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さて、困難すなわち、困っていることにはサポートが必要である。
それが障害ゆえなのだから支援は必要だ。
足の不自由な人に杖や車いすが必要なように、
目の不自由な人に点字が必要なように、
想像力・社会性やコミュニケーションにおいて不自由なアスペルガー者にも支援が必要である。
では、どのような支援が必要かだが…
1)アスペルガー当事者本人の困り感を解消する接し方をすること。
2)障害によってもたらされる様々な不利益とその原因を理解するよう指導すること。
3)それを解消するための本人の持つべき知識を明確にし、知識を身につけ、運用できるよう指導していくこと。
4)本人が2)3)の段階で「はまる」だろう葛藤に寄り添い、認知を助けること。
5)障害に関して家族が持つべき知識を明確にし、知識を身につけるよう指導していくこと。
6)家族の心理的なケアをすること。
7)(職場等で上司等やジョブコーチが)アスペルガー者の「困り感」、「受けやすい不利益」を理解し、それを軽減するよう、環境調整をしたり、本人に働きかけたり、周囲とのコーディネートをはかること。
こんなところだろう。
こう考えていくと、「教育」に近いかもしれない。
また、最後の問題は社会福祉活動として解決されるべき問題だ。
まあ、アスペルガー者が「困ったちゃん」として、職場をはじめあちこちで排斥されてしまうのは、「社会」がいまだアスペルガー者の存在に対する対処法を知らないからに過ぎないと思う。
対処法さえ確立してしまえば、「上司などが、上手く指導し、コーディネートすることで上司自身の社会的評価が上がる→支援がさらに進む」などの、好循環が生まれていくはずである。
さて、医療に期待できることはそれまでの誤認識、認知の偏りの訂正課程における心理的フォローと、アスペルガー者の起こしがちなトラブル事例の社会へのフィードバックである。
葛藤がある以上、ストレスが生じるだろうし、それは小さくはないだろうから、心理的なフォローがあった方がいいだろう。これは医療カウンセリングの領域だ。
さて、もう一つの社会へのフィードバックについてだが、
アスペルガー者にもっとも接する機会の多いのは「精神科の医師」だろう。
アスペルガー者にどういった誤認識、認知のゆがみが生じやすいのか、具体的にはどういった現象となるのか、それを集積していけるのは「医療の場」をおいてほかにないだろう。
「できるのは診断までで成人アスペルガー者に医療ができることはない」
よく聞く話だが、そういうことは全くない。
医師・医療関係者のネットワークを通じて、アスペルガー者が陥りやすい誤認識、認知のゆがみの情報などを集積し、社会へ、テキストとしてフィードバックしていくことこそが医療の担えるアスペルガー者支援の役割ではないだろうか。
しかし、もちろん、これには診療報酬などは出ないから、各種「学会」の自主努力や、公の機関がやったり、また資金面など公から補助する必要があるのはうまでもないだろう。
次回に続く


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