定形発達者における「協力する」ということ

暑い…



さて、本題。


「協力して物事にあたる」


ごく当たり前の事のようである。が、これが意外に物議の元である。



さて、「大人のアスペルガー症候群」という書籍で、
アスペルガー者の困った行動として、会社で、皆が忙しそうにしているのに帰ってしまう…というのがあった。


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(2008/08/30)
梅永 雄二、

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何かと協力的でない態度をとるという問題行動の例として挙げているのだが、
この例で、泥沼にはまるとこういう会話になることもあるだろう。



「なぜ君は皆に協力しないんだ(怒)」

「え? 私、何かしましたか?」

「なんだその態度は?(怒)」

「なんだと言われましても…」

「もういい!(怒)」


なぜ、そうしてしまうのか…。
主な原因は2つだと思う。


 1.協力という言葉の意味内容の理解がが定型者の理解と違う。

 2.周りの様子に全く気がつかない。



1のケースの思考モデルを考えてみた。


アスペルガー症候群者の「協力」の理解は、
「各自あらかじめ分担した(された)仕事をこなすこと」
でしかないのではないかと考えられる、かなり静的な感じである。

(実は私もこの方が合理的だと感じてしまう)


これでいけば、



会社組織は上司が業務分担を決めて既に「協力」している状態。

分担が決められた業務に関しては全うしているので問題はない。

イレギュラー(割り込み仕事が入った、進捗の遅れ等)が起きた
ときの危機管理すべきは上司である。

上司から特に指示がないので「協力」している状態は崩れていない。

帰ろうとする。



という発想になっても不思議はない。




だが、定形発達者の考える「協力」というのはちょっと違うようだ。


何らかのイレギュラーが起きて忙しくなった場合、、
(自分に本来割りふられた業務を一旦停止しても)
自分にできることを探すか、または上司・担当者に聞いて
手伝える業務をわりふってもらい、(やれることがない場合、
つきあい残業をすることも含め)「部署一丸となって取り組む」
という体制の一部となる。


ことが「協力する」という事である。(かなり動的なイメージだ)


この理解の違いは大きい。


 アスペルガー症候群者側は「協力していないつもりはない」
 定形発達者には、「協力していないようにしか見えない」


といったねじれ現象が現実的に起こるのだ。



さらに…。


「一丸となって取り組む」が実はもっと食わせ物で、アスペルガー者にはなかなか理解できない概念だろう。(私も感覚的には解らない。)


ある集団が、同じ目的に向かって「意気込み」などの気持ちを一つにする…ということを態度で示しながら「気張った雰囲気」をキープしつつ目的に向かっていく。


ということのようである。


どうやら、その遂行後には定形発達者は何らかの快感・感動を覚えるようなのであるが、アスペルガー症候群者にはそんな感覚ないのであるからして


「なんでそんなに盛り上がっているの?」
「なんかやけにみんなで忙しそう?変なの?」
「そんなにみんな一緒でなくてもいいじゃない」



というのが本音のところだったりもする。


だが、


それが態度や言葉の端にでも出ようものなら、前述の「雰囲気」をこわす人間として、「協力的でない」と、批判の対象になってしまうわけだ。



この理解の違いにさらに、2の「気がつかない」が加わるのだから話しはもっとややこしくなるわけだ。
過集中に入ってしまっているときなんか、本当に気がつかないのだから始末に悪い。


さて、対策…。

といって、これにはとれる対策は限りがある。


1.周りが忙しそうになっているか時々チェックする。()
2.上記の理解の温度差を理解していたずらに定型者の集団意識を刺激しないようにする。
3.自分の仕事が早く終わった時点で、周りが忙しそうなら、「なにかお手伝いできることありますか?」という台詞を折に触れ使っておく。




気分的に納得できなくてもこれだけはやっておかないと、「嫌がられ」たり「排除」されることになる。

ひどい場合は、左遷、リストラなどという憂き目に遭うので充分気をつけよう。


仲の良い同僚や信頼できる先輩に「私ってどんくさくて周囲に気が回らないんです」とでも言っておき、「今日は帰っちゃ本気でやばそう」というのを教えてくれるよう頼んでおくというのも手には手だ。


おっと、忘れちゃいけない1項目。


4.過剰適応にならないように適当には定型者の枠外の行動もとっておく。

あまり合わせすぎるとストレスの元である。
適当には変な人行動をとっておかないと身が持たない。


これを実行するには悪い人じゃないけれどちょっと変な人というイメージを作っておいた方が便利がよい。


というわけで、定型発達者とは「協力」の概念が違うので、
多数派社会では「協力的」を演出しておこうというお話でした。


ちゃんちゃん。



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コメント

定型発達さんは「一丸となって取り組む」と、
幸せな気分になれるそうですね。
私は手伝われると「迷惑」と感じるので、
診断前は他の人(定型)にも迷惑なのだと誤解してました。
だから、あえて手伝わなかったのです。
「違い」を知るのは大切だな~と思います。
でも、どこまでできれば(定型者に合わせれば)良しとするのか、
未だによくわからないです。
過剰適応で身を滅ぼす経験もしましたので…
狸穴猫さんの言われるように
「どんくさくて、ごめんね~」と予防線をはって
「ちょっと変わった愛されキャラ」を目指すのが現実的かな。
わかりやすいですね
こんばんは。

具体例が書かれていて解りやすいですね。
実のところ、一丸となって感動を覚えたりとか、
協力しあうことへのテンションなどは、人それぞれ会社それぞれだったりするのですが、
(或いは会社の経営状態だったり)
確かにみんなが忙しそうな時に手伝おうとしたり、
声かけたりするのは、よほどの個人裁量の立場じゃない限りは「した方が好ましい」となりがちですよね。
事情はそれぞれとしても、気にかけている素振りをする方法を絞って書いてあるのが解りやすいと思いました。

私なんかは、自分の立場を作るために自分が出来る範囲を増やしていこうとするので声かけをしてやりますが、
「一丸となって」のテンションはイマイチ醍醐味としてわからなかったりしますが、
自分が手伝っておくと、どうしても自分には手に負えないような案件が出てきた場合に、人に頼みやすい(相手も快く受けてくれやすい)ので、負い目とか感じにくくもなりますよ!

狸穴猫さんのおっしゃる
「どんくさくて、ごめんね~」
だとか
「手伝えることがあったら声かけてくださいね」
と常々言っておくのが良いかもですね。

仕事には優先順位もあると思うので、
そのさじ加減って難しいんですよね。

ではでは、長々と失礼しました~。
こんばんは。記事を拝読して、次の3点が私の頭に浮かびました。
・フリーライダー(Wikipedia)に出ていた記述;「日本の社会ではみんなで仲良く協力してコトにあたっているのではなく、協力しないと後が怖い、というところでしょうか」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC
・(特に初等教育でなされる)班という単位での活動
・小学校の「帰りの会」(注 私は1971年に小学校に入学しました。世代や地域等によって、帰りの会の内容は違うかもしれません。私には、帰りの会は「人民裁判」的なものに思えました。)

班単位での活動は、授業だけではなく、給食や掃除等の日常のもろもろのことにおいてなされます。
班単位の活動では、次の2つのことが要求されています。
・無言で互いの状況を判断しながら、適切な行動をとる。
・状況把握は、教師の意図を適切に読みとった上でなされたものでなければならない。

班単位での活動と帰りの会は、「生徒間での自主規制・相互監視」も呼ぶものだったと私は思います。
これらの活動が「学校での、隠れたカリキュラム」として、社会のありかたとつながっているのかもしれないと、思いました。
鋭い分析ですね。

これって日本独特なんでしょうか。
「イレギュラー(割り込み仕事が入った、進捗の遅れ等)が起きた
ときの危機管理すべきは上司である。」
のが当然であったり、
他人のデスクの電話がなっていても、とらないのが普通という国もあることを考えれば、日本では定型発達者と発達障害者の距離が遠いのではと思ってしまいます。
絢未さんへ

手伝われたくない→踏み込まれたくない
はASDの場合ありえますねえ。
私も下手に手伝われるとペースが乱れる気が。

でも台所に立つとヒイロをこき使いますが…(^^;)。


Re: わかりやすいですね
ハチさん、こんにちは。
お褒めいただきありがとうございます!

普段手伝っておくといざというとき頼みやすい…ってのは重要かも!
そういえば人に頼むのって、苦手なアスペルガー者は多いようですねえ。
大福さんへ
大福さん、こんにちは。

裏面を読むとそういうことにも…。
後が怖い…というのは怖いですねえ。

学校生活、班活動にはじまり、合唱大会やら、運動会やら…
集団行事は「協力」のトレーニングという面はあるのでしょうね。

人民裁判的な帰りの会、私も経験しました。

最近は帰りの会は縮小方向&短時間化しているようですよ。
ひと頃とは隔世の感があります。


その割にはビジネスの世界では最近になって「共感力」が持ち上げられるなど…
うーん、社会って複雑怪奇です。
daysさんへ
daysさん、こんにちは。

日本独自か…難しい問題です。

日本では「手伝い合い」が多いというのはあるでしょうね。
ただ、日本に限らず、「ある組織」において、共感的な課題遂行(一丸となって…というもの)が行われるということはあるようです。

私もちょっと疑問があるので、
いま、そのあたりについて勉強中です。

協力か…一丸か…
今は、だいぶ理解できるようになってきましたが(理解というか、公式として覚え込む)、部活ではこの「一丸となって」が苦痛とかハテナ?とかでいつも途中でやめてました。高校の時にはハッキリ「一人で何かやる方がいい」と顧問に言ってやめているので、要するにそう言う事だったのか(またか(笑)…
しかし、30も超えるとやらねばならん事として頭に置くようになったのですが、その際「協力」として自分がやる事のベクトルが他の人とズレているので、他の人が手伝って欲しい事をせずにどうでもいい事を頑張ってやっていたりとか…本当に難しいです。そして、みんな逆に「気兼ねするからかえって欲しい」と思う事もあるという事がわかった時にはもう「私には無理だ」と思いました。トラウマ体験から、人に悪感情を持たれる事に恐怖感を抱いている私としては、会社でこういう事を上手くやるのが本当に大変でした。職業支援センターで受けた職業評価では見事に「対物」に向いているという数値がばばーんとでてしまいました(笑)
聖徳太子の「和をもって」云々…が根付いているんでしょうか…?私は単にケンカしない事だと思ってましたが、狸穴猫さんの記事を読んで、ひょっとして、一丸…も入ってる?って思いました。
しかしツイッターで観察していると、定型の人も本心では「早く帰りて~」と思っていたりして…この裏表も分かりませんね。
でも、狸穴猫さんのおっしゃっている「何をしたらいいかきく」というのはいいですね。
過剰適応は私がいつも罠にハマってうつまっしぐらになるポイントですので、匙加減を考えないといけないんですね。
…やっぱり、漫画描いて暮らそう…←おいおい。
障害年金がおりないとなんともなりません(´;ω;`)
主我>>>客我
この問題、色々な所で出てきますよね。

猫さんが、1で取り上げた点は、かなり文化差があるようで、欧米のように異民族が同居、共存してきた社会では、猫さんがモデル化した組織原理で動いているようですね。

仮に、この猫さんモデルでも、ASDは幾つかの難点を持つのではないかと思います。

一つは、>私は手伝われると「迷惑」と感じる<こと。これ、上司の側からみると、ヒゲ達磨が忙しそうだから小達磨を手伝わせようとしても迷惑そうな態度をヒゲ達磨がとることですから。

もう一つは>人に頼むのって、苦手<こと。これは、上司の側に自分の手には負えない”SOS”を出さない、出せないということ。

この二つが合わさると、「ヒゲ達磨は仕事を独り占め、放そうとしない」という評価になるようです。ヒゲ達磨のところで仕事が滞って皆が迷惑する、ヒゲ達磨が休むとラインがストップしてしまうとかの事態になるからです。また、新人さんに仕事を教えようとヒゲ達磨のところにやっても迷惑がって教えないということです。

”SOS”を出さない、出せないなら上司は危機管理できないでしょう。

この原因は、なんだろう?

「我おもうが故に我あり」という我・・主我
様々な社会的関係、対人関係のなかでの他者からみた私、期待や役割を含んだ私「我々思うが故にある我」・・客我

ASDは、主我>>>客我の力関係だと思う。定型発達では主我>客我、主我=客我、主我<客我であり、なおかつ、その場に合わせて、主我>客我の人でも主我<客我に一時変更できる。接客では、客に合わせて感情をコントロール、愛想の一つもいえる。

主我>>>客我の顕れの一つが、何でも自分で解決、やり遂げようとすることだと思う。これは研究職のように、課題を追い続けて考え続けて行かなければならないような場合は「揺るがない探求心」と有利に働くとおもう。

しかし、会社など組織で動く、稼動している場合は不利。そのダイナミックに動いている組織の中での自分に位置、役割つまり客我が、余り形成されていない、他者からの期待(例えば終業時間までに終わらせる)や役割を含んだ私が強く形成されていない。自我の中で他者からの期待や役割に応じようとする客我とマイペースの主我が上手く対話しない。

終業までに終わらせると言う期待や役割を果たそうとすれば、手に負えない時の手伝いは客我を満足させるあり難いもので客我にとっては迷惑ではない。他者に頼むのも、「我々思うが故にある我」の客我では、行為の主体は我々だから、当然のことだと思う。

ASDの主我>>>客我は、基本的には治らないと思う。ただし、会社など枠組みのある場面、ゲゼルシャフト(Gesellschaft、共通の利害に基づいて人為的に作られた社会)では、人工的に意識的に客我もどきを作れると思う。線型計画法やCPクリテカル・パスの分析などで作業・業務のフォロー図を作成して、その全体図を念頭に置くことで、組織の中での自分に位置、役割を把握する。

ただこれは、ASDなら誰にも適したやり方ではないようだ。全体図がないと不安というタイプに適していて、とにかく目の前の作業や業務をこなしていれば安心と言うタイプには適さないようだ。逐次処理能力が平行処理能力よりも優位の方には適さないようだ。そうした方には、猫さん流のやり方のほうが、実行しやすいようである。

また、このフォロー図、全体図は、客我”もどき”であって、定型発達の客我とは別物。「我々思うが故にある我」の客我では、行為の主体は我々だから、我々が成し遂げる、達成することに心理的情緒的報酬を得るようだ。>「一丸となって取り組む」ことに何らかの快感・感動を覚える<との猫さんの観察に同意。

蛇足・・家族などゲマインシャフトでは、我々が成し遂げる、達成することの価値、家族内客我を満足させることの心理的価値が高いと思う。従って、定型発達者のなかでも主我<客我タイプの人は、ASDの主我>>>客我に不満を強く持つようである。

参照 http://www4.rocketbbs.com/241/hime.htmlのNo.3114
Re: 協力か…一丸か…
一丸の輪の中に入るのはむずかしいっす。
私は、気兼ねされないように「変人」でいる方がいいみたい。
輪の外周にいるという感じです。
ああなんか衛星みたい。

一丸…か、相互監視かってのは紙一重のところがありますねえ。
定型さんにも大変な時代なんでしょう。


Re: 主我>>>客我
ご紹介いただいた本が届きました。
まだ半分くらいまでですが、おもしろいですね。

で、とても気になったのが、「主我」と「客我」の話でした。

本読みながら、わきでタヌキが見ている
スターウォーズで出てくる「シールド」の映像表現を見ていてふと思ったのが、

自閉者の主我は膨脹←→縮小をする。客我は基本的にない(あるいは常時非常に小さい)のではということ。
それに対し、定型者の主我、客我は、そのときどきの両者の密度の差でどちらが優位になるか決まる。

そんなイメージを持ちました。


全体像がわからないとって方はいますねえ。
全体の中での自分の役割の位置を規定しないと気持ち悪いンだそうです。
しかし知りたがり過ぎると煙たがられるということにも。

主我の膨脹が関係するような…。

うーん、もうちょっと読み込みます。




> この問題、色々な所で出てきますよね。
>
> 猫さんが、1で取り上げた点は、かなり文化差があるようで、欧米のように異民族が同居、共存してきた社会では、猫さんがモデル化した組織原理で動いているようですね。
>
> 仮に、この猫さんモデルでも、ASDは幾つかの難点を持つのではないかと思います。
>
> 一つは、>私は手伝われると「迷惑」と感じる<こと。これ、上司の側からみると、ヒゲ達磨が忙しそうだから小達磨を手伝わせようとしても迷惑そうな態度をヒゲ達磨がとることですから。
>
> もう一つは>人に頼むのって、苦手<こと。これは、上司の側に自分の手には負えない”SOS”を出さない、出せないということ。
>
> この二つが合わさると、「ヒゲ達磨は仕事を独り占め、放そうとしない」という評価になるようです。ヒゲ達磨のところで仕事が滞って皆が迷惑する、ヒゲ達磨が休むとラインがストップしてしまうとかの事態になるからです。また、新人さんに仕事を教えようとヒゲ達磨のところにやっても迷惑がって教えないということです。
>
> ”SOS”を出さない、出せないなら上司は危機管理できないでしょう。
>
> この原因は、なんだろう?
>
> 「我おもうが故に我あり」という我・・主我
> 様々な社会的関係、対人関係のなかでの他者からみた私、期待や役割を含んだ私「我々思うが故にある我」・・客我
>
> ASDは、主我>>>客我の力関係だと思う。定型発達では主我>客我、主我=客我、主我<客我であり、なおかつ、その場に合わせて、主我>客我の人でも主我<客我に一時変更できる。接客では、客に合わせて感情をコントロール、愛想の一つもいえる。
>
> 主我>>>客我の顕れの一つが、何でも自分で解決、やり遂げようとすることだと思う。これは研究職のように、課題を追い続けて考え続けて行かなければならないような場合は「揺るがない探求心」と有利に働くとおもう。
>
> しかし、会社など組織で動く、稼動している場合は不利。そのダイナミックに動いている組織の中での自分に位置、役割つまり客我が、余り形成されていない、他者からの期待(例えば終業時間までに終わらせる)や役割を含んだ私が強く形成されていない。自我の中で他者からの期待や役割に応じようとする客我とマイペースの主我が上手く対話しない。
>
> 終業までに終わらせると言う期待や役割を果たそうとすれば、手に負えない時の手伝いは客我を満足させるあり難いもので客我にとっては迷惑ではない。他者に頼むのも、「我々思うが故にある我」の客我では、行為の主体は我々だから、当然のことだと思う。
>
> ASDの主我>>>客我は、基本的には治らないと思う。ただし、会社など枠組みのある場面、ゲゼルシャフト(Gesellschaft、共通の利害に基づいて人為的に作られた社会)では、人工的に意識的に客我もどきを作れると思う。線型計画法やCPクリテカル・パスの分析などで作業・業務のフォロー図を作成して、その全体図を念頭に置くことで、組織の中での自分に位置、役割を把握する。
>
> ただこれは、ASDなら誰にも適したやり方ではないようだ。全体図がないと不安というタイプに適していて、とにかく目の前の作業や業務をこなしていれば安心と言うタイプには適さないようだ。逐次処理能力が平行処理能力よりも優位の方には適さないようだ。そうした方には、猫さん流のやり方のほうが、実行しやすいようである。
>
> また、このフォロー図、全体図は、客我”もどき”であって、定型発達の客我とは別物。「我々思うが故にある我」の客我では、行為の主体は我々だから、我々が成し遂げる、達成することに心理的情緒的報酬を得るようだ。>「一丸となって取り組む」ことに何らかの快感・感動を覚える<との猫さんの観察に同意。
>
> 蛇足・・家族などゲマインシャフトでは、我々が成し遂げる、達成することの価値、家族内客我を満足させることの心理的価値が高いと思う。従って、定型発達者のなかでも主我<客我タイプの人は、ASDの主我>>>客我に不満を強く持つようである。
>
> 参照 http://www4.rocketbbs.com/241/hime.htmlのNo.3114
義務的なのかな
「協力」というものが「have to」ではなく「want」であれば、相手にそれは伝わるので、「対策」というものは特に必要ないのかもしれませんね。

「want」がどの程度でるかというのが、前の方が書いてましたように「主我」と「客我」の割合なのでしょうね。
過適応か?
私の場合は、プライオリティの付け方が上手くできないようなので
自分の仕事があっても、人助けの方を先に遣ってしまう事がしばしば
結果、自分の仕事の遅れにつながる。
(今までの経験で、浮いた奴と見られる事を避ける術を学習して
しまってるのかも?)

なぜか、頼みやすい”外観”の為か、依頼が良く舞い込む。
それも、職制をすっ飛ばして来る。
私の上司に、「私を借りたいのだか」と一言言えば済むのに、直接私に来る。
それも、私の上司より格上から、上司が居ない時を狙ったように来るので、
ハイアラキー的には割り込みの方にウエイトが行ってしまう。
(まあ、組織自身に問題がある会社でしたが)

まだ本来の仕事(プログラム関連)であれば、得意の”過集中”発揮で
超人的パフーマンスで、帳尻を合わせる事が出来るのですが、
労働問題やパワハラ、セクハラ問題まで持ち込んで来られる事もあります。
(顔も合わせた事のない、総務のお姉ちゃんとかが来る)
まあ、それが所以で労働争議になり、叩き出された事も

それ以来、極力組織とは関わらないようにしています。
定時に私は帰ります。
それで押し通しました。
強情な人って感じで諦められてたかな?(笑)
「何かお手伝い…」その台詞は口が裂けても無理ですね( ̄m ̄〃)

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