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連休…やはり休みなしでした。
一気呵成にページを量産。ええ、こないだから作っている音楽便利帳っつうサイトです。
1ヶ月でなんと130ページ…これはちょっとやり過ぎかなあ?
ページ内容書きとWebデザインとサイト構造作りにメールの授受…一人4役ですわ。
その上、どうみても一年~一年半はかかりそうな壮大な計画になってしまった…。
過集中モードをなんとかペースダウンしないといけません。
と、あまりに関係ない近況報告の前振りはこのくらいにして…
さて、本題
アスペルガー者は何かと察しが悪いと言われる。
が、その現象が本当なのか否か?
それを瞬時に判断できないのがアスペルガー者のアスペルガー者たるところであるのではと思うような出来事がちょっと前に起こった。
ある日の夕食時。
いつものようにビールをスタートに晩酌をしながら食事をしていたタヌキが目の前にいる私にむかってこういった。
「炭酸あったか?」
私は
「昨日買ってきたからあると思うけど…」
と、言いながら、茶の間にある小型冷蔵庫をのぞいた。
そこには炭酸水がちゃんと鎮座ましましていた。
で、私は冷蔵庫をそのまま閉めた。
目的は焼酎の炭酸割りだ…それはわかっている。
だが、すぐ必要かどうか判断しかねたのだ。
タヌキがすぐさま、若干あきれ顔で
「おい、普通、あるかって聞かれたら出すだろ?ああ、もう察しの悪い奴だ!!」
とのたまう。
私に判断がつくわけないわな~。
だって、タヌキのビールがジョッキが空いていないので焼酎にすぐ切り替えるかわかんないもん。
と、思う気持ちも多少はあったが、言われてみれば、すぐに出さないのも変な気もする。
私の察しが悪いのかそうでないのかはともかく、目標は平和に晩酌が続くことである。
ああ、「出す?」って聞けばよかった。
聞き損ねたのは確実に私のミスである。
こんな時はすぐさま「ごめんなさいスイッチ」を起動!
「ああごめん、そういわれればそうかもねぇ…」
とだけ言って再び冷蔵庫をあけて炭酸水をだし、無事に晩酌は続いた。
ごめんなさいスイッチの起動は功を奏した。
先手必勝である。
ま、私の察しが悪いのか?どうかはともかくも、
タヌキのタヌキなりの期待というのもかなり図々しい。
で、時たまこんなことが起こるのであるが、
不思議と大してけんかにならない。
察しが悪いといわれても、
自分がどういう経緯で考えたのかを主張する気があまりない
なぜなら、私の思考が正しいという絶対的な自信はない!
(察しがわるいのかどうか、私は自分で判断ができないのである。)
ということに私は自信を持っている。
そんなわけで、いつも呆けてると言われればそれまでだが、
家庭内ではボケ役の役回りが多い狸穴猫なのであった。
さて、往々にしてあるアスペルガー者の定型発達者のトラブルに、
相手が怒ったところで、「ごめんなさい」といえばいいのに、延々と言い訳をするというのがあるらしい。
頭ごなしに怒られると、自分の思考や行動の手順を否定されるような気になるので、ついそこを主張したくなる。
それがいわゆる「アスペルガー者の言い訳」の正体なのだろう。
若いときは私もかなりその手の主張をして、かどをたててきた。
今、なぜ主張しないことを覚えたかというと、
それは我が環境にタヌキの強引な主張がほいほいあることに原因がある。
タヌキのタヌキなりの論理は世間様で通用しないものも多数あるのが明らかだ。
(ネオンライトみたいな格好してLEDを大量にちかちかさせながら自転車をこぐにはタヌキなりの主張があるのだが、世間さまでは確実に変人の領域である。)
そこで私は考えた。
察しがいいとか悪いとか…それは相手の見えない期待(論理)に依存するので、所詮、自分には判断できないものである、と。
相手の論理と反論したくなるこっちの論理…、どちらも正しい保証なんぞない。
ついでに、察しが良いとか悪いとかいうのは、相手にしか判断できないもので、
自分で判断できるものじゃない。
さて、ここまで思考をすすめてみて、
私は「自分の思考過程や判断を主張すること」に飽いてしまった。
という訳である。
かくて主張の多いタヌキを相手に、平和に毎日が過ぎていくのであった。
いいことか悪いことか…
平和なんだから、たぶん良いことなんだろう。

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