定型発達者の迷惑性について

連載の途中だが、ちょっとストレスがたまったので発散してみる。


アスペルガー症候群者はしばしば定型発達者から「迷惑者」扱いされる。


が、正直なところ、定型発達者はアスペルガー者にとって結構迷惑な存在である。



協力という名目で色々振り回されるし、
表情筋を意識して使わないと勝手に人の気持ちを誤解するし、
(顔の筋肉が疲れるったらありゃしない)
聞きたくもない悪口は聞かされるし、
横並びの行動をしないとすぐ白い目で見るし。
(場合によっちゃすぐのけ者にするし。)
はっきりものを言わないので何言いたいのかわかりにくいし、
正直にものを言うとすぐ怒ったり落ち込んだりするし、
すぐ他人を巻き込みたがるし…
集団化すると手がつけられないし、



普段極力中立的な文章ばかり書いてますが、このくらいの事は結構思ってしまうんですわ。


きっかけは…


さっき、近所のおばちゃんに義姉の悪口聞かされてぶち切れてるんですが…


なんで私がこんなことで大事な時間つぶされなきゃならないのぉぉぉ?
義姉(Witherd)の悪口じゃ返答するのもいたく困るし…
あー迷惑。




ま、列挙したように定型発達者がアスペルガー者に「迷惑をかけている」部分も多分にあると思うのだが、それを口にすると袋だたきにあう危険がある。


2チャンネルあたりからの不愉快な来訪者も増えそうだ。


というわけで、今までずっと書かないで来たが、一度は本音を書いておきたい。
いいのかなあ、コンナ事書いて…と思わなくもないが、この際だから書いちゃおう。



とまあ、こんなこと時折考えながらも共存方法について模索しているわけです。



追記(蛇足とも言う):
「大人のアスペルガー症候群」を読んで腹が立っていたってのもこれ書いた原因の1つだと思う。
ネット上で「この手の話し」がほとんどない…なんかタブーみたいってのが気になっていたというのもあるな。







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コメント

はじめまして、くらまてんぐと申す大型運転手です、デジトラブログをいつも拝見させていただいております。狸穴猫さんが、アスペルガーについて書かれていたので立ち寄ってみました、全く僕も同感です。デジトラさんにもよろしく。
分かる(T▽T)
…分かります…。
いや、全部が分かるわけではないけど、とにかく
「聞きたくもない悪口」←とくにこれが!!

野生動物が縄で電柱につながれているかのように辛く、
おねがいはやく解放して~(T▽T) もうこれ以上注意の集中がききませーん
と思っていたり、
緊張で体がガチガチになっていたり…。
ASは興味もない悪口を聞くのには向きません。
(自分が嫌いな人の悪口を聞くのさえ苦痛だってのに)

それでとうとう我慢できずに、
縄をかみちぎって逃げてしまったりすることもあるし、
手を出そうとした人間の手をガブッと噛んでしまうこともあるし…orz
♯だから向いてないんですってば

「場合によっちゃすぐのけ者」「集団化すると手がつけられない」
もつらいですね…(- -;)
それを好む人ばっかりではないし、個人個人では良い人でも、
集団パワーの方向性によっては、そうなっちゃうんですよね…
アスペルガーに比べて、マイペース度がどうしても低いのだと思います。
よく分かります
私も、義母から近所の人や知り合いの人の悪口、息子娘の自慢話されて3年目でブチ切れて口きかなくなりました。
興味ない人の悪口を聞かされるのなんて誰だって嫌でしょ。定型うんぬん関係ないと思うけど。ただ世間には迷惑な人がいるというだけの話。迷惑かけたりかけられたりはお互い様,ってことでどうです?
んー、興味のない人の「悪口」はもちろんだけど、ただの「噂話」を聞かされるのが辛いなー。だから、ワイドショーのような感じが苦手。とにかく、どこが大切なところなのかわからない話が苦手。だから結局何なの?って話の腰をバキッと折ってしまう……か、無視(つまり、黙ってる)。

どちらの方法にも問題があるのは長年の経験でわかっているが、できないんだよね。
これは挑戦的な記事ですね。

でも。定型発達者がアスペルガー者に「迷惑をかけている」ことなんて、彼らは気がついていないだろうしねぇ。

そして、じゃあ、何も関わらずに無視して欲しいのかっていうと、そうじゃないんだよねー。
気持ちわかるなぁ。。。
表情筋動かしっぱなしで毎日クタクタやもん。

定型の人がアスペルガーの人に対して『迷惑』って散々言うけど、アスペルガーの人が定型の人に対して『迷惑』だって言ったら大概「~してあげたのに!!」って返って来ちゃう。。。

これほどしんどいことはないし、迷惑なことってないと思うのは私だけでしょうか?
定型特有の汚さ、何て言うか、本来の目的とは違う事で相手の了解や言葉の質を取っといて、嫌らしく小出しに要求を進めていき、気付いた時には断れない状況を作り出されて利用してくる。
定型らクソビッチファックじゃん!!

非定型には文句を言い放題なくせに少しでも自分達定型が言われるとエアーガンで撃たれたヤンキーどもが“ウォウォウォゥ!!??”といきり立つみたいに
ゲロ気持ち悪くざわつき集まって来て屁理屈や姑息な言葉の言い換えマジック。
最終的には思考停止して多数派の力をバックに発狂暴走火病に脅し強要。
しかも発狂暴走を指摘しても屁理屈や姑息な言葉の言い換えマジックで綺麗事や無意味なカオスに持ち込んでうやむやにして
結局自分らの在り方以外を絶対に認めたくないだけじゃん。
それは正に自分ら定型だけが人間であると思い上がった思考だ。
だから自分らが加害者だという事実も空気もそれだけ見事に見えません読みません理解しようとしません全力で逃げます。

これって田舎を田舎と言わせたくないだけの田舎者と同じ精神構造じゃん。

定型は汚さのタイプが特亜と同じだよ。
要はお互い理解できない関係
いくらか人前で話す仕事をしましたが、事前に集められた質問の類を見て思った事。

自閉の人が「1から10まで聞かないと分からない」と言うけれど、定型の人が自閉の事を理解するために結局「1から10まで聞かないと分からない」んだな、という事。
それこそ、「1+1=2、1+2=3」を習ったら「じゃあ1+3も教えてください」というような位、本質に踏み込んでいない上っ面の対処法しか質問しないんです。

「察する事が上手」だったら、何パターンか自閉の事を教えたら察してほしいくらいですが、察し上手なのは定型同士の中でだけだったんですね。

こないだ、障害児心理の大学教授との当事者会(ただの雑談会ともいう)で、当事者同士で「これってこれこれだよねー」と共感しあってたら、教授が「えー!そうなんだー?」とびっくりしてました。
専門家でも全て分かっている訳ではありませんね。
周りを味方につける力
悪口振られるのって返答に困りますよね。

狸穴猫さんが書いてるような「悪口」でいうと
「Aさんって嫌よね~」みたいな会話に「私は悪口は聞きたくありません」みたいに返してしまうと
「良い子ぶってる」「空気が読めない」みたいに思われてしまうし、
かといって共感風に返すと、
「のらさんがAさんの悪口言ってたのよー」と、いつのまにか悪口振られた人が最初に悪口言った人のように広まってしまうことがあるので、気が抜けません。

定型発達者の好感度の高い人は、悪口振られた時の返答の仕方も上手くて、悪口に付き合わないけど良い子ぶってるとも思われないような絶妙な返答をしていると思いました。

ところで、発達障害者も定型発達者にもどちらも迷惑な人間はいるけれど、迷惑な発達障害者はコミュニケーション力が低いので単独行動が多いけど、迷惑な定型発達者はコミュニケーション力が高いので、周りを味方につけて組織的に立ち回りますね。
被害に遭う場合どちらがより怖いかというと、私は、孤立しがちな「迷惑な発達障害者」よりも、周りを味方につけるのが巧みな「迷惑な定型発達者」から被害を受けるほうが怖いと思います。

発達障害者向けにコミュニケーションを教える教材に「ソーシャルスキルストーリー」というものがあるけれど、「迷惑な発達障害者が、善良な定型発達者に迷惑をかけないようにする方法」ばかりなので不満です。
「発達障害者が、攻撃的な定型発達者から被害を受けない方法を学ぶ」というソーシャルストーリーがあったら、役に立つ発達障害者はたくさんいるんじゃないかと思います。
全くですね。狸穴猫さんの勇気に拍手。昔京都に住んだ時、同じ日本語でも使い方が違うとカルチャーショックを受けました。定型さんもそうなんだと考えるようにしたら少し楽になりました。でも空気読みすぎで保身に走る卑怯さは好かん。(重大な社会問題の元)彼等に甘いと言われようとも。
大変興味深く読ませていただきました。

この手のことに触れているHPのアドレスをはらせていただきます。

脂ブログ(この方は自閉症ではありませんが、大変鋭い指摘でほぼ上記を同じようなことを述べています)

「心の学問の終焉」
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-291.html

「私の彼女の背中。背中しかない世界」
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-299.html

この二つのj記事のコメントでブログ主さんと自閉と定型の構造の違いについて私が投稿した文があります。



その通りですね~
いつも読み逃げすみません。
お互い迷惑って事、主張しちゃうと叩かれるのかな?やっぱり…
私は、定型発達者は別の生き物だと思って、やり過ごすようにしてます。

>「大人のアスペルガー症候群」を読んで腹が立っていたってのもこれ書いた原因の1つだと思う。

どんな本だろうと興味がわきましたが、読むのがこわい気もします。

狸穴猫さん
こんにちは
私も同じような経験をしているので分かります!
他人の悪口を言いたい人は、こちらにも一緒に悪口を言って貰いたがっている気がします。
巻き込まれたくないので、最近はそういう面倒な場面に出くわした時、話題を変えてしまいます。
テレビや新聞で話題になっている事等は無難な会話になるので重宝です。
過激ですねー
と思ったけど、よく考えると、その逆(定型→非定型)は普通に言われてることです^^;。
お互い様ですね。
うわさ話とかげ口は、きっと「社交」の一種なんだと思いますが、聞いていて辛いです。
「言外に、わたしには読み取れないようなポジティブな交流が成り立っているのね?」と思い込みたいくらい・・・(いや、ないない)。
こういうところは、定型に合わせて適応しなくてもいいんじゃないかと思ってしまいます。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
くらまてんぐさんへ
う…ドライバーさんって、アスペ率高いって亭主に聞いていたけど本当のようで…デジトラごひいきありがとうございます。
RE:分かる(T▽T)
桃里さん、こんにちは。
野生動物ですか…確かに話の腰は折りたくなるは(縄を食いちぎる)、批判したくなってくるは(噛みつく?)…

マイペース性が低いってのは納得がいきます。
RE:よく分かります
向日葵さん、こんにちは。
すごいですね、口きかなくなるまでいっちゃうのってある面勇気かもしれない。
でも、年中のことだと私もイヤになりそうです。
2008/11/11(Tue) 18:52名無しさんへ
多数派と少数派では数の関係があるので、お互いさまにならないところが辛いところです。
ちあきさんへ
で、話しの腰を折っちゃうとあとで、顰蹙かうんですよね。(裏で何言われているか…ってな状況にも)

ま、相手にしない(無言)ってのが一番かもしれません。

うわさ話も確かにしんどいなあ。

それにしても、書籍等で

「定型さんのうわさ話についていけなくて困っているアスペ」という像はでてきませんえ。

定型さんは「いい人」という前提でものが書かれているからしかたないのかな。


hatiさんへ
うふふ、挑戦的でしょう。

でも、炎上しないのでちょっとつまらないと思っているんです。

これだけ当事者のコメントがつくと定型さんはおそれをなしちゃうのかな。

ま、とにかく多数派には自覚はないですね。

特に共感性などに関しては自分たちの感覚を「人間として当然持つべきもの」として押しつけている感があると思います。

自閉さんの論理はすっこむしかない。

というのもなんなんで今回のような多分に挑発的な記事書いてみました。
悪口
一般的に「人の悪口」は、自分と相手を簡単につなぐ手段として有効とされているように感じます。
あまり親しくない相手にも、芸能人や有名人のスキャンダルの話題なら、簡単に相づちを得られるように、「悪口」「愚痴」というのは、挨拶の次に相手の反応や同調を得られやすいものなのです。これは、簡単なだけに誰もが使い過ぎていて、私も気持ちがゆるんでいるときは、つい「もう、やんなっちゃう上司がさ・・叔母がさ・・」と、惰性の会話として、誰かに不満を吐き出してしまってます。
アスペの私の友人に「苦痛?」と聞いたら「実はすっごくたいくつで苦痛かな」と言われました。
で、私も「あんたの、ストップをかけるまで続く趣味の話も、実はたいくつでつらい」と言いました。
「ふふっ・・ま、お互い様だね」と笑いました。
アスペの友人は「誰かへの不満を訴える」「私はあの人が嫌いという断言」はしても、悪口をコミュニケーションの手段にはしていないようです。
悪口に頼らなくて良い。
というのは、とても良いことだし正しいことだと思います。


奈良人さんへ
時折、定型さんの表情を見ていると、

毎日これだけ表情筋つかって疲れないのは筋力が強いせいだ。としか思えませんです。

アスペは筋緊張がよわいと言われるけど、表情筋もまた筋力弱いのかもしれません。

で、疲れるの承知で意図的に緊張させていないと「怒っている」と誤解してくれること、よくありますね。

それと確かに「○○してあげたのにぃ」はありますね。「押しつけている」自覚がないのが原因でしょうね。
きつねミクさんへ
きつねミクさんはじめまして。

え~、定型さんにキているのはよーくわかりましたが、ネットスラング多用はおばさんにはわかりずらいっす。
(検索してしらべちゃったわさ)

定型さん的に角が立たないようにしているのが、こっちには「見え見え」のすり替えやだましうちに見えてしまうって事ですよね。で、わかっちゃいても引っかかっちゃうのがアスペの辛いところと…。

で、あとは多勢に無勢で押し切られると…

ま、納得いかない事はおおいですねえ。

そんなあなたにはアサーショントレーニングが有効かも。

下手に言いくるめられないためのテクニックですわ。

RE:要はお互い理解できない関係
さるたこさん、こんにちは。
お疲れさまです。

確かに「察する」は定型さん同士の気持ちに限定されますね。

「自分たちの世界」を越えた予想外のことを「類推する」は定型さんに向いていないのかも。

すぐ「冷たい」とか「人の心がわかっていない」と片づけたがるし。

きっと「こっちの世界」というのは想定外なんでしょう。
RE:周りを味方につける力
のらさん、こんにちは。

うーん、多勢に無勢って構図はどうにもならないので辛いですね。

おっしゃるようなソーシャルストーリーができないのも「多数派」(定型さん)がそれを全面的に善しとしてはいないことから、「認めたくない」ものなので、出版等はされにくいでしょうね。

本当にアスペな人間が困っているのはそこなのにね、って感じです。
ででんぽさんへ
う、この「卑怯」というのに反応しちゃう。

うまく言い表せないけど「卑怯」って感じは定型さんと接していて思いますね。

悪口でもなんで「裏」にまわって言うんだろうとか…。

面と向かって物言うのがこわいのかあ。
さかいさんへ
ご紹介ありがとうございます。

で…でも、難しいですね。
難解で理解するのに時間がかかりそうです。

ゆっくり読んでみます。
RE:その通りですね~
ゆうゆうさん、こんにちは。

ここでは「アスペが多数派」というのを定型さんが鋭く察知したのか、叩かれませんね。

もうちょっと炎上するかとおもったのに…

で、その本ですが、定型さん研究にはいい本です。真に受けると落ち込むだろうけど。
ホタルブクロさんへ
確かに、「一緒に言って欲しい」って感じですね。

でも、一歩間違うと「あの人が言っていたよ」になってしまうのが怖いところです。

テレビや新聞の話題に振るってのはかしこいやり過ごし方ですねえ。一対一なら結構有効かも。

まちこまさんへ
そう、決して過激ではないと思うんです。

「逆から見ただけ」

なんですよ。

ま、ギャンブルではありましたが…。

適応しなくてもいいという話しは確かにその通りだと思います。悪いところ見習ってどうするんだ!ですからね。

にしても、社交の面で困ることに関する対策について触れている本ってないですねえ。

RE:悪口
マルマルさんはじめまして

なるほど、悪口やうわさ話は「簡単に相づちを得られる手段」だったんですね。

で、何で「相づち」を得られるのが重要なんでしょうか?

相づちを打ってもらうことで「自分(の話)を大事(重要)だと認識して貰っている」ってことで定型さんは安心するんでしょうかね?

はてなブックマークより
はてなブックマークに興味深いコメントがあったのでちょっととりあげます。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-entry-230.html

AFCPさんのコメントに、
「PDDの人にNTの人の特性を説明して配慮してもらうための努力が、もう少し必要だといつも思う。」

ってのがあったのだ。

その通り、だと思う。
というか、それしかないと思う。

だが、「誰がそれをやる?」「定型者の特性を誰が分析する?」という点で「定型の支援者」だけでは無理なのではないかと思った。

なぜなら、「定型の嫌な面」に目を向ける事が定型者には難しいということと、

もう一つ、

感情を排除した「定型者分析」を「定型者」は「冷たい」と感じてしまうことだ。

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えっ、コミュニケーションの手段!?(◎_◎;)
※マルマルさんのコメントを読んでの横レスっぽい内容ですが、
マルマルさん宛てに書いた文章というわけではなく、
「定型発達者を知る」が主目的の文章です
(マルマルさんにお返事をいただいて、横レスを続けてしまうのは
ブログの持ち主である狸穴猫さんのご迷惑になりそうなので、望んでいません)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今、マルマルさんのコメントを読ませていただいて
とてもびっくりしています。
悪口が「コミュニケーションの手段」というのも驚きながら、
「簡単」(!!)で「誰もが(多数の人が)」使いすぎている…というのが…

「コミュニケーションの手段である」ことは、
そういえば聞いたことがかなり昔にあったような気もしますが、
文章などでそうしょっ中出てくることではないので、
真に受けていませんでした。(→そしてそのまま忘れた)

「手段として簡単でつかいやすいため、よく使われる」
ことには驚きました。
そういう仕組みになっていたのかと。

それで、「言われる相手の気持ちを考えたら言えないだろう」と思うことや、
あまりに言いすぎで、言っている人のバイアスが入りすぎ、
とても客観的に正しいとは思えないようなことでも、
あれほどにも気軽に、楽しそうに言えてしまうし、言っても苦しくならないのだと。
苦しくならない(=自分がダメージを受けない)システムを持っているんだな~と。

何より、コミュニケーションがそれほどに大事…というより、
それを大事だと意識することもないほど、
「コミュニケーションの優先」が定型発達として、
自然なシステムになっているということなのだなあ…と。
(定型発達女児が幼いうちから誰に教えられることもなく
集まって悪口を言うのも納得…)


最後に、体験を通して教えてくださったマルマルさんに、
感謝をお伝えしたいです。
とてもよく分かりました。ありがとうございます。
(「文化の違い」ゆえに受け取りにくい、不快な書き方もあったのでは…と思います。
そのこと、心苦しく思います)
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コミュニケーションという言葉の意味するところが違うのかも?
「悪口がコミュニケーションの手段」「一般に・・・自分と相手を簡単につなぐ手段として有効とされている」というマルマルさんのコメントに、私も驚きました。

即座に「で、何で相槌を得るのがそんなに重要なのだろう?」と反応しかけたのですが、そう思うこと自体ずれているのかもと思い直しました。

「コミュニケーション」という言葉を、考えていること、思っていること、感じていることを互いに交換しあうこと、と私は今まで捉えてきましたが、そこが違うのかもしれない。この言葉には、表の意味と裏の意味があるのかもしれない。

表面的には思っていることを交換し合うような形をとりつつも、定型の人たちの「コミュニケーション」のいちばん重要な部分は、「あなたとわたしが味方であることの確認」なのかもしれない。

味方であることを確認するためにいちばん簡単で手軽なのは、共通の敵をつくること。
だから、「悪口が自分と相手を簡単につなぐ手段として有効」、ということになるのではないか。

共通の人の悪口を相手に仕掛けることは、「私はあなたの味方です」ということを伝えて、相手にすりよってみせるということなのかも。
とすると、悪口の中身を真に受けて反応してしまうのではなくて、「味方に入れてくれてありがとう。私もあなたの味方」ということを伝えるような返し方が、もしかしたらあるのかもしれません・・・(どういうことかわからないが)。

いま気づいたけれども「相槌」といっても、「同意」じゃなくて「同調」なんですね・・
その場が盛り上がるということがだいじ・・・?

悪口の中身や対象が誰かということには、それほど意味があるのではなく、「一緒に悪口をいいあえている」ということが大事なのかな。
(ワイドショーでわいわいやっているのも、そういうことなのかなあ。)

もしも「コミュニケーション」が「あなたとわたしが味方であることの確認」であるとするならば、発達障害が「コミュニケーションの障害」といわれることの意味は、「『敵と味方』とか仲間とかいう感覚が欠如している」ということなのかもしれません。

よくわからなくなってきました。
けっきょく、的外れなのかもしれません。

”平時”で善かった、などと思うのでした。
あんさんのコメントを読んで、ふと、「今は平和な時代で善かった」と思ってしまいました。戦前、戦中の、、「鬼畜米英」の”集団ヒステリー”の時代だったら、皆さんは、国防婦人会のNTのオバハン連中から「非国民」呼ばわり、され袋だたきにあっていた だろうと、、、、、もちろん国家権力の”横暴”に対して”屁理屈”こねくり回す?小生もさしずめ、{塀の向こう側」におしやられていただろうな、、、、。などと アスペルガー的に?本稿とは全く関係のない事?を連想してしまいました。
初めまして。いつも興味深く拝読しております。AS当事者です。
今回の記事は、ASなら誰でも幾度となく感じることだろうとは思います。
狸穴猫さんが、軽い気持ちで今回の記事を書かれたわけではないと思います。
常に定型者との折衷案を模索し続け、努力した上での記事でしょう。

しかし、努力することを放棄し、開き直っている自閉症者にとっては実に都合よく受け取られる危険性のある文面だという感想を抱きました。

開き直った自閉症者は、一方的に定型社会に理解を押し付け、思い通りにいかないと「私は定型に嫌われた」と、すぐ定型者を加害者にします。
そして、そのことを指摘されても「そんなつもりはない。自分は被害者だ」と主張し、自閉症の特性を抑えず傍若無人に振舞います。
(誤解のないように付け加えますが、本当に陰湿なイジメに遭っている当事者の方は多いと思いますし、どんな理由であれイジメを正当化するつもりはありません)

そして結果的には世間の発達障害への理解に足を引っ張るという、当事者にとって非常に迷惑な人たちです。
ASにとって最も迷惑な存在は、悪意ある定型者より上記のような「開き直り型」のことだと私は思います。

そういう人たちが今回の記事を読んだら嬉々として自分たちは正しいと誤認識するでしょう。
少し考えてみれば、定型であっても自閉であっても、自分たちを敵視する人間を受け入れるはずはないのに。

こういうことを当事者に言うと、「あなたは自分を客観視できているのか?自分だってアスペのくせして定型を理解しているつもりなのか?」という反論が返ってくるのですが、狸穴猫さんの記事に同意する当事者の方々があまりに多いので敢えてこういう書き込みをしました。
但し、ここでコメントしている方の多くは日頃努力されているとは思いますが。

今回の記事は、私自身も共感しました。
それと同時に、この記事を字面通りに受け取って安心してはいけないと自戒の意味を込めてコメントしました。いきなりしゃしゃり出て申し訳ありません。
AS脳の50代の男性です。

人間、ホモサピエンスも群れを作って暮らす動物です。コミュニケーションの持つ機能には、同じ群れの仲間であることの確認と順位付け(上下関係)の二つがあるとおもいます。

人間のコミュニケーション能力で出来る群れの個体数は最大限150くらいだそうですが、今の社会はこれよりもはるかに大きい。そして一つの群れで暮らしが完結しない。

一人の人間が、多数の、近所とか学校、クラス、公園のママさんグループとか幾つもの群れに属している。


それで、群れ仲間の確認と順位付けを、常にやっている。例えば、朝の挨拶。挨拶を交わすといことで仲間確認、どちらが声をかけるかとか、挨拶の仕方で順位付けをしていると思います。

チンパンジーでは、上位の個体が下唇を突き出す(亡くなったコメディアンを思い出しだしてください)と、劣位の個体は大きく口を開けて、あんたが偉いというメッセージを送るのだそうです。それをしないのは、同じ群れではない=敵ということか、地位を取って代わろうとする挑戦者ということですから、実力勝負になるとか・・、実力勝負では怪我などお互いに不利益ですから、チンパンジーでは主に表情、人間では表情+言語のコミュニケーションで代行している、効率化しているのではないかと思います。

悪口というのもその手のコミュニケーション・アイテムの一つ。敵を作って国内を団結させるのと同じ、共通のイジメ対象を作ってグループを結束されのと同じ、同じ神様、人を崇拝するのと同じ、同一対象を見下す(見上げる)ことで同じ群れ仲間確認をし、イジメなどを行為を主導する方が優位・上位確認をしていると思います。

後で言いふらすといった策略は、霊長類の中でもチンパンジーと人間が使える、使うのだそうです。チンパンジーと人間は数100万年前に共通のご先祖から分かれて進化していますから、悪口場面に出くわすと、おお!100万年前からの血が騒いでいるとチンパの顔を思い浮かべながら、発言者の表情を良く観察します。中々面白いですよ。人間でも怒って膨れっ面になると大抵下唇が飛び出していますよね。

同調すると策略であった場合、後が大変なのでしませんが、相槌などで「貴方はこう思っているのね」と無視はしません。無視をすると仲間確認が果たされませんから。
コメント2回目です!いつも、狸穴猫さんのブログは興味深く拝見させてもらってます。
私は定型です。。。。だと思います。多分(笑)。ですが、人の悪口、女の集まり、噂話が大嫌いで、なるべく避けられるものは避けてます。思ってもないことに、ノリで同意されることも大嫌いです。うわべだけの会話の時間は無駄だとさえ思います。なので、あれ?これは定型の特徴なの?と、実はびっくりしました、笑。人の話で盛り上がるなんて、よっぽど暇か、自分のネタがないつまらない人達なんだなって思います。
まぁ、人に合わせたりすることは、日本の文化からも増長されているとは思いますが。。。。。。
嘘のコメントならいらない。面倒臭いなと思います。

ただ、察することの重要性に関して言えば、正にそうだなって思いました。今まで意識したことはなかったですが、察してもらうことで、相手にとって自分の価値みたいなものを感じてます。
私はひょんなことで、アスペルガー症候群というものを、つい2,3ヶ月前に知りました。周りの人に聞いてみてもほぼ9割の人が知りません。アスペルガー症候群の人達のブログを読みながら、自分たち定型の特徴も知りました。
定型とアスペルガーの違いの分析、なるほど~と思います。

ただ、実は定型の不利な部分があります。アスペルガーという言葉さえ聞いたことない人がほとんどなんです。どうしても、自分という、ものさしで予測してしまうんですね。無知とは罪なことです。
無知だったために、私はひどいことを言ってしまったと後悔していることもあります。
私はもっともっと、アスペルガーが認知されることを願ってます。お互いの感覚を共感出来ることは難しいとは思いますが、定型がアスペルガーを知るということで大分変わってくると思うんです。
アスペルガー側はどうやら、定型の特徴を熟知しているような気もするので(笑)

今後もブログ更新楽しみにしてます。疑問文の後編楽しみです!!


お返事、ありがとうございます。
狸穴猫さんの「相づち」に対するご意見で、ハッとしました。
一般的に、会話のすごく多くの場面で、コミュニケーションをつないでいる糸は「相づち」なんですよ。
会話あるところに「相づち」あり。というくらいです。
心から賛成していなくても、本当に納得できてなくても、興味がなくても・・「そうね」「なるほど」「うんうん」という相づちは、自分と相手が「今、ここでつながっている」というサインなのです。
アスペの友人は、会話中よく「話聞いてるの?」「人が話しているのに何考えてるの?」と文句を言われてますが、「話に興味が無いので、その話が終わるのを待っていた」ということらしいです。
でも、相手には友人の態度が「無表情で無反応」なので、「無視されている」「バカにされている」と感じられます。
「興味も無いし、悪口なんか聞きたくもないけど、聞いたフリしてここは穏便にやり過ごそう」という、保守本能で
「適当な相づち」というものが、たくさん生まれます。
「ええ」「はぁ」「へぇ~」「そうですか」「なるほど」・・・・
苦手な会話ほど、「相づち」で、なんとかその場を丸く収めるのです。
沈黙していて突然「ところで」と話を変えるより「そうですねぇ。ところで・・」と言った方が、自然だし、相手に不快感や戸惑いを与えなくて済むから、まず「相づち」なんです。
狸穴猫さんの、ご意見を読んで、私自身「ハッ」と再認識できました。
アスペルガーの方にとって、この臨機応変、変幻自在の「相づち」というものが、いかにやっかいなものであろうかということが。



上記に続きマルマルです。自己紹介。
私は、アスペルガーの男性友人を持つ、いわゆる多数派の者です。友人を通してアスペルガーや発達障害という言葉を知りました。友人を理解するために、医師や本に知識を求めましたが、一番理解しやすいのは、アスペルガーの方のブログです。なんとか社会に適応しようと反省、工夫の日々を綴られている「アスペルガー社会人のブログ」のとうふさん。そして、ストレスやいきどうりをストレートに表現されている狸穴猫さんのブログから、本当にたくさんのことを学びました。
私は、アスペルガーの友人の担当医に「大切な場面では通訳が必要です」と言われ、「では、やってみよう」と、友人に寄り添いました。
そして、感じました。彼に説明する労力より、周囲に説明することの方がいかに「膨大」で「難解」かを。
「これだけ言っても解ってもらえないのかなぁ」と説明疲労におちいることも度々。
でも。。。人間関係なんて、理屈や説明より「肌で馴染め」なんだと、少し割り切りもできました。
私が無知ゆえに感じたアスペルガーの友人への「びっくり」「逆上」「混乱」も、「悪気は無い」という基本が解れば、こちらの見方も変ります。
そういう視点で考えると、嘘やお世辞やひにくを、言葉のニュアンスに仕込み、実は毒だが見かけはきれいにやりとりしているコミュニケーションの現場と比べ、友人との会話の現場は、古来の美しい地球のように、とても気持ちのよい、解放されたひとときに感じることがあります。
お互いに、また個々に、理解を深めて行ける大切な場所が、このブログだと感じます。
どうぞ、よろしくお願いします。
歩み寄り
初めまして。
いつも興味深く拝読させて頂き少しずつアスペルガーの特徴がわかって来た定型発達者の者です。
個人的な感想ですが、今回のテーマは定型と非定型とに括れない話題かと思いました。
定型にも色々な人がいて悪口を嫌う人もいますし、今回の狸穴猫さんの記事が定型者への(悪)愚痴とするならば興味をもちアスペルガー者からこれだけのコメントがついたわけで、要するに「わかってもらいたい」から発言し「共感する話題に対しては議論」してしまうのだろーと感じました。
勿論、非定型者も定型者もです。
そんな中、それでも尚且つ両者にも悪口は迷惑と思う方もいらっしゃると思います。
因みにに自分は悪感情を持つ人の話題ならば乗ってしまいますが、興味のない人や好意的な人への悪口を聞くのは嫌です。
つけ加えると今回の狸穴猫さんの記事は素直に、なる程と取り嫌悪感はありませんよ。

「相槌」の件ですが、相槌は同意ではなく「聞いているよ」の合図だと思っていました。但し「うんうん」「そうなんだ」の類に関してで「そうだよね」は同意と取りますが。
私の場合は聞くのが嫌な時には、ちょっとした間の時に「あ、そう言えばね」と話題を変えてしまうか「ちょっと急いでるから、ごめんね」と言ってその場を去ります。

アスペルガーは障害と言われていますが、手や足が不自由だったり知的な面で不自由というわけではないので、色々な人々がいる中の考え方、感じ方の違いなのだろうと思います。定型者にも根本から相容れない者同士はおりますので、そうなるとお互いの歩み寄りが一番良いのかなぁと感じます。

ただ、数的には定型者が多数ですので自分と同じ「ものさし」を心にもつであろうと無意識に思っている定型者の中ではアスペルガー者は生きずらい世の中だと思います。

カミングアウトはしずらいでしょうか?
最初に「ものさし」が違うとわかれば定型者の感情も違ってくるかも知れませんね。

結局人間て非定型、定型に関係なく、自分にとって不快なことは不快なんですよね。
迷惑な定型さんよりも…
迷惑な当事者がいます。。。
今日の記事、TBします!!
RE:コミュニケーションという言葉の意味するところが違うのかも?
あんさん、こんにちは。

コミュニケーションの9割は情報交換でなく交感であるという説がありますね。つまりお猿さんのグルーミングと同じ。

言葉でグルーミングしているのが人間という事になると順位漬けや仲間確認という意味合いの方が強いっつうことでしょうねえ。

んで、アスペルガーはその辺が機能していないと…
サハラさんへ
ご心配ありがとうございます。

確かに、都合良く受け取る人はいるでしょうねえ…(ただ、ここには出てこないだろうけど)

開き直りは怖いですねえ。

アスペルガー当事者として難しいのは、「どのあたりまで配慮を求め、どのあたりまで配慮するか」だと思います。

「普通にできる事」が定型発達者より少ないのは確かで、あまり譲歩しすぎるとそれで疲れ果ててしまいます。

かといって、譲歩しないといったスタンスでは世の中わたっていけないし、ヒステリックに「定型者にあわせる必要はない」と権利をさけんだところで何も解決しやしないですよね。

ただ、あまりに「定型に合わせろ、勝手に方法は考えろ」的なひどい本が多いので、ガス抜きは必要かとそう思ったわけです。

ヒゲ達磨さんへ
チンパン君の話はおもしろいですねえ。

ちょうど昨日、タヌキ亭主と「結局グルーミング」だよね、と話していたところだったのでタイムリーでした。

群れる機能が薄いアスペルガー者は「群れる振り」を憶えるしかないという事でしょうかね。

下唇を突き出す…というのは今度観察してみます。
マルマルさんへ2
丁寧な自己紹介ありがとうございます。

通訳してくれる方がいるとアスペルガー者はとても助かるんです。
一番の支援だと思います。

さて…

どうやら、相づちがグルーミングの手段となっているということがわかってきました。

あとわからないのは、アスペルガー者が「それをしないと」定型者が自分を卑下する方向に入って、怒るのかですねえ。

単純に怒る…ではないようなところが気になります。
RE:歩み寄り
居たくない場からの逃げ方は参考になりました。今度やってみます。

カミングアウトですが、

カミングアウトしても「見た目が同じ」というところで定型者にたいするのと「同じ反応」を定型者がしてしまうのが難しいところだと思います。

ちなみに私は惰性でカミングアウトしてしまっているクチですが、「アスペルガー」という障害がまだ衆知されていないので、たまに「的外れな」配慮をしていただく事があります。

ゆうさんへ
お返事前後してしまってごめんなさい。

アスペルガーの認知度が低いのはなんとかしたいところですが、定型の物差しで判断されると、なんだかモグラたたきならぬ「アスペタタキ」になってしまいそうなところが怖いところです。

アスペの人間が定型発達者を熟知しているかというとそうではないでしょう。そこが問題の根底の1つだと思います。
RE:迷惑な定型さんよりも…
あはは、いますね。
はいTB歓迎です。
RE: はてなブックマークより
ブックマークコメントを拾っていただいて、ありがとうございます。

> だが、「誰がそれをやる?」「定型者の特性を誰が分析する?」という点で「定型の支援者」だけでは無理なのではないかと思った。

やっぱりある程度、当事者がやることになると思うんですよね。ニキ・リンコさんがご自分のサイトで紹介されていますが、こんな文書(英語)があります。
http://isnt.autistics.org/

最近は更新されていないようですが、興味深い内容ですね。
来訪者(他人)を気にするあたり、実はアスペルガーではないんじゃないかと、、、。ただの変質的な性格異常を「アスペルガー」という言葉で装飾しているだけじゃないですか?こんな人間がいるから真性のアスペルガーの研究が進まないんだよね。自分の社会不適応を「アスペルガー」だと勘違いしないで!アスペルガー=天才という構図も、そんな風潮に拍車をかける。他人にムカつく、そんな感情がある時点であなたはアスペルガーではない!2チャンの書き込みは、そんな「えせアスペルガー」に対しているから。ともかくアスペルガーを名乗るのをやめてください!
マルマルです「相づちを打たないと・・・」
狸穴猫さんの疑問は、なかなか奥が深いです。
「相づち」・・・あまりにも無意識に、まるでまばたきのようにしていた行為なので、私も改めて考えさせられました。そういえば「相づち」には非常にたくさんの意味があります。
・謝罪やお願い、というような緊張感をともなう話の途中で小さな「頷き」や「相づち」を得られると、ホッとします。
・自分が一生懸命に伝えている場面で「頷いたり」「相づち」をもらうと、とても嬉しくなります。
つまり「相づち」というのは話し相手に「いただくもの」なのです。
「何をいただくか「というと、許可・理解・共感・安堵・喜び・・・・そしてその延長線に、相づちを打ってくれた相手からの、愛情や友情や親しさや優しさなどです。

例えば・・・・・・
「今日ね、実は私、ガムを万引きしちゃったのよ」
「え?どうして?」
「それが・・自分でもわからないの」
「へぇ~、そういうことあるのね」
「気がついたら、バッグの中に入れてたの」
「そうだったの」
「そう・・それで、たかがガム1個だけど、苦しくて・・」
「うんうん、解るわ」
「良かった、あなたに話して。少し気が楽になったわ」
「じゃあ、私も一緒に行ってあげるから、そのお店のレジにガムを買ったということで支払いましょうよ」
「ありがとう」
「うんうん、出来心って誰にもあるわよ」

どんなに小さくても「相づち」は、相手の興奮を落ち着ける・・という作用もありますし、相手に話しやすくさせる・・という話の導きともなります。
でも、相づちの一番の役割は「私は、あなたを認めていますよ」という安心感を与えることでしょう。
この、安心感がないと、相手は話がなめらかに続かないのです。
どんな会話にも、「相づち」が入らないと、話している方は自信がなくなるのです。
「くだらないって思われてるのかな」「こんなこと話して軽蔑されたかな」「この話題をやめてほしいのかな」「感情を害したのかな」「こいつこんな話してバカじゃないか、と思っているのかな」「無視されてるな」

一般的に「無反応」は、それほど相手を不安にさせるのです。
「無視もしてないし、ちゃんと聞いてるから、どうぞ話を続けて下さい」というサインが「相づち」の基本的な定義だと思います。
一般的に「聞いて欲しい、理解して欲しい」から話すのであって
「聞いてもらったら、何らかの反応が欲しい」ということにつながります。

私のアスペの友人は「ちゃんと聞いていますよ」と言いますが「無表情、無反応」のまま対座しているので、こちらには「とても話を聞いてくれているように見えない」のです。
それどころか「なぜ無視されてるんだろう」という不信感にさえつながりまいす。
つまり、自分の事を大切にされていない、というか、まともに相手にされていないような、不安とか、淋しさとか、むなしい気持ちになってしまうのです。

言葉を駆使するより「相づち」や「頷き」の、相手に与える感情的な作用のなんと大きいことか・・・

これはですねぇ、狸穴猫さんに、聞かれないとなかなか再認識できることではありませんでした。

一般的には、聞きたくもない噂話や愚痴や悪口を聞きながら、多くの人は適当な相づちを打ちつつ
「さて、どこらへんで打ち切ってこの人から離れよう」
「もうそろそろ話題を変えよう」と、相手に悟られないように考えるのも
「相手に失礼のないように」
「険悪な関係にならないように」という・・・
良い言い方をすれば  「思いやり」 「配慮」
悪い言い方をすれば  「計算」 「保身」
として、なくてはならないモノなのです。

「相づち」により、良い話題も悪い話題も、間違いなく盛り上がり、笑い話はより可笑しく、悲しい話はより深みを増して、「共感」の時間を「共有」します。

ですから、相づちを「いただけないと」、その場の空気は盛り下がり、孤独感や卑下という、被害妄想のようなマイナスの感情が沸いてくるのです。

アスペルガーの方はよく「会話のキャッチポール」に苦心すると聞きますが、相手が投げたボール(言葉)を最も端的に「キャッチしましたよ」という投げ返しが「相づち」だと思います。

ということで・・長々と書きましたが
たかが「相づち」されど「相づち」を今更ながら痛感しました。


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集団欲中枢
二度目のおじゃまです。皆様のご意見を見て、大脳辺縁系に標準装備される「集団欲中枢」が鍵かなあと思いました。どうも自分は集団欲が希薄なので、定型パターンを学習するしかないように思いました。まあできる範囲で、になりますが。
ここ数日様子見していましたが、なかなか
反響を呼んでいますね。

両者の間に起こるこういったさまざまな問題
を一言で言い切ってしまえば、

健常者は「群体」でアスペルガー症候群などの
広汎性発達障害者は「単体」だという事から起
こる問題であると言えでしょう。

「打てば響く」「ツーといえばカー」などの言葉
から分かる通り健常者の場合は自分と相手と
のやりとり、関係こそが物事の本質であり自ら
の存在理由であると言えます。

脳神経細胞で例えれば脳細胞一つ一つに
意味があるのではなく、脳細胞同士で神経
伝達のキャッチボールが正常に行われ、
「人体」というより大きな全体が維持される
事こそが本質でり存在理由であるのと同じ
事です。

しかしアスペルガー症候群などの広汎性
発達障害者の場合、周囲との相互作用が
無く、つながりが切れている為、相手との
やりとり、関係というものがそもそも生じま
せん。

脳神経細胞で例えれば周囲の脳細胞と
の神経伝達のやりとりが全く行われず、
一つだけ孤立して存在している脳細胞
と同じであるといえます。

さらに簡単に言えば健常者は「LANで繋がれ
てネットワークが構築されお互いに情報をやり
とりする事で一つの大きな情報処理システム
として機能している存在」で、アスペルガー症
候群は「LANネットーワークから切り離され
1台だけ孤立して置かれているコンピュータ
のような存在」であると言えます。

ですからそもそも根本的に基盤が違いすぎ、
お互いを理解する事など不可能なのです。

「関係の中での双方向での情報のやりとり」
が存在基盤の健常者と「単体で一方通行」
が存在基盤のアスペルガー症候群。

この差は決定的です。

これにより健常者のコミニケーションはキャッチ
ボールとなるがアスペルガー症候群の場合は
ドッジボールにしかならない。

仮にアスペルガー症候群の人が相槌を上手く
できるようになっても、それは上手く辻褄を
合わせる事が出来てるだけ、上手くお芝居を
出来ているだけの話でいくらそれが上達した
ところで健常者の行っている相槌の真の意味
を体感で理解する事はありません。

ただ自分の身を守る為に健常者のモノマネを
して日々をやりすごしているだけなのです。

なぜ真の意味を理解できない相槌のモノマネ
を健常者に対して行わなければならないか?

それは「群体」である健常者にとってはキャッ
チボールは呼吸をするように自然に行われる
行為である為、ボールが返って来なかったり
ドッジボールで返されたりすると、相手に悪意
があってそうしていると思ってしまうからです。

しかしもちろんアスペルガー症候群の人に
悪意などは無く、存在基盤がそもそも違う
というだけの話なのです。

別の例えをしましょう。

例えば人間が全員糸で繋がっていると
しましょう。

そして相槌とは話相手がその糸を引っ張る
事で自然と自分の中から出てくるものだと
しましょう。

しかしもし、自分がアスペルガー症候群で
さらにアスペルガー症候群と言われる人
だけがその糸で繋がってなかったとしたら?

そしたら話相手がいくら糸を引っ張っても
自分の中から相槌は起こりません。

糸が繋がっていないのですから相槌が
起こらなくてあたりまえです。

けれど、もし話相手がアスペルガー症候
群の人だけ糸が繋がってない事を理解
できなければ相槌が返ってこない事に
対してどう思うか?

引っ張った糸に逆らい相槌を打つのを
拒んでいると誤解してしまうでしょう。

つまり「私が嫌いだから故意に相槌を返さない」
あるいは「私の話を全く聞いてない。私を蔑ろに
している」などとと誤解する事になるのです。

だからアスペルガー症候群の人は話相手が
糸を引っ張ったであろうタイミングを見計らって
相槌の動作をして見せて、「糸で繋がってて
ちゃんと引っ張られてますよ」というお芝居を
してみせて、相手が見当違いな誤解をしてし
まわないようにするという配慮が必要となって
くるのです。

この配慮を怠ると最悪の場合職場や学校
などでイジメられるようになってしまったり
などの問題が起こる可能性もあります。

ですからこのような問題が起こらないように
する為には「お互い理解不能なほどに性質が
違いすぎるのだ」という事をお互いに理解する
事が求められるのだと私は考えます。
AFCPさんへ
お呼び立てしてしまったようで、すいません。

やっぱり当事者がやるしかないんですよね。

ただ、これにも問題があって、「群れて活動」するのが苦手な当事者がどうやってそういったものをまとめていくかという点があります。

個人のできる範囲では、私が書いている「定型発達者分析」シリーズなどがそれにあたるでしょうが、なにぶん個人の力には限界があります。事例等もどうしても貧弱になってしまいます。

で、そのあたりのコーディネートをしていただける支援者・専門家の方がいてくれたらなあと思ったりするわけです。

どどさんへ
3年近くこのブログをやってきて、初めて「あんたはアスペルガーじゃない!」というご意見をいただいたのは初めてです。

アスペルガー関連のSNSなどでは本物志向?の当事者の方がよく持ち出される話題なので当ブログでもいつ出るかとワクワクしてました。

んでも、看板はおろせませんねえ。手帳もアスペルガー症候群で出ちゃっているし。

ではでは
RE:マルマルです「相づちを打たないと・・・」
マルマルさん、こんにちは。
何回もお呼び立てしてすいません。

なるほど!です。

定型発達者における相づちや頷きの意味合いについてだいぶ見えてきました。

瞬きするように自然なもの…反射に近いこと、そして、それが「共感」の時間の共有まで波及するものだとは!

近いうちに、当ブログの定型発達者分析に、記事にしてまとめさせていただきたいと思います。

その際はぜひまたご意見よろしくお願いします。

どうもありがとうございました。
RE:集団欲中枢
食欲・性欲・集団欲という奴ですか。
なるほど。
その中枢確かにアスペでは弱そうですね。
takkantさんへ
takkantさんこんにちは。

単体と群体ですか。言い得て妙ですが、「定型者だって個性をもった個体だあ!」という批判がとんできそうでもありますね。

ある種の感応力があるのが定型発達者で感応力がないのがアスペルガー者であるとするとでも言えばいいんでしょうかね。

で、まあ、確かに私など、相づちや頷きを意識的に使っていますねえ。カウンセリングの本かなんかが出所でして、うなずき、相づちなどで「受容」のポーズを見せるとコミュニケーションがうまくいきやすいとか書いてあったのを実行しています。

ま、所詮まねごとなのはしかたのないところですが、やはりなかなか有効ですね。

「それだけ違う」を認識するのはアスペルガー側にはできても、定型側には難しいかもしれません。

何しろ見た目が同じなんですから。

このあたり、支援者は欲しいもののやはり非定型サイドで何とかするしかないのではと思いますね。

ではでは。
『自閉症の社会学』という本
 はじめまして。成人当事者の大福と申します。記事とコメント欄の内容が、今私が読んでいる本とつながりがあるように思えました。
 その本は、『自閉症の社会学 もう一つのコミュニケーション論』(竹中均 著 世界思想社)です。
 まだ9章までしか読んでいないのですが、特にp.190-197の記述とつながりがあるように思えました。
著者は自閉症児の父親で、理論社会学者です。この本では、「即効性のあるテクニック」についてはふれられておらず、「問題提起」がなされています。
 この本には、次のような記述があります。

異文化との共存という社会学的テーマの一環として自閉症の問題をとらえることはできないでしょうか。
(P.5)

自閉症の人から、<普通の>人の目に奇異にみえる行動(例えば、繰り返し規則的に体を揺らす行動)を取り除けば、それで問題が解決するわけでもありません。社会問題全般がそうであるのと同様に、引き算の問題ではないのです。自閉症の特性に合った新たな秩序が自前で(つまるところ、当事者によって)創られなければならないのです。それはもしかすると、<普通の>人中心の社会の内部に、内在しながらも並立する別の社会を創ることになるのかもしれません
(P.9)

本書全体でさまざまな話題を通じてお伝えしたいのは結局、自閉症を生きる人々が直面する諸問題はきわめて社会学的であるということです。自閉症を生きる人々は、<普通の>人以上に先鋭に、社会学という学問の核心に触れる日々を送っているのではないでしょうか。
(P.17)
RE:『自閉症の社会学』という本
大福さん、はじめまして、ようこそ。

なかなかおもしろそうな本ですね。

確かに、社会性というものがいかにあるべきか(というかどのようなありようがあるのか)ということとは常に直面している問題のような気がします。

通常社会の中に内在する別個の社会…というのは、ろう社会などが代表としてあげられると思いますが、果たして自閉症者の社会というのがあり得るのか…コミュニケーション障害の症状や二次障害の程度(特に高機能者の場合)によっては難しいようにも思います。

なかなか難しい問題ですね。
相槌・頷き
未診断の中年男性です。
相槌に関するコメント、とても興味深く読ませてもらっています。
もっと自然に相槌をうてないかと困っている、相槌初心者でもあります。

相槌の世界も奥深いと、コメントの遣り取りを読んで、新鮮な驚きです。
私の場合、「味方」の発言に同意できない場面では、相槌をうてないだけではなく、
同意できない自分自身に拘って、困惑していました。
ところが、コメントから教えてもらったところによると、
同意できないから相槌をうつパターンもあるのですね。

相手の興奮を沈静化するための相槌、
否定を和らげるための相槌、
逃げる準備のための相槌。
多様な相槌を使えないと、技術にはなりませんね。
でも、その使い分けができるようになったら、どんなにか円滑に過ごせることでしょう。
相槌をめぐる定型発達者研究と対策、期待しています。

ところで、相槌が苦手な方は、相槌をうたれるのは好きですか。
私自身は、相槌をうたれた時の変な感覚って何だろうとも思っていたのです。
頷かれるのも同様で、耳を傾けるという姿勢の間は話し続けていたのが、
頷かれて、身構えてしまったりします。
いつも必ず、ではないんですけれど。

マルマルです。「相づちが苦手ですか」
トラネコさんのご意見を見て、驚き、また視野が広がりました。

相づちを打つのが苦手な方はいらっしゃるだろうけど、相づちを打たれるのも苦手、という場合もあるのですね。

それは、一般的に大多数の人が、自分の発言に「同調」や「共感」を求めて発言しているのに対し
トラネコさんは、そういうものを一切、期待も予想もせず発言されているからなのではないでしょうか。

私も、期待も予想もしていない人に、突然、欲しいとも思っていないプレゼントをされたら「なにコレ?」と変に思い、戸惑って身構えてしまうと思います。

会話に込める欲求度が、あまり無い、ということでしょうか。
「聞いてくれるだけで良いので、反応は要らないよ」という解釈でよろしいのでしょうか。
RE:マルマルさんへ
うーん、どうなんでしょう・・
自分でも、よく分からないんですけれど。
相手の頷きを見て、内心、ウッとなってしまう状況。

ただの自己解釈ですが、
会話ができていないことを自覚させられるからかな、
と思うところもあります。
 
どういう言葉だと、どういう順番で話すと、
相手に伝わりやすいかという事を、私は考えていません。
伝わらなくてもよいとか、意味不明でもよいとか、
開き直っているわけではないのですが。
自分の頭に浮かんだ言葉を、自分にとって自然な順で
声にしてしまっています。

頷かれた時、相槌をうたれた時、
相手との遣り取りなんだ、
声に出しての独り言ではないんだという事態に直面するので、
ウッとなるのかな、とも思います。
と言っても、その場で話し方が変わるわけではありませんが。
 
ただ、こういう感覚が、ほかの人の場合はどうなのか、
全く分かりません。
私は未診断ですし、ただの性格の歪みかと思うところもあります。
アスペルガー症候群関連の本やブログをみると、
自分との共通項を考えることが多いのですが。
 


今日の日中、相槌をうちすぎて、たぶん、
先方に奇異に思われたようです。
難しいです。
トラネコさん、みなさんへ
とても興味深い内容なので記事としてとりあげました。

ちなみに、定型発達者の相づちに対する違和感は私はあります。

以降こちら↓
http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-entry-231.html
で意見交換していただければ幸いです。




マルマルです。「トラネコさん、ありがとう」
え~と。
相手が、相づちを打ってくれる、ということは
「なるほど」という理解のサインか「真剣に聞いてますよ、それで?」という、もっと理解したい姿勢だと思います。

トラネコさんの話が、意味不明なら、相手は「う~ん、解らないなぁ」と首を横に傾けると思うのです。

だけど、相づち自体に、必要性や安堵感が感じられなかったら「ウッ」とプレッシャーになるかもしれませんね。

私個人としては「相づちを打ち過ぎている」人を見たら、
「もしかしたら話の内容はしっかりとは把握してないかも知れないけれど一生懸命だな」「真面目な人だな」という印象がします。
>>どど

重度自閉症者にだって孤立感を感じ感情的反応を示す者がいるんですよ??。
つまり重度でも他人に感情を抱けるわけです。
○岸みたいな決めつけ方は間違いの元ですよ。
(感情の示し方が定型と違うけど自分も同じような示し方するから考えが読めたんだ。)

天才性については、社会で底辺くらいでも何とか適応出来る程情報統合能力があるなら、天才というか、生れつき(定型から見て)特殊性のある能力を大なり小なり多くの人が持ってるのは自然な事だと思うよ。
何故って、セントラルコヒーレンスが機能不全である事による超情報過多の中でそこまでやるには並の頭じゃ出来ない事だからだよ。

あそこでSAMがどうとか嘘言ってるけどあれは欠如はしてないはずですよ。
欠如してるならじゃあなんで痛みによって学習出来るんだろう。
絵カードで行動を変えられるんだろう。
声に反応出来るようになるんだろう。
ようはセントラルコヒーレンスの問題による情報過多と、知能の問題で、一部の情報、特に真っ先に入ってくる自分の中の情報で手一杯になるが故に
自分の行動が他者にどう思われるかまで計算、認知出来ずに他者に関心が向かないだけだと思う。
“知的問題でSAMを動かす情報が作り出せない”んですよ。
だから知能が高い高機能やASが他者を気にしないというのはおかしい。

低機能でさえ他者に単純な感情を抱けたのだから尚更です。

それこそ人格の問題に思えてならない。
マルマルです。  「障害か人格か」
私の友人アス君(アスペルガー)は、ある定型発達者の女性に恋しました。

アス君の口癖は「心から大切な人」「会えるだけで幸せ」に、なりました。

アス君は、彼女の命ずるままに
・障害者の作業所にも通いました。(1ヶ月でリタイア)
・苦痛に顔を歪めながら、嫌悪する魚介類も口に入れてみました。
・アルバイトの面接も受けてみました。(不採用)
・肝臓が悪いのにやめられなかった飲酒も、やめました。
・注射が恐怖なのに、自らインシュリン注射も打つようになりました。

それらはまさしく、彼の純粋でひたむきな恋心のなせる技でした。

そんな彼のまっすぐな心にアスペ脳が立ちはだかりました。

心は彼女を強く求めるのに、脳は彼女の日常会話を、
誤解し、聞き流し、忘れ、ハネつけました。

心と脳の戦いでした。


会話するほど彼女は疲労し、彼女が苛立つほどにアス君の微笑みは増し・・・・

とうとう彼女は、去っていきました。

私は、アス君の人格に彼なりに
「恋に殉じようとした純粋さ」「人を乞う気持ち」を感じます。

担当医は
「アス君は、自閉が軽度なんですよ。相手に自分の存在感を反映しようとする感情があるから、失恋はつらいと感じる。感じられることが素晴らしい。重度になると、壁に頭を打ち付けその痛みの感覚で、自分の存在感をとらえようとする人も居るのですよ」
と言いました。

その感覚と言動は、障害なのか、人格なのか・・・
その見極めは、アスペルガーの方に関しては難しい感じがします。











どどさんあなたも無礼な人ですねぇ。
ひとをいきなりニセモノ呼ばわりはないでしょう。あなた何様のつもりですか?
ひとこといわせてもらうとあなたの方こそ自分がアスペルガーだと思い込んでる勘違い人格障害者なんじゃないですかぁ?
と医療機関できっちり検査受けて正式にアスペルガー障害の御墨付きをもらって手帳も発行してもらった私の目からは見えるんですが。
あなた脳機能よりもその性格の方が問題あるんじゃないですかぁ?
連チャンにて失礼します
どどさん、先ほどはキツいこといったけど、悩んでるのは自分だけみたいな顔してると、それだけで周りからはイヤな奴に見られてしまいますよ。現に私はそう思ったし。
あなたは自分のことばかりじゃなくてもう少し人の身になって考えることを覚えないと、いつもその調子ではどこへいってもケンカばかりになってしまうよ。
とまあもっともらしいことをいってしまったが、やっぱ自慰識過剰なおこちゃまはウザいよなぁ(; ̄_ ̄)=3
あーアスペルガーっていつもここで本音が出ちゃうんだよな~(; ̄_ ̄)=3
ねーどどちゃん、キミいつもその調子でどこ行ってもうざったく思われてな~い?人にどうこういう前に自分が周りからどう思われてるか胸に手を当てて考えてみましょーね。

たびたび失礼します
定型発達者が迷惑ってまさにその通りですよねえ。何しろあいつらハッキリものいわないし。いわないことってやっぱりわかりませんよね。
障害といえば思い出すのは、私が子供の頃読んだ童話でめっかちの白鳥夫婦の話なんですが、彼らはめっかちの自分たちがまともで、生まれた子供たちが眼が余分に付いたかたわだと思い込んでしまい、子供たちの片目をつぶしてしまうのですが、私も自分がアスペルガー障害だとわかったときは、自分が能力的にめっかちというより、定型発達者の方が自分より余分に眼が多い化け物に見えてしまいました。
私にとっては定型発達者は迷惑を通り越して脅威そのものです。自分にはない超能力を持った化け物です。毎日が脅威との戦いです。周りが健常者という化け物ばかりのなかで、たまに障害者を見るとホッとします。
周りも家族も私以外は余分に眼が多い化け物です。ただひとつ、もらってきたときからめっかちの飼い猫を除いては。
私の仲間はめっかちの飼い猫だけです。
定型って何で悪口好きなの?
定型って悪口大好きだよね、
自分より他人に興味がある人間は本当にキモイ、気持ち悪い、吐き気がする
どっちもどっちなのかな
アスペルガーの人から興味のない話や趣味を押し付けられるのも結構つらいけど、定型発達者も確かにすぐ悪口言うし仲間はずれは当たり前だし・・・。特に女性は陰湿な気がする。
障害や定型など関わらずに人間として大きくならなければいけないのかも。
無題
明日は迷惑極まりない
定型の悪口言い合って共感しあってるように見えるんですが。
人の悪口きかされるのが苦痛でしょうがない!定型は陰湿だ
みたいな発言がいくつも見られますが
矛盾していますね。
つまり自分に関係のない悪口は苦痛で
直接的な敵(定型)の悪口は興味がもてるんですね
結局自分にしか興味が持てなく、他人はどうでもいいってのを証明してるだけじゃないですか
脳みその動くべきところが動いてないんだから
おかしいのはあなた達のほうです
周りを気にしなさ過ぎの私
こんばんは。久し振りに読ませてもらいました。
最近、あるJ1の練習をよく観に行っていますした。
一緒に行く友達が「観客の7,8割は常連だね。」
と言いました。
私「観客で知っている奴なんて一人もいねよ。
  選手と練習しか観てねえよ。」
と言いました。

定型、非定型にかかわらず、
絶対的人間と相対的な人間がいる様に感じます。
相対的な人間は、周りを気にして、
自分が無い様に感じます。
だから、私は絶対的な人間に好感を持ちます。

p.s.でも、世の中の9割方の人間は、
   相対的な人間の様に感じています。
   プライドや背負っているものがありますか?
   
ちょっと時期ハズレにコメントしちゃいますが(ゴメンナサイ)
悪口をよく言う人、あまり言わないけど嫌な事があったら言う人、まったく言わない人、様々でしょうね。

ここで「定型は」「ASは」と語ると、色々誤解を生じさせるでしょう。
だって、ASだからって皆同じ性格ですか?
定型だって同じ性格じゃないですよね?

個人個人の、細かい部分まで突っ込んだ話をするとしたら、頭を柔軟にして話さないと、ただの差別で終わってしまうと思います。
黒人だから白人だから、のような感じと同じですね。

一概には言えませんが(個々の性格があるため)、悪口は「被害妄想的=事実とは異なる感情論」と、「実際に起きた酷い話=災難の事実」
「他人の噂話=憶測」というものに、だいたい分かれると思います。
一口に悪口、といっても、質が違うでしょう。

他者に「実害的」に被害を蒙り、客観的にみても「相手が悪い」とされるような事の場合は、悪口とは言わないと思います。そしたら、大袈裟に言ってしまえば、犯罪被害にあっても相手の事を悪く言ってはいけない、なんて事になってしまいますよね^^;
「話せば少しは楽になる」という言葉を聞いた事があると思いますが、心の中の気持ちを話し、相手から【共感】を得る事によって、心が癒されるという事もあるのです。
動物が好きな人が、動物の頭をなで、動物も自分になついてきたら、ホッとする。
または、具合が悪い時、たった1人でいると心細いものですが、誰かが傍にいてくれるだけで安心するとか、そういう感情なのでしょうね。

これは群で生きる動物的本能の感情だと私は思います。理屈ではないと思います。

ただ、妄想で悪口を言う人もいますね。
これは定型でも嫌われるタイプです。事実とは違う、感情論といいましょうか。
「あの人の見た目が嫌い」とかね。
芸能人の噂話も同じでしょう。

ただ、定型はこの「何気ない会話」から、相手の価値観や考え方を見抜く「判断情報のひとつ」という捕らえ方をしている場合もあると思います。
ある人物の事を、どうとらえ、どう考えるか。
これによって(ああ、この人はこういう考え方、ものの捕らえ方をする人なんだ。関わらない方がいいかな)などを、考える材料にはなるかもしれませんね。

世間話の中にこそ、相手の本質と人間性を見抜く材料が隠れていたりしますから。
また、それを「知ろう」とするのは、これまた本能的なものなのでしょう。
サルも群を作りますが、やはりそこには「相性」というものが存在します。サルも自分と相性の良い群を作るそうです。なので群で生きる動物の本能的なものなのだと思います。

それと、過激な暴言を目にしましたが、それは結局のところ、自分だけでなくASの人すべてが「悪人」とされてしまう危険をはらんでいると思います。
心を刺されたら、刺した相手をよく思いません。
ですが、心を刺すような相手に、自分も同じように刺しにいった所で、憎しみを倍増させてしまうだけだと思うのです。
定型にしても、ASにしても、色々な性格・人格の人がいる、という事を忘れないでいたいものです。
差別されれば相手も差別してくるでしょう。
その連鎖を進めるのも、止めるのも、1人1人の言動にかかっていると思います。長文失礼しました^^;ゴメンネ
障害を語るとき…
あら、また再燃かな、この記事…あはは。

障害を語るのは難しいですね。

区分しなきゃ語れない。
かといって区分するとどちら側からか不満が出る。

個人ってもんに着目すると「ひとくくりにできない」って話が必ず出る。

区分が差別につながることもある。

どうにもならない問題かなあ。


となると時に
日本の定型はワールドワイドで見ると精神障害者に分類されると思うんだけど、どうなんだろうか
みんなで定型の悪口言って、精神的マスターベーションしてるだけのような気がする。
何か意味あるんですかね?

どちらのグループにも迷惑な人はいるし、そうでない人もいるし、それぐらい解るでしょ?
(その辺が解らないのかなぁ?)

いずれにしろ、私ら定型にしてみたら、付き合いにくい人たちですよ、アスペさんたちは。
強烈な自己中だもん。
共感というものがない。
あるのかもしれないけど、それを表現しない。
これ、社会生活を営む場合、ものすごく付き合いにくいよ。

ここでどんなに仲間うちだけで定型の悪口を言って溜飲を下げても、やっぱり社会に戻れば馴染みにくい人たちなんだよね。
それはしょうがない。

アスペの人たちはさ、定型に「アスペのことを勉強しろ」とよく言うけど、アスペの人たちこそ「定型のことを勉強してよ」と思うなぁ。
お互いに勉強して、うまく付き合わないとね。
つーか、その「うまく付き合わなきゃ」という概念がないんだよね、アスペの人たちって。
人を思いやれないアスペは迷惑
人の気持ちを考えられない物を、人は助けたくありません
名無しさんへ
> 人を思いやれないアスペは迷惑
> 人の気持ちを考えられない物を、人は助けたくありません

とても不思議ですね、見方を反転させただけで
「人の気持ちを…」という批判が出てくるってのが。

しかし極論ですね、物扱いですか…。
そう思うから、アスペルガーなんですよ。同居人が親子アスペルガーで
その人達は積極奇異形でまともではありません。
定型でも、非定型でも、「相手が悪い!だって私まともだもん!相手がおかしい!」と言う人は頭の悪い人です。
観察すれば分かりますが、定型は定型で集まればそれなりにまとまります。非定型は非定型で一緒にいて気詰まりで無い事が多いです。
脳や心の仕様の違いを、倫理に求めて楽しいですか?
うちには可愛い自閉症児がおりますが、家族や周りの方の理解を得てとても幸せに暮らしています。
それと同時に、息子の方でも定型ばかりの人間達の中で必死に適応しようと、普通の子供ならしなくていい事、考えなくていい事を一生懸命こなし、考えて生きています。
相手の努力、苦しみ、悲しみを考えもしないで、自分ばかりが大変で可哀相なんだと、嫌な思いをしたから相手が悪く、自分は正しいと考える人間は、定型非定型関わらず頭が悪いです。
自分が自らの属さない集団に入れられたら、あなたはそこでも今と同じように、誰にも嫌な思いをさせないで、自らも違和感や嫌悪感を感じずに過ごす事ができると考えているのですか?その根拠の無い自信はどこから来るのですか?
あなたに足りないのは観察力と想像力、忍耐力です。

管理人様、駄文失礼致しました。

アホか?
アスペそのものが迷惑な存在だ!普通の人間が嫌なら、何処か誰も居ない所に行ってアスペ仲間だけで暮らしたら良い!
普通の人間社会に紛れ込むからお互いに価値観が全く違う事でぶつかるんだ!
まあ、アスペの価値観なんて!我々には分からんが、どちらにしても人間社会に紛れ込むのは辞めてくれることを心から望む!
私も自閉症スペクトラム障害の疑いがある者ですが、まさに自分が思っている事が書かれてました。

精神科医に診断された際、定型発達の特徴を教えて下さいと言ったところ、キレ気味に自分の自閉症スペクトラムの本を学びなさいと言われました。

定型発達の特徴を列挙すると差別意識の強さ、同調圧力、他人を気にし過ぎる、すぐ怒る、偽善者が多いなど悪い所も沢山あり教えられたものでは無かったのかなとも思いましたwww


本当に日本は行きづらい。
No title
なんというか、まったく普段自分が考えていることと一緒で、あるあると共感(苦笑)しながら読んでしまいました。
私個人にとって、定型の怖さ、気持ち悪さというのは、「集団として共感しようとするがために」自分が被害を受けてなくても悪口を言う人に同調するという現象だったりします。
人の気持ちを考えろと定型さんはよく言いますが、被害者、加害者の関係で被害者が文句を言うのは分かるのですが、被害を受けていない人かつ、実際の事実関係を把握していない人が加害者(事実を把握できないので加害者かもしれない人)に対して文句を言うのは、(本来なら無実かもしれない)加害者の気持ちとかを無視してないのだろうかといつも不思議です。
アスペ疑いの人さんへ
コメントありがとうございます。
実際のところ、同調圧力に弱いというのは単なる自己防衛だったりすることが多いのだとは思います。
まあ、分析してても埒があかない部分はあるので「悪口は聞かないぞオーラ」が出せる程度の気力というのは必要不可欠だと最近は思っています。

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