このところ、高機能自閉圏児の療育関連を調べていて、ふと思ってしまったのだ。
高機能自閉圏児の療育って、親(定型発達の)における児の障害の受容を遅らせる(滞らせる)要因になる危険があるかもなあ…と。
で、ツィッターでブツブツつぶやいていたことをまとめてみた。
決して私は高機能自閉圏児の療育を否定する考えではない。
むしろ、療育は必要なものだと考えている。
家庭での療育、各種機関での療育、いろいろあろうが、子の自閉的特質を理解し、その特質を受容し、子の持つ特質に無理のない形で、自分自身や社会との折り合いの付け方を教えていくことは、将来社会へ出るときに役に立たないとは思わない。
我が娘、ミチャポンも今年度一年の予定で、月一回の個別療育に通っている。
但し目的は定形の親御さんが考えるものとは大きく異なるだとう。
わが家は総員自閉圏なのでミチャポンがそのままでいるのは
至って自然である。だが、就学にあたって、集団行動の際に問題と
なりうるような「特徴・特質」をできるだけ明文化しておく必要がある。
総員自閉圏だと、どうしてもこの辺が甘くなる。
このため、客観的な第三者から見たミチャポンの特徴(特質)
情報というものを収集しておきたい。
実は目的はこれだけなのである。
だからちょっとわが家の話しは外しておこう。
さて、定形の親御さんにしてみても、「将来社会にでて困らないように」
「学校に入って困らないように」という思いはあるだろう。
療育のスタートはどちらさまも
「我が子の将来のために何かしてやれることはないか」
であると思う。
言ってみれば「愛」だ。
それはまず間違いないだろう。
だが、そこに落とし穴があると思うのだ。
特に親との対人的なやりとりが難しい状態から療育を開始する場合、
療育を開始する
↓
子が、表面的にある程度やりとりの仕方を学習する。
↓
親側のコミュニケーション欲求が満たされる。
↓
親側に「もっと普通の子と同様にできるのでは」という期待が高まる
↓
子に対し無意識に「もっと普通に」を要求してしまう。
このような経緯をたどることも充分あり得るのではないかと思う。
障害の受容から療育をスタートしたはずが、なぜか障害の受容に関して一歩後退してしまう。すなわち子の自閉児としての側面から目を背けてしまうということが高機能自閉児の親の場合起こりやすいと思うのだ。
療育によって、社会的に対応できる幅が大きくなるのはいいことだけど、そうした場合にあっても、
自閉児は自閉児なりの内面の葛藤を抱えているし、
自閉児なりの思考様式はある。
そのことを定型の親が無視してしまいやすい。
知的障害があったり、肢体不自由だったりするのと違い、表面的には非常に見えにくい障害なだけに、このような受容の逆行が起こりやすいのだとも考える。
もちろん、障害の受容はまっすぐに進むわけはない、スパイラルで進むと考えられるが、、療育の「成功」で親の「普通」指向が強まり、
「一見普通の子」
であることを家庭でも高水準で要求されてしまうと、自閉圏児の家庭での居場所がなくなってしまうように思うのだ。
高機能自閉圏児は意外に感受性が強い。
親の無言の要求すらもしっかり感じ取る。
親の「普通に」の要求が強くなれば、
過剰適応状態に陥ったり、
子は内心「普通でない自分」を責めたり、否定的に捉えがちになったり
というようなリスクが増大するのではと思う。
これは特性理解が不十分だから…などという気は毛頭ない。
子の特性を頭で理解していても、定形の親には定型発達者的「感覚」があり「ついうれしくなって」ということもある。
だからこそ、療育にあたっては、上記のような逆行のリスクをしっかり意識して、特にSST系療育においては過剰適応にならないように注意しておかないと、療育の一過的な成功が、必ずしも子の将来の役立たなくなってしまう可能性があるのではないかと私は危惧する。
私の危惧が全くの杞憂であることを祈ってこの稿を終わりにする。

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