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毎度になるが、一応、女史の講演の動画のURLを貼り付けておこう
テンプル・グランディン 世界はあらゆる脳を必要としている(動画)
さて、今回はちょっと話題の毛色を変える…というかかなり脱線する。
グランディン女史の講演を聴いて、私の脳内を当事者諸氏の顔が去来するとともに、あちこちのブログのトップ画像、某巨大掲示板(あ、某板、某スレのみなさま、ご愛読ありがとね~!)などの画面などが去来した訳だが、そこで当事者間の温度差の大きさというものにふらふらと行き着いてしまった。
ハッキリ言って、能力も能力タイプも異なれば、「一次不安」の解消状態、二次障害の状態によってさまざまなタイプのアスペルガー当事者がいるのは不思議でも何でもない。こだわりのポイントも人それぞれ…。
だが、それ以上にアスペルガー当事者間の温度差が大きいように感じるのだ。
ネット上でしばしば対立が生じるというのを実際あちこちで見ている。
そしてその頻度は、同じ障害を持つ同士としては、他の障害よりも高いと感じる。
さて、そこでちょっとアスペルガー当事者のタイプをわけてみる。
1 ポジティブな当事者とネガティブな当事者。
2 (一応でも)社会適応している当事者とそうでない当事者。
3 発信する当事者と発信しない当事者。
これだけでも3軸だ。
WEB上で見えているのは発信する当事者であるから、とりあえず今回は3については触れない。(この問題は別の稿で考えることとする)
この温度差って、「一体何なんかね~??」と時々考えていたのだが、グランディン女史の講演を聴いて何となく納得がいったのだ。
プライドのよりどころ問題なのだ!
と感じちゃったのだ。
(グランディン女史もプライド超高そうって感じである、キャリアに相当なプライドを持っているのも著書などからみてとれる。)
さて、整理しよう。
◆まずひとつ目、適応状態とプライドの関係。
社会的にある程度でも適応できているアスペルガー当事者では「適応できている」ということにプライドの拠り所としている事が多い。
それに対し、社会適応できていないアスペルガー当事者にもプライドはある。だいたい、自分の能力の一番の突出部分にプライドの拠り所を置いていることが多い。(そして多くは学歴だったり、学校での成績、資格だったりする)
これではかみ合わなくても不思議はない。
社会適応状態が良くない当事者には弱みがある。そこを「適応状態の良い」当事者が刺激すれば、対立が生じるのも不思議はないと思う。
◆二つ目、社会に対する意識とプライドの関係。
すなわちポジティブな当事者とネガティブな当事者の問題だ。
ポジティブな当事者は不思議と「ポジティブであること」にプライドの拠り所をおいている。
リアルで一人ポジティブにやっている分には問題ないのだが、なまじプライドがあるものだから、「さあ、あなたもポジティブに!」という手合いの発信をしていることも往々にしてある。
ところで人間、「さあポジティブ」にといわれても、「よし、私も」とは行かないのが常である。(ここは定型者でもアスペルガー者でもあまり大差ないと私は思う)
かくして、この手の発信は、諸事情によって既にネガティブ方向に入ってしまっている当事者にとっては、一番痛いところを突かれるわけで、精神衛生上よろしくないため忌避や反発をされてしまうタイプの発信だったりもする。逆に妙に強烈に憧れてしまうケースもある。(もちろん、単に「人に指図されたかないわい」というタイプの人の反発をも買うだろうが…)
そんなわけで、この2者もまた、隔たりが大きい。
以上2点において、当事者間の「温度差」が生じるのではないかと考えた。
同じ障害を持つ障害者同士で頻繁にネット上の掲示板やブログのコメ欄などでトラブルを生じるのはこんな訳があるのだと一人得心した次第である。
だが、これらの隔絶は社会的に見るに、自閉脳というリソースの無駄遣いではないだろうかとも思う。少なくともWEB上で発信可能な知的能力のある、かつ自閉症スペクトラムについてさまざまな事を考えている当事者が、価値のある知を生み出す方向に行かないのだから。
さらにちょこっと脱線する。
以下ネット創生期(15年くらい前かな)に考えたことなのだが…
まあ、ネットというのは対人距離を誤認しやすいメディアである。
なぜなら、いわゆるパーソナルスペースの内部に、パソコンのディスプレイを置かざるを得ないからだ。
そのため、掲示板やブログなどでのやりとりにおいて「親密感の誤認」が起こったり、批判などでは「面と向かって批判されたような錯覚」やに陥ったりしやすいのと私は考える。
パソコン(or携帯)という新しいメディアにまだ人間の脳の方が慣れていないからこそ起こる現象だといえるだろう。
話を元に戻す。
自閉症スペクトラムという障害に関して言えば、当事者が手をたずさえて、社会にその現状を訴えていくためには、当事者間の温度差による隔絶の影響を調整する調整役が必要なのではないだろうかと考えるのだ。
それは当事者であってもいいし、非当事者(定形発達者)であってもいいだろう。
ことによると「人」ではなく「システム」であってもいいのかもしれない。
そんなことを考えた。
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<おまけ>
注文していた本が届いた。
なかなか面白くて何度も読み返している
…ので、記事書きは進んでいないっす~。
昨日梅干しを塩漬けしました。
南河内は紀州が近いので、いい梅が結構安く手に入ります。

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