アスペルガー者をめぐる「困難」について(3)-ありがちな誤認から-

さあ、歩こう。

というわけで、続き、第3回いきま~す。

第1回第2回

==================
教育が必要であることをちょっと具体的に考えてみたい。


対人スキルでネックになる誤認をあげて例を挙げて考えてみよう。


「人の身になって考えなさい」
「自分がされていやなことは他人にしない」

という、昔からよく言われている(そしてアスペルガー者もそ
れを多数回いや、耳にタコができるほど耳にしているはず)言
葉である。


ただでさえ「人の身になって(自分と立場を置き換えて)考え
る」は感覚的に苦手である。
ま、その件に関してはちょっとおいておくにしても、


「人の身になって(自分と立場を置き換えて)…」も「自分が
されていやなことを…」


それが通用するのは「感じ方が同じ」場合にしか成立しないの
だから、定型発達者にとっては「正しい認識」であっても、アスペルガー者にとっては「誤認識」となってしまう。

そしてひたすら、この誤認識に基づく対応をしようとすることは大いにある。


…というか、その可能性が非常に高い。
(それだけ耳にタコができている…私もだが)


その結果、本人の意図とはまるで違う評価


「人の気持ちを考えていない」
「人の気分を逆なでする」
「冷たい」


などの評価を周囲から受けてしまうことも多々ある訳だ。

これをどうにかするには

アスペルガー者は、定型発達者に対応する時はむしろ

「自分にあてはめて考える」ことをやめて、
「定形発達者の感じ方、目線で考える」ということをしなけれ
ばならない。


「自分に当てはめての言動」→「不評を買う」

          ↓

「定形者の感じ方をベースに考える」→「平穏・好評価」


と、言動・行動パターンを変えればいいわけだ。


ここに支援者にサポートしてほしいポイントがある。


「定形発達者はこう感じることが多い」
「定形発達者はこう考えることが多い」


という情報を提供してほしいということだ。


この情報があるとなしでは大違いだ。



が、前にも何度か書いたように、定形発達者の感じ方、目線と
いうのは、定形発達者にとって当たり前過ぎるので定形発達者
は誰も分析してくれない。


仕方ないので、私などがこのブログでぼちぼち分析などをして
いるわけであるが、資料が足らん、実例がたりない。正直、ど
こまで通用するか、こちとら一当事者であるから、自信もない



ま、それはおいておくとしてももうちょいと問題がある。


言動・行動パターンを変える際には当然、アスペルガー当事者に心理的な負担がかか
る。

なぜなら自閉圏者の特性として「変化を好まない」というのもあるからである。

ついでに「なぜ、私だけがそれをやらねばならないのか?」といった疑問・葛藤も生じる。


ここに医療カウンセリングやピア・サポートといった支援の必要性が生じてくる。

とにかく、「定型者には当たり前でそれで正しい」方策が、アスペルガー者の足を引っ張ってしまうから「誤認識」となってしまうという不可思議な現象がごろごろ転がっていて、杖(定型者に関する知識)なしで歩くのは危ないといったことがあるのである。


適切な対人スキルの教育が必要である所以である。

が、そんな体制(特に成人対象)はどこにもないが…ってのが大きな問題ではある。


次回に続く





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ま、その…
誤認だらけだっtり
するかなあ。
…って
関係ないけど
ぼちっと↑
お一つ。


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コメント

確かに.....納得しました、同感です。
「己の欲せざる所人に施すことなかれ」を私の座右の銘にしております(それは自閉症スペクトラムのある私[教員]が、同じような自閉症スペクトラムある子の支援に対してです)。やっぱり、定型発達とは判断、思考の基準が異なっていると思います。そこを定型発達の人たちが理解することって、とても難しいと日々感じています。感じ方、とらえ方が違うわけですから.....無理解や誤解が多いのだと思います。そういう意味を込めて私も理解啓発のためにブログを書いています。

これからも度々、訪問させていただきます。よろしくお願いします。

理解啓発のためにがんばってください!
佳境
いよいよ佳境に入りましたね。
コメントは4回目が出てからにさせてもらいますが、最終回が楽しみですね。
そうなんですよね!!
定型発達者の感じ方や考え方を知らないと、
自分なりに一生懸命考えても、不評を買う行動になってしまう。
子供には、同じ道を歩ませたくないので、出来る限り教えてやりたいです。
でも…悲しいかな…当事者の限界を感じます。
第4回を楽しみにしてます。

私は…
定型発達の人は、自分と感覚が全く逆だと思って行動するようにしてます。

自分がちょっとイヤだなと思うことが逆に喜ばれたりするのでしんどいけど(汗)。
小学生の頃
「自分がされたくない事は人にもしない」を守って、「ごめんなさい」の言えない子でした(苦笑)。
重大なごめんなさいは言えるけど、ちょっとぶつかって「ごめん」レベルの軽いものに関してです。

日本人の場合、この軽い「ごめん」は、後に必ずと言っていいほど「そんなことないよー」「大丈夫だよ」等言わなければなりません。
私はそのやり取りが煩わしかったのです。
よって、他の人にも言い辛いという図式が出来上がりました。

この謙遜というかへりくだりと言うか、そういったやり取りって面倒だなぁと思います。
発達障害先生へ
あは、理解啓発ですかあ。

ふらっと書きたくなることを書いてるだけなんで…
そういわれるとなんだかちょっと恥ずかしいっす。

書きたくなることが社会向きなのかしらん。

うーん、がんばります、はい。
Re: 佳境
尻すぼみかもしれません。
気合い入れて推敲しないといけませんね。
絢未さんへ
そうなんです。
できるだけ若いうちに知っておいた方が便利かなと。
そんな老婆心ですわいな。

もっと当事者と医療関係者が手を携えられたらと思います。
Re: 私は…
実例を知りたいですねえ、ふっふ。
Re: 小学生の頃
ふみ、他人に余計な気遣いを言わせるのがいやだったんですね。
わかる気がします。

私は、何で周りが年中笑ってるのかわからなかったクチですね。
アドバイスの受け入れ
お忙しい中、論考の執筆、ありがとうございます。


「自分がされていやなことは他人にしない」

このルールは、受け入れやすかったです。
分かりやすい平等原則だからでしょうか。
この原則を変えて、例えば、

「人はみんな違うのだから、何が嫌で、何が嬉しいか、
 気にしてみようね」
そんなふうに、子供の頃から指導されたら、
そして、嫌がらせた事実を提示され続けたら、
関心の持ち方自体を誘導されたでしょうか。
更に、背後にある考え方自体も、
「他人が嫌なことはしない」
「他人が喜ぶことをする」に転換できたでしょうか。

それとも、
「正しいことを言う」を支えにしてきた私は、
やはり、
「本当のことを言って、なんで悪いんだ」と反発したか・・

自分が気づいていない、知らない事実を提示されるのは、
受け入れやすいですが、
関心の持ち方、考え方の歪みは、指摘してくれても、
反発してしまいがちです。
困っているくせに、「困難」に気づいていなかった
のでしょうね・・
Re: アドバイスの受け入れ
小さい子の場合、反発をいかに避けながら誘導するかに療育者の腕の見せ所でしょうね。

大人になってからは「世渡りの杖」として知識として入れていく事になるのでしょうが、初期の反発はやはりあると思います。

そのあたり、グループワークや自助活動(ピア・サポート)などの助けがぜひ欲しいところだと思います。


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