定型発達者はなぜ「世間」「みんな」を根拠に主張するか その2

<その1はこちら>

さて、定型発達者がなぜ世間とかみんなとか(普通ってのもあったな)を根拠に主張するのかを前回考えてみたのだが、

コメント欄で「口実としての”みんな””世間”」があるということが話題になった。

マルマルさんがそういうときの心理について、まとめて書いてくださったのでそれをまずは引用する。



ちなみに定型者が「みんな」とか「世間」とか言う潜在心理には「めんどくさい」という本音が潜んでいると、私は思っています。

■いちいち「私は」「僕は」という主張がめんどくさい。
■「私は」と言ったからには、自分の発言に責任もたされるようで、めんどくさい。
■1対1の論争がめんどくさいから「みんな」「世間」でまとめて封じ込めたい。
■「私はこう思う」などと主張して目立ってしまう事がめんどくさい。
■話を早く終わらせたいときに、つい言っちゃう傾向。



なるほど、である。


で、ここで問題になってくるのが、定型発達者(非自閉者)は「みんな」「世間」で封じ込められやすいということだ。


「みんな」「世間一般」と言う根拠で


「そうなのか~、納得」となりやすいのだ。

(時として、渋々納得ってこともあるだろうが)


その理由は、前稿でも書いたが、やはり「みんな」「世間一般」などを想定できてしまいやすいという脳の仕様なのではないかと思う。


これは自閉者ではどうしてもその傾向はグッと低くなる。
(そうだ、共感性能が低いのだ)


で、逆に腹が立ってくる場合さえある。



さて、ちょっと視点をかえて「みんな」「世間一般」等で主張する側の傾向を考えてみよう。

子供が何かをねだるときの

 「みんな持ってるから」

を初めとして、


個を主張するのが面倒な場合の自己主張の根拠としての「みんな」「世間一般」

そしてさらに集団からの要請との根拠としての「みんな」「世間一般」


一見違うように見えるが、

ここで視点をまた「主張される側」に変えてみる。

すると

「それを根拠として認めたくなる傾向」というのはきわめて連続的なモノだとは考えられないだろうか。


共感性の高い人ほど、「そうか~」となりやすい傾向にあると思う。


さらに反転して主張する側に考えを戻すと、

やはり、共感性の高い人ほど、「みんな」「世間一般」の存在を無意識に感知しやすいといえる。


すなわち、


共感性の高い人ほど、「みんな」「一般」という根拠を「本気で」主張することになるだろうと考える。


となると、口実と意識的に認識しての「みんな」「世間一般」を根拠とした主張か、本気で「みんな「一般」を論拠にするかというのは完全には弁別できないのではないかと思う。

それこそスペクトラム状になっているといったところだろう。


前稿のコメント内でマルマルさんがこうも述べられている。


定型に生まれ、生まれる前からの流れに物心ついた頃から乗って「それが自然」と生きて来たことに関しては、つい「世間は」「みんなは」と言ってしまいがちですが、…




定型発達者はあまり意識して「みんな」「世間一般」を主張しているわけではないのだ。


それを知っていおいた上で「面従腹背」なり「うけ流す」なり「意見を受け入れる」なりといった、対処を考えていかないと、いたずらに対立を生んだり、定型発達者を困惑させるだけの結果になることも少なくない。


「やみくもに反論するのは」は必ずしもアスペルガー症候群者にとってメリットを生むことではない。


<おまけ>

もちろん、この文章が読めない段階の「アスペルガー児」に対しては、
大人の側が寄り添うかたち
(すなわち、アスペルガー児の疑問を解いていくかたち)で
社会の多数派のやり方を教えていく必要があるだろう。




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コメント

定型的考えに、空虚な孤独感
世渡りにはどうしても必要だけど、それって私だけですけど、寂しいと思います。
上手くいかない気持ちを抱えながら、何とか普通に生きようとする苦痛さを感じてるからでしょうね。
ま、大部分は定型的世界。その中で、アスペ疑惑なりに、自分自身の本当の良さを感じてもらう生き方をしたいですね。
そして、それが最高であるというのを、普通の生活の中で見つけられればと思います。
ステレオタイプな定型に生きるのを或る程度は捨てれば、楽かな?
はじめまして
「みんなしてる」っていうのはある集団の中の何%かがしてるって意味だと解釈してます。
曖昧すぎて分からないときは、「みんなってどのくらい?」と聞いてみては?
例えば3人だとすると、相手の知り合いのうちの3人はしてるという程度の論拠にはなるかなぁと。
「テレビでよく言ってる」とか言われるとまた腹が立つんですがw
マナーとして・・・・・・
車椅子の人と会話するとき、立ったまま上から目線にならぬように「しゃがんで目線を合わせて話すのがマナー」だと私は思っています。

身体的に、目に見えて解りやすいハンディーに対しては、なんとなく自然に相手に合わせた行動や言葉使いが出来やすいのですが、ASの方は「どこがどう苦痛なのか、悩みなのか」が外見からは解らないので、つい傷つけて、なぜ傷ついたかも解らないのが定型者の大半だろうと思います。(私自身もそうです)

ASの方には「みんな」や「世間」という切り口を使わず、「あなたと私」の会話スタイルで、というのがマナーであると、このこと一つでも定型社会に浸透すれば、ほんの少しでもラクになるかも知れませんねぇ。

定型者も「ASの人がなぜそんなふうに感じるのか」が書籍や専門家の説明に頼っても、「頭では理解できても感覚的に受け入れられず身に付きにくい」です。

「それがASの人へのマナーなのよ」と言われると抵抗感なく、すんなり実行できるのではないかと思いました。
それを言うのも、理解出来ている定型者の努めであり、支援の形だと、今回のテーマで感じました。


「みんな」の範囲
「みんな」を使う表現でも、
「日本では(東京では、大阪では)みんなこうする」
という言い方ならあまり違和感を感じなくないですか?
この言い方だと「違うやり方が悪いわけではないが日本ではたまたまこのやり方を採用している」というような解釈ができるかと思います。
「みんな」の範囲を明言していない場合だと「違うやり方は悪い」というニュアンスを含むような。そして実際そういう意味で使われている気が・・・

ここで、みんなと違うとなぜ悪いのかという問題が出てくるのでしょう。
お久しぶりです、だか、初めまして、だか、
分からなくなってくる・・・

「みんな」って、権威付けなんでしょうね。
その裏付けとなっているのは、
日本人的な、「みんな」がやっているなら、
うちもやらねば、的な、右倣え精神でしょうか。

右倣え精神ってなんのこと?って人からすれば、
「へっ?」ってなるのは、当たり前のような・・・

これが、学問的な話になると、
「○○説によると云々かんぬん」
「いや、△△説によるとカクカクシカジカ」
「みんな?みんなってどこのみんな?」
って、話をしているようなもんでしょうか。

ところで、盆休み中に何回か、
プールに行きまして、他人の迷惑行為を見て、
「うわっ、これってみんなにとって迷惑行為だろ」
って思っていると、
みんな、その迷惑行為をしていて、
子どもへの説明に窮します。

ASはみんなこうだ、にも、
疑問を感じる今日この頃ですが。
お疲れ様です m(__)m
遅くなりましたが・・・トラバする内容なのか?と思いつつ、したほうがいいのかなぁ?と、謎に陥りつつ、その1をトラバさせて頂きましたm(__)m
 
オモシロい課題(?)提供に、オカシナ夫婦はとても感謝しています。

さて、
 
わたし的には、共感性に作用される、というところの、猫様的根拠がイマイチわからなかったです。猫様のところを学習していない故にでしたら、本当にごめんなさい。

いわゆる共感性と、AS者(児)が感じる共感性では、少々異なるのではなかろうか?といことと、『事前に生じさせようとする共感性』(依存や権威などにより、心理作用を生じさせるためのアイテム)と、『結果論で生じる共感性』を、共感性という言葉でヒト括りにするのでは・・・

なんか異なるのでは?と、感じました。


>定型発達者はあまり意識して「みんな」「世間一般」を主張しているわけではないのだ。

あまり・・・?とは・・・?。

と、この記事を読み、わたしには疑問が生じました。

理由は、その、みんなであり、普通であり、常識的に、であり、その一言を使用し、訴える側も訴えられる側も、多かれ少なかれ大なり小なりのナンラカノ心理的作用→行動の中に入ることを、選択していく、その動機付けの言葉、一人の人間を動かす力となりうる言葉、上記(うっでぃ)のように、日本語的、日本人的、『権威付けの言葉』、バブル期=一昔前で言えば、ヒトの心理を動かすことが出来る、一つの『高級ブランド言葉』と、わたし的には解釈できるということから、なわけで。
 
その言葉を、リアル社会において、『あまり』意識せずに使用するという、『その結果における謎』=つまり、題名である、『なぜ』は、
 
 
このままで、終了?
 
へっ?

結局、疑問で終わっている?

 
ような気がするのですが・・・。
  
それに対し、では、どうしていけばいいのか?は、ここを読んだ皆さんそれぞれが、
 
それぞれの能力に否応なしに作用され、
その結果生じる、感性・思考により、
それぞれなりに、処理出来る、
 
とは、思いますが。
 
しかし、ナゼ?は、残る。
 
でも、ナゼ?だから、生きていくこと、思考していくことが、オモシロいなぁ、と、このお盆、夫婦で考えさせられた記事でありました。
 
定型・発達障害、云々で、争う?討論する?ではなく、歩み寄る、そんな一つの材料提示をして頂けた、と、わたし自身(&うっでぃも?)解釈させて頂きました。
 
でも、もし、猫様の脳みそが疲労しない範囲で、このシリーズが続くのでしたら・・・
 
楽しみにしていますぅ(^▽^)
 
長コメ、申し訳ありません&ありがとうございましたm(__)m
過敏
高2の息子(ASの疑い有りと診断)は、17年間分の「世間」しか知りません。興味の範囲も狭いので、なおさら。

夫(AS傾向)は、50年分の世間を知っていますがコミュニケーション下手。

五感が過敏な息子と、何事無頓着な夫の間で、毎日のように繰り返されるのが・・食事時の音の問題。

例えば、ラーメン(麺類全般)
夫「フゥー、フゥー、ズルズルーー!ハァー(息を吸って冷ます)、(もぐもぐ)ゴックン」と全てが音声付。

その音が嫌で・・。
息子「ハァー」とイヤミのため息。

父親が一口食べる度に、息子のため息。
ため息が通じないと、「チッ!」と舌打ち。

我慢できずに・・。
息子「その食べ方、止めてよ!普通、そんなに音を出さないよ!」

夫「勘弁してよー。家で食べる時くらい気を使わないで食べたいじゃないか」

息子「お母さーん。僕2階で食べていい?」

ビールも同様「ゴクッゴクッ、プハァー!」
味噌汁「ズズッー、ゴクッン」
とにかく、気になりだしたら全ての食べ方が気に入らない様子。

私は、過敏な息子の味方になって「自分の息子の特性を理解して、気をつけて」と夫に言うべきか。

息子に「世間の人も、こんな食べ方をする人が沢山いるのよ」と現場を見せるべきか・・(無理だけど)迷う。

毎食が険悪ムードで、お互い譲り合わず、娘(19歳)はそそくさと食べて自室へ逃げる。
食卓を囲んで、「家族団らん」なんて程遠いのですが・・。
Re: 定型的考えに、空虚な孤独感
あわせるところはあわせるけど、あわせないところはあわせないってな上手な着地点を探せればいいんでしょうけどね。

あわせすぎれば疲労するし、まるであわせなければ角が立つ…難しいところです。
Re: はじめまして
コーヒーさん、はじめまして、

確認すると怒り出す人がいるのが難点ですね。

> 「テレビでよく言ってる」とか言われるとまた腹が立つんですがw

これ、確かに。
笑えました。
Re: マナーとして・・・・・・
マルマルさん、おはようございます。

マナーとしては確かに受け入れられやすいかも。
そのくらいに考えていただくとありがたいですねえ。

ほんと見えない障害ってのはやっかいだと思います。

障害者手帳の更新に市役所行ったら、手帳の色みたとたん、
言葉遣いがお子様向けに変化…なんだかなあでした。



Re: 「みんな」の範囲
bassさん、こんにちは。

「みんな」に範囲の限定があるとわりとわかりやすいですね。

確かに限定性のない「みんな」より良心的な気がします。
うっでぃさんへ
うっでぃさん、はじめまして!(ですよ)

> お久しぶりです、だか、初めまして、だか、
> 分からなくなってくる・・・

私もわからなくなって検索かけました。



日本的な傾向ってのは確かにあるのかなあ。
みぎへならえ、好きですからねえ。

プールの迷惑行為も右へならえで、
みんなでやれば…ってところもあるでしょうね。

ASはみんなこうだ…ってのは障害部分に関してしかいえないでしょうし、
障害にしても、「でこぼこがある」が障害判定の基準だったりするからよけいやっかいですね。

これからもご愛顧を。
Re: お疲れ様です m(__)m
ぴーまんさん、こんにちは。

確かに共感性についての説明は足りなかったですね。
すいませんでした。

他人の言動をあたかもわがことのように感じることとでもいいましょうか。
そしてそれを意識せずに行っている作用ですね。

そのあたりに限定しています。

実はその「共感」に関しては先に書こうかどうか迷っていたんですよ。
今、2冊、脳科学の本を読んでまして、それを消化してからにしようかどうか…。


それから「あまり」とは?に関してですが、

人によっては意識的に使っている場合があることを完全に否定できないので入れた文言です。


ご指摘の「結局なぜで終わっている」に関しては「その2」のタイトルが不適切だったかな…。
とちょっと反省。


共感・共通認識についてはもうちょっと突っ込みたいですが。
地蔵盆(地域行事です)の当番を控えているので更新速度がダウンする予定です。

ではまた。

Re: 過敏
ゆうさん、こんにちは。

ご家庭内のお食事ルールが確立していなんですね。
となると、こだわりがぶつかって確かにもめそう。

高2くらいになると、ただでさえ父親が煙たくなってくる年頃ですから難しい面も。

…苦労されてますね。
手前世間
今回の記事について考えてみたのですが、『世間が根拠になる』と言うより、『各個人に世間がある』と言った方が適切なのかも知れません。そして、それ故に『みんな』とか『世間』がそれほどの拒絶反応なく受け入れられるのだと思います。

個人的には、『普通』とか『常識』、『世間』、『みんな』と言う単語に引っかかりを覚える場面と言うのは、『(理屈的に、もしくは感情的に)主張の内容を認められない場面』である場合が多いですね。
それに対する反応としては、『(自分の)世間はそんな事は言いません。』とか、『そんな事は(自分の中では)常識ではありません。』言った感じです。

つまり、定型の人達は経験や知識の集合体である『主観的な世間』(簡単に言えば、『経験則』)をそれぞれ持っていて、それを判断材料にして判断をしているのだと思います。そして、それらに合致するものを『世間一般の常識(など)』として受け入れ、合致しないものは『口実』として拒否している訳です。(ここら辺、各名称は異なれど、システム的にはASの人達もそれほど変わらない気がします。)

まあ、判断自体は感情との絡み等により、かなり複雑なものになっているとは思いますが…。あと、『主張の度合い』に関しては、どちらかと言えば『自我』とか『性格』の領域な気がしますね。

ご無沙汰してました
さて「みんな」「世間」ですが定型の私でも上の二つを使われると不愉快になることもあります。自分の行動言動に「みんなは」「世間は」を使われると個人を認められていないような気がするからでは?と自己分析します。そこへアスベルガーという障害が加わるとアスベルガーを認めて貰えない感覚がするから、もっと言えば常にアスベルガー者は疎外されてるとの思い込みから余計拘るのではないでしょうか?


そのようなのとも違うんでしょうかね?

以前申し上げたように我が子の一人に知的障害をもつ子がいますが、「普通の家庭」「普通の子」と言われると「普通って何!?」と反発したくなります。

付け加えれば私自身はある程度、個を尊重する姿勢でいますが、「定型発達者(のみんな)は」と使われると不愉快になります。他の定型発達者の中に組み込まないでくれ、一緒にしないでくれ、と思うテーマもあります。

ですが、近所の○○さんと○○さん仕事場の○○さんや○○さん、それから………なんて一々言ってられないので狸穴猫さんの経験上統計的に多い、又は全てだったので「定型発達者(のみんな)は」と使うと思われ、逆に言えば定型者のそれも同じ、便宜上使ってるだけでは?

極端に言えば「入社式には○○さんや○○さんや……△△会社の入社式にテレビに映ってた人たちや……弟の○○はスーツを着るよ」なんて言ってられないから「みんなは」「世間は」を使うと思いませんか?

感情論の「みんな、世間はそう思ってる」の類いもある程度の統計を得ている場合と思われます。

まあ、責任逃れで使う場合もあると思いますけどね。


ただ「~だから、そういうもんだよ」と後に付けられるのは好きではありません。多数がやってるから正しいとは限らない。

……と、こんな印象を持ちましたが如何でしょうか。

「長いものには巻かれろ」とのことわざがありますよね。生きていく上での一つの知恵ですね。
「世間」「ふつう」は使い用で身を守ります
定型者同士でも「世間では「普通は」が口論のきっかけになることは、あります。

私は、アルコールに耐性の無い体質なので、宴席(高知県は何かにつけ酒を酌み交わすのが挨拶という風潮が強いので、友人・親戚・仕事関係と人が集まるところ、飲酒がつきまといます)では、とても困ってきました。

どうして困ったかというと「私は、体質的に飲めません」「車で来ているので」が通用しなかったからです。(最近はやっと通用するようになりましたが)

「飲めぬことがあるものか」
「まぁ、一杯は礼儀というもの」

こういう場面で「世間では」「ふつうは」を、嫌というほど連発されました。

一度・・・どうしても断れずビールをゴクリゴクリとコップ1杯飲んで、急性アルコール中毒で救急車で搬送されたことがありました。

(私の住んでいる地域の)世間一般の普通が、私には命にかかわるのです。

この時から私は、断り方を考えるようになりました。

「普通は(世間は)みんな飲めるのに、私はダメなんですよ」と、断る理由に「普通」「世間」「みんな」を説明のしょっぱなに持ってくるのです。

「普通は・・」で始まる会話には「普通は・・」で返す。
このとき、決して感情的にならないことが大切だと思います。
多数派に、こちらの拒否や不快を受け入れてもらいたいときは、感情的な言い返しが、さらなる反発や摩擦や混乱や亀裂を招いてしまうので。

相手は「どうして?」と聞いてくれますから、そうすれば説明することが出来ます。訴えることが出来ます。

だいたい「そうだったのか」「そういうワケがあるなら」と納得してくれます。

ASであることを
そういうときは「私は、世間や普通という言葉にアレルギーがあり、よかったら私はという言葉に置き換えてもらえれば、混乱がなくなるんです。変ってるでしょ?」

と、相手が「変ってるね」と感じる前に、そのことすら言っちゃう。

案外、有効ですよ。






アスペルギルスさんへ
タイトル他、一部に「特定宗教への誹謗中傷」が含まれているようなのでコメント削除させていただきました。

ここは「何でもあり」のクローズドな場ではありません。

もめ事の元になりかねないので、「特定宗教、特定団体」を誹謗中傷する文言を含むコメントは避けていただきたいと思います。

私の物言いに問題があったようなので反省します。これからは特定の団体名は出さないように気をつけます。

私のいいたかったのは、「世間」を自分と相手の間に立てて対話から逃げるなといいたかったのですが、定型発達者は「世間」を会話の間に置くことでワンクッション置いてるつもりなんでしょうけど、こっちにしてみるとソッポ向いて話されてるようで、腹に据えかねるものがあるんですよ。
誰だって自分が話してるときに相手がよそ見してたら気分悪くなりますよね。
くどいようですが、私がいいたかったのは「世間」を身代わりに立てて相手から逃げるなといいたかったわけですが、定型のいうところの「世間」ってASの目から見ると忍者が身代わり立てて相手をケムに巻いてるようにしか見えないんですけど、ASにしてみると定型との会話って忍者と会話してるみたいなものだと思うんですよね。
ストレートに物をいわずにすぐにこちらをケムに巻くし、「世間」という身代わりを立てては、自分はどっかに雲隠れしてしまうし、忍者みたいにコソコソ隠れない、サムライのような正々堂々定型ってどっかにいないもんですかね!?

連投失礼します
そういえば何年か前にタモリの『世にも奇妙な物語』で中村獅童演ずる、何故か遠ざけられてしまう男の話をやってたのですが、今にして思うと、これってまんまアスペルガーと同じじゃんと思いましたね。
中村獅童の場合はある日突然他人から遠ざけられるようになってしまったわけですが、物理的にせよ、心理的にせよ、当の本人にしてみればわけもわからず他人から遠ざけられてしまってることには変わりないわけで。
劇中には当然アスペルガー障害のことはひとことも出てきませんが、フィクションではアスペルガー障害が置かれた境遇を一番如実に描いていると思います。
ひとつ気になることが…
ひとつ気になることがあるのですが「何でもあり」の場所って普通「オープンな」っていいません?
失礼ながら「クローズド」って言葉からは「何でもあり」とは程遠い偏狭で閉鎖的といったイメージしかわいてこないのですが、言葉の使い方おかしくないですか?

揚げ足とりみたいな物言いなってしまいましたが、どうしてもいわずにはいられなかったので、不快に感じられたら削除してください。
管理人さん、お願いがあります
削除された者が何度も書き込むのもどうかとは思いましたが、今度私に注意、勧告を促すときは、文章は全部日本語でお願いできないでしょうか?
「何でもありのクローズド」って普段使わない理解不能な言葉が出てくると即座にパニックになってしまいます。
管理人さんは私とちがい頭のいい方だと思うのですが、私は横文字が全然わからないバカなので、横文字もろくにわからないバカな私にもその辺のご配慮いただけたらと思います。

ASにとっての『定型』とは?
アスペルギルスさんのコメントを見るに、ASの人達にとっての『定型』って何なんですかね。正直な所、理解できない部分です。
個人的に、ASの人達にとっての『定型』は、『みんな』や『世間』であるような気がします。

そして、ASの人達が個対個の関係を個対定型に落とし込む時、定型が『みんな』と発言する様な責任放棄が含まれているのではないでしょうか。また、それらは定型にとって非常に判別し辛く、不愉快なものであると感じます。
アスペルギルスさんへ
少しわかりにくかったですね。
できるだけ、わかりやすい表現をとるよう心がけたいと思います。

ではでは
RE:ASにとっての『定型』とは?
いま、体力ないのでちょっとだけ。

ASにとっての定型とは「非自閉」ということで良いんじゃないでしょうか。便宜的に区分をするのは、対応を考える上ではしかたのないことだと思います。

また、定型者に向けられたAS者の生の声は、時として定型者にとっては不快かもしれませんが、それが普段AS者の普段感じている圧迫感なのでしょうから、少なくとも当ブログにおいてはそれを封じるべきではないと考えております。
まうさん、ASに不満があるなら2ちゃんあたりにでも行って、ASの不満なり、何なり好き勝手に書いて来てはどうですか?
正直2ちゃんのASに対する罵詈雑言は腹に据えかねるものがあるし、ASだっていっただけで、周囲からはフルボッコにされるんですよね。
定型発達者に公言しただけで石を投げられる障害を持って生まれてきた者の苦痛が理解できますか?
定型発達者はたまにしか遭わないASにたまには不愉快な目にあってるんでしょうけど、ASはまわりを自分を不愉快だと思ってる定型に囲まれてしょっちゅう不愉快な思いをしてるんですよ。

それにここはASの方のブログなのですから、コメントがASよりになるのは至極当然のことだと思うのですが、ASを見て不快と思うなら見なければいいだけの話だと思うのですが、多数派の定型発達者がわざわざマイノリティの集まる場所に行ってわざわざ不愉快な思いをすることはないと思うのですが。
フルボッコ??
アスペルギルスさん、はじめまして。
「フルボッコ」って、どんな意味ですか?
>「何でもありのクローズド」って普段使わない理解不能な言葉が出てくると即座にパニックになってしまいます。< そうですが、それは貴方に限りませんので、ご自分もご注意ください。

それから、ここはASに限られた閉鎖的なところではないとおもいます。 ASが多数派ですがから、定型の方はいわば客人です。その客人に >ASに不満があるなら2ちゃんあたりにでも行って、ASの不満なり、何なり好き勝手に書いて来てはどうですか?< は、不躾ではないでしょうか。

他者にやられて不快なことは、自らは他者におこなわないという事は、定型、非定型を問わず、誰もが持つべき慎みだと思うのですが。
「何でもありのクローズド」
文字や語意から言うと「クローズド」は、閉ざされた・閉鎖的な・・ということです。

しかし「何を言っても、何をしても良いという、何でのありの無法地帯」は、現実的にはとても閉鎖的な場所であり、閉鎖的な人間関係にしか存在しません。

2ちゃんねるの多くは、障害や病気で悩んでいる人や、無垢な子供に見せたくないような、人を傷つけたりおとしめたりもOKとされている言いたい放題の無法地帯です。

誰でも出入り出来ると言う形は「オープンな場所」ですが、その性質は、社会的に許されない暴言もここだけでは吐き逃げ出来るという、極めて閉鎖的(クローズド)な要素のある場所です。
本来はオープンな場所にふさわしくない場所だと思います。

本来の「オープンな場所」とは、平和な公園のように誰もが出入り出来て、萎縮せずのびのびと発言や質問できるという、健全で安全な要素があり、場所自体に違法性や悪意が無いと言うことが「本当の意味でのオープン」の資格になると思います。

「何でもありのクローズドトーク」という、周囲や社会的にオープンに出来ない暴露や暴言や誹謗、中傷のおしゃべりも存在しているので
そういう意味合いで狸穴猫さんは、おっしゃったのではないかと思いますよ。


ヒゲ達磨さん、私もブログ主ではない、あなたのいう客人に過ぎないわけですけど、私はわざわざ定型がアスペルガーのブログでわざわざ不愉快な思いをすることはないんじゃないかといいたかっただけなのですが、私のいってることってそんなに難しいですか?

そうでなくてもASが自分がASであることを公言して悩みを打ち明けられる場所というのはインターネットでも限られているのだし、私だって2ちゃんでASとしての発言は差し控えているのだから、ASの身になって考えられないのなら、ASのブログにコメントするのは差し控えた方がいいのではないかといいたかっただけなのですが。

それと私もブログ主でない以上は客人のひとりに過ぎません。いわば、これは店の客同士の口論みたいなものですよね。私が不躾ならそんな私を不躾だとかなじるあなたも不躾だと思うのですが。
私にも非はあったにしても一方的に私が悪いとは思いません。私の大嫌いな言葉だけどケンカ両成敗なんじゃないですか?

それに障害者の集まりに健常者が口を挟んで障害者に向かって態度がなってないとか不躾だとかいうのって、健常者の奢りにしか見えないのですが。

何だかいつの間にか私が悪者になってる気がするのですが、何だか私が書き込むだけで、荒らしみたいになってしまうようなので、これ以上ブログに迷惑かけないように、私の書き込みはこれで終わりにします。

終わりとはいっちゃったけどもうひとつだけ書かせてもらいます。
どうも世間でいうところの「オープン」と「クローズド」の定義はは私の考えるものとは若干異なるようですね。
私の考える「クローズド」とは中国とか北朝鮮などの独裁国家のイメージで、対して「オープン」にはソマリアとか南アフリカのヨハネスバーグなど無法地帯のイメージがあるのですが。
アスペルギルスさんへ
誤解があるようですが、私自身アスペルギルスさんの言葉の全てを否定するつもりはありません。ただし、全面的に肯定するつもりもありません。

アスペルギルスさんが持つ周囲の人達に対する不満は不満として存在するのでしょう。ですが、それはアスペルギルスさん対周囲の人達の問題であり、それを即、アスペルギルスさん個人(もしくは集団としてのAS)対定型の問題とするのは違うのではないかと、個人的には思います。

また、アスペルギルスさんが『定型』と言う言葉を使って表される憤り、それらは本当に『定型』と言う言葉を使わないと表現できない憤りでしょうか?『定型』と言う表現で示される憤りは、少なくともアスペルギルスさんの周囲にいるほぼ全ての人達に対する憤りであると受け取りますが、実際にはどうでしょう?

そして、アスペルギルスさんが某巨大掲示板において『AS』と言う括りで理不尽にフルボッコにされると感じるのと同様に、私自身もアスペルギルスさんの『定型』と言う括りで理不尽に叩かれていると感じます。まあ、叩かれるだけの理由が『定型』にあるのかも知れません。それは私には分かりません。また、アスペルギルスさんには認識できない『AS』が叩かれる理由があるのかも知れません。

誰がやったかも分からない、誰が正しいのかも分からない事柄で無用に叩き合うのは不毛です。そういった意味で、個人の経験を安易に集団の特徴に落とし込むような表現は避けた方がトラブルは少ないと思いますがどうでしょう。
アスペルギルスさん
アスペルギルスさん、これの前回の”その1”は読まれましたか?このエントリーは、1の続編ですから、話題の流れ全体を把握した上で、発言されていますか?

2009/08/12(Wed) 11:56の freeze さんのコメント、それに対する2009/08/12(Wed) 23:48の 狸穴猫さんの返答を読まれましたか?貴方のコメントの直前の08/21 11:29の 狸穴猫さんの返答を読まれましたか?

ASは、全体の流れを掴むのが下手で仕事、職場などで苦労しますが、この話題の話の流れ全体を”その1”を読んで把握されましたか?その上で、 >ASに不満があるなら2ちゃんあたりにでも行って、ASの不満なり、何なり好き勝手に書いて来てはどうですか?<と書き込まれましたか?

08/13(Thu) 22:24の私のコメントにも有りますように、 ヒゲ達磨もASです。

それから、「フルボッコ」って、どんな意味ですか?貴方は狸穴ねこさんに、>私は横文字が全然わからないバカなので、横文字もろくにわからないバカな私にもその辺のご配慮いただけたらと思います。< と要求され、狸穴猫さんは謝罪されています。

貴方は他者(狸穴猫さん)に配慮を求めているのですから、私は、あなた自身も同様の配慮を他者にするものと期待しました。ところが答えられていない。このような態度は、貴方への不信感やトラブルを産むだけです。ネット上でも現実の生活でも、定型相手でもAS相手でも、このような態度は、貴方を自己中心的な人、不誠実な人と思わせ、トラブルを招くもとです。
狸穴猫さんへ
相変わらずのマッチポンプぶりでご迷惑をお掛けします。

狸穴猫さんに対する返答は、アスペルギルスさんへの返答で代用できると思いますので、詳細な返答は失礼させて頂きます。

ひとつだけ言うと、『定型』と言う言葉は、明確な区分として確かに便利な言葉です。しかし、その範囲の広さ故に扱いの難しい言葉であると考えられます。ですから、安易に定型を主語にするのではなく、個人や地域などの特定ができない範囲で対象を絞り込んだ方が良いのではないかと、個人的には思います。場合によっては、『定型』と言う区分すら必要でないかも知れません。

簡単に言えば、『定型ってなんにん?』って感じでしょうか。
皆様へ&画面効果について
私にとっては、読んでくださる皆様、コメントをくださる皆様全員がお客人だと思っています。

ところで…

パソコンの画面というメディアを通じてのやりとりは、現実以上に「心理的距離が近くなる」という錯覚が生まれやすいです。

つまり、自分が直接言われているような気になりやすいということですが、要はその分、気分的に読む側も熱くなりやすい。

その点皆様にお気をつけていただければと思います。

また、相手が、自分と同年代であるという錯覚も不思議と持ちやすいようです。

さて、一連の流れを読まなく立って良いじゃないですか、自分の感覚で、物言ったって良いじゃないですか?

ってのが私のスタンスです。

従って、多少表現が感情的ではあるけれど、アスペルギルスさんを批判する気にはなれません。

何もかもが定型者との軋轢に思える、そんな時期もあるのだという事実は、そのまま受け止めても良いのではないでしょうか。

もちろんあえて苦言を呈するのもまた否定されるべきではないでしょう。

ただ、前述の画面効果も含め、言い方の如何によらず、自分がヒートしていないか?については一考を願いたいところです。

いかに表面的に整っていても、流れを見ればヒートしているのは傍目にはわかるものです。


そうそう、ヒゲ達磨さんへ、フルボッコというのは「ぼこぼこにされる」の最上級形と考えていただければ、若者ことばですね、私も息子に教わりました。

Re: 狸穴猫さんへ
「みんなって何人?」感覚がリアルにわかるってところですね。

ま、「定型発達者研究」なんて、ある面暴走しやすいネタできっかけを作っているのが私ですから、まあ、私自身もマッチポンプかしらんと思うのですよ。

ですが、

現在、高機能の自閉者は社会から、社会適応の努力をすべきだと突きつけられているような状況です。

ただ、そういわれてもテキストがないんですわ。

だから、仕方なく自閉者の側で「定型発達者の感じ方・考え方」を考えているわけです。
社会が、高機能の自閉症スペクトラムを障害と認めるならば、本来社会が提供すべきものです。

足の不自由な人に、「自分で義足・車椅子を作れ」とは言わないですよね。

ですから、そういった不自然な状況の中に自閉者がいることも勘案していただければと思うわけです。

フルボッコ
狸穴猫さん、フルボッコの意味教えてくださり有難うございます。

アスペルギルスさんの件、彼の発言はAS風味いっぱいで、ここで吐き出すだけ出しなさいと、ここにコメントされる方への配慮さえあれば、ここで吐き出すだけ出しなさいと。

私には館の掲示板で嫌な思い出がありましてね、支援センター主催の当事者の集まりでも私が一番年上で、というか私の甥や姪でもおかしくない若い方のグループに割り振られて、同じような役回りですね。親に言われればカチンとくることも、おじさんなら多少は聞こえるかな、届くかなというところ。ふー。

アスペルギルスさんの新しい書き込みがあり、一安心というところです。
狸穴猫さんへ
高機能自閉の人達に対する社会的な要請と現状に関しては、立場の違いもあり理解する事は難しいかと思います。しかしながら、知識としては入れておきます。

そして、定型発達者理解のためのテキストに関しては、確かにその通りかも知れません。
そういった意味では、試行錯誤の段階で発言を抑制する様な態度は取るべきではありませんでした。しかも、ここは狸穴猫さんのブログな訳ですから。
配慮が足りなかった点はお詫びいたします。

それと、お願いなんですが、正直な所、かなり察するのは苦手な方でハッキリ言われないと迷惑を掛けているかどうか分からない方です。(分からないと言うか、確信が持てないと言った方が正しいかも知れません。)
ですので、もし迷惑をお掛けしているようでしたら、ハッキリと指摘して頂けるとありがたいです。

改めて、今後ともよろしくお願いします。

表現の仕方について・・・
アスペルギウスさんへ

「オープン」と「クローズド」の解釈について、私の言葉不足がありました。今回の私のコメントは、会話についてのイメージとしての「オープン」と「クローズド」です。
誰に聞かれても良い(見せても良い)やりとりが「オープン」で、気心知れた仲間内なら許されても、社会的にとか良識的には、聞かれるとまずいとかトラブルになるやりとりが「クローズ」というイメージ。という主旨でした。

ですから、アスペルギルスさんの解釈も、思想的視点からは正解だと思います。

ところで、アスペルギルスさんの名前は個性的だと思い、調べたらカビ菌類の名称だったのですね。(お味噌作りなどに使用される)それもローマカトリックの洗礼用品の名前から由来した・・・という。思わず、豆知識を得ました。
私の、愛犬「マル」から安易につけたネームとは違い、なかなか凝ったネームだなと思いました。(←本題から逸脱し世間話に流れやすい定型主婦の会話)

それから、定型vsアスペルガーという対比表現の理由を以前に
狸穴猫さんは、分析や解釈やAS者への説明上のいわば『必要悪』と書いておられましたが、この表現でとても納得できました。

まう?さんのコメントは、いわば定型者であれば誰もがそう思うだろうという内容を、いつも実に理論的に表現されているので、個人的にですが、読まれたASの方には「定型者はおおむね、こういう感覚なのか」のモデルケースとして、お勧めの内容だと思います。
ASのイタいところって、臨機応変ができない、ところと場所によって規則が変わるところができないところにあると思うんですよね。
例えば銭湯とプールは禁止事項が真逆ですけど、ASはそこがわからずに銭湯に水着を着て入ってしまったり、プールに素っ裸で入ってしまうような、ともすれば人格を疑われるような顰蹙をかってしまうのではないかと思います。

マルマルさんの家では犬を飼ってらしたんですね。やっぱ飼ってる犬はマルチーズなんですか?

ウチでは青い目でめっかちのシャム猫似の雑種の猫を飼ってるんですけど、元の飼い主(ただし住所不定)の話では親は普通の雑種猫だったらしいんですよね。
前に実家で飼ってた猫が車にはねられて死んじゃって悲しい思いをしたので、今飼ってる猫にはめっかちというハンデもあるのでとにかく外に出ないようにいい聞かせて絶対に外に出さないようにしてるんですけど、障害があると活動範囲が限定されてしまうところは人間も動物も同じかもしれませんね。

人間よりも動物に共感してしまうのは、ASが定型よりも動物に近いからかもしれません。
弱い動物は人間が守ってやらなきゃならないと思うのですが、人間の♂に関してはわざわざ私が助けなくとも自分で何とかできるし、どうも私の愛情は人間の♂よりも人間以外の動物に向いてるように思います。

アスペルギルスさんへ
テーマから外れますが、アスペルギルスさんに返信させていただきます。

あちの犬は白い雑種です。保健所が定期的に開催している「里親探し」という、捨て犬の飼い主を募集するというイベントで、もらってきました。

でも、猫も居ます。
当時、中学生で卓球部員だった息子が、部室に迷い込んで来た子猫を家に連れて来て、犬小屋に入れたら、犬(マル)が育てたのです。
ですから名前は、卓球にちなんで卓球の「きゅう」ちゃんです。

どうやら捨て動物に弱い家系らしいです。

アスペルギルスさんのコメントで「女性だったのか!」と驚きました。てっきり若い男性かと・・・(←何の思い込み)
そして、めっかちシャムに「外に出てはいけないと言い聞かせて」というくだりには、思わず笑みがこぼれました。
心の優しい女性なんだなぁ、と。

アスペルギルスさんが、ご近所なら、きっと猫談義で盛り上がりそうなのになぁ。
これからも、いろいろ教えて下さい。よろしくお願いします。
マルマルさんへ
マルちゃんて白い雑種犬なんですかー。ウチの実家でも数年前まで白い雑種犬を飼ってたんですよねー。
色が白いからシロって安直そのものの名前で、シロは当時まだ実家にいた姉が拾ってきちゃった犬なんですけど、びっくりして元いた場所に捨てにいこうとした母親もシロと目が合っちゃって可哀相になっちゃって結局15年飼ってたんですけど、前に飼ってたシェトランドシープドックが8歳に手が届く前に死んでしまったのを考えると、血統書つきの犬よりも雑種の方が丈夫で長生きなのかもしれませんね。

ちなみに過去に飼ってた犬は2頭ともメスだったんですけど、飼ってた猫は今飼ってるのも含めて2頭ともオスなんですよね。
メス猫の不妊手術よりはオス猫の去勢手術の方が安いけど、オス猫の方が尿路結石になりやすいと聞くし、ウチの猫もしばらく膀胱炎で通院してたし、今も割高な尿路結石の治療食を食べてるし、どっちが飼いやすいかなんて一概にはいえませんね。

ちなみ今飼ってる猫の名前はイリスといいます。ウチに来る前はめっかちなので「丹下」って呼ばれてたらしいんですけど、私の世代で丹下といえば『あしたのジョー』のおっつぁんのゴツい顔がどうしても脳裏に浮かんでしまうので、おっつぁんが嫌いなわけではありませんが、獣医さんのとこに行く度に「××丹下ちゃんでーす」といわれるのもこっぱずかしいものがあるし、それで病院に連れていくのが遅れて死んじゃったらあまりにも可哀相なので、可愛い名前にしときました。

アスペルギルスさんへ
世間は「どろ団子」へと、流れているのに、私はイリス君が元は「丹下」だったということが楽し過ぎて、もうアスペルギルスさんの犬猫トークに、一日の癒しを感じてしまっています。

もっと聞かせて頂きたいと思うのですが、ここは狸穴猫さんのテーマの場所ですので
もし・・よろしかったら(で良いので)マルマル宛にシロちゃんやイリス君のことを教えて下さいませんか。

なんか動物好きの文通コーナー希望のようになってしまいましたが。
マルマルさんへ
管理人さんの目も気になりますが、今のところお咎めもないようなので、ウチの犬猫の話をさせてもらいます。

以前にウチで飼ってた犬のシロに関しては過去形になってしまうのですが、拾ってきちゃった姉が結婚して家を出てしまったので、シロの世話とか散歩は前に飼ってた犬同様結局は母親がやってましたねー。

今飼ってる猫のイリスは、最初会ったときはやせっぽちであばらも浮いていて、重い猫風邪で目ヤニダラダラ鼻水ズルズルで毛並みもガビガビでボロ雑巾みたいにみすぼらしい猫だったけど、前から青い目の猫が飼いたかったので何も考えずにもらってきたはいいけど、アパートは犬猫禁止なので結局は実家で飼ってもらってますね。
最初は「病院にはあんたが連れてきなさいよ」といってた母親も、私がいないときにイリスが膀胱炎になっちゃったときは一日おきに病院に連れてったし、最初は「室内で飼ってるから、予防接種はいらないんじゃない」といってたのに、2回目の予防接種には自分が連れていったし、今飼ってる猫の世話も殆ど母親がしてますねσ(^◇^;)。。。

最初に飼ってた犬が死んでから母はずっと「ウチでは生き物はもう飼わない」といってるのにバカな娘たちが、犬猫を拾ってきちゃうので、母も既に古稀を過ぎてあと3、4年もすれば喜寿で死んだ祖母と同じ歳になってしまうというのに、母親には相変わらず面倒ばかりかけてるなぁと思います。

上の姉の家では鳥を飼ってるし、下の姉の家は次男が猫アレルギーなので(以前飼ってた猫は次男が猫アレルギーを発症したため、実家に引き取られた)、私が犬猫が飼える物件に引っ越せればイリスのことで母親の手を煩わせることもないのですが、当面は母に頑張って元気で長生きしてもらうしかないのかなあ。

アスペルギルスさんへ
動物と「母親」ゴトに関して、アスペルギルスさんに聞いてもらいたいなぁと思うお話があります。(失笑系ですが)
それにも増して、「猫風邪」については、ご相談というか教えていただきたいことがあるんですよ。
ちょっと、不安なことがありまして。

でも、長くなるので、よかったらマルマルのアドレスにお越しいただけないでしょうか?
1に引き続き、失礼します。

確かにマルマルさんの使い方をする人もいるかもしれませんが、
私はそのようには使いませんし、全ての定型が「面倒」という理由では使わないと思います。
ですから、それも「正解」だけど、「全てではない」という事になります。

いつもいつも、それを使う=説明が面倒で使っている

と思わないで欲しいです。
はじめまして
私はPDDの娘の父親です。テレビを見てこのブログにやってきました。発達障害の人がどのように感じ、何が苦手なのか、どういう育て方をすればいいのか、とても参考になります。自閉症について何冊も本を読んだけれどもどれも同じようなことしか説明されていません。「テキストがない」のです。今必要なことはASD、アスペの人の生の声なのかもしれません。これからも是非率直で自由な発言を期待しています。それは娘を理解することにつながると思うからです。娘の自己肯定感を損なわないような育て方をしたいと思います。そのために何をすればよいのかをこれからも考え続けたいと思います。
みんな=実はその人だけ
「みんな」「普通は」「~するのが常識」などは定型人を黙らせる常套句で、定型人の私もこれらの言葉は嫌いです。
この言葉を発する人が本当にみんなの考えや行動を認識していることは殆どなく、「みんな」という時はほぼ100%「私は」です。
あるいはその人が思っていることが他の人もみんなそう思っていると勝手に思い込んでいる。

「みんなそうしている」というと恐れ戦いて従うのは、日本人特有で、人と違うことを極度に恐れるからです。
個人の意識が強い欧米では、こんな脅し文句は通用しません。

これは、特に目上の者が目下のものに、上司が部下に、親が子供に、先生が生徒に使います。
「私はそれが嫌いだ」という代わりに、「そんなことしたらみんなに嫌われるよ」というと水戸黄門の印籠のように、それこそ「みんな」ははあと従うのです。

「みんなそうしている」=「あなただけがそうしていない」だから、「あなただけが悪い」「あなただけがおかしい」という図式で、「みんながしている」=「正しい」だから、「みんなと同じ事をすればあなたも正しくなれる」という図式です。
これはある程度その社会で大多数の人がやっていることは、その地域では正しいのですが、問題は本当にみんながやっているかというとそんなことはなくて、殆どの場合その人個人の考えを「みんな」という権威を借りて相手を従わせようとしているだけです。

実際、会社に始業5分前に行くと、「もっと早く来いよ。みんな15分前に来てるよ」と社長に言われるのですが、15分前に来ているのは一人だけで、後の人は私より後、遅刻する人もたくさん(酷い会社ですが)。
私はアスペルガーではないけど言います。
「みんなって誰と誰? 15分前に来るのは○○さんだけでしょ」

否定形で「こんなことするのはあなただけ。他の誰もこんなことをしません」という使い方もあります。

これは店員が客を黙らせるのに使う常套句ですから、皆さん、こんな言葉にひるんではいけません。

たとえば商品のクレームをつけた時に、店員はこう言います。

「そんなこと誰も言いませんよ。そんなこと言うのはあなただけです」
「普通の人はそんなこと言いません。みんな満足してらっしゃいます。文句を言うのはあなたくらいのもんです」

私は古い車やバイクに乗っているので色んなところが壊れます。そのこと自体は問題ないのですが、車屋に持っていくと必ず店の者は知ったようにこう言います。

「普通は壊れないんだけどね」

普通壊れるかどうかはどうでもいいことで、現に壊れてるんだから直してくれ。と思います。

広告も「みんな」作戦を使います。

「今、これが流行っている」
「持ってないのはあなただけ」
「みんな持っているのにあなただけ持っていないのは恥ずかしい」

日本人はこの広告を見て大慌てで流行ってもいないものを買いに行きます。

「みんな」「普通は」が通用するのは定型人というより日本人だけだと思います。
Re: みんな=実はその人だけ
日本人には確かに右にならえ傾向が強いですね。
「みんな圧力も」それだから有効打になる。
ただ、「みんな」は割と本気で信じられていることもあるような気もします。
「みんな主義」のはびこりは「共感性能」の高さゆえかもしれません。

あまりありがたくはないですが…。


みんなと言うものについて・・・。
私は、「みんな」と言うのをアスペルガーと分類される人々だから理解できないといのではないか?というのは少し疑問に思っています。

アスペルガーの人々が少数派であるから、「みんな」に価値を見出さなくなったのでは無いかと思うのです。

つまり、多数決(多数)と言うものの、
「正義」を信じるか、
「数の暴力」と捉えるか
その違いだと思いました。

多数決が「正義」と考える人々にとってはみんな(多数)というのは正義であり重要な意味合いを持ちます。
逆に「数の暴力」と感じる人にとっては、意味の無い(数を背景にしての主張は害悪とすら)感じると思います。

そして、この多数と言うものの捉え方の違いの原因はいたって簡単で。
多数決で利を得る側は意味の有るものと思い。
多数決で不利益を得るものは無価値のものだと考えてるのだと思います。

ASの人にとって多数決で不利益を得る経験は数限りなく有ると思います。
その経験こそが「みんな」を理解できない原因なんだと思います。
No title
ASが「みんな」を嫌う理由の一つには経験則的な側面もあると思う
定型が「みんな~だから○○なさい」と言った時に
ASが「“みんな”って?」とか「みんなやってたらなんで僕もやんなきゃダメなの?」
とか反論した時に「口答えしない!」等と怒鳴られ続けた結果
『あぁ、定型が“みんな”って言葉を使った時はどんな正当な理由があっても反論を許さないんだな
“みんな”って言葉は人に行動を強制する言葉なんだ』とASは判断するんだよね

更に、その認識を覆してくれる例外が出てきてくれないもんだから
この認識のまま定着してしまう

溝は深まるのも当然だってそりゃ
No title
んでもって周囲の定型はその“みんな”という言葉に「何の疑問も持たず」納得して行動するんだ
ASにはそれが宗教の様に見えてしまうんだよ

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