謝ることのできないPDD当事者が多いという記事があった。
http://blog.livedoor.jp/ohanami_road/archives/51319556.html
(ベンボー提督亭/SILVER船長さん)
確かにそうかもしれないと思った。
印象に残ったのがこのくだり。引用しておく。
自閉症者はよく、ストレートな物言いをして相手を傷つける というのがありますが、
本人は、そのストレートな物言いのどこが悪いのかがわかりません。
それどころか、
「思ったことを、そのまま言ってなにが悪いんだろう?」
です。
★思ったことを、そのまま言ってなにが悪いの?
★相手だって、自分の気に障ることを言う場合があるのに、どうして自分ばかり責められるの?
★自分には、○○という理由がある。理由があるから謝らない。
ネットを通して、成人当事者何人かと関わってきましたが
謝れない当事者は少なくありませんでした。
こちらが怒った…ということを告げると、
「自分には、○○の理由があった!」
「そっちだって、こういうことがあっただろう!! (←逆切れ) 」
「これは、○○で、××だった。だからそちらが怒る理由にはならない」
「これは、△△が、××で… (←まったく別な次元の話しを持ってくる) 」
「自分は、○○な良いこともした。 (←これもまったく別な次元の話し) 」
この理由ばかりを先に羅列して、謝らない。
(これを、世間では 言い訳 と受け取ります)
http://blog.livedoor.jp/ohanami_road/archives/51319556.htmlより引用
では、本当にアスペルガー者は「謝る」ことが出来ないのか。
ちょっと「謝罪のルール」から考えてみよう。
1「悪いことをしたら謝る」
これはまあ理解しやすいルールだ。
2「迷惑をかけたら謝る」
これもまあ、ルールとして入りやすいかな。
延長線上に「お手数かけてすいません」の意味の
「すいません」も位置するだろう
少なくとも私は上の二つには抵抗がない。
が、
3「相手が怒ったら謝る」
4「相手が傷ついたから謝る」
には若干抵抗があった。
が、世間さま=定型発達者は「気を悪くさせたことに対して謝る」のが当然といわんがばかりに「謝らない」とさらに怒りを増大させる傾向がある。
ま、一応それを経験的に知っているから、相手を怒らせないように気をつけることはするし、相手が怒っていそうなら先手を打って謝ることはする。
だが、やはりこの
3「相手が怒ったら謝る」
4「相手が傷ついたから謝る」
はなぜ成立するのだろうか?「生活の知恵」として利用してはきたが、長年疑問であった。
理不尽な怒りに何故謝らなきゃならないんだろう?
傷つく云々ってお互い様でしょ。
なのである。
もちろん、怒った理由が明確でこちらに非があるのなら1.2に入るので納得いくが、それ以外はどうも納得がいかない。
で、例によって分析マシン(脳みそ)起動。
まずもって、「怒っている事」が理解できないといういう向きもあろう。で、それにはこちら↓の記事をまずお読みいただきたい。
定型発達者における疑問文の分化とアスペルガー者の陥りやすい罠(前編)
http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-entry-228.html
定型発達者における疑問文の分化とアスペルガー者の陥りやすい罠(後編)
http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-entry-229.html
さて、納得いかないところから考え出したのが、以下の法則
「定型発達者は感情が高じたとき感情を慰撫されると落ち着く」
謝罪=怒りや落胆の感情に対し慰撫することなのだ。
そして、もう一つ、ここから派生して定型社会のマナーができてくる。
「怒りを表明されたら謝罪するのが社交的マナー」
「怒っている(がっくりしている:傷ついた)様子が見て取れたら謝罪するのが社交的マナー」
こう考えると、社会的に必要とされる謝罪の多くが、接遇的謝罪である。
ある面、謝罪は社交的文化なのだ。
(この「謝罪」は接遇行為であるという考えは以下のブログ記事にその知恵を得た
http://blog.livedoor.jp/tarako6180/archives/52390006.html
著者のたらこママさんには大いに感謝である)
アスペルガー者は怒っている時の感情の慰撫=接遇的謝罪というものが念頭に無いため、逆に「謝罪を要求されることの不当さ」を感じてしまい、いろいろと
世間的に「言い訳」ととられることをしゃべってしまう
のではないだろうか。
定型発達者では、成長の間に、謝罪の意味が「反省・贖罪の表明」だけから「相手の感情への慰撫」も含むものに分化してくるが、アスペルガー者では、一度覚えた事に対する変更を嫌うためかもしれないが、幼児期に習った「反省・贖罪」の表明のままであり続ける事により、
定型発達者の側から見れば
「アスペルガー者は謝らない」
「アスペルガー者は言い訳ばかりいう」
となってしまうのだと考える。
そしてアスペルガー者の方としては
「悪くないのに謝罪を強要される」
「何を言っても言い訳ととられる」
という不満、落胆が生じてしまうのだと。
さて、こういったところから定型発達者とアスペルガー者の間には溝ができてしまいがちなのだが、これはアスペルガー者の方で下記の様に知識を上書きすれば、かなりの部分解消することである。
『定型発達者の要求する「謝罪」の殆どは「感情への慰撫」であり、「反省、贖罪」ではない。
だから「申し訳なさそうな顔をして(内心気軽に)、謝ってしまえ」ばいい。』
とね。
これが、この間の記事「情動的言動にすぐ反応できないということ。~タヌキの例~(2)」でタヌキが装備していると書いた、「申し訳ありませんプログラム」の実態である。
さて、謝罪の概念自体の相違から生じる齟齬ついてはこれで一応カタがついたが、「アスペルガー者が謝らない」話についてはまだまだ理由がある。
それは次回としよう。
<つづきはこちら>

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