アスペルガー症候群当事者の障害受容についての一考察

成人アスペルガー症候群当事者にもいろいろな人間がいる。
当然、障害の受容過程にも様々なケースがある。

さて、アスペルガー症候群の診断は医師にしかできない。

となると、当事者の障害が判明するためには、当事者が何らかの事情で精神科の門を叩くという経緯をたどっている事だけはほぼ共通するだろう。
(まあ、なんらかの精神福祉相談の途上で心理検査等をし、心理職から「可能性の示唆」をうけたという状態の「未確定」者という場合もあるだろうが)

で、受診や相談のきっかけというのが、ちょっとくせ者だと私は思う。


周囲との違和感に悩んで…なーんていうのは、未だ多くないだろう。


私のケースは極端だが、ちょっと披露しちゃうと…
(前も書いた気がするが、ま、いいだろう)

 1息子がアスペルガー症候群の診断を受ける
  (参考書籍を読むよう薦められる)
 2参考書籍を読むと自分にもあてはまる事が多いと思う。
 3たまたま別件でのPTSDの症状が悪化。
 4これは発達障害がわかっている医師にかかった方がいいと判断
 5息子の通院する病院の相談窓口に相談
 6受診の予約をとり、ケースワーカーとの面接を重ねる
 7受診に至り、PTSDの診断のついでにアスペルガー症候群の診断も下る。

(実はこんなのは珍しい…。ろくに関係ないPTSDが関わっている。)



だいたい、適応障害先にありき…、あるいはうつ病先にありき…で受診に至るケースの方が多い。


例えば…

 職場・学校に適応できずに鬱になり精神科を受診してアスペルガー症候群との診断がつく。

とか、

 主婦になって自分が「片づけられない女」である事に悩み、
 ADD・ADHDではないかと思い、受診。
 意外にもアスペルガー症候群と診断される。
 (ネット見ていると意外にこのパターン多い…)

とか、

 様々な精神症状(フラッシュバック・解離・自傷・引きこもり・統合失調症類似症状などなど)の出現をきっかけとして、周囲のすすめで受診に至りアスペルガー症候群との診断がつく。


などが主流であると考えられる。


あと、それなりに多いのが、子どもがアスペルガー症候群で、勉強してみたら自分もそうであるのではと思って(または子どもの主治医に指摘され)受診に至り診断を受けるケース。


で、これらはさらに、周囲との違和感を子どもの頃から感じていたケースと、そうでないケースに分けられる。



どんなきっかけで受診に至るかはともかく、前述の「違和感」の有無が結構障害の受容に大きな要素として関わってくるだろう。


私なんぞは、小学校のころから違和感はバリバリにあるわ、いじめは受けるわで、「ふつーのひと」っていったいどういう思考回路なの?と9才くらいから常に思っていたので、診断を受けて


「やっぱり違ってたのね!!あースッキリ!」

だったり、

「今まで、私って結構がんばってたのね~」


であり、さして診断を受けた事に抵抗はないのだが、違和感がないケースは初期の抵抗が大きいだろうという事は想像に難くない。


違和感に悩まずに育ってきた人(症状の軽重とは関係なく)や、本当にそうかはともかくも、自分は普通と思い続けてきた人にとっては「障害」の2文字が大きな混乱の原因になってくるだろう。


特に家庭環境や教育環境において恵まれており、自然とSST(ソーシャルスキルトレーニング)を受けてきて、コミュニケーションスキルが高い人の場合、「自分が障害者」として生きざるを得ないということに関して抵抗が強くなりやすいと思う。


その結果、
 
「障害があるということで同じ人間
  として対等に扱われないのでは」

という新たな不安をかかえるハメになるといったことはあるのだろう。



あと、いわゆる三つ組みの障害

 「コミュニケーションの障害」
 「想像力の障害」
 「社会性の障害」

があると言われてしまうという事にも抵抗が生じやすい。

 一応であっても社会適応できているケースでは
 コミュニケーションの障害・社会性の障害を指摘されても

 「私は適応できている!」

といった反発も考えられる。

 想像力の障害…というのも訳のわからないもので

 「私は想像力はあるわ」

といった反発も出やすいだろう。

 
(ちょっと想像力の障害の厳密なところについてはおいておく…いま思考中なので)


また、特徴として、

 ファンタジーどっぷり…とか
 考えの幅が狭い…とか
 人の気持ちがわからない。

などと書籍などで紹介されることが多いが、


ま、そう言われてうれしい成人当事者は少ないだろう。


これに関しては、違和感バリバリで育ってきた私ですらかなり抵抗があるのだから、自分を「普通」と思ってきた人にとってはなおさら受け入れがたい事であると思う。



また、実際、二次障害で解離・同一性障害・人格障害・妄想様観念・ある種の攻撃性を伴うケースがあるし、この手の例は書籍などでもしばしば当事者の手記などでもあるのだが、

これらの症状がない人の場合、それらの症状に対する知識や理解があるわけもなく、それらの症状に対しては逆に非常に差別的に、


 「そういう人と一緒にしないでほしい」


といった思いを持つ事も十分考えられる。


(私はたまたま身近でそういった人と接する機会があった…実はPTSDのネタの元夫だが、それで現実として二次障害のあるケースの困難の大きさを受け入れざるを得なかった。


それからもう一つ、


特殊事情として、凶悪犯罪などの容疑者がアスペルガー症候群はじめ広汎性発達障害を持っていたといった事件がここ数年多かったので、その関係からも障害の受容がしにくくなっているという部分もあるだろう


 「犯罪者と一緒にしないでほしい」


といった反発は当然出てくるだろう。



子どもの頃、十分な支援を受けられずに育った人が多い(つまり二次障害の多い)現在の成人アスペルガー者に対して、二次障害を発せずに育つ環境にあった少数の成人当事者が

 「自分はとてもラッキーであった。」
 「もし環境が悪ければ二次障害でどうなっていたかわからない」


そう思えるほど、実際自分に余裕があるわけでもないといったケースが大半だろう。


障害は障害として、厳然と存在している。

いくら抗っても、聞き違えはするし、人疲れはするし、片付けは下手だし、結構こだわりはあるし、会話では迷うし…等々さまざまな困難はある。



障害による「困難」を何らかの手段を用いて軽くすることはできるだろう。

しかし障害は明らかになった時点で、最終的に当事者本人が受容しなければならないもののであるのも事実である。



障害者は社会的弱者であることは明かである。
(でなきゃ障害者福祉なんていらないもんね)


しかし、これも「弱者」であっては対等な人間関係を結べないのでは?
といった危惧を成人当事者に与える原因となっている。


特に、アスペルガー症候群者に対して、「いかに支援べきか」が、確立していない現在、トンチンカンな支援や配慮がされたりして、「対等感」を当事者が持ちにくいといった現状がそれに拍車をかけているような気もする。


もちろん、これらが改善されれば、前述の当事者の危惧は徐々に解消していくであろうことは期待できるが、「現状」はそうではない。


ともあれ、成人アスペルガー症候群当事者の障害の受容の前には


 「発達障害者」となることへの抵抗感
 アスペルガー症候群についてよく言われる事への抵抗感
 自分と異なる二次障害を持つアスペルガー症候群者へ心理的距離の遠さ
 不適切な支援への抵抗感


など多数の壁が立ちはだかり、アスペルガー症候群当事者の障害受容への阻害要素(葛藤要因)となっていることは間違いないであろう。

そして違和感や二次障害が軽いほど、逆に障害の受容には困難を伴う可能性も大いにあると考えられる。



おまけであるが、これらの事から、支援者には、成人当事者が「障害受容」の道筋の途上という葛藤の中にある可能性を考えながら接して欲しいと思うのである。



肢体不自由など、他の障害では既に当たり前化している


「障害者は社会的には弱者、しかし人間同士としては対等」


という常識が、発達障害においても常識となることを切に祈り、一旦この稿を終わる事にする。





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コメント

こんにちは
二次障害のことを指して
「一緒にされたくない」
ということは多々あります。それがどれだけ苦しいのかとか、二次障害がないということがどれだけ恵まれているか、わからないのでしょう。

障害とわかって、答え合わせができたと感じて、もうすぐ4年になるけれど、障害によってできないことをまだ理解しきっていないのではないかと親に指摘されました。まだ「これはできる」と思いこんで、やろうとしてできなくて落ち込むことがあります。

障害について勉強したりHP作っておきながら、まだまだ受容に対してはまだまだ甘いのかなと思った今日この頃でした。

でも人間同士は対等であってほしいと思いますね。

他人事ではないかも…
この話は非常に考えさせられますね。
個人的には、心理検査等により「定型発達者である」と言う診断を受けたのですが、それすらも受け入れ難い部分はあります。
選択肢として「セカンドオピニオン」と言う方法もない訳ではないですが、診断が割れた場合の事を考えると、更なる混乱の元になりそうで躊躇してしまいます。
(『精神的な安定を得られる方の診断を優先する。』と言う方法もあるでしょうが、『意図的な選択はフェアでない。』と言う意識があり、これまた躊躇してしまいますね。)
まあ、この部分は、障害を特定する為のマーカーを持たない「発達障害診断の曖昧さ」故なのだと考えています。

で、後段の「障害者は社会的には弱者、しかし人間同士としては対等」については、なんと言うか…、やはり当事者側から言われると違和感を感じますね。
「対等であれ」と願うのであれば、個人的には「社会的弱者である」とは言って欲しくないです。
もちろん、「支援が必要である」という事は事実だと思います。が、そこにはお互いの「プライド」と「優しさ」、そして「厳しさ」も同時に存在していて欲しいと強く思います。
(『狸穴猫さんの考察にはそれらがない』と言う事ではありません。あしからず。)

また、定型発達者や健常者の中で「自己責任」や「甘え」と糾弾される事柄の中にも、「理解」と「支援」がある事でスムーズに問題解決する事も多々あると思います。
それらも含めて考え、お互いに理解しあう事で初めて、「対等」になれるのかなとも思いますね。

キャラに似合わない胡散臭いコメントで申し訳ない(笑)
慢性的な悲哀
私が自分の受容の過程を理解するのに役立ったので、親の受容の過程の研究ですが御参考までに御紹介します。

「慢性的な悲哀」 障害受容の過程を「ショック→拒否→悲しみ・怒り・不安→適応→再起」の段階ではなく、肯定と否定の両面をもつ螺旋状の過程と考える

=親は、子どもの障害を否定することも稀でなく,障害の告知を受けた後も、家族は子どもの障害の否定と肯定の繰り返しの過程を過ごさなければならない。この障害の肯定と否定は,確定診断が困難な障害や注意欠陥障害や学習障害など診断に変遷と暖昧さを残した障害をもつ子どもの家族に共通する特徴である。

それを「親のジレンマ」の状況とよび,また、そのために生じる苦節の繰り返しを「慢性的な悲哀」=障害児の親が、子どもの障害を知った後に、絶え間なく悲しみ続けている状態とよんだ。このような状況にある自閉症群の親に対する専門家の援助として,日常に起きるさまざまな事柄に対処する方法を具体的に助言することが大切であり,専門家が「親が親としてなすべき事」の理解を助けることで,このような親の情緒的な問題の大半は解決していくと述べている。
慢性的悲哀について共通する特徴を要約すると、以下のようになる。

1.慢性的な疾患や障害のような終結する事がない状況では悲哀や悲嘆が常に内面に存在する。
2.悲嘆は常には顕現しないが、ときに再起するか、あるいは周期的に顕現する。
3.反応の再起は内的な要因が引き金になることもあるが、外的な要因、例えば就学など、子どもが迎える新たな出来事がストレスとして働き、それが引き金となる。
4.この反応には、喪失感、失望、落胆、恐れなどの感情が含まれる。
また事実の否認という態度も並存することがある。=

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/ld/z12020/z1202001.html
障害受容…私も甘かったですね。
先日、動作性の部分で知的障害一歩手前って言われて帰って来たとこです。

漠然とできないとは思ってたけど、ここまでできないとは。。。

認めたくないけど、認めないと前に進まないし、気持ちは複雑です。

あと2次障害もあったりはするけど、喘息の発作のほうがしんどいから、2次障害でしんどいとは思えなくなってしまってるかも。

『アスペルガー+精神疾患』のときより『アスペルガー+身体的な疾患』のほうがキツイなって思うのは私だけなんでしょうか…。
お久しぶりです。
私の場合、人間関係とかでヒステリックっていうかノイローゼを疑って、発達障害と発覚されたタイプなんですわ。
正直いって、驚きました。
発達障害の「は」の文字が出てこない時期だったんです。
今でも「ほんまに発達障害なん!?」と自問自答してる毎日を過ごしてますわ。
こんちゃんへ
二次障害ってやはり大変ですか。

私は若い頃は鬱っぽかった気もするんですが、今は二次障害フリーな方なんで(PTSDのせいで類似症状があるけど)あまりわからないんです。

ただ、はたで見ていると、二次障害も鬱系と強迫系と不安系とパーソナリティ障害系によって周囲の温度差もあるような気もしますよね。

Re: 他人事ではないかも…
そういう事情でしたか…。

セカンドオピニオンもそう考えると難しい問題をはらんでいますね。

はじめADHDや鬱って診断されていて、あとで別の医師にアスペルガー症候群と診断される人も多いようですね。絶対的な「診断できる医師不足」がやはり背景にあるのでしょうね。
Re: 慢性的な悲哀
当事者の受容の過程もまた螺旋状という気がします。

で、否認傾向が強いか否かが、診断される経緯や育った家庭環境などに関わるのではないかとま、こんな風に思うんですね。

ところで、悲哀ってやっぱりありますか?
私は全くないのでわからないんですよ。
奈良人さんへ
私もWAISの符号転記は知的障害一歩手前です。
(なるほど大学入試の数学で苦労したわけだ…絶対的な速度不足が起こる)
検査結果から、「うーん、やっぱり」だったですねえ。
なんか無理して頑張って損したような気が…

後段…うーん、私は『アスペルガー+精神疾患+身体疾患』なもんで…。
私の場合は「痛み」が主症状のせいか、身体疾患の症状が強くなると精神疾患部分も酷くなるって感じです。
みっちゃんへ
おひさです。

みっちゃんの場合、診断から相当経ちますよねえ…
それでもやっぱりいろいろあるんだあ。

やっぱり受診のきっかけと受容の問題ってのは関係が深そう。

はじめまして
過去の記事読ませて頂きました
何気なく読みはじめたのですが、自分に当てはまる事が結構、書いてあり…
正直どうすればいいか分からないです

私は昔から色んな人から変だと言われ、初対面の人にも、変わってるね、と言われ、この前は駅で電車を待っているだけなのに、あの子なんか変、と言われました
普通、ってなんですか?頭がおかしくなりそうです
変、と言われたくなくて他人の猿まねばかりしてきました
でもやはり、周りからの印象は変わりません

精神科にでも行くべきですね
娘は診断名をもらったのに、自分は積極的に診断を取りに行こうとしない理由ってなんだろう?と漠然と思ってたんですが

・診断を受けても得られるサービスは特にない
・いまさらカムアウトしたところで、現在の私という個性を受け入れてくれている人にとっては意味がないし、受け入れてくれてない人がそれで寛容になるとも思えない
・他人から「あなたは障害がある」という意味の言葉を言われた時に、かなりパニック起こしそう(言った人に対して反発したくなる)

さらに加えて、自分自身が環境に恵まれていて
「変った女の子」として色んな人にうけいれてもらえていたので、困り感が少ない

なんだか狸穴猫さんが書かれる、障害を受容しにくい人物像にすごく当てはまる気がします。

今までの人生が、他人より優れている部分を伸ばす事で評価されてきたし
実は出来てない部分がとことん出来てないなんて、思いもしなかったから
(ここらへんが実は抜けてるなあと今は思いますが)
今さら出来ない部分を意識し、自己嫌悪に陥りたくない気持ちがかなり強いです。
せめて小学生ぐらいまでに診断を受けていれば、考え方もその後の生き方も変ってたかもしれないですが・・・
仰る通りそれまで環境次第かも
私の場合はヒゲ達磨さんのコメントの最初のパターンで
「ショック→→→再起」で完全受容ですが、親の幼少期から障害のある子に巡り合うまでの環境、色々な障害の方にどれだけ触れて、しかも良感情になっていたかによって違って来るのだと思います。それに、親はその子を守ること、その子の幸せを優先に考えるので就学など人生の岐路では「迷う」ことはあっても一度受容してしまえばその葛藤はない気がします。

しかし、AS児の場合は社会(定型)適応の程度が軽度な程、受容にその都度揺れるのかも知れませんね。

昔からAS者の認知が広がっていて成人ASさんに触れていれば受容の揺れも少なくなっていたのかも知れませんね。
上記はあくまで「親」についてですが、ご本人の障害受容は(例え我が子でも)そこは又違うのでしょうから何も言えませんが、その方それぞれに合ったご自分に納得できる受容(受容せずも含め)の形が見つかると良いですね。偉そうに聞こえたらすみません。

それから、犯罪ですが、総体的割合から考えれば精神障害者の犯行に比べ定型者の割合の方が圧倒的に多いと思うのですが、精神障害だとそこをメディア側はクローズアップしますよね。
「今回の容疑者は定型者でした」とアナウンサーや新聞記事て一言添えてみれば印象も違うのに不公平な気もします。
マルマルです。「報道の不公平感について」
今回の「受容に関して」のテーマとズレてしまうのですが、上記のRさんの

「事件に関して、容疑者が精神障害だとメディアはクローズアップしますよね。今回の容疑者は定型者でした。と添えてみれば印象も違うのに」
というコメントで考えました。

犯罪報道に、なぜ「精神障害」や「パーソナリティー障害」という文字や言葉が加筆されるのか

それは、その事件の判決に
「ですから、今回は無罪や軽罪になる可能性があります」
という「特例としての注釈」という意味合いがあるからだと思います。

私は新聞に関わる仕事をしていて思うのですが、記事は定型者向けに書かれます。

そうすると、近未来に下されるであろう(無罪や軽罪の)判決の可能性や理由についての説明や注釈として、精神障害であった、という記事は必要ですが、多くの人に精神障害の印象を「悪」や「恐」に傾けてしまうことにもなります。

そこで、もうひとつ必要になってくるのは「その障害に対しての説明や注釈」という部分です。

容疑者に、アスペルガーという文字や言葉が付くのであれば
「アスペルガーと事件を直接結びつけるのは間違い。なぜならば・・・」
という記事は当然必要です。

私は、この点を毎年提案しているのですが、
「そりゃ、もっともだ。やらなきゃいかん。次号から加筆するぞ」という上司の賛同を得ながら、なぜか現実化されず4年の月日が経っています。

「障害には周囲の共通理解が必要」「障害に対する偏見をなくそう」というキャッチフレーズを掲げておいて、
世間の共通理解に一番有効なマスコミがそれを拒んでいるという現実が、なんともやりきれません。




マルマルです「受容の大切さについて」
コメント連打で申し訳ないのですが・・・。

当事者の方の
「障害への受容の葛藤や難しさが、個々人にある」
という現実を知りました。

それをふまえて定型者側からの
「受容してほしいなぁ」という場面を書きます。

ある弁護士さんのコメントですが
「事件を起こした、あるいは巻き込まれた自閉圏内の人にとって、取り調べいう場面がいかに不利益、不当に進んでしまうものか」
という体験談があります。

「おまえがやったんだろ」
「普段から、うらみを持っていたんじゃないか?」
「話につじつまが合わないのは嘘をついている証拠だろうが」

取り調べは、強固な追求という形の「追いつめ」です。

その質問や詰問に対し、自閉圏内の人が主旨を見失い、その言葉、言葉に反応し「それは違うが、これはそうだ」と答えていると、どんどん誤解され真実を曲解されてしまう。

そこで弁護士は、その人を守ろうと「障害」を盾に弁護を展開するのですが
本人が受容を拒否すると、取り調べや接見や裁判の場に置いて非常な混乱や誤解につながり、弁護活動が困難になる。
なので「ごめん」と思いつつ、本人の意に添わずともラベルを貼って弁護する必要も出てくる。
という内容でした。

これは、身近に自閉圏内者の居る定型者にとって
とても共感の持てる例だと思います。

私も、アスペルガーの友人が、明らかに誤解をされて困っている場面において、誤解をしている定型者の人に
誤解の根源を理解してもらおうとすると「障害ありき」で話をしなければ伝わりません。

でも、その友人が自分の障害を受容できてないと、
その反発は、弁護している私に向けられます。

私に限らず、その友人を
「かばうつもり」
「誤解を説こうとしたつもり」
「真実を伝えようとしたつもり」
の人達も、友人の受容の無さのために、話がこんがらからり、新たないさかいが起き、ついには、アスペルガーの友人は誰から守られることもなく、誤解されっぱなしの立場になる・・・
ということもありました。

正直、こういう場面では
「もう少し、自分の特性を受け入れて欲しいな」
と切実に思います。

本人の葛藤、苦しさ、不安は、本人にしか解りません。

定型者も、自分の欠点や問題点を言われたら、まず「ムッ」としますし、なかなか受け入れられない期間もあります。

原因が性格であろうと障害であろうと、受容しがたい感情の抵抗というものは誰にもあると思います。

でも、自閉圏の人、非自閉圏の人に関わらず
「自分の弱点を受容」する姿勢はとても大切で、
そのことにより、自分の名誉や立場や気持ちが
救われることは多いと思います。



ななさんへ
最近の精神科はホント明るい雰囲気ですよ~。

発達障害について診断を受けたいならまずは発達障害者支援センターに行って、医療機関の紹介を受けられるのが早道です↓
ご参考までに。
http://www.autism.or.jp/relation05/siencenter2008.htm
わけさんへ
受けられるサービスが無いのは大きいですね。

息子の診断後、自分のPTSDの悪化がなければ、アスペルガーの診断を受けようとはしなかったかもしれないです。面倒だってのが一番でしたが。

いつでもいいや、どうせそうだろうけど…って感じでした。
Re: 仰る通りそれまで環境次第かも
親御さんもいろいろあるんだと思います。

本人の受容にしても、これから早期診断が増えて、今の成人の受容意外にもまた新たな問題が出てくるのではとおもいますね。

にしても…犯罪については、確かにクローズアップされすぎかなと思いますね。
マルマルさんへ
犯罪の報道については、マスコミの現場も今混乱しているんでしょうね。

発達障害者の関わった犯罪にしても、二次障害の強い例が多いと思うんですけどね、そこんとこはほとんど報道されない。

ほんと、もうちょっと理解が広がればと思います。

=======

受容についてですが、

本人の受容の有無で支援できる事が変わってきてしまうというのはうなずけます。

本人の望まない弁護…でも必要なケースもある…これは矛盾ですねえ。

目に見えない障害というのがやはりネックなんでしょうね。


はじめまして、いつも興味深く読ませていただいてます。当事者です。
社会的には普通人として就業してるし扱われているし、という状況です。
二次障害で対人恐怖がありますけども、よくそれで適応障害を起こして
案件途中でクビになっちゃったりしてます。やれやれ。

自分のいきさつも、元々は本屋でアダルトチルドレンの本を手に取って
そこからいろいろ調べて「境界例の可能性」で止まってたんですね。
で、別件で「多動症の児童」という記事だったか番組だったかを見て
うちの弟が子供だった頃の様子にぴったりあてはまるんで興味が出て
調べ始めて、そこから「あれ?自分も含まれる??」という記述を発見
して今に至るといった感じです。診断を受けて効果があったのは、
やはり対策を取るための手法が誤っていたのを修正できたことですね。
# 境界例と発達障害じゃやっぱり違います

診断を受けてから3年目くらいですが、最初の年はさすがに戸惑いました。
今は何だかそういうもんだ、人生に持ちネタが増えてラッキーだ程度に
開き直ってきたような感じがしています。
櫻澤ゑびすさんへ
確かに対策を打つ手法が確立するってのは診断を受けるメリットとして大きいですね。

診断されると課題が降ってくるような気もしないでもないですが、対処しようがあるのとないのでは大違いですからねぇ。

はじめまして。私はアスペルガー等の発達障害の疑いがある者です。

私は子どもの頃に言語の発達が遅れていて、4歳まで言葉を発していませんでした。それが原因で過去にいじめ(学校・職場)、父親からの虐待、職場の解雇・雇い止め等あらゆるところで人間関係のトラブルが耐えませんでした。(今でもあります。)病院も過去に7回変わっていて、7回目の病院で「アスペルガー」の疑いがあるといわれIQの検査をしましたが、結果は「精神遅滞」でした。それ以外の綿密な検査はありませんでした。大学病院等の検査の紹介状も書いてもらえませんでした。7回目の病院とは手続き等の案内だけで障害に対する親への理解の説明は全くありませんでした。事務的なことばかりでその医師と看護師とトラブルがあり、行くのを辞めました(ていうか辞めさせられた!)それ以前の病院もいろいろと医師等とのトラブルがあり、いやになって辞めました。発達障害のことは何も知らず、精神疾患・障害だけのみの診断でした。それでも人間関係のトラブルが絶えず、「PTSD」等のトラウマだと思っていました。しかし、母親から言葉の発達が遅れていると知ってから自分はおかしいのではないのだろうかと思いました。講談社の「大人のアスペルガー症候群」という本を読んで、本に書かれてある症状とこれまでのトラブルが一致していました。その中で「純粋なアスペルガーのみの症状」が少なく、他の発達障害と併存している場合が多いとかかれてありました。人によってアスペルガーの症状は違うのでしょうか?
また、大人の発達障害は子どもと比べて診断・診察してもらえる病院・診療所が少なすぎます。また、他の障害と比べて支援できるものもないです。こういった発達障害は何も支援のないままあきらめて人間を辞めなければならないのでしょうか?
自分の症状ですが、言語の発達の遅れが目立っただけで、知的障害はありません。学習は中学まではついていけず、高校進学は私立や定時制等しか進学できませんでしたが、養護学校への進学は担任からは何も勧められていませんでした。高校ではクラスで10番台に入っていたことがありました。興味については絵や料理等の芸術的なものには興味はありますし、特技でもあります。最終学歴は短大卒です。人とのコミュニケーションが欠如していて話し方も独特で時に人を苛立ったりしたことが何度かありました。友達もなく、彼氏もできません。人に対する興味がありません。職場では「礼儀作法ができていない」と言われました。言葉遣いも子どもの頃から指摘されました。母親をはじめ家族は私に対する理解者はいません。
kuminさんへ
とりあえず発達障害を専門に診てくれる病院を探して診察してもらったらどうですか?

専門のクリニックとそうでないところではずいぶん違うと聞きます。

あと、二次障害がひどいときは発達検査(IQテスト等)を受けても本来の結果が出ない事もあるので検査結果はそのときのものと思った方が良いかもしれません。

全国に発達障害者支援センターがあり、そこが病院情報や発達障害者就労に関する情報などを持っていますよ。

自閉症協会に発達障害者支援センターのリストがあります↓
http://www.autism.or.jp/relation05/siencenter2008.htm

ではでは
「障害者は社会的には弱者、しかし人間同士としては対等」

素敵な言葉ですね。

私も、ちょっと変わった仕事ですが、誇りを持って携わっています。

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