一応、女史の講演の動画のURLを貼り付けておこう
テンプル・グランディン 世界はあらゆる脳を必要としている(動画)
基本的に女史と私のスタンスはだいぶ違う。
彼女はアスペルガー児に対する支援に関して主に取り組んでいて、
私は青年期以降の当事者に対する支援に関して考えていること。
先ずこの点はハッキリさせておかなくてはいけない。
で、冒頭からちょっとそれてしまうのだが、、この原稿を書いていて、これは一回も書いていないなと思ったこととがある。それは私のこのブログを書く上でのスタンスというか、指向性、そして私の思考の特徴というものである。
1回は詳しく書いておいた方がいいかな~と思ったので書いてみる。
スタンスは、一言で言ってしまえば、
「防げ二次障害、明るく生きようアスペルガーライフ」である。
これだけでは意味をなさないのでもうちょっと詳しく書いてみる。
さて、私はPTSDもちだが、基本脳天気でぼーっとしている。
いじめにも遭ったし不適応も起こしたが、
実は現状二次障害らしい二次障害は残っていない…と思う。
(たぶん親のフォローがよかったせいだろう)
ただ、事情から二次障害の怖さを思い知ったので、
「防げ二次障害」というのを非常に重要視している。
ところで、私自身は分析オタクである。
主に論理的手法を用いて分析を試みるのが趣味なのだ。
(というか、つい考えてしまう、つい分析してしまうといったほうが正しいかも)
そしてアスペルガー症候群という障害に関していえば、適切な分析から得られた知識(障害にかんするもの、社会に関するものなど)は 障害に起因する困難や心理的負荷を軽くすると考えている。
これが、、定形発達者研究をはじめ、分析的記事を書く理由。
私自身のこだわりは強い…が、妙なところにこだわっている。
偏りをいかに排除して分析するか?(普遍性の追求)
実用的な分析でなければ意味がない!(実用性の追求)
そして、
「多数派と違う=悪いこと」とは思っていないが
「多数派と違う=発想の面などで特に有利」とも思っていない。
確かに多数派と違った発想というのには出てくることもある。
が、「違った発想」というのは勝手に出てくることがあるというだけだ。
これまた、自然発生的なものなので、効率良く利用できるとは限らないと思っている。
ま、運良く出てくれば利用しない手はないとは思うが、そのくらいの事である。
優れた発想というのは、アスペルガー者に限らず、ある能力において秀でていれば出てくるものだろう。
ついでに、もう一つ。私はあまり「成功」に重きをおいていない。
明るく、適当に前向きに、生きていけたら良いじゃないか
というところである。
成功するよりも先ず生きていくことが重要だと思うのだ。
詰まるところ、
「才能を生かして成功すれば生きていける」
ではなく
「先ず生きることを模索しよう、たぶんその術はある、そして生きていりゃいいこともある」
なのである。
アスペルガー症候群者であっても人ぞれぞれ、体力も違えば、気力も違う。
「できること」は障害の程度や、おかれた環境や、能力の特徴によって大きく違うのだ。
だからこのブログでは、「アスペルガー当事者対象の記事」ではほとんどの場合、
「こういう考え方、解釈もできるだろうな」
とか、
「こういうやり方ってのもありかもね」
いう「提示までにとどめる」というのが私のスタンスである。
だからとーっても傍観者的な発言(冷めてるといえば冷めてるな)が多いといえば多いのだが、私はこのスタイルを崩す気は毛頭ない。
これは、私自身が「体力無し」で「根性無し」だからである。…なにせ病気のかたまりだから、基本的に「頑張る」が難しい)
肩肘張らず、「自然体」にできるだけ近い形で楽になれるのが一番であると思う。
(前述したが、そのための「分析」である)
「体力無し」「根性無し」のアスペルガー当事者でも利用できるような情報を書きたい。
これもまた私の「こだわり」の一つである。
今まで、惰性でこのブログを書いていたが、
ブログを書く私のスタンスというものを整理するとこんな感じである。
なんかプロローグ第2弾みたいになってしまった。
さて、本論はこれからずるずる続いていく。
「乞うご期待」と書いておこう。
<つづきはこちら>
注:このシリーズの文中で、便宜的にアスペルガー児、アスペルガー当事者という用語を使うが、それは広汎性発達障害当事児者と読み替えてもらって差し支えない。より多くの人にこの文を読んでもらうために、検索キーとして「アスペルガー」という用語の方が引っかかりがいいという理由で、こういう表記をすることにした。

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