さて本題、
悲しそうな顔をした人がいたとする。
それに対して自分があたかも「同様の表情」をしたときのような反応をするニューロンがあるという。
そのため、他人の悲しさを、あたかも自分が同様に悲しいかのような感じ方が健常者ではできるらしい。
(それを「共感する」というらしい。)
(ちなみに自閉者では「顔に出る感情の感知」すら難しい場合が多いようである。少なくとも私は超苦手である)
で、
「ミラーニューロン」というのがそのニューロンの名前なのだが、
元々はマカクザルでみつかった、他者の動作に「あたかも自分がやったように」反応する運動性ニューロンなのである。
発見や研究の過程などが知りたければ書籍を読んで欲しいが、とりあえず概略だけ説明すると、
その運動性ニューロンは人間においても存在することがほぼ証明されていて、人間の場合では情動においても「あたかも」自分がその感情を感じたような反応を示すことがわかっている。
で、それと共通認識がどう関係するかというと…
健常者の場合、本当に「共感」は脳内で起こっている現象のため、ある場に二人以上の人間がいて活動している場合、脳の活動として「私たち」が真に(少なくとも脳の反応上は)存在するということがいえると言うことだ。
意識上の「概念」として「私たち」が存在するのではなく、「私たち」が真に存在し、感知可能なのである。
これは私にとってはとても驚きだった。
そこで私は下記のように考えた。
健常者間において、ある場において、行動、情動に関して、「私たち」が存在するということは、すなわち認知されたものは「私たちの認識」=「共通認識」となる。
この体験を健常者は数多く積むことによって、「私たちの認識」が常にあるということを無意識に学習するだろうと。
この仮定が正しければ、
ある集団(あるいは文化)における「共通認識」というものは各個人の「感覚共有」体験に応じ:すなわち経験の多少と共感性(感覚共有能)の高さに応じ、「存在するもの」(あたかも実感できるもの)と認識され得るのではないだろうか。
というのが私の考えだ。
さらに私自身の自閉症者としての実感から類推するに、自閉者では少なからず「共通認識」が認識されにくいように思うが、それは「経験」以外に頼るものがなく、「実感」できるものではないことがその要因になっているのではないかと考える。
また、自閉症者の社会性の障害に関しては、想像力の障害が原因となっているという人もいるが、それよりはむしろ単に「共感性」の不足が原因となっているように私には思える。
===========
自閉症とミラーニューロンの働きに関してはその関連性は指摘されるが、まだまだ研究途上のようだ。ただ、健常者に関しては、研究はある程度進んでいるようである。
というわけで、健常者=定型発達者の感じ方、考え方に関しては、その研究からある程度のことがいえるのではないかと思うわけだ。
ちなみに「共通認識」や「集団意識」などが「存在する」可能性は社会学・哲学にも大きな影響を与えることは予想に難くないだろう。
参考文献:
「ミラーニューロン」ジャコモ・リゾラッティ(紀伊国屋書店)
「ミラーニューロンの発見」マルコ・イアコボーニ(早川書房)
![]() | ミラーニューロン (2009/05/19) ジャコモ ・リゾラッティコラド・シニガリア 商品詳細を見る |
![]() | ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice) (2009/05) マルコ イアコボーニ 商品詳細を見る |

にほんブログ村
発達障害ランキング
↑ブログランキング参加してます。↑
応援の1日1クリックを
実は読書に
夢中になっていたの
…
関係ないけど
上のバナーを
ぽちっと押してって
くれません?