事に
なってしまうのも当然なのかもしれません。

さらにアスペルガー症候群の人間が健常者
にとっては何の意味もない事に対していつま
でもいつまでもしつこく聞いてくる事で「何か
自分に含む事でもあるのか?」「私が嫌いで
嫌がらせをしているのか?」などと誤解する
場合も出てくるようです。

アスペルガー症候群は事実を正確に伝える
業務連絡や理論を展開し理論の意味が最も
重要な論文などを書くという意味での言葉の
使用は可能だが健常者が通常行うような会
話は出来ない存在なのだと理解するのは困
難な為、このような誤解が生じてしまうので
しょう。

先の記事で挙げられていた「悪口」について
も健常者にとっては話してる内容に意味など
はなくただ息を抜いているだけなのだと最近
分かるようになってきました。

しかし、息抜きの為には当然話相手が必要
であり、その相手がアスペルガー症候群で
あった場合、それが何の意味もないただの
息抜きである事が理解できず、苦痛としか
感じられないかもしれません。

これが健常者同士であれば「うんうん、そう
だね」などと相槌が自然に出てきて会話が
成立する事になるようです。

会話内容には意味がなく呼吸とリズムと
タイミングが合う事に最も大きな意味があ
るところに健常者の会話の妙があり、話し
ている会話の辻褄が合っている事が全て
であるアスペルガー症候群とは、会話の
捉え方が根本的に異なるのだと思います。

私個人の対策としては疑問が生じても
我慢して流しますね。

私にとって会話とは言葉の意味が全てで
意味が把握できなかったり内容に矛盾が
あるとどうしても疑問を解消したり矛盾を
指摘したりしてしまいそうになるのですが

「日常会話は仕事の業務連絡と全然違うもの
で会話内容に疑問があったり辻褄の合わない
ところがあってもそれは話相手にとってはどう
でもいい事なんだ」

と言い聞かせています。
教えて下さい
自分は一般の人よりは、子どもの自閉症(児)と接する機会が多少あるので、アスペルガー者のことも知りたい気持ちが強くあります。

前回、今回の記事やコメントを見ると「会話」に対し自分の中では何となくアスペルガー者の会話=NHKの討論番組

定型者の会話=民法のお笑い番組とイメージしてしまうのですが、
ここで3つ質問させて下さい。

1.お笑い番組を見て楽しさと違和感と、どちらが大きいですか?

2.アスペルガーの方は非定型者と定型者の違いを列挙し分けたがってる気がするのですが同じ部分を見つけて
同じ人間同士と捉える記事が少ないのは何故でしょう?

3.アスペルガー者同士でなら会話に疲れずスムーズに行くのですか?

もし失礼な質問でしたらスミマセン

答えたくない場合は答えなくても結構です
マルマルです「ダイレクト過ぎて・・・」
私のアスペの友人(男性)も、会話現場に「ダイレクトな質問」による会話事故をよく起こしています。

takkantさんのおっしゃる通り、会話にはどんなに短くても、リズム・タイミング・呼吸・流れが発生していて、それは世間話や無駄話の類には、話の内容よりそれらだけで会話が成り立ってると言えるでしょう。

■アスペの友人は「唐突」です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「へぇ~、それでそれで?」と、複数の輪の中で話がノってきたところで、突然
「でも、さっきの言葉はおかしくないですか?」
「先ほど言った意味はどういうことですか?」
と、質問をダイレクトに差し込みます。
すると周囲は「何なの、突然」と眉をひそめます。

それはまるで、学校の授業中、先生の説明途中に「ハイ」と手を上げ「そこ解りません」と訴えている小学生みたいな感じがします。

周囲の空気が止まった時、私は彼に、彼の疑問に対して説明をします。
「あー、そういうことですか。僕はまた、こういう意味かとか、ああ言う意味かとか、いろいろ思ってしまったんですよ。あ・・どうぞ続きを話して下さい」

「もう・・いい。なんだかしらけちゃった」
彼の止めた話の時間と流れは、もう流れる事はありません。

ですから、私は彼に「質問があったら、話が終わってから別の場所で個人的に聞き直すといいよ」と告げます。

「そうですね、そうします」と彼は素直ですが、翌日には同じ事の繰り返しです。
でも、次第に周囲が慣れて来て、彼が質問しそうになったら間髪「後で」と制するようになりました。

■アスペの友人の質問の質がわかりにくいです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話の流れを止めてまで聞くにしては
「どーでも良いことじゃないの?」
「なんで、そんな部分にこだわるの?」
という、枝葉末端、単なる語句、に質問するからです。
「会話の流れを聞いていたら解ることじゃないの?」
「最後まで聞かないからだよ」
と文句を言われています。

■アスペの友人は「出し抜け」に聞きます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「どうして急いでいたのに近道を通らなかったのでしょうね?」
「はぁ・・?・・何の話?」
「先週のA君の遅刻のことですよ」
「出し抜けに、過去の話されたって解んないよ」

私は「あなたの心の中の疑問を口に出す前に、どういうふうに聞こうか、というワンテンポは無いの?」
と質問すると
「気がついたら、言っちゃってる」
という事でした。

枕詞というか接続詞というか前置詞というか・・・「自分の質問を相手に届ける前の言葉」を工夫してもらえると
良いんですけどねぇ。

■アスペの友人の質問は熱心過ぎる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

サラリと聞いて終わり。とはならなくて、「でも」とか「では」とか言い出して、質疑応答というより、討論に発展し「もう!・・何を話していたか解らなくなったじゃないか」という会話の渋滞事故に巻き込まれます。
それは、まるで「あなたの言っていることは気に入らないなぁ、僕は徹底的に追及しますよ」とムキになっているように見えます。
「まぁまぁ、落ち着いて」「落ち着いてますよ僕は!」「そんなにムキにならず」「僕は聞いているだけですよ」・・・彼は自分の熱心さに気がついていないようです。

ですから・・・これは解決策になるかどうか解りませんが
「自分はささいなことでも、こだわる癖があるので、ちょっと目についた時は、注意してね」などと、あらかじめ自己紹介しておく。
というのは、いかがでしょうか?



>観察していると大事なのは呼吸、リズム、
タイミング、流れなどで言葉が川の流れの
ようにスムーズに流れて、同じリズムの中
でみんなが一体となっている事が最も重要
でそれを妨げたり途中で流れをぶった切ら
れる事を最も嫌う傾向にあるようです。

目からウロコです・・

乳児と、添い寝している母親はいつの間にか呼吸のリズムが同調・シンクロする”引き込み”という現象が起こる、だから乳児がオムツが濡れて気持ち悪くなったり、お腹がすいて覚醒したりして呼吸のリズムが変わると、母親が目を覚まして半覚醒状態でオムツを替えたり授乳できるという話を聞いたことがあります。父親は同調しないそうで、だから目を覚まさないらしいです。これで後で揉めるのはいずこも同じらしいですが・・

定型発達者は、これをお互いに乳児期をはるかに過ぎてもやっているのか。成人同士で。たしかに乳児期は甘美な時期ですからね、フロイト的に言えば快楽原則だけの時期だ。
女の方が世間話や井戸端会議が好き、得意なのも、同調・シンクロ能力が男より高いためなのか!?
それで、横並び意識=同調・シンクロ選好が強いのか?!

シンクロナイズド・スイミングの人数だと美しさを強く感じますが、マスゲームのような大人数だと不気味さも合わせて感じますよね。基礎が乳児と母親だから、規模が大きすぎる。

民族音楽の世界では、王権など中央集権の政治社会体制を経験していないエスキモーなどの民族には、合唱とかオーケストラのような大人数で同じリズムで演奏する音楽はありません。彼らの民族音楽は、1~2人で歌い演奏するものばかりです。バリ島のケチャも、植民地支配をしたオランダ人が指導して造った、持ち込んだもの。強権的に権力が大人数を支配・同期させる社会経験が、同じリズムで大人数で演奏できる楽人を育てるのですね(一人納得)。あまりの大人数のマスゲームは、その背後に強大な強圧的権力を感じさせるのでしょうね。

YANBARU先生は、パートナーとの心理的距離・関係が受動型ASではへその緒で繋がっている母子関係といわれてます。積極特異型ASの私の心中を探ると、2.3ヶ月の乳児のようだとおもわれます。定型発達者は、世間話などで同調・シンクロして母子関係的な心理的距離・関係をつくり維持する。ASは、デフォルトにそうであると看做す。その必要性がわからないから、同調・シンクロするための行為をしない。これでは、定型発達者側から見れば、ASは必要不可欠な手続き、段階を踏んでいない無礼者ですね。トラブルはずだ、こりゃ。
Yさんへ
Yさん、はじめまして、ようこそ。
貴重な体験談ありがとうございます。

確かに「状況の見極め」は重要なんだと思います。

それ以上に気になったのは、
「知らない事を聞かれる」事への反応です。

アスペの友人やうちの息子などの場合、知らない事を聞いても「知らない」で済ませて感情的な影響はないように思いますが、(私の場合でもほいと「知らん、わからん」と簡単に答えます)
定型者の場合、知らない事を聞かれる事を嫌うような気がしますね。

そこに感情的な動きがあるような気はします。
RE:あるある
ズンドさん、こんにちは。

Yさんへのコメントにも書いたのですが、確かに「知らない事を聞かれる」事への抵抗は定型発達者にはあるような気がします。

で、思い出したのが「自己効力感」という言葉です。
(とうふさんのとこ:アスペルガー社会人のブログで話題になっていました。↓)
http://welladjust.exblog.jp/9842930/

定型発達者は「知らない事」を露呈することを「自己効力感が下がる」と意識下で認識し、それに対して無意識に抵抗を示すのではないかと…

マルマルです。「質問です」
「定型発達者は、知らない事を聞かれることへの抵抗感があるような気がする」
というご意見に「そうかなぁ?」と感じまして。

今までの、狸穴猫さんや皆さんの、視点や分析の鋭さと深さには、ホントに脱帽、感動の域だったものですから、もう少し、具体的に教えていただきたいなと思いました。

もちろん「知らない事を聞かれることに抵抗感」を持つ人も居るでしょうが
日常のほとんどの場面で「いや~知らなかった」「わかんない」と、抵抗無く言っているように思えるのです。

狸穴猫さんやズンドさんが、そのように感じるときは、
具体的にどういう場面なのでしょうか?

よかったら、教えて下さい。
またお邪魔します。ずうずうしくすみません。
とても興味深く皆さんのコメントを読ませていただき、なるほど、そうだったのか、と思いました。

「大事なのは呼吸、リズム、
タイミング、流れなどで言葉が川の流れの
ようにスムーズに流れて、同じリズムの中
でみんなが一体となっている事が最も重要 」
というのは、私も目からうろこです。
私の場合は、大切なのは、「相手の質問に、的確に的を得た答えを、なるべく相手が質問しなくてもいいように返してあげること」なのです。
だから、会話が何度も続くような答え方では申し訳ないのです。答え方がわかりにくかったということだと思えるので。
なるべく、会話が短くすむように、努力していました。それがいい答えだと思っていました。
それは、仕事などの報告ではいいのかもしれませんが、雑談はほんとに苦手なのは、そのためなんですね。
私がすべてのことばに対して真剣に答えているのは、相手への誠意のつもりだったのですが、それにより相手の人も、疲れてしまっていたと思います。
そして、長引けばこちらも疲れますし。
話の内容はある意味どうでもいい・・そう思うようにしてみると、これから少し気が楽かもです。

でも、どうでもいい会話は、どうしてしなくてはいけないんだろう・・・と思ってしまうのです。何のためなんだろうって、素直にほんとにそうおもってしまうのです。

ちなみに、
1.お笑い番組を見て楽しさと違和感と、どちらが大きいですか?

2.アスペルガーの方は非定型者と定型者の違いを列挙し分けたがってる気がするのですが同じ部分を見つけて
同じ人間同士と捉える記事が少ないのは何故でしょう?

3.アスペルガー者同士でなら会話に疲れずスムーズに行くのですか?

のご質問、ずうずうしく私も答えさせていただいてもよいでしょうか。
ほかの方がどうかはわからないのですが。
私の場合は、お笑いを見ても、面白いとは思えないのです。身棚行動に思えてしまうのです。決して馬鹿にするわけではなく。違和感があります。
はやっているギャグを見ても、『何のためにそれをやるの?』「どうしてそんな無駄な行動をとらないといけないのだろう・・・」と、これも疑問文ですが、批判しているわけではなく、ほんとに素直にそれがわからないのです。
2,3番は、よくわかりません。アスペルガーの概念を私は最近知ったばかりですので。すみません。
3について、周りで、そういう診断を受けているひとも知りませんが、私から見て、それっぽいナーと思える人がいて、その人とは、おもったことをはっきりいってくれるので気もちよく、しゃべりやすくわかりやすく、一番気持ちも分かり合えます。
はっきりいわれたときに、傷つくときもありますが、悪気がないのは同類でよくわかるので、まあ許せます。
でも、アスペルガーという要素だけではなく、性格とかほかの要素もあるでしょうから、・・アスペルガーなら必ず気があうかといえば違うのかもナーと思いますが・・・
いかんせん、周りでそういう人を知らないのでよくわかりません。

あと、長くなりますが・・・、狸穴猫さま、私のコメントへのお答え、ありがとうございます。
知らないことをきかれて知らないということについて・・・自己効力感が下がる・・なるほど・・・そういう人もいそうだなと思いました。
あと、わたしが思ったのは、「知らない」と答えるのは冷たいのではないかという配慮みたいなものもあるのかな、とおもったことがあります。
私が、「しらない」とはっきり答えたときに、「つめたい」みたいなことをいわれたことがありますので。(私としては、自分のことを手短に正確に答えるのは、すごい誠意なんですけどね(汗)
友人が以前、私が答えたことについて「う~ん、どうなんだろうね~・?」と、結局わからないのだけど一緒に考えてくれるフリのような言葉をいっていたのを思い出し、そういうフりは、配慮なのかナーと思った記憶があります。

すみません。上のコメントで、誤字が・・・
「身棚行動」→「無駄な行動」でした。(汗)
マルマルです。「Rさんへ」
Rさんから狸穴猫さんへの質問に、口出しして失礼かもしれませんが、定型者の立場として述べさせて下さい。

Rさんの(質問2)
「非定型者と定型者の違いを列挙し、分けたがっているような気がする。同じ部分を見つけて、同じ人間として捉える部分が少ないような気がする」
というご意見は、多くの定型者側にこそ発信されるべき意見だと感じます。

アスペルガーの方のブログで取り上げられる「両者の違いの列挙」には、
・まずは知ることの大切さ
・知ることによって、認知や納得や対応の工夫
などが目的とされていると思います。

定型者著書の定型者向けの本にも、アスペルガーの方の特性、感覚、感性の違いの列挙があります。でも、その対応策と言えば「ですからどうぞ理解して上げて下さい」止まりです。
会話の「どの部分」「どの言葉」に、「どのような解釈や誤解」が生じているのか、などの日常に反映される具体的な列挙は少な過ぎて、実践に役立ちません。

日常の現場では、定型者の「あの人、変だよね」「普通こうなのに、アスペの人ってこうだよね」止まりばかりが目につきます。・・・私もその中の1人でした。

同じ人間同士で、同じ日本人で、同じ地域や学校や職場に居るもの同士なのになぜ「同じ人間として」理解も、許容もされないのか、と少数派の方が感じた時・・・その原因を、現場感覚で、ひとつひとつの場面から、問題定義して分析して理解する段階が生じます。その前提として、言葉ひとつでもクローズアップして、自分たちの感覚と、とらえかた、必要性の「違い」を見つめて、論じ合うことが絶対必要なことと思います。

なぜ「列挙して分ける」のか、それは「そうしたい」のではなく、「必要だから」そういう作業をしなくてはならないのだと思います。

私は、アスペルガーの方のブログを拝見して、初めてアスペルガーの方の、苦心や切実さを知りました。
私達、定型者の多くはアスペルガーの人に溶け込み、理解することに、苦心や切実どころか、関心も必要性も感じていないのではないでしょうか。

定型者1人で、アスペルガー100人の環境に入って行ったら、戸惑い、混乱し、まずは言葉ひとつのとらえかたの分析から始まるでしょう。
それは、コンパクトでも国語辞典ほどの量になるかも知れません。

でも、その辞書を携えれば、同じ人間同士として、もっとすんなりコミュニケーションがとれるのではないでしょうか。

その道中には、対立感情や被害者意識などさまざまな葛藤が生じて当然です。
本からは感じ取れない、生々しい感情や臨場感をともなってこそ、理解や共感が生まれると思います。

その先の先に、相互理解があると思います。

「同じ部分を見つけて、同じ人間同士として捉える」ことにたどりつく前に、私達定型者が日頃、無意識に使っている言葉や行動の意味や定義を、ちゃんと見直す最良の機会として、アスペルガーの方の感覚や視点や疑問をたくさん列挙してもらい、その違いを照らし合わせ、楽しい学びとさせてもらいましょうよ。

虎穴猫さんこの場お借りします
マルマルさん、コメント有難うございます。
言葉が足りなくて申し訳なかったです

違いを列挙する理由を含めマルマルさんの仰りたいことは充分わかった上での質問でした。
同じ人間と捉えることを訴えるべきは定型者達へこそと仰る気持ちは、おそらくマルマルさん以上にわかっていると・・・否、肌で感じていると思ってます

何故なら自閉症ではありませんが、知的障害のある我が子がいるからです。

身体的障害も含め多くの当事者や家族は差別や可哀相的同情を受けた経験から、出来ないことの違いや大きさはあれど「同じ人間」をわかってもらいたい方が大きいんですよね。
なので勿論「違い」を知ることの重要性はわかるのですが「それのみ」で平行して「同じ」を訴える記事が少ないことに純粋に疑問をもったわけです。

ですが群れが苦手な方々とのことで「同じ」部類に入らずとも感情的に問題がないのかとも思ったりもしています。

そもそも健常者の範囲を基準に「違い」としてるわけでAS者中心に考えたら定型者が障害者になるわけで、その辺も仰りたいことは良くわかりますよ。

同じ人間を訴えるのは寧ろ定型者側へとのご意見、因みに自分は健常者側へは言葉として「こうだから」とは発信しませんが普段の生活で触れ合いを多くし理屈でなく感じて貰ってるし感じてくれてますよ。

充分わかっているつもりがご指摘を頂いた形になり悲しかったですが、それはアスペルガー者に対し自分の文章に優しさが感じられなかったからでしょうね。
AS者の皆さん不愉快な思いをさせてたならすみません。

Yさん、3つの質問に純粋に答えて頂いて有難うございます。

定型者にもお笑いは興味なしと思う方もいるのでAS者の方々にも個人差はあるかも知れませんが、Yさんの感じ方は良くわかりました。

理解というとおこがましいですが、コメント頂き交流出来て嬉しかったです。
takkantさんへ
定型発達者の日常会話、世間話、確かにおっしゃるとおりだと思います。

流すのに慣れるのが重要ですね。
RE:教えて下さい
R(アール)さんこんにちは。

なかなかおもしろい質問ですねえ。
回答してみましょう。

>1.お笑い番組を見て楽しさと違和感と、どちらが大きいですか?

私の場合はお笑い番組は音声過敏があるので見ているのが辛いです。人の声が重なり合うような感じがあると頭がぼーっとしてしまうので。

そのため、楽しさ対違和感という対立構造でくくれません。

好きなのはドキュメンタリー番組、旅番組などですね。


>2.アスペルガーの方は非定型者と定型者の違いを列挙し分けたがってる気がするのですが同じ部分を見つけて
同じ人間同士と捉える記事が少ないのは何故でしょう?

「同じだと思っていたのになぜか違和感がある」という場合が多いからなのではないでしょうか。

それと、定型者にあわせさえすれば「同じ人間とみなされない」ことはないということがあるのではと思います。

何より、違和感の正体を明らかにしないと定型発達者主体の社会で生きていくのが辛いというのが大きいです。

ある面「見た目同じに見える」ことのほうが問題なんです。

>3.アスペルガー者同士でなら会話に疲れずスムーズに行くのですか?

これは障害の程度によってまちまちだと思います。特にコミュニケーション障害の強い人の場合、会話自体がうまく成立しないこともままあります。

ただ、自助会などに参加した感覚では「共感」できる事は多いですよ。

こんなところでしょうか。
RE:マルマルです「ダイレクト過ぎて・・・」
マルマルさん、こんにちは。ダイレクトな質問の例、ありがとうございます。

会話事故…言い得て妙です。

気になったのは「熱心すぎる」というタイプの会話事故ですね。

単に気になることが頭から離れないのでそこを解消しようとして質問しているというのが当事者的には本当のところだと思います。

そこが気に入らないから追求しているように定型発達者には見えてしまうんですねえ。

ある面、アスペの会話というのは討論的であると思います。

実はうちでの会話がそうですから。
かといって横っちょに話題がそれて流れていくのはそんなに気になってないんですけどね。

そう言った事を考えると、軽い話題でのアスペルガー的会話の流れと定型発達者的会話の流れが異なるという感じもします。
ヒゲ達磨さんへ
ヒゲ達磨さん、こんにちは。

私はややフロイト的な解釈の多いやんばる先生の解釈には多少疑問を抱いていますが…

ヒゲ達磨さんのおっしゃる「手続き」というのは、確かに重要な視点であると思います。

ただ、その手続きが定型発達者では「表情のやりとり」などでごく自然になされるもので、これをアスペルガー者が真似するのは難しいのではと思います。

「終始笑顔」&「相づち、うなずきの多用」&「質問は深追いしない」などで「事故」は減らせるものと思いますが。
Yさんへ
>でも、どうでもいい会話は、どうしてしなくて
>はいけないんだろう・・・と思ってしまうので
>す。何のためなんだろうって、素直にほんと
>にそうおもってしまうのです。

この答えになるかどうかは分かりませんが
三木茂夫という人が語っていた事につい
て取り上げている文章をネットで見かけた
ので、それを引用させて頂きます。

『人の心は息にあると言います。

息苦しい 息切れ 息詰まる 息抜き 
自分の心と書いて息と読むのです。

緊張したとき人は息をしていない。
それを息詰まりといいます。そのとき
深呼吸するとこころが晴れる、息が抜
けたのです。息が合うとはこころが通じ
るともいえます。

われわれ 日本人はこころはどこにある
のかと問うと 脳の中にあると言うか胸を
指してここにあるいいますが、息遣いが
こころの状態だったのです。

そのこころが息つくことなく詰まり続けて
いるのが今の現状ではないでしょうか』

どうでもいい会話というのは言わばお皿
のようなもので実際にやり取りされてい
るのはそのお皿の上に乗っている「こころ」
なのです。

会話の話題などは「こころの交流」の為のただ
のキッカケに過ぎないし、交わされる言葉など
は呼吸、こころを乗せるただの器に過ぎない。

井戸端会議の会話内容など本当にどうでも
いい内容ですが、こころのやり取りをするの
なら別にそれでいいのです。

「気が合う」「気は心」という言葉がある
ようにここで要となるのは「間」であり
頷き、笑いなどの「合いの手」が絶妙の
間で入る事で詰まっていた息がが抜ける
、すなわち心が晴れる。

仕事中にしんどそうな相手がいたら後ろから
「ポン」と肩を叩いて声かけをしてあげるなど
もそれと同じようなものです。

息・・・すなわち心が詰まってる時に絶妙
の間で肩を「ポン」と叩かれると相手はその
合いの手に「ハッ」として息が抜け・・心が晴
れて楽になる。

こういった呼吸と呼吸、心と心のやりとり
こそが会話の本質であり、その積み重ね
が人々の日々の生活なのです。

それなのにこの呼吸の間を無視して一々
言葉の意味に対して質問などされたら、
本来の呼吸、こころの交流がぶち壊され
てしまい場は白けてしまう事になるでしょう。

呼吸の間を無視した質問が一つされる度
に場の呼吸は・・・みんなの「こころ」はどん
どん息詰まっていってしまいます。

みんなが「こころ」という料理を味わってる
時にただ1人、みんなにとってはどうでもい
い「言葉というお皿」の持ち方の事で一々
あれこれ聞いてきたり、皿の持ち方が間違
ってると指摘してきたりして、みんなにとって
一番大事な「こころ」を味わうという事を妨げる
のですから当然です。

そんな事してくる相手に一々答えるのは
わずらわしくて仕方が無い。

奥歯に何かが挟まっているような不快感
を抱く人もいるかもしれません。

それでもしつこく聞いてこられたり、間違い
を指摘してきたりされれば終いには怒り出
す事になるでしょう。

ここまで来るともう嫌がらせをしてるとしか
思えないからです。

こういった心の交流を邪魔しない事こそが
日常会話の秘訣なのですが、そもそも
アスペルガー症候群の場合、その「間」も
場の「呼吸」も全く感知できない。

これはすなわち相手の「こころ」を感知でき
ないという事です。

そして感知できるのは言葉の意味だけです。

ですから怒り出した人間を見てもなぜ怒って
るのか理解できない。

「分からない事があったので聞いたら怒られた」
「間違いを指摘したら怒り出した」

言葉しか捉えられなければ、そのようにしか
思えないのです。

健常者とアスペルガー症候群の人間の間
にはコミニケーションを行ううえでこれほどの
隔たりがあるのです。

ついでですからR(アール)さんの質問にも
私なりの考えを述べてみます。

アスペルガー症候群の人にとっての言葉
とはプログラミング言語のようなものかも
知れませんね。

「構造があり、意味があり、機能があるもの
で何かの事実や結論を導き出す為に使用
されるもの」

ですから内容自体には何の意味も無い
雑談などをする意味がそもそも分からない。

また僅かな誤謬や不明瞭も無くし明確に
しなければ気が済まず、その事が何より
も優先される。

さらに1から10まで全て言葉で指示しなけ
ればならないというのもそれがプログラミン
グ言語であれば当然の事です。

そしてこのような「エラーが一切ない事が
最も正しい」プログラミング言語のような
やりとりがアスペルガー症候群にとって
の会話だと考えればその行動は至極真
っ当なものと言えます。

(ですからアスペルガー症候群の人と
プログラマーという職業との非常で親和
性は高いと思えます。また研究室などに
こもってひたすら研究に没頭し理論を追
及していくような仕事で本領を発揮する
事でしょう。)

なぜアスペルガー症候群の人間が会話
をプログラミング言語のように捉えてしま
うのかに関しては、冒頭の話に繋がって
いく事になるのでしょう。

そしてそういう性質の人間にとっては

お笑い番組など「馬鹿なことをやって
ヒステリックにキャーキャー騒いでる」
くらいにしか見えず「何でこんな意味の
ない事をやってるんだ?訳が分からな
い」といった感じで見続けるのが苦痛
で仕方がないのではないでしょうか。

そして何故違いばかりを指摘するのか?

それはアスペルガー症候群を初めとした
広汎性発達障害に対する健常者の誤解
の大部分は全く逆説的ながら

「あの人と私は同じ人間だ」

と健常者の方々がちゃんと考えてくれて
いるからこそ生じているものだからです。

本来、アスペルガー症候群の人間の行為
には一切悪意はありません。

しかし「あの人と私は同じ人間だ」と考える
事で

「同じ人間なんだからああいう事をするのは
こういう心理が働いてるんだ」

という捉え方をして、その結果

「悪意がある」
「嫌がらせをしている」

などと判断されてしまうのです。

ですからまずは

「同じ人間だがその性質には天と地の
開きがある」

という事を健常者の方々に理解してもらう
必要があり、その事から「両者の性質が
どれだけかけ離れている」のかを指摘
しているのです。

正直言って広汎性発達障害の場合、知的
障害や身体障害とは健常者から受ける
「偏見」や「誤解」の質が異なっている為に
このようなアプローチになってしまうのです。
RE:マルマルです。「質問です」
具体的といわれるとちょっとこまるんですが…

実用、実務知識に関する質問、
理由の分析に関する質問

などが揚げられるのではないでしょうか。

つまり

「え~しらなかった」
「わかんないよね~」

と反応できる質問では定型発達者の方もあまり気にされる事はないようだと感じます。

ですが、

「ごめん、知らないんだ」
「ごめん、わからないよ」

と答えざるを得ない質問が多くなると定型発達者の方は段々不機嫌になってくるような気がします。

なんで「ごめん」をいちいちつけるのか、アスペルガー者としてはイマイチ腑に落ちない部分ではありますが、

逆の立場で「ごめん」をつけないと、何となく関係が悪化するというのは感じますね。

ちなみに、外に出ると「ごめん」をつけますが、うちの中(アスペルガーだらけ)では、「知らない、調べれば」「わからん」というようなある面ダイレクトな会話が成立してしまいます。

マルマルです。「ちょっと感動しました」
定型発達者の「質問への不機嫌」のお返事、よく解りました。
狸穴猫さんの、お見立て通りだと思います。
一般的に、自分の「自己効力感」に不足を感じると、つい、焦りや、プライド傷ついた、みたいな不機嫌さが出る場面は多いと思います。
いや~、まいったですね。
こういうところ、ガッチリ見られていること事態、定型発達者は思いもよらないことですから、
「あんた、そんなとこ良く見てたねー」と驚かれますよ。
立派な心理学講座ですね、もう。
それと、Yさんへの返信を読んで感じたことですが、やはり定型発達者側の定義や感覚をアスペルガーの方に伝えるのは、アスペルガーの方ご本人からが一番、伝わりやすいかなと思いました。
あの文面は、とても感動的な内容で心に染みました。
そして発信者が「自分たち側」の人であるということが、アスペルガーの方達にさらに良い効果を生み出すのでは、とも感じました。

私は、このブログのことを友人達に伝えています。
「私達に学びが多いから、是非見て」
「アスペルガー云々抜きでも、言葉や感覚に広がりが持てるから見て」
狸穴猫さんや皆さんの感性、感覚、分析力は、今、崩れかけている日本人のコミュニケーション力の根源を掘り起こす、ひとつの糧になると思います。

質問ひとつひとつが、定型発達者の自己への気づきにつながると思います。
「こんな簡単な、当たり前のこともわからんのか」という人に「では、説明して」と言うと
「う~ん、・・・・・」ほとんどの人がうまく説明できないと思います。
「説明できないなら、えらそうに言うべきでない」ということです。

当たり前のことが、実は最も難しく、見つめると奥も広がりもあるんだなぁ、ということを教えていただいています。
小・中学校で「相づち」の意味や役割や定義をとりあげるような授業があれば良いなぁと思います。

こだわり派には納得を。
感覚派には説明能力を。
子供のうちから、誰をもつなぐコミュニケーションの鍵を持たせられたらなぁと思いました。

追伸: Rさんの立場も知らず、一方的な意見を申しまして、すみませんでした。Rさんの、お子さんを通じての視野の広がりを尊重すべきでした。







諸々について
「自己効力感」教えていただいてありがとうございます!リンク先のblog見ました。
が、よく分かりませんでした。いまいち実感が無い感じです。

それは僕が特殊だからかもしれません。
・他の人にお願いしたことが出来ないと…あきらめるのは早い。
・この人に頼んでもだめだ、説明に時間をかける位なら自分でやったほうが早いと思う。
・そして自分で(自分のこだわり達成を)やろうと努力する。

こういう人は、自己効力感は高いのか低いのか…というのが現在の感想です。

コメント欄を含めてもう一度よく読みこんでみます。



料理とお皿の話、面白かったです。
このたとえ話を少し発展させてみます。

<仮定>
A. 定型者は料理を重視する。
B. AS者は皿(器)を重視する。

Bはありえないでしょうか?
次の文で仮定Bを補強しておきます。
「器や食べ方、様式がきっちりしないと何を食べてもおいしくないと感じる」のがB。

A+(極論):何によそってあっても料理がおいしければいい。地面に散らばっている料理でもおいしい。

B+(極論):器がよければ何でもおいしい。すばらしい器に入っていれば石ころでもおいしい。

A+、B+共に双方の立場でも受け入れられない設定だと思います。

目指しましょう。
すばらしい器で、すばらしい料理を皆で食べる日を。

…なんちゃって(^^;
書いた直後で申し訳ないですが、先ほどの仮定には問題があるのではないかと…気づいてしまいました。

先の仮定のように、対立軸が2本なら双方がプラスになる象限を目指せばいいのですが、もしそうであればこの様に苦労することは無いので、現実は1本の対立軸のような気がします。

<仮定2>
定型:温度が低いと育たない植物
AS:温度が高いと育たない植物

中間の温度だとどちらの植物も苦しくて育ちにくい…


実際はもっと複雑で、両者同じ点も多いとはおもいますが、やはり何かしら対立する軸があるように思えます。

そして今回も前向きな一言で締めます。

両方の植物、育つことの出来る温度の幅を広げよう!

…なんちゃって(^^;
takkantさん
詳しいごせつめいありがとうございます。
理屈としてはわかってはいたのですが、感覚として理解ができないので、感覚としての疑問が消えることはないのです・・・・・
(きっとそれは、定型の方がこちらを見るときにも同じでしょうね。理屈としてはわかっても実感としてお互いに理解することはないのでしょう・・・)
でも、そのご説明は、まさに流れるような、わかりやすく芸術的な感じで、すごいなあと思いながら読ませていただきました。ありがとうございました。

あと、ズンドさんのたとえも、なるほどなー面白いナーと思いました。
定型の人と同時に幸せになれる方法、ないわけでもないとおもっています。
たとえば、私は、会話によって雰囲気を作り出すのは苦手ですが、芸術とかきれいなものを見たときの感動とか、そういうもので、定型の人と分かち合える喜びでつながっています。
なので、定型の方の中でも、芸術的感覚のある方とは、同じ言語がある感覚なのです。
自然が好きな方と、夕焼けとか、お花とか、きれいな自然を見たときの喜びも分かち合えます。心がジーンとしびれます。

それと、黙っていても『感じる』という方法で、その人の発する気みたいなのはわかります。
「つらそうな人に、肩をぽんとたたいて・・・」、というお話が上でありましたが、相手が元気がないとき、うまい言葉がいえなくても笑顔で励ましてあげるとか、そういうこともやってきていたなーと思いました。
このブログで参加させていただいて、なるほど、と思えることがいろいろあって、今まで散らばっていた破片がつながった感じで、自分のことが理解ができて、私の中でひそかにこれからの行動とかの指針ができた気がして、感謝しています。
ですが、もともと言語でのかかわりが非常に疲れるため・・・・・、今までがんばってコメントと書いてきましたが、これくらいで、姿を潜めて休憩しようと思います。
みなさん、ありがとうございました。又時々読ませていただきます。
狸穴猫さんも、ありがとうございました。突然現れてたくさんコメントして、ご迷惑でなかったらよいのですが。

R(アール)さん、私は、不愉快とはまったく受け取ってませんでした。理解しようとして単純に率直に聞いてくださっているんだと受け止めていましたヨ。ありがとうございました。
RE:諸々について
「自己効力感」については基本的に「定型発達者」についてのみいえる概念のような気がします。

わからない、知らない…ということが、アスペルガーの人間には抵抗が少ないと思うんですね。

他に与える影響についてもアスペの人間は同様にあまり気にしていない(気にしなさ過ぎかもしれないけど)

アスペの人間は自己効力感があがりにくいとするなら、いわゆる「自己効力感」自体に影響されにくいということがいえるかも知れません。

ぶっちゃけて言えば、やる気の出るポイントが「他人の言動・存在」に影響されにくいってところでしょう。
マルマルです。  「 !  」
ズンドさんの会話の定義
A+(極論)  B+(極論)を読んで、爆笑しました。
本当にその通りです。

定型発達者との会話は皿の中身。あんまり、地面に散らばったものばかりよそおうと「お里が知れる」と言われたりします。
アス君(私の友人)との会話は、時々「こんなもん、皿にのせるか?」というものをよそうので、びっくりされ「喰えねぇヤツだな」と言われた事もあります。

ズンドさんの例、おもしろいです。
良くわかりました
虎穴猫さん3つの質問への回答ありがとうございます。
番組はどう感じるか以前に音的に受け付けないという点があるのですね。
AS者同士での説明不要の共感から会話のトラブルが少ない事もわかりました。

そして虎穴猫さんと並んでtakkantさんへのコメントでもあるですが分析、なる程と理解できました。

自分は無理に疲れながら定型者へ合わせるのなら「あたなも私も同じ人間」の中、「色々違った人がいていい。いて当たり前」と認識された方が楽なのではと思ってましたが、そこへたどり着くまでに「見た目が同じ」から来る誤解やアスペルガーの言葉さえ知らない定型者が多いことから、まだまだ歴史的時間を要するのかも知れませんね。
ですが虎穴猫さんのブログやtakkantさんのコメントなど少しずつの積み重ねでいつか実を結ぶ為の過程を歩んでいるわけですね。

マルマルさん、こちらも勉強になりましたから、どうぞ気になさらずに。
Yさん、そう言って頂けてホッとします。
狸穴猫さんの健常者が「ごめんとつけるような質問が増えると・・・」という話は非常に興味深かったです。

個人的には質問すればするほど不機嫌になられるという経験はありましたが、「ごめん」が付くか付かないかにはあまり留意していませんでした。

これは恐らく健常者にとっては質問一つやり取りするのも相手との「関係性」が重視される事になるからなのではと私は考えます。

ネットで見ず知らずの人間に質問する場合や講演会での質疑応答で初対面の講演者に質問する場合は関係は発生しませんが、例えば職場で分からない事があって何かを聞こうとした場合

何故その人に聞くのか?

それは同僚であったり、上司であったり、先輩であったり同じ部署を担当していたりという「関係」が先にあり、その「関係」によってその人に聞く事になったという事です。

この時点ですでに「分からない事を聞く」という単純な話ではなく「相手との関係」が先にあり「相手との関係が円滑に行われるか」という話になってくる事になります。

「相手は自分が知っている事を期待して聞いているのだから、期待に応えて相手の作業の負担が軽くしてあげれれば今後も関係は円滑にいくし、知らなければ作業が滞り、失望されたり期待はずれだと思われたりして今後関係が円滑にいかなくなるかもしれない」

これはもう質疑応答という衣を被った「円滑な関係の維持」の話ですね。

そしてこれが上司や先輩であればなおさらです。

何故なら先輩は後輩より、上司は部下よりも能力的に高くて部下や後輩に分からない事があって聞かれた時には答えるられる事を当然の事として求められるからです。

しかしアスペルガー症候群の人間が分からない事を聞く場合、相手に対する「関係性」というものを持たない。

つまり相手には本当にただ分からない事を聞きたいだけ、0か1か、「知っているか」「知らないか」をただそれだけを純粋に聞いているだけで指向性としては100%質問内容に向いています。

対して健常者の場合、「この人なら知っているに違いないという期待」からその人に聞き、「自分に聞いてくれたその期待に応えてあげたいという願望」を持って相手に答えるという、質問一つのやりとりでも指向性としてはかなりの割合で「相手との関係」に傾いている事になります。

だから「ごめん」とつけるのは、

「(期待に答えられなくて)ごめん、知らないんだ」

という事なのだと私は解釈していました。

そして「ごめん、知らないんだ」という答える事が増えていくという事は、つまり期待に応えられない事が増えていくという事で、

「自分なら知ってるだろうと聞いてきてもし自分がそれを知らなかったらガッカリするのではないか?」

「せっかく自分に聞いてきてくれたのに期待に応えられなかった」

「答えられなかった事で自分が無能だと思われたんじゃないか?」

「自分がこれを知らなかった事でこの人は私に失望したのではないか?」

などの考えがその人の中で膨れ上がっていくのではないでしょうか。

簡単に言えば

分からない質問を一つされる度に

「あなたは無能だ、無能だ、無能だ、無能だ」

と言われ続けるようなもので、段々機嫌が悪くなるのも頷ける気がします。

しかしアスペルガー症候群の人間の質問というものは本当に100%純粋に質問であり、そのやり取りの中に「相手との関係性」など発生しない。

だからそこにあるのは「ごめん、知らないんだ」という言葉と段々不機嫌になっていく様子だけ。

質問と答えの間に「相手との関係性」などないのですから質問した返事になぜ「ごめん」が含まれているのか、何故段々不機嫌になっていくのか、理解できなくて当然でしょう。

これらをまとめると、

健常者の場合、質問のやりとり一つであってもその目は常に「相手との関係」に向いていて、質問のやりとりで助け合って仕事をやり遂げ、相手との関係がより円滑になる事が重視される。

対してアスペルガー症候群などの広汎性発達障害の人間の場合、質問のやりとりの中でその目は常に「質問内容」に向けられていて「分かったか分からないか」「0か1か」「YESかNOか」だけが全てであり、そこに相手との関係などは一切ない。

といったところでしょうか?

私の場合こういった事を主にテレビドラマや小説から学習し、「ごめん」とはこういう事なのだろうと自分の中で解釈していました。

しかしアスペルガー同士で話せば「知らない」の一言で済むのは非常に羨ましいと思いました。

私は自分以外の同じ障害の人間と会った事がなく、従って直接話をした事もないのでもし同じ障害も持った知り合いがいれば、こんな感じで一切お芝居する事なくシンプルなやりとりが出来るんだろうなと思いました。

健常者相手の場合、聞かれた時に「知らない」一言で済ませてしまうと期待し頼ってきた人間を非情にも「バン」と突き放しているように捉えられるようで、「冷たい」「自分を嫌っている」などと誤解される事が多いです。

(まあ私の場合、無表情なのがそれに拍車をかけているのかも知れませんが・・・)
定型のひとはミラクル
はじめまして
私は未診断なのですが、定型の人々の会話世界の複雑さとそれをこなしている姿にびっくりしています。私はすでに30歳を超えていて、アスペかも知れないと気づいたのが最近なので、30年間の対人スキルが丸ごと抜け落ちています。
”なんで、なんで?”もずっとやってきたし、自覚がない、自覚しても繰り返します。
いまどうしても就職しなければならず、こちらで勉強させていただいていますが、なんかもう難しすぎてムリかも・・・。しゃべらないしかないです。
浮きまくりの人生です。オーラ?がちがってるらしいです。世のため人のため、隠居もアリかなあ・・・とおもってます。
ちなみにお笑い大好きです。笑うと心の痛みや辛さが和らぎます。(私に関わる方々はもっと苦しんでおられるとはおもいますが)
ただ世の中ちょっとの違いで排除されるようになってる気がして、鬱や自殺が多いのそのせいなのかなあと。 (メイワクかけてる私が言うのもなんですが)もう細かいことはいいじゃん、死んじゃうよりはさ、って雰囲気に世の中ならんのか?などとニュース見るたび思います。テーマに沿ったコメじゃなくてごめんなさい。私はアスペだから話が飛ぶのでしょうかね。狸穴猫さんは、スキルがすごすぎでうらやましいです。私はkyなのでなにか失礼がありましたらごめんなさい。
はじめまして。去年の記事のようなのでコメントしていいか迷ったのですが・・・。
私は診断されてはいませんが、病院で~な傾向があるといわれたり自己診断をしてみたりして、少しそうゆうところがあるなと思っている感じです。
高校生でうつで自分探し中です。
えーと
私はイライラして家族とケンカしてしまうことがあるのですが、とにかくKYで気が利かなくて要領が悪いらしく、すぐ怒られていると勘違いしたりしてしまいます。
よくあるのが、ケンカしているときに話が最初に言っていることと違うことになったりするとどっちだと思って考えれば良いかわからないので相手に質問します。でも親はそれは揚げ足を取っていると思うらしいです。
確かにそうかもしれないし自分もやられたら嫌かも知れないけれどそのときはまったく悪気もないし、わからなければ話が出来ないと思います。
わかんないまま適当なことをいってしまうと後で嘘つきになってしまいます。
でも何度も聞き返したりすると反抗していると学校の先生や友達にも思われてしまいます。
今私は自分のKYとコミュニケーション力のなさをどうすれば解決できるかと思い色々調べているうちにこのブログを読ませていただいているところです。
では失礼しました。
疑問形は非難?
このブログはそもそもアスペルガーの人と定型人の違い、定型人に対してどう対応するかについて書かれているようですが、ここに書かれている苦労は定型人も同じです。決して、無意識に楽にこなしているわけではないし、自分には悪意はないのに変に言葉尻を取られて、相手がなぜか怒り出したり、あるいは、無視したりすることもしばしば。

「疑問文」=「依頼、または命令、時には、非難」は非常に深い話です。

確かに、「なぜ、しないの?」は、単純に理由を聞いている場合もあるけど、実は、「早くやれよ」の意味で使われることもありますね。

疑問文でも、「なぜ(あなたは)○○する/しないの?」という構文に限られるようです。

疑問文でも、「新宿駅にはどうやって行ったらいいんですか?」と尋ねられて怒る人はいませんから。

定型人もこれが単純な質問なのか、自分に依頼、命令、非難しているのか区別するのは、結構難しいしお互いに勘違いすることもしょっちゅうあります。また、立場が上のものが目下のものに言うと、かなりの場合、非難、命令になります。
ただ、これはやはり、日本人特有の婉曲、曖昧表現の部分もあると思います。

日本で会ったばかりの人に「そのうち、遊びに来てよ」というと、「うん、じゃあそのうちに」と言って別れますが、住所も連絡先も知らないので、お互いに本当に相手の家に行くつもりは全くありません。
私は、「ほんとに遊びに行くよ。俺には社交辞令は通用しないからね」と冗談めかして言います。
アメリカ人に「そのうち遊びに来てよ」といったら、「そのうちって、いつ?」と聞かれます。
じゃあ、アメリカ人は全員アスペルガーでしょうか?これは、やはり国民性と文化の部分が大きいと思います。
我々、定型人といわれている人種も、日本では苦労しています。
テレビ番組をみて、はじめてブログにきました。
50問テストをしたら、33点でした。
どうやったら相手が怒りださないかが生きている課題です。

整体の先生に、
なぜ、体を変な方向に動かしたんだ。
と言われ

先生の言う身体の動く方向がわかるのではないかと思ったんです。
と答えた。

次に予約をしようとしたら、一度紹介されて行ったその整体の先生の別の先生のところに行くようにといわれた。

それでも、先生にやってほしいからと予約をして、治療してもらったら、やたら短い時間で終わったような気がする。

うききさんへ
うききさん、こんにちは。

番組をごらんいただいたようで、
ありがとうございます。

怒らせやすい…、ありますねえ。
私も若い頃はけっこうやりました。

どうやら相手が「理由を聞く」ときは「理由を答えてはいけない場合」も多い
ということが分かったのが30代でした。

これからもよろしく!
定型の家族に説明できました!
疑問文ではありませんが
私の経験談です↓

聴覚過敏と耳鳴りで辛いことを訴えると、
家族は静かにしようと気遣っているのに責められてる気持ちになるんだそうです。

つまり、定型発達者にとっては
「黙って!」=なんで静かにできないわけ?音が辛いんだって言ってるじゃん!ほんとありえない!

すごい変換をされるものです。
私にとっては
「黙って!」=黙って!口をつぐんで?
自分の声も辛いので長く喋れないことで余計に誤解されてたようです。
分かってすっきりしました。
あ、疑問文もありましたっ(^◇^)
のんびりながら続投失礼しますm(_ _)m
子どもの時に理解出来なかった母の言葉を思い出したもので……

前記事にも書かれてました「なんで○○なの?」「なんでだろうね~」
アスペルガーじゃない母にとっては、“分からない、答えられない”という意思表示だったのだと思い当たりました!
そこでいつも会話は止められて……疑問文でまた返される理由が分からず、もやもやしてました。

定型発達者研究、私もはまりそうです!
はは
ダイレクトな質問て、駄目だったんですね(汗)
今、まさに入ったばかりの職場で、幼児のごとく「なぜ」「どうして」の質問してました。 「うわっ、この人私の事が嫌いなんだ。」と分かるほどの対応をしてくる人もいます。 会話の斬れ味は鈍い方が良いんですね。 面倒くさいです!!
分かって良かったです。まぁ、嫌われたって別に…という自分もいますが。
3年半後に拝読しています。
3年半後に読ませていただいてます。

このエントリを読んで、
私が夫の言動にいちいち傷つく理由がわかったような気がします。
夫は自分の思い通りにならないと、パニックを起こしたり、自分と違う意見を私が言うと、とことん言い含めようとするのですが、その言い方が、いかにも人をバカにしたようなものなのです。

今日から少し、この辺りに気をつけて、夫の言葉を聞いてみます。
彼に愛してると伝えると・・
彼に愛してるとささやくと「どうして?」と返ってくる。1・2度なら我慢出来ても、何度ささやいても応えは同じ・・「どうして?」 ・・・。「愛してる」⇒「僕も愛してるよ」なんて言葉は一生聞けないのでしょうね。「好きよ」に「何で?」の返答にいい加減苛立ち、好きと言いたくなくなりました・・。何で?が消極的なニュアンスを含むシチュエーションが判断出来ないのは分かりますが悲しくなってしまいます・・・。
はじめまして。
定形者、MAXでオコラセル、を最近しました。
私、週末里親をしていて、子供を養護施設から預かって、週末一緒にすごしています。
そこの保育士さんにやっちゃいました(>_<)
いつも連れて帰るのは19時半だったんですが
ある日

保育士「外泊して戻ってきた日の翌日朝、
起床時間の6時に子供が起きれないから
これかから施設には17時に戻してくれます?」

私「朝早く起きれないから17時に返すんですか?」

保育士「そうです。」

私「17時に返したからって早く起きれるとは思えないんですけど…?」

保育士「思えませんね。」

私「じゃあ、17時に返す意味がわからないですよ?」

保育士「私は子供のことを思って言ってるんです!
子供のことだけを考えて子供のためになるように…」

なにきれてんだろーなめ目の私。

その後、なぜ17時に返すのかと言う明確な理由を求めて各機関を歩き回ったことは言うまでもありません。
子供にもアスペ傾向があり切り替えの時間がいるので、就寝時間間際だと寝つきが悪く、朝起きれないとのことで納得したんですけど。
はじめからそう言えばいいのにね-
そんなこと言わなくても定形はわかりあえちゃうんですかねー

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『なんで?』の使い方について
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