暑さしのぎに堅い記事を書こう(ん、関係ない?)
なんだか最近発達障害がブームである。
テレビやラジオで特集を見ることも多くなった。
書店の発達障害関連のコーナーには次々と新刊書が出てくるし、
目立つコーナーに発達障害関連の書籍がおいてあったりもする。
手軽に読める新書なども多い。
で…、本を書いてるえらい先生方には申し訳ないが、言ってしまう。
こと「自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群・高機能自閉症・PDD・NOS)」に関する解説本に関して言えば、私はちょっと食傷気味である。
・特異な才能を生かせばうまくいく→才能を伸ばそう)
・周囲の理解が大事。
・対人スキルを身につけよう。
の三点セットが出てこない本は珍しい。
なぜこの三点セットというのが、一般社会(要するに定型発達者社会)に受け入れられやすいらしいのか?その辺はちとわからぬが、マスメディアで取り上げられる本に限って、こういう論調が多いときたもんだ。
ちょっとこれには不満がある。
なぜなら、再々述べることになるかもしれないが、
・そんな特異な才能あふれるASD者ばかりのわけがないだろ!
・「排除されないこと」の方が大事だよ!
・どうやって対人スキルを身につけるのさ!
と、言いたくなるからだ。
さらに、
三点セットをそろえたら、それでASD者のQOL(Quality of Life=生活の質)があがるのか?
ということに疑問を感じてしまうのだ。
結論から先に言ってしまおう!
ASD者のQOL向上には「排除されないこと」が重要だと私は思うのだ。
周囲の定型者個々人にいかに理解があろうとも「集団」がASD者を排除するのであれば
その集団はASD者にとっては恐怖の対象になってしまう。
家庭がその集団ならば…
学校のクラスがその集団ならば…
会社組織がその集団ならば…
これだけで、二次障害ものである。
逆に排除されないという安心感があれば
のびのびと各種のスキルを伸ばすことも可能である。
定型者との折り合いをつけるのにも過剰な負担がかからない。
それだけ、いかに「排除」をされずにすむかがQOLの維持に重要なファクターになってくる。
ここではそのファクターを「被受容度」と呼ぶことにしよう。
一般的に定型発達者でも以下の要素はQOLに大きく関わる。
生活スキル
社会的なスキル(職能含む)
さらにASD者では、障害特性からくる種々の環境調整が必要になってくる。(感覚過敏対策・環境や見通しの構造化など)
そして、重要なファクターとして「被受容度」がはいってくると考えてられるのではないだろうか。
さて、文字だけではわかりにくいので、ちょっとここで視覚的にしてみる。

この図ではQOLが面積で表すことができる。
被受容度が低ければ、全体の面積が下がり、QOLが低下するというモデルである。
私はASD者のQOLを上図のように捉えるべきではないかと考えるのだ。
さて、この「被受容度」をあげるにはどうしたらいいか?
現在のところ、完全に社会からアスペルガー者に対する排除をなくすことはほぼ不可能であると私は考える。
なぜかといえば、定型発達者がアスペルガー者に対して感じる違和感は、非常に感覚的なものであり、知識があっても制御することが難しい場合が多いからである。
だからといって、ASD者の心中に積み上げられる被受容度=「排除されない安心度合い」が必ずしもゼロにならないのは、成育段階で、「受容的な人との関わり」がゼロでないことがあるのではないだろうか。

乳幼児期:親による受容的な育成
学童期:いじめ(排除)の防止
思春期~:自己効力感を維持しながら種々の活動を行う
こういった環境を成育段階に応じて順次構築していければ、いたずらに定型発達者に対し恐怖感を持つことも、社会に恨みを持つこともなく、また、自分の特性を卑下することもなく、
「定型者はそういうものなんだ」という逆の「受容」が可能になり、
思春期~成人期に、最小限の負荷で、「排除」を避ける為の対人スキルを身につけられるのではないだろうか。
さて、まとめるが、ASD者のQOLの向上には
生育期に「排除」をいかにして避けて通るかが、その後の不本意な「排除」を避けることができるスキルを身につけることができるための礎となるのではないかと考える。
蛇足だが、もちろん、社会自体にも「異質者排除」の動きができるだけ少なくなるようになってきたり、ASD者の「理解者」が増えてくれたらいいなあとも思う。

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