テンプル・グランディン女史の講演から考えたこと(7)-発信する当事者ばかりではない-

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毎度になるが、一応、女史の講演の動画のURLを貼り付けておこう
テンプル・グランディン 世界はあらゆる脳を必要としている(動画)


さて、(5)でちらりとふれたが、発信する当事者ばかりではないということに今回はふれてみたい。


主にここを見ている方のうち、go.jp、ac.jp、cty.~、pref.~というドメインからお越しの皆さんに考えてみて欲しいことを綴ってみる。(アクセス解析みたら結構おいでのようで~)


さて、開始。


ある障害に関する理解を社会に訴えるのに、当事者や家族からの発信というものは、ある面必要欠くべからざるものであると考える。


グランディン女史の著作や講演も典型的な、障害当事者の発信である。


さて、その有りようだが、近年いろいろと状況が変わってきている。

ちょっと昔なら、当事者団体をまず作りそこから発信するというのが多かっただろう。
当事者本の出版や、講演などというのもまた発信の手段である。


だが、今の社会、個人が情報発信するのはシステム上は容易である。


そう。ブログやホームページなどを持てばいい。
昔のように団体作りや書籍の出版というハードルをクリアする必要は必ずしもないのだ。


であるからして、障害に関するさまざまなことをWEBで発信するアスペルガー当事者も数多くいる。障害関係専門のブログやホームページを作るというスタイルもあれば、他のジャンルの記事の合間にたまに書くというスタイルもある。


そういった意味では、私もまた「発信するアスペルガー当事者」ではある


また、自分のブログやホームページなどを持たなくても、他者のブログのコメントとして何らかの意見なり見解を述べることもできるし、掲示板等に書き込むこともできる。


だが、ここで着目したいのは発信するアスペルガー当事者よりも発信しないアスペルガー当事者の方がはるかに多いだろうということだ。


実際、自助会を運営していても、ブログなどで自ら発信している参加者は意外と少数派である。


さて、ここから何を言いたいのかというと、「発信しない当事者」の存在を忘れてはならないと言うことだ。


容易になったとはいえ、当事者が障害に関する情報を社会に発信するためにはさまざまな条件をクリアしなくてはいけない。

具体的には、

・書くための時間の確保
・書くネタの確保
・書くことに耐えられる心理状態
・書くための文章作成能力
・場合によっては家族の理解


などである。


もちろん単に発信したり主張したりするのがあまり好きでない当事者もいる。
が、何かを発信したいという思いがあってもこれだけのハードルがあるのだ。


WEBによるアスペルガー当事者の発信が増えてきた現代、当事者の現状や見解などを見聞きする機会は拡大している。


しかし、その多くがアスペルガー当事者個人の現状を伝えるものであり、アスペルガー症候群者の全体像を示すものではないということに留意して、発信された情報を受け取る必要があるだろう。


特に、発信しない当事者のうち、障害のタイプや程度、二次障害の程度によって、発信したくてもできない当事者の存在があることを忘れてはならないと私は思う。


蛇足ながら付け加えると、当事者からの発信を読む上で、アスペルガー症候群という障害では障害の特質上、「認知の偏り」や「こだわり」がある場合もあるのでその点にも留意する必要があるだろう。


(とまあ、アスペルガー当事者から反発を食らいかねないこともあえて書いてしまうのが私自身こだわりなんだろうねえ…とも思う)


Web上にはアスペルガー当事者の現状を理解する上で、参考になる発信も少なくないだろう。だが、特に公的機関の方や支援者の方には、上記のような点について留意した上で、当事者の発信というもの読んで欲しいと思う。


<まだまだ続く>


==============

ついでに最近疑問に思っている事を一つ。

アスペルガー当事者のWebでの発信っていうのは、他の障害者の発信に比べ、「自伝的」なものがとーっても多いような気がするのは何故かなあ?

と、考えてる。

「幼少期のトラウマを抱えたまま成人した人が多いのかなあ」と考えたのだが、それを
ツイッターでつぶやいていたら、ある方から、「自分の事をかけば攻撃ととられないので安全」という意見も頂いた。

正直、まだコレだ!という結論に至っていない。
そのうち突っ込んで考えてみようと思う。


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そうそう、左のサイドバーに増えたブログパーツで、気がついていた方もいたかもしれませんが、ツイッターはじめました。

というか、ツイッター自体は情報受信用にだいぶ前から使っていたんだけど、ちょっと思うところあって「つぶやき」にトライ中です。

見つけた資料、読んだ書籍の簡単な感想とか、考え中の事などをスローペースでつぶやいています。

http://twitter.com/mamiananeko

よろしければのぞいてみてください。





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コメント

脱線しますが
考えるところが有ってブログ止めました。
発信者に成りたいのですが、ASDの中で自分は薄い色彩にいるのかな?と感じたのかな?
多種な中で、普遍的ASDは私の実例は求めて無いのかな?と。
デジタルな実像を皆は求めがちですね。(かといって、私の環境が定型な環境では無いので悪しからず)

どこの世界もそうですが、規格外は存在するんでしょうね。
それをどう乗り切るか…が自分の課題でしょうね。
「アスペルガーのブログは自伝的になりがち」

もしかしたら特性から来るものなのかもしれませんね。

「共通体験から来る概念を持ちにくい→共有体験から来る概念のシェアがしづらい」

逆に

「個人の体験→当事者なら理解できる:具体的なことで概念ではない→シェアしやすい」

からではないでしょうか、あくまで推論ですが。
発信する当事者、発信しない、出来ない当事者の他に自分がASだと気づいていない当事者もいます。そういった人々はケースバイケースでしょうが、どのように自己を捉えてらっしゃるのでしょう。また、そういった方々への障害告知の必要性は?とも考えていました。脱線しましたが考えてしまいました。すんません。
はじめまして
以前からブログとお名前は存じ上げておりましたが、
ツイッターでフォローしていただいたのをキッカケに、
ついでに調子に乗ってコメントをさせていただきます。

>アスペルガー当事者のWebでの発信っていうのは、他の障害者の発信に比べ、
>「自伝的」なものがとーっても多いような気がするのは何故かなあ?

これについて、私の感想(見解とかいうと偉そうなので)は、
「自閉的で、基本的には自分の事、自分目線で見ていることが多い」
からではないかと思います。

我が夫は確定診断などは受けていませんが、
本を書かせたら自伝か全くの空想を張り切って書き、
私の事等は殆ど触れられないであろう事は容易に想像出来ます。

それでは、更新楽しみにしてます。がんばってください。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
アスペルガーを語ることは異文化を語ること。

なら異文化に触れなきゃ。

他の障碍や職業ジェンダー…。
Re: 脱線しますが
あら、それは残念。
デジタルな実像…
そういう世代が多いのかしらん。
気が向いたら復活してくださいな。
さかいさんへ。
体験ならシェアしやすい
 ↓
特性からの類似体験が生じやすい。

こう来るのかな?
アスペルガー者も何らかの共有を求めているといったことですかね。
わーさんへ
> 自分がASだと気づいていない当事者

家族(特に妻)が気がつくといった例があるようですね。
それはそれで大変なようです。
本人が悩んでなくても周りが悩むって場合がおおいようで…。

Re: はじめまして
ハチさん、はじめまして。

> 「自閉的で、基本的には自分の事、自分目線で見ていることが多い」
> からではないかと思います。

ふむふむ、傍目には興味の中心が自分のように見えるということですね。
新しい視点だ!

定型の方の意見というのはこのブログでは貴重です。
今後ともよろしくお願いします。


akienさんへ
akienさん、こんにちは。

そういえば、よく「ろう社会・ろう文化」と比較されますねえ。
他の障碍と比較するってのは必要だと私も思います。
差異が障碍の特質をよく表しますからねえ。


狸穴さん、

もしくはこう言ったいい方もできるかもしれません、

「感情」をベースにした「共通概念」の共有よりは
「経験」をベースにした「共通情報」の共有のほうが理解しやすいのかな、と。

例1:

ある映画の場面を見て

「私主人公が最後死ぬ場面で胸がきゅーっとなったのよ、あのせつない表情を彼女に向けながら死んで行く時」

「あ、私もあそこでぐーっときた!」

主人公が死ぬ=自分自身は体験していないが、「死ぬ=悲しい、せつない」という概念から来る感情を感じている。

例2:

「この間電車に乗ろうとして指挟んだまま電車動いちゃって一駅挟まったままで大変だったんだよ、指腫れちゃって」

「俺も昔足挟んで抜けなくなって電車止めてダイヤ乱しだ事があったよ、あれは痛いんだよな、挟むと」

「挟むと痛い=経験から来る知識」とそこから派生する状況等の情報の共有。

1は「お互いにこう感じているんだよね」という感情の共有であるのに対し、2は「こういうことが起こった時自分もこのように思った、行動した」という実際の体験に基づく情報の共有。

でも、2の会話のスタイルって、「痛いんだよね、あれ」という一文が入らなかったら、自分のほうに話を持っていっている、という風に間違いなく人は取ると思う。

会話を受けた本人は
「情報に対しての自分の共通情報のシェア」
であるという意識の元に話しているので自分自身では「共有」しているつもりでも、最初に話しかけた人は「感情の共有」を求めているので、そこに「共有」があるなんて思いもせず、「自分目線で話している」と思うだろう。


さかいさんへ

> 「経験」をベースにした「共通情報」の共有のほうが理解しやすいのかな、と。

た…確かにそうかも。

自助会でも「共通情報」だけのやりとりで結構盛り上がっちゃいますねえ。
もしかして、定型発達者にはついて行けない世界がそこに展開しているのだろうか…。




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