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毎度になるが、一応、女史の講演の動画のURLを貼り付けておこう
テンプル・グランディン 世界はあらゆる脳を必要としている(動画)
最もストレスが少ない「社会的生存」のモデルを前稿で提示したわけだが、残念ながら現代社会は甘くはない。
それがアスペルガー症候群を有名な障害にしてしまった要因なのかもしれない。
まあ、つまるところ、前稿の図中の右よりの要素がほとんどないという活動は極めて少ないということだ。
さて、その原因を考えてみる。
1つに、手工業が衰退し、かつ、科学・工業技術が高度化していることから、もの作りの場自体が減少しているということがあげられる。
2つめに社会が高度化(複雑化)していて、一つの社会的活動に関わる人数が増えているので、人間対人間の交渉や関係維持というものがより重要になってきている。
主たる原因はこんなところだろうと思う。
正直、自閉者にとって現代はあまり生きやすい社会ではないのである。
かといって、落ち込んでばかりもいても仕方ない。
自閉者が社会的に生存するために必要なことは何かを考えていく。
1、自閉者なりの社会性を身につける。
2、基本的社会不安を取り去る。
3。不利にならない為の「スキル」を身につける
とりあえず重要な点はこの三点だと思う。
個別に考えてみよう。
1、自閉者なりの社会性を身につける。
グランディン女史も講演中で触れているが、自閉者はコミュニケーションを演ずるようにしか学べないという。
実は私もそうであった。
どんどんパターンとして学習すればそれなりに対人対応ができるようになる。
それはSSTと呼ばれる教育によって獲得することができるだろう。
(で、息子に「あんた、外に一歩出ると顔が引きつってる」といわれる始末だが…)
だが、ここにちょっとした落とし穴があるのだ。
自閉者は自分にも他人にも正直であろうとする人が多い。
そこで、場によって「振る舞い」を変えることを「正直でない=悪」と思ってしまって抵抗が生じる場合があるのだ。
(ええ、私も若い頃は頑なにそう思ってました…)
だから、決して「振る舞う」が悪でなく、定型者ではごく自然にやることなのだという知識を得ておく必要がある。これもまた教育によって何とかなるだろう。
また、交渉などに関しては周囲に頼ってしまうというのも実は良い手段だということも、覚えておかなければならない知識の一つである。
(責任感の強い自閉さんは往々にして、自力でなんとかしようとしてトラブルを起こしたり、精神的に果ててしまうことがある)
交渉などが得意な人にお願いしちゃうってのも「自閉症者の身につけうる社会性」の一つであるとも思う。
2、社会不安を取り去る。
定型者との「感じ方、考え方の違い」が「一次不安」の元になっていると思う。
大人になるにつれて高度化していく社会関係は、往々にしてさらに不安を増大させる要因になるだろう。
「暗黙の了解を理解する」
「空気を読むこと」
が要求される場面は社会に出れば増えるものだ。
一次不安=基礎的不安を抱えているアスペルガー者において、これを取り去ることは「社会的生存」をはかっていく上で、非常に重要な要素であろう。
できないからこその障害なのであるからして、これが「感覚的にできるようにする」事をめざすべきではないだろう。(そんなことをめざしたらウツになるっきゃないもんね)
「メジャーな暗黙の了解を明文化したものの知識」
「暗黙の了解を理屈で推理する力」
「空気が読めなくても顰蹙を買わないための技術」
の獲得をめざすべきだろう。
まあ、これが、私が「定形発達者研究」を書いている目的でもあるわけだが、知識や理屈によってクリアできるものはクリアしてしまった方が良いだろう。
これまた、幼少期からの継続的取り組みがベストだろうが、成人期になっても間に合わないということはない。
3。不利を生じない為の「スキル」を身につける
アスペルガー者はだまされやすいという話はよく聞く。
うさんくさい商法に引っかかったり、知り合いにだまされたり。
まあ、
「言葉通りにとらえる」
「人の悪意(裏の顔)や嘘を想定できない」
などの性質などから生じる現象なのではないかと思う。
実際の話を持ち出すが、うちのタヌキ、私の知る範囲(つまりここ8年間)でも知り合いに金を巻き上げられたことが何回もある。まあ被害規模は数千円に満たない範囲だからまだいいのだが、「お涙ちょうだい話」に弱いのだ。で、つい、「困っている」といわれるとつい引っかかってしまう。
帰ってきたタヌキから話を聞き、「ちょっとその話…おかしいんじゃあ」と私が気がつくことが多いのだが時既に遅しである。
当然のことだが金銭的被害のない「自分を有利にするための嘘話」にも引っかかる。
正直、タヌキは知能テスト上は高知能バリバリの奴だ。でも何度も引っかかる。(正直困ったモンだ)
さて、ここでタヌキと私の差を考えてみる。
私は、小さい頃から父親から徹底的に「人間は時として嘘をつく」という知識と「論理的思考」というスキルをたたき込まれた。おかげで、「話に矛盾がないか、整合性はあるか」…そんなことを逐一チェックするという習慣がしみついている。(変といえば変な父親であった…そのうち記事にでもしてみようか)。さらに大学時代はサークルでディベートに熱中した。(ある面、言語論理オタクともいえるかも…汗)
それに対しタヌキはこの手のトレーニングは全く受けていない。
(普通にそだてば当たり前だ…と思う)
それだけの差である。
詰まるところ、ある程度の知的能力があれば、教育・トレーニングによって「だまされない」為のスキルを身につけることはある程度可能なのではないかと思うわけだ。そしてそれは必要なことであるとも。
以上三点、考えてみたが。障害の状態・程度によって上記の手段をもって社会性の不足に対する補償回路を教育だけで自らに装備することがができない場合もあるだろう。
この場合はその「補償回路」に相当する部分を人的パワーで支援していく必要があるだろう。
<しつこく続く>

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