アスペルガー者にとって対人モードの切り替えと「ありのまま」ということ

先週の月曜から風邪をひいた。


タヌキが火曜水曜と休みなのをいいことに、二日間は家事育児を放棄して男2人にまかせて布団の虫を決め込んだが、木曜辺りになって回復してくると、寝ているのがもったいなくなってくる。

で、あちこちのブログにおじゃましていたのだが、気になる記事を二つほど見つけた。


卵畑さんのブログでの「ありのまま(素)ということということ」という記事

そして、

まちこまさんのブログでの「不可視の薄絹」という記事


これをを読んで思い出した事がある。


一年ほど前だったろうか、3人の定型発達者の心理職の人と話す機会があった。
そこで、かねがねからの疑問であった、

「定型発達者にとって場面によって振る舞いを変える事は自然な事なのか」

ということを聞いてみた。

話しによると、どうやら定型発達者にとっては場面によって、あるいは対する人によって振る舞いを変える事はごく自然な事で、かなり自動的にやっているらしいということが判った。


対人スキルが自然と身につく定型発達者ならではだなあと感心した覚えがある。


アスペルガー症候群者にとっては対定型発達者の対人スキルというのは自然に身につくモノではなく、後付けで意識的に獲得するものだし、「人がいる」という事自体が多かれ少なかれストレスになるので、


アスペルガー症候群者は、対人関係で問題を起こさないためには、


「適切な対人モード」に意識的に切り替える必要が出てくるだろう。


まあ、そのことを冒頭に示したブログ記事では、「布をかぶる、薄絹をかぶる」と表現しているのだろう。


実際、私自身も外に一歩出たら対人モード起動!というわけで、かなりの緊張をしている。


ありのままでいることと対人モードの起動があまり矛盾しない定型発達者とはえらい違いだ。


こういったことも相まってアスペルガー症候群者では「素のままでいられない」ストレスをため込みやすいのではないだろうか?


ことによると周囲に対し「正直でない」といった否定的な感覚を自ら持ってしまいのやすいかもしれないと、あちこちのブログを読んでいて感じた。



しかし、定型者にとっても「振る舞う」があたりまえなのだ。
「適切に振る舞わない」は逆に相手に失礼に当たるようである。


となると、ここは対人モードの起動なり、対人対応用の薄絹をかぶることを肯定的に考えてもいいのではないだうか。少なくとも否定的に考える必要はなかろう。



とはいえ、対人モードの起動は疲れる。
なにせこちとら手動制御なのだ。
そこんところを支援者には理解してほしいともまた思う。



などということを、病み上がりの頭で考えていた。






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コメント

とても興味深い・・・
狸穴猫さんの紹介の記事、二つとも興味深く読んでいた一人です。(コメントもしたっけな???)

素のままの自分でいつづけることって、今までの人生でどのくらいあったかちょっと考えてみました。
4歳くらいまでは、素のままだったと思います。
それからは、何らかの、布・・・仮面・・・現在リアルでの対人モードは鎧です。(甲冑)
人や、場所によって変えていますので、楽に付き合える人もいれば・・・甲冑じゃないとたえられない場所や人もいますね。
うん。素のままでいるよりか、着込んでいたほうがたとえどんなに重たくても、自分は楽・・・って言うのが本音です。
(時々刃の鎧になってしまうことがあるのでその時はさすがに人様に迷惑をかけるので、家にこもります)
狸穴猫さん
こんにちは。

今回の記事を拝見して、自分が定型発達の人達と上手く噛み合わない理由が何となく分かった気がします。

でも、どうしてこちら側(発達障害者側)ばかりが定型発達者側に譲歩してあちら側の人達に合わせなければならないのだろうか?と言う疑問が常に付きまといます。

悪い事もしていないのに「ありのまま」でいる事が出来ないのは、何だか不条理な気がしてしまいます。

対人モードにならなければ辛いのは分かっていますが、私はもう暫らく「ありのまま」で生活してみようと思っています。


振る舞いには疲労がつきもの
確かに、ASの方より定型者の方が、自然に苦労無く身につく事って、はるかに多いと思います。

が・・・定型者も無意識にしているはずの行為が「振る舞い」であれば、知らず知らずのうちに疲労感が蓄積し、体調や精神が疲労困憊のサインを出して初めて「無意識のうちにずいぶん無理していたんだな」と認識することは、多々あることだと思います。

特に、接客・営業・教育、そして組織に属して仕事をしている人などは「どこからどこまでが振る舞いで、どこから本来の自分に戻ったのか」のON・OFFを意識することなく日々過ごしていることも多く、気がついたときは疲弊している人も多いと思います。

まちこまさんは「変なダンス」を告白なさっていましたが
定型の私も、車の中で運転中「大きな声の独り言」で、ONの肩こりをほぐします。
そして、部屋に帰ると「変なダンス」的なこともやっちゃうこともあるのです。

もしかしたら、定型者が人前で「ありのまま」「素のまま」を露呈したら、ASの方よりずっと横暴で酷い印象になるのではと思います。

ASの方の手動的振る舞いには、苦労が及ばないでしょうが、定型者の自動的振る舞いにも、無意識の疲労感が、いつの間にか「薄衣を重ねるように」まとわりついている・・・
ということで、振る舞うという行為は、義務の範疇のしんどさがあるなって
思いますぅ。

定型発達者の譲歩
ホタルブクロ様

「定型発達者が発達障害者に対して譲歩していない」と言う事はないと思います。(まあ、実際の譲歩の程度は人によりけりでしょうが…。)
ただ、お互いが考える「譲歩」自体が異なる為、「定型発達者の譲歩」は「発達障害者にとっての譲歩」ではない、と言う事はあるのかも知れません。

しかしながら、これについては双方向的な事柄であると思うので、ホタルブクロさんの持つ「譲歩に関する不満」は同様に周囲の定型発達者も(発達障害者に対して)持っている可能性はあると思います。
もちろん、絶対的な定型発達者と発達障害者の数の差と言うものはあるので、「生活の困難」と言う点では発達障害者は(定型発達者と比べ)不利であると言えます。ですが、それを不満として表明されてしまう事に対しては、定型発達者として個人的に「不条理である」と感じます。
(お互いに何か意図があり、定型発達者と発達障害者として存在している訳ではないですから。)
リンクと考察をいただき、ありがとうございます。
私の場合、「適切な対人モード」というような高尚なものではないですが;;
布を被ったって、対人関係で問題が起こらないことはありませんから。
ただ、動くもの(人を含む)に注意を払ったり、歩く際に壁をよけたり、会話したりができるようになるというだけです。
(素の状態ではこれらができません。)
きっと、定型の方は私が考えるよりもっと高レベルなところで、社会スキルを使う努力をされているのだろうと思っています。
疲れますが、アスペルガーの特性から疲れているのかは不明です。
私の性格なら、定型に産まれても疲れていたかもしれません。
ボイド・アルゴリズム
海鳥やカツオに追われる鰯の群れや夕暮れに大きな塊となって飛び回るムクドリの群れ、公園のハトの群れなどの動物の群れは「誰かリーダーがいて指示している訳ではないのに、全体として秩序ができている。群れることで、天敵から自分が狙われる確率が減る、周囲を警戒する負担も少なくなる。群れは進化論的に発達した」。

この群れの動きは、次の3つの動作規則(アルゴリズム)・ボイドでシュミレーション、コンピューターで再現できるそうです。
1、整列(Alignment)
近くの仲間と進む方向やスピードをあわせる。
2、分離(Separation)
ほかの仲間とぶつからないように、仲間に近づきすぎず、離れすぎずの距離を保つ。
3、結合(Cohesion)
集まっている群れの中心方向へ向かうようにする。

(アメリカのアニメーション・プログラマー、クレイグ・レイノルズが1987年に考案・作製したボイド(Boids)というアルゴリズム。名称は「鳥もどき(bird-oid)」から、ボイドを採用した最初の映画は、1992年に公開された『バットマン ・ リターンズ』で、コウモリの群れとペンギン軍団の動きに使われたそうです。)

これって、定型の方々の行動パターンじゃありませんか??他人につかず離れず、場の空気や流れを読みあって、思いやりをもってやっていることじゃありませんか??人間社会には、群れのリーダー、上司とかがいるから、3結合(Cohesion)は、上司の指し示す方向となり、組織原則としては「指揮官先頭」となるのでしょうが。

私は、どれも無理だ。1、整列は、共感や同調ということだし、2、分離のつかず離れずの関係を作るのも難しい。
群れのリーダー、上司が間違っていると思えば、「どうしてそんな事をしなけばならないのか!!(怒)」となってしまいます。群れる本能がないという発達障害の宿命!?。

普段は、これができるような顔をしている。いわばボイドの仮面をかぶっているわけで、これが息苦しい。

さて、群れはアリにしろ、ミツバチやハトにしろ、個体の知能をこえた群れでの賢明な行動をとりますが、これを群知能とか集合知というそうです。「三人寄れば文殊の知恵」というやつです。この群知能の研究によれば、株の投資家、グループで研究する科学者、ガラス瓶に入った豆の数当てクイズに参加する子どもたち――どんな集団でも、構成員が多様で、それぞれが自立して考え、投票やオークション、あるいは平均をとるといった方法を採用すれば、賢い判断が下せるのだそうです。集団が知性を発揮し群集が賢くなるのは、あくまで一人ひとりが責任を持って行動し、自分で決断を下す場合だけ。お互いのまねをしたり、流行に安易に流されたり、誰かが動きだすのを待っているようでは、その集団は賢くなれない。つまりボイド・アルゴリズムに支配されている集団は、会社にしろサークルにしろ、群知能「三人寄れば文殊の知恵」が出てこない、むしろ集合暗愚の群れとなるわけです。
そう考えると、群れる本能がない発達障害者は、群れ全体のバランサーという役回りなのでしょうかね。
ちょっとした疑問
そもそも、「素」とか「ありのまま」ってどんな状態なんでしょうね。
個人的には、「素」であったり「ありのまま」でいられる状況と対人スキルを使用する状況は、ほぼ同時には存在しないと感じます。(この部分はかなり個人差が大きいでしょうね。性格なども関係するでしょうし。)
とは言え、「真夜中に一人で何かしている時などがそうか?」と考えると、それも違うかなと感じてしまいます。

ですから、「素」とか「ありのまま」と言うのは、対人関係(もしくは集団)の中での「ある状態」と言う事なんだろうと思うのですが、具体的な場面はあまり思い浮かびません。
強いて挙げれば、大学生時代などは近いかな。
ですが、学生時代の様な束縛の少ない生活ができるかと考えると、かなり難しい(ほぼ無理)ですね。社会的にもあまり適切でない生活態度でしたし(笑)



お久しぶりです
フムフムと拝読させて頂きました。
大多数が定型者社会に於いて発達障害をお持ちの方は(に限らずどんな障害をお持ちの方々も)おそらく大変なご苦労をされてらっしゃる思われます。

そんな中、対人関係に絞って言えば比べようがないのですが、定型者ならではの苦労や疲労もあり‥‥‥‥‥
わかりやすく言えば、極端な例ですが車椅子使用の足の不自由な方には経験する事のない『走り過ぎた時の筋肉痛』や『躓いた時の捻挫』等‥‥‥‥‥‥

要するに、対人関係に於いては皆頑張って生きているのだなぁと感じます。

さて、今回の記事を読んだ感想は‥‥
やはり対人関係に絞るとですが、『合わせる』ということをしなければスムーズに行かない発達障害の方は他の障害をお持ちの方よりも気の毒な気がしてきました。身体障害の方々は協調はあっても『合わせる』事はせず自分らしくいられ、又知的障害の方々は『合わせる』こと自体がわからず自分らしくいられ(しかし、自分の子だって人に伝わらない困難、ストレスなら十分にありますが、それでも十分自分らしいです)

発達障害の方々には自分は障害があるからと周知して貰い「障害があるのだから仕方ない」という理解のされ方で良ければ『ありのままの自分』でいられ、疲れないと言う選択肢もあるでしょうが、それでは対等の関係は無くなってしまいますものね。
片方ばかりが合わせるのは良くない気がしますし『ありのまま』『合わせる』って難しいですね。

遅くなりましたが、今年も宜しくお願い致しますm(_ _ )m
こんにちは。
記事のトラックバック&考察をありがとうございます。
『手動切り替え』という言葉、ぴったりです。

>となると、ここは対人モードの起動なり、対人対応用の薄絹をかぶることを肯定的に考えてもいいのではないだうか。少なくとも否定的に考える必要はなかろう。

この言葉が、とんとんからりと適応の布を織り続けてきた「こころの肩こり」に効きました。ありがとうございます。
(トラックバックの文章が、「ふしぎなおどり」で切れて・・・!失礼しました>o<)
対人モードの起動は、定型者にとっては「相手や周囲に対するマナー」「思いやり」「サービス精神」「人間関係の摩擦を抑え、快適に過ごす手段」など、お互いの感情や感覚にプラスになるものとして、捉えられているので、

アスペルガーの方は「抵抗感」や「罪悪感」のようなマイナス感覚を抱く・・・という感覚の差異を、お互いが照らし合わせることが、相互理解の一歩だと思いました。

私の住んでいる県は、「酒処」と言われるほど酒席を軸とした飲みニケーションが主流の地域性があります。
まずは酒を酌み交わすことから人間関係が始まる、という感覚で、私のような「体質的にアルコールを受け付けない」者は「なんで、私の杯を受けられないのか」と怒られたり「飲めぬことはない、飲め」と強制されてきました。

周囲が「酒を飲む」ことでコミュニケーションを図る中で「飲まない」のは、相手を受け入れない無作法者として叱咤されるばかりか「可哀想に。人生の楽しみを知らないままで生きるなんて」と決めつけられた事も多々ありました。

当時は「車で来ている」と言っても「いいから、飲め」と、お酒が飲めないことが許されない風潮でした。

さすがに、今は飲酒に関する規制が厳しくなり、健康指向のブームや、個人主義が許される風潮もあり、一昔のように無理強いされることもなくなりました。

が・・・多数派のあらがえない圧倒感というものを味わい「理不尽だ」と悲しく思った日々を経験しました。

そういう場で数回の摩擦や対立を経験した私は「私は皆と違う! 飲めないんだ」と主張する気力を失い、
当時は「父が警察官をしていて、飲酒運転が出来ませんので、ここは私から、あなたにお注ぎします」と嘘までついて、自分の身を守りました。

そういう時は
「とにかく、摩擦を起こす事なく穏便に切り抜けよう」という気持ちで、
嘘をつくことの罪悪感や違和感など感じもしませんでした。

そういう経験から、しつこいセールスの電話などにも「もう、いいかげんにして!」と怒る本音より、「せっかくですが、その商品はもう購入してますから」と穏やかな嘘の方が、相手にも不快感を与えず納得してもらえる、つまり私も気がラク、という対応も身に付きました。

でも、いくら処世術が身についても、過去、自分が経験した少数派の苦痛感覚を忘れてはいけないと思ってます。

多数派に属している時は、視野が狭くなります。

違和感や孤立感が、人や社会の見方の視野を広げてくれると知りました。

そういう観点から、ヒゲ達磨さんが、ご自分達のことを「群れのバランサーという役回りなのか」とコメントされていますが、本当にそうだと感じます。

時代が変わり、お互いの「違い」への興味と理解が広がれば、発達障害の方の存在価値はもっと高く、もっと尊重されるものになると思います。

そういう意味では「ASを紹介する本」と「ASから見た定型者の本」の両方の読み比べて、初めて多数派は自分の世界を見直すことが出来るのではと思います。

テーマと逸れてしまってすみません。

お互いの、または個々人の違いを理解するうえで、体質や脳器質などの根本的な違いを知ることが、多数派と少数派の向き合う根源になると思いましたので。
こんばんは。

私は、手動で対人モードを切り替えてますが、完全には出来てないようです。
時折、素の部分が出てるようで。。。

仕事中に素の部分が出てしまうと、えらく大変なことになってしまうのですが。。。。

それだけ、不完全ってことでしょうね。
こんにちは
今回の記事を読ませてもらって気持ち的に楽になりました。私は振る舞うというより演じるという感覚なので自分を偽っているとか人に嘘をついているという罪悪感がありました。嘘=悪いことというのが私の中のルールにもなってしまっているので相手を思っての嘘さえ罪悪感を感じるというか嘘をついてはいけないと、つい思ってしまい余計なことを言ってしまうこともあるぐらいです。
だから、演じることにすごく抵抗がありました。
でも演じなければやっていけないのが現実だったので、どう生きればいいのかわからないままでした。
でも、定型発達者も発達障害者も仕方は違っても演じている(振る舞っている)のだとわかり、そんなに悪いことだと思わなくていいのかもと思えました。
ありのままの自分というのは私には想像もつかないですけど(いつも気を張っているので)演じているときの自分も自分として受け入れれば楽になれそうです。その時に定型発達者の人とは元々、違うことや演じても同じような行動をするのは難しいことを忘れないようにしないとなとも思いました。
自己防衛の手段として
こんにちは。
被りものを被る行為に関して「抵抗感」や「罪悪感」といったものは
感じたことがありません。そうしないと自分がやられてしまうので、
自己防衛の一環として「するべきこと」と認識していました。

恐らくこれは子供の頃から「異質なもの」としてさんざんいじめられた
ために構築された防衛手段だからだと思います。まだ誰もアスペルガー
症候群なんて知らない時代で(無論自分も知りません)単なる転校生と
していじめられてたんですけども、既に世の中は異質なものへの強い
抵抗を行為で示すんだというのが身に沁みていました。なので自分の
人生を少しでも円滑なものにするために盾となる人格を別途用意する
ことは至極当然のことだと考えています。
はじめまして。
去年診断がおりて日々悩み・反省し、勉強をしている真っ最中の当事者です。


私の感想はクロさんに似ています。
私も「演じる」という感覚です。
そして「演じる」自分が許せず、でも「素」の自分が分からず悩んでいました。

自分だけではないという事が分かり今までの「自分はおかしい」という思いは軽減されるかもしれませんが、「自分を受け入れる」という作業はまだ時間がかかりそうです。
Re: とても興味深い・・・
はるぽんさん、こんにちは。

私は素のままが長かったのでいじめられたような気がしますわ。(小学生当時)

定型発達児では2~3才くらいからごく自然に「振る舞う」ということを憶えるようですね。

なんとも不思議です。

ホタルブクロさんへ
ホタルブクロさん、こんにちは。

ありのままでいたいという意識はAS者の方がつよいのかな。

ありのまま…これもストレスの元になるので無理しないように気をつけてね。
Re: 振る舞いには疲労がつきもの
定型の方でもやはり無意識のうちに疲労がたまる物なのですね。

逆に自動制御だからこそ困難な環境下でもギブアップできずに「無理がたたる」ことがあるのでしょうね。

人間関係って難しいですねえ。

卵畑さんへ
私の場合も、意識していないと、ドブに足をつっこむくらい意識が飛ぶ…というのはあります(爆)。

ドブに水が無かったので事なきを得ましたが…。

さんざん亭主にコケにされました。
Re: ボイド・アルゴリズム
おもしろいお話をありがとうございます。

ボイド・アルゴリズムですか。
人間もそういった動きがあるのでしょうね。

しかしおっしゃるとおり「あ、どれも無理~」ですね。
かといって、適当に仮面はかぶらないと群れから排除される。

果たして群れに属してバランサーをやっているのかはぐれ鳥なのか…
うーん、わかんないですねえ。
Re: ちょっとした疑問
まあ、周りを意識せずに見つめたい物を見つめ、思った通りのことを表現していられるのが素のままってことなんじゃないかと思って書いてましたが、突き詰めると難しいですね。

覚醒状態に問題のあるタイプの場合(って、私か…)普通を行動するだけで意識を集中しなきゃならないですけど…。

対人スキルだけで良い場合と、2種類考えなくちゃならないかもしれませんね。
Re: お久しぶりです
うーん、判りやすい例ですねえ。
定型者ならではの苦労…あるんでしょうね。

何故か発達障害者の方が「ありのまま欲求」が強い気がします。
これは「振る舞う」が自然でない事から対比的にそう考えやすくなるのではないかと思うのですが…。

こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
まちこまさんへ
手動切り替えですよ~。

ツボにはまって何よりです。
膏薬になれる幸せ~ってか?



奈良人さんへ
完全ってのはあり得ないですよ~。

ほころびは出るもので…ああ、いかんいかん。
ほころびが出ないのにはヒッキーするのが一番ってな感じで私は半ヒッキー生活ですが、慣れないとたまに外出たとき疲れるし…。

善し悪しですわ。

奈良人さんはずっと外に出ているだけえらい!
Re: こんにちは
実は嘘をついているような罪悪感…結構お持ちの方が多いようなので今回の記事を書いたんです。

少しでも気持ちが楽になってくれたら嬉しいです。

無理しない程度にがんばって明るいアスペルガーライフといきましょう!
Re: 自己防衛の手段として
過酷な環境にいた人は、肯定的というか「必要悪」として素のままの自分を出さないで対人モードで行動することを受け入れやすいのかもしれません。
それだけいじめが過酷だったんでしょう。

余り無理せずにいられる場もあればいいんでしょうねえ。


mianさんへ
診断がついても診断についての受け入れることも結構大変ですよね。
無理しないでいきましょう。
とっかかりが見つかったという事で(^_^)。
教えていただきたいのですが
狸穴猫さんの
『とはいえ、対人モードの起動は疲れる
 なんせこちとら手動制御なのだ
 そこんところを支援者には理解して欲しいとも また思う』
というコメントで「ハタと」ここが一番大切な部分ではないかと思いました。

ASの方と会話していて、突然、席を立たれて去られたことがあります。
こちら側としては、世間話の流れの中で、ごく簡単な質問をしたつもりが、
当人にとっては「どうにも耐え難いほど不快に思え、追いつめられたような気がした」らしいです。
気軽に聞いた人は「困ったような表情もなく、ディベートのように果敢に言い返してきたから、、そんな事を聞いてるのじゃないとよと言い返したら、突然席を立ったので驚いた」
と言うし、同席していた私も、ASの人が不快そうにも苦しそうにも見えなかったので、びっくりしました。

でも、このテーマの皆さんのコメントを読ませていただいて、ASの方が、どんな質問の仕方に困るのか、どんな対人場面で苦しくなったとか混乱したとか、教えていただければと思いました。

千差万別、人それぞれだとは思いますが、基本的なパターンだけでも掴みたいと思いますし、具体的な内容から、イメージが持てるのではないかと思いまして。



RE:教えていただきたいのですが
何が苦手って、そりゃ世間話ですよ。
真顔で答えると白けるし、かといって答えに困るし…という話題が多いですね。

基本、すり抜けができないんです。

マルマルさんの出してくれた例ですが、真顔で答えるて切れちゃうってのは対人モード起動していないって感じですね。
真顔で答えたのに「そんな話しじゃない」と言われて否定された様に感じちゃったのかな。

なるほど・・・
世間話って、個人的なことから際限なく広がりますもんね。

「すり抜けが出来ない」ということは、定型者が思いもよらない盲点だと思います。

ひとつの質問や言葉にとらわれているうちに、会話がどんどん進んで行く、というのも「すり抜け」とか「受け流し」が苦手ということかも知れませんね。

ASの方には、唐突に話しかけるのではなく
「こういう話題をしようと思うんだけど」とか「話はかわって○○について、聞いていい?」など、前フリをすると、少しは対人モード起動に、役に立つでしょうか?

定型者は、ストライクゾーンが広過ぎるくらい広いと思うので、何でもキャッチしてそれなりに投げ返すのを無意識にやっちゃってるんで、
ASの方とのやりとりのコツを知らなければならないと思います。
マルマルさんへ
「どうにも耐え難いほど不快に思え、追いつめられたような気がした」らしいと書かれていらっしゃいますが、その当人に聞かれましたか?その時に、どの部分が耐えられなかったのか、聞かれたら良かったでしょうに。対人コミュニケーション自体が大変なことである人にとっては、そのことだけでいっぱいいっぱい、余裕などありません。予定外の事なんてあったらダメなんです。「そんな事を聞いているんじゃない」がマズかったのではないでしょうか?話の方向性を変えようとされると、どうしていいのかわからなくなります。特定の部分でおかしくなったのならフラッシュバック、タイムスリップもありますが。
説明不足でした。
ASの人が、会話の途中に突然席を立って去った理由は、翌日、本人に聞きました。

友人は、ASの人に「そういえばさ・・」と「過去、不仲になった友達と仲直りしたの?」と聞いていました。
「した」か「しないままか」だけ知りたかったので聞いたそうです。
しかし、ASの人は「そんないやな思い出をどうして突然きくのだろう?」ということに強い抵抗感を覚え、混乱したそうです。
私なら「ああ、そういえば、まだ仲直りには至ってないんだよねー」と、答えたと思います。それまでの会話の内容が友人関係の話題の流れでしたから、その質問が出ても自然だと感じたからです。

もし、ASの人がちょっとでも不快そうな顔をしたら、友人も「あ、ごめん、イヤな事に触れちゃった?」と言ったでしょう。
でも、そういう表情も全くせず「自分はあの時、間違っていなかった」ということをトウトウと力説しているように見えたので、友人は「そんな事を聞いてるんじやないよ、あのね・・」と言いかけたら、突然離席してしまったのでした。

そのASの人は、数回会いましたが、世間話にも結構対応できているように見えて、会う度に冗談を連発して、周囲を笑わせていたので、こちらもすっかりリラックスしていました。

友人も私も、本やこのブログでASの方の特性やコミュニケーションの苦労や苦痛を頭では理解していたつもりでしたが、いざ私達を受け入れて(いるように見えた)、とても楽しそうに話している(ように見えた)当事者の人と接すると、とてもイッパイイッパイで余裕が無いようには感じられなかったのです。

annoさんのコメントで初めて知ったのですが「タイムスリップ」というのは、どのような感覚なのでしょうか?
よかったら教えてください。

知識も活用できなくては、無意味だなと痛感した出来事でした。
マルマルさんへ
タイムスリップはフラッシュバックと同じような意味でつかわれます。厳密には違うかもしれません。ほんとにその時に戻ってしまうので。アスペは記憶力がいいです。忘れられないといったほうが正しいかもしれません。何かイヤなことがあった時、その時の状況や具体的な言葉、その時の不快感まで覚えている。それにイヤでも自分からイヤとは言わない。我慢して我慢して耐え切れなくなったところでドカン。
定型が発達障害者を理解するのが難しいのと同じように、アスペルガーにも定型を理解して尚且つそれに合わせなければならない困難があるんですよね。
アスペルガーにしてみればサイズの合わない服や靴を無理矢理身につけているようなものですね。当然窮屈で肌がキズついたりカブれたり息苦しいなど不快感が伴います。
定型が発達障害者を理解しなくとも非難されることはまず無いけど、アスペルガーが定型に合わせなければ十中八九非難されるんですよね。これってものすごく不公平なことだと思いませんか?
定型にアスペルガーを理解しろというつもりは毛頭ありませんが(とゆうより既に絶望してますが)、理解しろとまではいわないけど、理解も受容もできなくともそれを認める努力くらいはして欲しい。
定型に無理矢理合わせようと必死になっても合わせられないアスペルガーは心身共に悲鳴をあげてます!
シンデレラのふたりの姉はサイズの合わない靴を履くために指を切り落としたり踵を切り落とすなど、見るもおぞましい努力をしてるわけですが、アスペルガーが定型に合わせるためにやってることもそれと同じくらい苦痛が伴ってるんですよ。
しかも結局はおせっかいなカラスに踵から血が出てることを指摘されてすべてがオジャンになってますし。
ともかく定型発達者には傍から見たらどんなに馬鹿げたことでも、当のアスペルガーにはそれこそサイズの合わない靴を履くために指や踵を切り落とすほどの苦痛を伴う努力をしているのだということだということだけはわかってください。
アスペルギルスさんへ
アスペルギルスさん、こんにちは。

確かに定型社会にあわせるしかない…でなきゃ隠遁生活ですねえ。

あわせるための努力の発想をちょっと変えてみたら楽になれるんじゃないかなあ。

今は「定型者の情報」が少ないから「無理に」、「アスペルガー者の苦手な見よう見まね」であわせている人が多いのだと思います。

確かにこれだと、違和感は大きいし、精神的負荷も高いですよね。

これをアスペルガー者の得意な「理詰めで理解」に代えていけたら、負荷が相当少なくなるんじゃないかと思うんですよ。

ま、私はそういうコンセプトで記事を書いているわけです。

ではでは
レスありがとうございました
何だか殆ど愚痴みたいなコメントにていねいなレスつけてくださって恐縮してます。
今度からはもうちょっと考えてコメントするようにしますm(_ _)m
こうゆう発言をアスペルガーが2ちゃんですると、だいたい氏ねとかいわれて周りからフルボッコにされるんですよね。
真面目なスレを立てたアスペルガーがアスペルガーってだけで、フルボッコにされてるのを見たことあるし(T_T)

2ちゃんでは最近は「アスペルガー被害者の会」なんてスレが乱立していて、アスペルガーが散々ないわれようなんですけど、定型ってアスペルガーに対して腹の底では皆こう思ってるんですかね。
2ちゃんはある意味人間の隠れた本心を写し出す鏡みたいなものだと思いますが、幼稚園から小中学まで男子から集団で殴る蹴るのいじめを受けてた自分としては、加害者が被害者ぶるなといいたくるのですが、こうゆうのを見てるとますます人間不信が酷くなりそうです(; ̄_ ̄)=3
RE:レスありがとうございました
つづけちゃいます。

2ちゃんは隠れた本心というより揺れ動く心理の「自己中な方」が出るんだと思います。

アスペルガー者は本心は振れ幅が少ないですが、定型発達者の場合かなり個人内で振れ幅があるんですよ。

天使の顔と悪魔の顔、二つがせめぎ合って、両方とも本心というのが定型者の常だと考えれば考えやすいです。

この問題は近いうちに記事にしますね。

2ちゃんはあまり気にしない方がいいですよ。



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狸穴猫のおすすめ(その2)
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