定型発達者の共通認識の成立に関する一考察

ちょっと前稿で「共感」と「共通認識」の関係について説明不足の感があったので、補足として本稿をアップしておく。


さて本題、


悲しそうな顔をした人がいたとする。
それに対して自分があたかも「同様の表情」をしたときのような反応をするニューロンがあるという。

そのため、他人の悲しさを、あたかも自分が同様に悲しいかのような感じ方が健常者ではできるらしい。

(それを「共感する」というらしい。)


(ちなみに自閉者では「顔に出る感情の感知」すら難しい場合が多いようである。少なくとも私は超苦手である)

で、

「ミラーニューロン」というのがそのニューロンの名前なのだが、

元々はマカクザルでみつかった、他者の動作に「あたかも自分がやったように」反応する運動性ニューロンなのである。

発見や研究の過程などが知りたければ書籍を読んで欲しいが、とりあえず概略だけ説明すると、

その運動性ニューロンは人間においても存在することがほぼ証明されていて、人間の場合では情動においても「あたかも」自分がその感情を感じたような反応を示すことがわかっている。

で、それと共通認識がどう関係するかというと…

健常者の場合、本当に「共感」は脳内で起こっている現象のため、ある場に二人以上の人間がいて活動している場合、脳の活動として「私たち」が真に(少なくとも脳の反応上は)存在するということがいえると言うことだ。

意識上の「概念」として「私たち」が存在するのではなく、「私たち」が真に存在し、感知可能なのである。


これは私にとってはとても驚きだった。


そこで私は下記のように考えた。

健常者間において、ある場において、行動、情動に関して、「私たち」が存在するということは、すなわち認知されたものは「私たちの認識」=「共通認識」となる。

この体験を健常者は数多く積むことによって、「私たちの認識」が常にあるということを無意識に学習するだろうと。

この仮定が正しければ、

ある集団(あるいは文化)における「共通認識」というものは各個人の「感覚共有」体験に応じ:すなわち経験の多少と共感性(感覚共有能)の高さに応じ、「存在するもの」(あたかも実感できるもの)と認識され得るのではないだろうか。

というのが私の考えだ。


さらに私自身の自閉症者としての実感から類推するに、自閉者では少なからず「共通認識」が認識されにくいように思うが、それは「経験」以外に頼るものがなく、「実感」できるものではないことがその要因になっているのではないかと考える。

また、自閉症者の社会性の障害に関しては、想像力の障害が原因となっているという人もいるが、それよりはむしろ単に「共感性」の不足が原因となっているように私には思える。

===========

自閉症とミラーニューロンの働きに関してはその関連性は指摘されるが、まだまだ研究途上のようだ。ただ、健常者に関しては、研究はある程度進んでいるようである。

というわけで、健常者=定型発達者の感じ方、考え方に関しては、その研究からある程度のことがいえるのではないかと思うわけだ。
ちなみに「共通認識」や「集団意識」などが「存在する」可能性は社会学・哲学にも大きな影響を与えることは予想に難くないだろう。



参考文献:
「ミラーニューロン」ジャコモ・リゾラッティ(紀伊国屋書店)
「ミラーニューロンの発見」マルコ・イアコボーニ(早川書房)


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コメント

もらい泣き
教えて下さい。
ASの方は、もらい泣きということが、ないんでしょうか。
RE:もらい泣き
残念ながら私は経験ないですねえ…。
だからいつも「しらっ」としている。

基本的に障害の程度に依存するように思います。

ただ、脳の可塑性を考えると「感情移入」的な別経路が存在している可能性があるので、一概に、もらい泣きが少ない(あるいはない)とも言い切れない。

こんなところで、あとは他の人のコメントを期待しましょう。
はじめまして

ブログ読まさせて頂きまして、あるあると頷く自分に気が付きました…
なるほどw

同類だw

まず、私に関しては、阿吽っていうのが苦手ですね。雰囲気を考えず事実かどうかにしか興味が無い。泣いている人を見ても、理由が分かれば逆に詰まらん事で泣けるなと、逆に面白く感じたり…
困っている人に対してのアプローチも直接原因に対する対処に成りがちで身も蓋もないと言われたり。どうも共感を望んでいたらしいと後で分かって混乱…知るか!

基本、話の流れが読み辛いから、適当に流していると話を聞いて無いと罵倒される…

私は重症ですかねぇ?

そう言えば、知能指数に極端な偏りがあるとは言われたな…小さい頃…

まぁ、個性ですなw

何はともあれ、更新楽しみにしております!
今後とも宜しくお願いします!
RE:もらい泣き
6歳のときに、もらい泣きできなかった、それで私は「俺ってどこか壊れている」と思いました。それが約40年後にASという名の障害だとわかりました。

悲しい話などを伺うと泣きますけど、話している涙ぐんで話している方の表情をみても、悲しいという感情は湧きません。表情では共感できません。悲しんでらっしゃるという認知はできますが、感情は湧かないのです。

話を伺って、思いをめぐらす。そういう認知的共感です。
そうなんですか。
驚きました。
意識下であると思っていましたが、脳内で起こっているというこだとは、びっくりです。
私は悲しい映画などで泣くのですが、それは経験したことでもないですし…では何なんでしょう?
実生活では多分ないですが、あとテレビを見ていて映っている人が笑っていると私も自然に笑みになっているんです。
気づくと自分でもなんか、(・_・)エッ....?みたいな心境に。
そういうのに慣れていないからだと思うんです。
関係ないことかもしれませんが。
横からすみません。
私の場合、軽いフラッシュバックがもらい泣きかもしれないです。
自分が経験した、過去の辛い体験と同じような場面や話で、
過去の感情が呼び起こされて泣いてしまいます。

>「あたかも」自分がその感情を感じたような反応
これではない事は確かだと思います。
もらい泣きについて
ミラーニューロンとっても興味ありますが、置いといて・・・

もらい泣きですが、私の人生振り返っても無いです。
ただ、狸穴猫さんが書かれているように、感情移入すれば、泣けます。
ただ、泣いている人の顔を見ているだけでも話を聞かないでも、勝手に感情移入すれば泣けるんです。
これって、生きていく上でこしらえたスキルかもしれません。

その代わり感情移入が得意と言う事で、映画でも本でもアニメでも漫画でも、感情失禁のように泣けます。(自分のことではつい最近まで泣けませんでした)

全然関係ないですが・・・「もらい泣き」って唄・・・そのせいか大嫌いなんです。。。
もらい○○
もらい笑い
もらい怒り
もらい恐怖
もらい喜び

こういうのも定型の方には、有るのでしょなー。

朝、職場や学校では元気良く、挨拶しましょうというのは、もらい元気か?
馴染めないはずだわ。
いい学習になりました。感謝です。
オモシロい考察、ありがとうございます。

>健常者間において、ある場において、行動、情動に関して、「私たち」が存在するということは、すなわち認知されたものは「私たちの認識」=「共通認識」となる。
 
猫様の仮定がどうか?は、さておき、この仮定が健常者間の認識構成上、正しいのであれば・・・更なる疑問が生じますね。「私たち『個々』の認知」が、私たちの認知と変化し、共通認知と更に変化していく。うーーーん。その現象が生じる理由は、なんなんだろう?と、ふと思いました。
 
>それは「経験」以外に頼るものがなく、「実感」できるものではないことがその要因になっているのではないかと考える。

まさにそうだと思います。共感ではないです、わたしもそう思考するという意味です(笑)
ゆえに、もらい泣きは、似たような現象に対するフラッシュバックならびに、過去に経験してきた様々な事象を記憶した上での、自分の脳内における仮想現実(ファンタジー等)に対する処理反応とわたしは考えています。

>また、自閉症者の社会性の障害に関しては、想像力の障害が原因となっているという人もいるが、それよりはむしろ単に「共感性」の不足が原因となっているように私には思える。
 
不足と来ましたか!オモシロい。オカシナ夫婦で考えたことを記事にしようと思っていました。これもトラバさせてください。

長々、失礼しました&地蔵盆・・・ご多忙と思いますので、お返事は無理なさらないで。
ヒゲ達磨さんに質問よろしいですか?
「6歳の時にもらい泣き出来なかった」というのは、どのような状況でのことだったのでしょうか?
よろしかったら、教えていただけませんか?
ドッキリ
昔、『スタードッキリマル秘報告』って言うイタズラ番組があったんですが、その系統の番組が個人的に大嫌いだったりします。なぜかと言うと、人前で失敗したり勘違いして恥をかく人を見てると、まるで自分がその現場で恥をかいている様な感覚になり不快だからです。考えてみると、これもミラーニューロンの仕業なのかも知れません。
当然、他人の場違いな態度や勘違い、間違いなど、そのような感覚を起こさせるモノは全て好きではありません。(まあ、自分の事を考えれば、身内、もしくは度が過ぎた頻度でなければ我慢するしかないですが…。)

しかしながら、この感覚から学べる事も多いのだと思います。いわゆる、『人の振り見て我が振り直せ』と言う奴ですね。
狸穴猫さんが『社会性の障害は共感性の不足が原因である』と考えた理由はこれなのではないかと思います。ただ、概念としてこの考え方を獲得する事で、脳内シミュレーションにより『ある場面での適切な対応』を学ぶ事ができる場合もあると思います。(実際、NHK教育なんか見てると、その手の番組があったりしますね。)そう言った意味では、『想像力の障害』と言う表現も間違いではないと思います。
高校野球
息子が通う高校は、この夏、甲子園へ行きました。

その前段階として、県大会がありますが、決勝戦は「2年生は、全員応援参加」の連絡網があり・・。

息子はスポーツ全般、興味がありません。
春の大会もかなり良い所まで行きましたが、試合経過も応援も、どうでもいいという感じ。

私から「全員参加だって」と聞いて、つぶやきます。
「会場まで自己負担で、お金が勿体無い。返してくれと言いたいくらいだ。」と。

息子は県大会の応援に出かけ、私はテレビ観戦し、一喜一憂。時折映る応援席も、生徒達が一丸となって声を出す姿が見られます。
そして「やったー!甲子園だ!」と目がウルウル。自分の事のように嬉しく感じます。

夕方、日焼けして帰宅した息子は・・。
「あぁー疲れた。2年全員も来てないし。」
「応援の振り付け真似てると、試合が見れないし」(同時進行できない)
「勝っても喜べないし・・」

で、以前、息子はこんな事を言いました。
「友達が出場してるなら、友達のシーンだけは応援する『かも』しれない。例え同じ学校に通っていても知らない人の応援はする気が起きない」

ちなみに、息子の言う「友達」とは、遊び仲間の事です。同じクラスの子で、多少会話があっても、友達ではないと言います。

共感性の不足を補うのは、場数を多く踏む事かもしれませんが、元々興味の範囲が狭く、何事も消極的で、強制は当然反発し、褒めてもおだてても動かない・・・んーーー。

(甲子園は、1回戦で敗退しました。残念!)
私も自閉娘の母なので、たぶんにその傾向ありで、ただ聞いて欲しいだけなのに、「それは違うと思う」と説教して、友達の怒りを買うなんて事はよくあります。
これが、縁の薄い人ならば、あたりさわりなく聞けるんですが、大切な人であればあるほど、物事を客観的に見て、つい余計なおせっかいで友達の間違いを指摘したり、結論なんか聞かれてないのに、結論を出したりしてしまいます。
ただ、私の場合、話しをしながら、自分でやっちゃってるなぁという意識があります。

我が家も似たもの家族ですが各々、共感という部分でのズレがある場所は違っています。
夫は、例えば、
長いドライブの途中でドライブインに降りて、「飲み物買って来る」と言って、自分の分だけ買ってきます。娘は、一応、相手も自分と同じようにのどが渇いているかもしれないと、人の分も余分に買ってきます。
昨日は、留守中に宅急便が届きましたが、自分には関係ないと居留守を使った夫に、あきらめ半分、怒り半分。。。でした。

こんな風に、男女でも違いがあるでしょうし、
なんというか、共感がないと、悪気がなくても
人っていうのは怒れるものなんですよね。

コメント御礼&ばててますぅ
皆さん、たくさんのコメントありがとうございます。
個別にお返事したいところなのですが、
狸穴猫ちょっとばててます&リアルで動かなきゃならない…ときたもんで、
今回は個別のお返事ができません、ごめんなさい。

引き続き、コメントありましたらどうぞ。
確実にみてます&今後の参考にさせていただきます。

また、マルマルさんからの「もらい泣きしますか?」のご回答もいただけたらうれしいです。なんかとっても興味あります。

ではでは。
マルマルさんに返答&自衛策
弟の葬式です。保育園から帰ってくる途中での交通事故死。今と違って、親が送り迎えしていない時代の話です。

閑話休題

話題の共感は、感情・情動の受信能力という意味で使われてますが、共感の能力=受信能力が強いと、受信した情動が強い。そのため自己の情動が圧迫??されるようです。それで、自己の情動などの発信が抑制されるようです。これは、非言語系だけでなく言語系でもそうで、自分の意見や考えを発言しない、自己抑制するようです。

共通認識という点では、相手・他者の感情・情動やそれが付随した意見などが占める割合が多い、相手・他者に主導されていると感じるようです。「私たち」でやったことでも、相手・他者が主にやったという思いがあるようです。そのため失敗したりしても、自分の責任分担は少ないという態度を取ります。

共感を基礎にした同調という点で見ると、誰に同調するのかに着目すると、多くの研究が社会的に上位にある者に他のメンバーが同調する、逆に自分が劣位にあると自己評価する者が他者に同調することを明らかにしています。

これを援用すると、共感の能力=受信能力が強い人は、常々潜在的に、他者から「軽視されてる」「振り回されている」「(自分の責任はすくないのに)責任を押し付けられている」などと思っていると推測されます。

さてAS vs 定型では、絶対的に定型者が共感の能力=受信能力が強い側です。つまり、定型者側は、「軽視されてる」→ASは他者を人間扱いしない、「振り回されている」→ASは自己中心的、「(自分の責任はすくないのに)責任を押し付けられている」→(自分の責任はすくないのだから)ASが悪いといった気持ち、評価を潜在的に持ち易いのだと思います。それが、誰が見てもそのように受け取れる事態の時に噴出するのではないでしょうか。

これを避けるためには、自己の情動が圧迫されていると感じさせないこと、定型者側の自己表現=発言などを思う存分させる。つまり最初はAS側が聞き役にまわる。これは、自衛策にどうでしょうかね?
ヒゲ達磨さんへ
早々に答えていただいて、ありがとうございました。

私は、小学校とかで悲しいお話を聞き、周囲の児童は泣いているのに自分は泣けなかった・・とか、友達が泣いているのを見ても自分は泣きそうにならなかった・・とかそういう体験かなと想像していました。

最初の2行のご説明に、衝撃を受けしばらく涙がとまりません。
聞いておいて変なのですが、とてもつらい事をぶしつけに聞いてしまい、すみませんでした。

はじめまして
はじめまして。アスペルガー診断テスト41点 未診察 の銭形と申します。

先日偶然このブログの存在を知りこそこそ覗かせていただいています。

>また、マルマルさんからの「もらい泣きしますか?」のご回答もいただけたらうれしいです。なんかとっても興味あります。
私はもらい泣きというか もらい涙ぐみ(?) くらいならしたことがあります。

私が小さいころ相手の痛みを想像できないためか、よく友達の頭をたたいていていました。
あるとき父親に頭をたたかれて、初めて叩かれる側の気持ちを知りました。

それからは相手の状況を想像して自分をその状況に置き換えて、
そのときの気持ちを相手の気持ちとして考えるようになりました。
その影響か小学校のころは可哀想な目にあっている人を見るとよく涙ぐんでしまっていました。
歳を重ねるごとに周りに無関心になっていったのでその傾向はなくなってしまいましたが・・・。

今でも「状況置き換え回路」を使っているので、相手の感情を推測することはできていると思います。ずれることは多いですが。


私の経験が考察・議論の一助になればと思い書かせていただきました。
長文になってしまい申し訳ありませんでした。

ヒゲ達磨さま
ヒゲ達磨さんの自己防衛策案ですが、その後が問題ですね。
問題の根本は常態的同調者の持つ潜在意識であり、『被同調者としての立場を与える』事がガス抜きとしての解決策であると読み取りました。
だとすると、相手に対して『被同調者感』を与えそれを満足させる必要があります。ASの方々の立場に立てば、『(共感的)同調を相手に示す』必要が出てくる訳です。
この、『(共感的)同調を相手に示す』って部分は、ASの人達的には容易にできる事なのでしょうか?

個人的な感覚だと、やはり興味を持って聞いて貰えない相手に何かを発言すると言うのは、ちょっと切ないですし、そのような態度自体に圧迫感(焦りや困惑)を感じます。

とはいえ、意図を読み違えている可能性はかなりあると思いますので、その場合はご容赦を。
マルマルさんへ
マルマルさん、弟の件はお気になさらないでください。この件は別に隠していることではありません。他の所でも書き込んでおります。

閑話休題
8/14の書き込みの、ASのご友人の件の
>戸惑う店員さん。 足を止められ迷惑顔の店員さん。

これは、顔を見ても迷惑していると感じられないASの特性 and ご友人のASが他者(店員さん)の視点からの自分(理由を「病気のプロフィール紹介」のごとく丁寧に語る)がどう見えるか(迷惑、戸惑う)が判らない、予測できない or 予測できても行動の修正ができないことが根底にあると思います。友人のASの方が、他者には独自の気持ち、考えがあると感じられないために脳内にバーチャルな店員さんを形成し得ないのか or バーチャルな店員さんを作りえても、その視点から自分が見られないのか or 見れたとしても、友人のASの方は丁寧に語られても迷惑と感じないからバーチャルな店員さんも迷惑と感じていないのか or 迷惑と感じても行動の修正、丁寧に語る→「薬を飲むための水をお願いします」、ができないのか、様々なプロセスが思い浮かびます。

この場合に、「みんな、そんな説明なんかしてないでしょう」→みんなと同じに振舞えというのは、定型に比べASは物真似、人真似が苦手です。からね、無理難題です。その気持ちが威圧感と感じさせてしまっているのではないでしょうか。

物真似、人真似の能力は、共感性に関係している。

=Schmais(1983)は、ダンスセラピー専攻生の想像性・共感性(fantasy/empathy)の能力と、視覚的に呈示された情緒的なダンスをするダンサーの動きを正確に模倣する能力との間に正の相関があることを示した。

また、
Sonnby-Borgstom, Jonsson, & Svensson (2003)は、情動的共感性と表情の模倣との間の関連を示している。
情動的共感性が高い人は56msecという非常に短い時間の顔面表情の呈示に対して呈示された表情と同様の顔面筋電位を示すに対して、得点が低い人は示さないことを示している。

顔面筋と腺の活動の生得的な反応パターンの中枢へのフィードバックの結果として、感情が生じると考えられるため(Tomkins, 1982)、他者の表情の模倣は他者の内面の理解を導くと考えられている。

=(長岡 千賀 http://syasin.hus.osaka-u.ac.jp/jjisp/006/pdf/nagaoka.pdf)

マルマルさんなら、店員さんの顔を見て同様の表情をつくるように顔面筋が活動する、その筋電位などの反応パターンが脳・中枢に送られ、その表情が出るときの自分の感情、この場合は迷惑、戸惑いが呼び出され、店員さんは迷惑、戸惑っているとわかる。(共感機能)友人のASの方は、模倣・人真似が下手なASの特性から、店員さんの内面を了解できない。

=ミラーニューロン説では、顔面筋を活動させる運動神経の脳の中枢に、相手の行動(表情)にあわせて興奮する神経があるから筋電位が変化することになります。=

マルマルさんなら、自分が困惑、迷惑した時に相手にやってもらいたいことやこれまでの体験、経験などから、迷惑顔の店員さんへの対応策が自ずと思い浮かんでくると思います。友人のASの方は、店員さんの内面を了解できないから、「とにかく自分の理由を説明しないといけない」という自分の思いだけで行動してしまう。

マルマルさんら定型の方は、この相手の感情などを共感機能で、おそらく生後3ヶ月頃からとらえている、そしてそれへの対応をした体験や経験などの蓄積があるのではないか。迷惑、戸惑いを顕している相手に、××したら、更に迷惑そうになったとか嫌われたとかの体験や逆に自分が迷惑を感じた時に相手が○○したら和んだ体験や親など他者が迷惑、戸惑いを顕している相手に、××したら、相手が和んだなどの経験などの蓄積があるのではないか。

そして、その蓄積、感情や状況をインダックスとした成功対応、失敗対応、などのデータベースDBを持っていられるのではないかと思います。それを参照して、行動なりを選択しているのではないでしょうか。その参照データベースDBを引用、根拠にすると、 R(アール)さんの指摘されように >極端に言えば「入社式には○○さんや○○さんや……△△会社の入社式にテレビに映ってた人たちや……弟の○○はスーツを着るよ」なんて言ってられないから「みんなは」「世間は」を使う< のでは?

私の「参照DB」仮説から考えるに、定型の方々が「みんなは」「世間は」を「私の経験では」に置き換えるのは無理がないと思うのですが、いかがでしょうか。

「みんな、そんな説明なんかしてないでしょう」→「私の経験では、そんな説明なんかしてないものよ。」

これをASの友人の方が受け入れるか、否かは、お二人の信頼関係によると思いますが。
まう?さまへ
まう?さま (できましたら、「ヒゲ達磨さま」ではなく「さん」にしてください)
レス有難うございます。おっしゃる通りに、その後が問題ですね。

>個人的な感覚だと、やはり興味を持って聞いて貰えない相手に何かを発言すると言うのは、ちょっと切ないですし、そのような態度自体に圧迫感(焦りや困惑)を感じます。

この点は、自分が積極特異型であるせいか人に接するに積極的、どのような方か人間自体に興味がある方です。自分の狭い関心領域のことを話すとかの特異性の方を、人間自体への興味、好奇心で抑え込んでいます。また私の共感性は、認知的共感性ですので、人間の心模様、心の動き方は多く知っていた方が共感が生じやすいので、人間自体への興味、好奇心を半ば意識的に強めている面もあります。無理に聞くというわけではないのです。つまり、相手に義理で聞いているとい感じは与えないようにしています。概ね、そのように受け取られているようです。

おそらく積極特異型は、特異性をその人なりのやり方で抑え込めば、無理に聞いているという感じは与えないのではないかと思います。

受動型の方は、私の自衛策では、問題が生じると思います。できたら受動型の方のご意見を伺いたいものですが、、

>相手に対して『被同調者感』を与えそれを満足させる必要があります。・・『(共感的)同調を相手に示す』って部分は、ASの人達的には容易にできる事なのでしょうか?
この点は、相手との組み合わせ、と定型側の話の内容によると思います。
続けます。
ヒゲ達磨さんへ
敬称については了解しました。(多少ドキドキしますが)

個人的な感覚での意見に関してですが、積極奇異型に関しては想定外でした。イメージ的には積極受動型と言う感じですかね。説明を聞くと、自分の疑問点は杞憂であった模様です。
ただ、誰にでも使えると言った意味での汎用性は低そうで、ソーシャルスキルとしてはかなりの上級者向けですね。

あと、一般的に使用されている語句として『積極奇異型』と表記しました。
ヒゲ達磨さんは表記が異なるようですが、何か意図があっての事でしょうか?
『確かに変わってはいるかも知れないが、奇異という言葉はあまりに一方的な視点からものを言っている』とかなのかなと想像したりしたのですが…。

ビゲ達磨さんへ
私の友人の分析ありがとうございました。

ヒゲ達磨さんのコメントを熟読するに、「定型」「AS」と、おおまかで顕著な特性の違いはあれど、個々人の違いは100人100通りで、現実の付き合いには「その人の定型具合」「その人のAS具合」の、微調整なのだなということを痛感しました。

おしゃべりのASの友人は、いわゆる積極奇異型ですが、陽気で反射的に冗談を言い饒舌でにこやかなので、どこから見ても「人当たりのとても良い人」ですが、肯定・受け入れ、ということがほとんどありません。

人の言う事に「でも」「しかし」「と言うか」の否定形の会話がほとんどです。
しかし、言葉を笑い崩しながらとてもソフトな声で言うので、相手もつられて、つい笑い出してしまったり、頷いてしまったりで「否定された」「受け入れられなかった」という実感がなくて、なんとなく会話が流れ、後々に「言った」「言わなかった」「受け入れてたよ」「いーえ拒否しました」というもめ事が多発します。

質問にも、答えではなく、質問の周辺のことを実に流暢にもっともらしくペラペラと物語るので、ついその表情や雰囲気に呑まれて「答えてくれた」ような錯覚に陥ります。

定型者が、表情や雰囲気やニュアンスを取り込みやすく、共感してしまう・・・そのことが友人とのトラブルの種になっている部分だと、ヒゲ達磨さんのコメントで再認識できました。





ASの私達の作り方は?
マルマルさん、言語系優先・オンリー処理のASとは逆に定型の方々は処理している。表情など非言語系を優先して、それを参照枠として言語系を処理、解釈する定型の方々の食い違いですね。

気になったのは、AS友人の方の姿勢です。微調整が必要というのは判りますが、その手がかりとして、類別化しておきたいと思います。

個々人を、円で表す図で考えて見ます。
定型の方々は共感機能で、感情・情動をシンクロできるので、個々の円が融合した大きな円=”私たち”を形成する。時系列的にみると、マルマルさんはAさんと融合円・私たちを作り、ついで分離して、またBさんと、、と生活している。3人以上になると、社会的上位者に同調する形で私たちができる。

それに対してASは、共感機能の働きが全自動では無意識的には働かないので、融合は出来ない。円と円が重なりあう共通部分を作り出すことはできるので、ASは他者、定型、非定型を問わず他者と重なり合う部分を作ることが出来る。それを、”私たち”と出来る。

定型者間では、融合の私たち。ASは重なり部分の私たち。

ですから、AS側からみると、AS自己が他者に近づいて重なりをつくる or AS自己を大きくして重なりをつくるという能動戦略と、 他者が近づいてきてAS自己と重なるまで待つ受動戦略が考えられます。
ただ、他者には独自の心があることがわからない、感じられない発達障害があると結果的には受動戦略しかとれないのではないかと思います。

知合いの受動型は、家庭外ではAS自己が他者に近づいて重なりをつくる能動戦略で戦術的には他者が白を黒といったら、自分もそれに合わせるで、家庭内では受動戦略・・配偶者や子供が自分のことを全て判って、配慮して当然の俺様戦術で配偶者の方が大変です。

AS友人の方は、受動戦略的と感じますが、、

私は能動戦略タイプですが、重なり合うと私AS側が思う部分にはサインを相手に送る必要があります。『(共感的)同調を相手に示す』です。これは、別の機会に。
ミラーニューロンって人間なら誰にでもにある、自分と他人を写す心の鏡みたいなものなんですかね。
思えば人目を気にする割りにはトンチンカンな行動をとってしまったり、場違いな発言をしてしまったり、無用なトラブルを招いてしまったりするのは、ASには心の鏡が無いのが原因かもしれません。

何でも最新の研究結果では、アスペルガー障害者からは人間の言語を司るFOXP2遺伝子に異常があったらしいんですけど、ASって進化を途中でやめちゃった遺伝子レベルの落ちこぼれなんですかね。

似たような障害ではNHKの『病の起源』のなかで読字障害を取り上げていたんですけど、人間が文字を使うようになったのは人類二十万年の歴史のなかではたかだか数千年らしいんですよね。
あとサルは人間といちばん遺伝子が近いチンパンジーですら、鳴き声とかで相手の感情を理解してるそうなので、微妙な表情を読み取る能力を持つのは人間だけに備わった特殊能力らしいんですよね。
アスペルガー障害者の割合が2百人にひとりで、読字障害者の割合が二十人にひとりという数値を鑑みると、会得した年月が新しい能力ほど、その能力に対応してない非対応者が高い割合で生まれてるみたいなんですけど、恐竜よりも先に地球上に出現していたゴキブリが、三億年たっても外見が殆ど変わってないのを見ると、歴史がたかだか二十万年の人類はあまりにも進化を急ぎ過ぎてしまったので、稀に進化のスピードについていけずに生まれてしまった者が読字障害とかアスペルガー障害とか自閉症のような障害を持って生まれるようになってしまったのではないかと思います。
人間以外の動物で自閉症なんて聞いたことありませんしね。
もらい泣きの経験は映画の『タイタニック』くらいですかねー。
たけしの『血と骨』って映画でもらい笑いしたことはあるんですけど、実生活が『タイタニック』よりは『血と骨』に近いことを考えると、もらい泣きよりはもらい笑いの方が多いように思います。

ミラーニューロンとは若干話がずれますが、ASの感情って基本的には恐怖と怒りが大半で、悲しみが占める範囲は極端に少ないように思います。

私の場合、普通なら悲しいと思うところを怒りを感じてしまったりするみたいなんですよね。泣いたりするのも悲しくて泣くよりは悔し涙の方が圧倒的に多いし。

共感能力と悲しみの感情はワンセットではないのかと思うのですが、他人の無理解を悲しく思う前に怒りの感情が先走ってしまう。
会話をしててもいつの間にか自分だけ会話の輪からはずれてしまうことが多いので、できるだけ多数の人に自分の意見を見てもらいたいから公開コメントにはしても、基本的にはいいっ放しで他人との対話は念頭に置いてない私は、たしかに共感能力が低いように思います。

ASってなまじ知能が人並みだからとかく他人からは誤解されやすい障害ですよね。
同じAS同士でもケンカになってしまうし、他人との軋轢が絶えないし、中途半端なASに生まれるくらいなら、少なくとも余計な口を挟んで周囲を不愉快にさせるほど余計な知能をもたない普通の自閉症とか、普通の知恵遅れに生まれてた方が、他人との軋轢がないだけまだマシだったようにさえ思います。

少なくとも私は学校で自分をいじめてた健常児のクソガキよりも特殊学級の知恵遅れの子と一緒にいた方がよっぽど気が楽でしたし。
今でもすぐにキレる隣りの部屋のアル中の健常者と一緒にいるよりは、近所の施設の普通の知恵遅れの子と一緒にいる方がよほど気が楽だと思ってます。

えーっと
またケンカになったり絡まれるのはイヤなので、不快に感じたら無理にコメントしないで放置か削除でいいです。

ビゲ達磨さんへ
実際に、紙に円を描いて、ヒゲ達磨さんのコメントを私なりに理解できました。
私の友人が「受動戦略的」・・本当にその通りだと思いました。やはり、当事者の方は、当事者のことがすぐ解るのですね。身近な友人の事なのに、こうやって、説明していただかないと解らないし、気づかないことがいっぱいです。
ありがとうございました。

アスペルギルスさんの「悲しみより怒りが優先する」という内容は、ASの方にはもしかしたら多い傾向なのではないかと、気づきました。
感情よりも、判断の方が先立つのかな・・と。
積極特異
まう?さん、コメントしたいテーマがいくつもあるので、一つづつ。

>あと、一般的に使用されている語句として『積極奇異型』と表記しました。
>ヒゲ達磨さんは表記が異なるようですが、何か意図があっての事でしょうか?
>『確かに変わってはいるかも知れないが、奇異という言葉はあまりに一方的な視点からものを言っている』とかなのかなと想像したりしたのですが…。

そうですね、多数派の定型の方からみての奇異ですからね。それに特に日本では同調圧力が強いので、奇異というのは否定的な色付けがあると思います。

特異体質というなら、それなりの配慮、本人も周囲も配慮すればOK、無事過ごせるという理解が有る。
ASでも奇異ではなく特異と表記すればそのような、本人も周囲も配慮すればトラブル少なく生活できるという理解を導けるのではないかと期待してます。
ヒゲ達磨さんへ
『積極特異型』については了解しました。
『積極特異型』と言う表記もあるのかなと思い検索してみた所、使用者がほぼヒゲ達磨さんのみで、かつ、意図的に使用されている事が分かったので、その意図をお伺いした次第です。

なお、使う場面はそれほどないのかなとも思いますが、ヒゲ達磨さんの意図を理解した上で、一般的な表記であるという理由から、『積極奇異型』を今後も使用します。この点についてはご了承ください。

コメントに関しましては、当方かなりの暇人ですので、ヒゲ達磨さんのペースでどうぞ。
定型との組み合わせ(1)素因的
定型の方も色々な方がいます。定型とは、非「広義の自閉症」で、論理的には排中律(Aでなければ非A)を伴う、二項対立概念だと思います。

以下引用 
アスペルガー症候群を含む広義の自閉症については、3つの中核症状がまとめられています。
1)対人相互性(社会性)の障害
2)コミュニケーションの障害
3)興味の限局、反復的常同的行動
の3つです。

この中でも、特にアスペルガー症候群の診断では社会性の障害が必須です。この社会性の障害のために、非常に高い能力を持っているにもかかわらず、社会復帰できないという人が多く、もっとも重要度の高い症状です。

環境要因も関与するにせよ、遺伝的要因がかなり大きいと推定されています。

「3つの症状を説明できるような、共通する原因はないだろう」と考えられるようになっています。つまり、3つとも別個の原因だろうということです。

引用おわり
もと http://www.tbgu.org/event/forum200811/article/yamasue.html

これから、遺伝的素因的側面にだけ着目、単純化しすると 
(A)対人相互性(社会性)の障害の遺伝的要因、(B)コミュニケーションの障害の遺伝的要因、(C)興味の限局、反復的常同的行動の遺伝的要因の3つ全部持っている人がASを含む広義の自閉症。

定型とは類型化すると

(A)対人相互性(社会性)の障害の遺伝的要因、(B)コミュニケーションの障害の遺伝的要因の二つ持つ人
(A)対人相互性(社会性)の障害の遺伝的要因、(C)興味の限局、反復的常同的行動の遺伝的要因の二つ持つ人
(B)コミュニケーションの障害の遺伝的要因、(C)興味の限局、反復的常同的行動の遺伝的要因の二つ持つ人

(A)対人相互性(社会性)の障害の遺伝的要因の一つだけ持つ人
(B)コミュニケーションの障害の遺伝的要因の一つだけ持つ人
(C)興味の限局、反復的常同的行動の遺伝的要因の一つだけ持つ人

3つとも持たない人



質的には、この7類型があると考えられます。

3つとも持たない人の話は、ASはわからない、極めて共感しにくいと思います。逆に。三つとも持たない人は、ASの話を聞いても、まったく判らないと思います。

二つ持つ人、一つ持つ人の方が、AS側も理解、共感できるところが多いとおもいます。逆にそういった方は、ASを理解しやすいのですが他方「そういった困りごとは私にもある。」だからASに「努力すれば、なんとかなる。」「甘ったれている」といった反応を返されるのだとおもいます。

(2)「すべき」の強い人、弱い人
(3)男女差

業務用PCがダウンして、復旧に手間取りレスが遅れてすみません。
ふと思いついたものを脈絡なく並べてみた
人が多いところを見た時、定型は「そこは安全なんだねー」と言ってそこに行く
同じ場合のアスペは「人手は足りてるねー」と言ってよそに行く(……のかな?)

「定型は共感性が高いと言うならば、定型はアスペに共感できなければおかしい」という言葉があります
「アスペはアスペに共感できた」という研究もあったり
 単純に同じ性質(または近い性質)を持つ人物が似たような行動をしているだけなのかもしれない

アスペに比べ定型は「感情的対処」傾向が強く、定型に比べアスペは「問題的対処」の傾向が強い(気がする)
問題的――アスペ――定型――???――感情的
「???」に入るものはなんだろう、子供? いくらかの精神障害とみなされているものも入りそう、少なくとも私個人から見た定型はそう見えることがある

自分の状態を表現できる奴は集団の中で大事にされる(不調や努力を明確に示せるから)しかしアスペは表現を考慮しない。 無能な働き者に厳しいのだ。
よくも悪くも感情を排している、時に自分の感情すら自覚できなくなってしまう程に

アスペに宗教は発生しないのかもしれない(という予想)似ているものは信頼関係

アスペは情報に厳しい、誤情報が死に繋がり得ると本能で理解している。 つまりアスペが意図的に嘘を告げるのは凶器を向けるのに等しい。 親しい相手である程に誤情報を放置できないのも同じ。 前述の「問題的対処」も繋がる。

男性より女性の方が「感情的対処」の傾向がある。 身内の不調を看破するのが女性の役割だったから。


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