風邪と肩…まあ、肩のほうは一筋縄では行かないが、多少好転。
肩まわりの筋肉の固縮を何とかすべくリハビリにも通うことになった。
などと言っている間に、年末じゃないの!
早くミチャポンの机を調達しなきゃ…と考えていたらふと思い出したことがある。
ミチャポンが保育所に入って4年半。
実は一度も「父母の会」なるものの役員をやっていない。
理由は簡単だ。くじ引きに当たらなかったからだ。
なんとラッキー!
実は、ミチャポンを保育所に入れるにあたって、一番おそれていたのは、この「役員」という代物なのだ。
「役員」になんとも苦い経験があるのだ。
まだ、私が「アスペルガー」という言葉を知らなかった頃のことだ。
ヒイロがまだ小学校2年生の年だった。当時私は30代前半。
運悪く、PTA役員を決めるくじ引きに当たった!
まあ、役員といっても執行部ではない、ただの広報委員ということになったのだが、
初めのうちはまさかあんな状態になろうとは思ってもいなかった。
PTAの広報というと、広報誌の編集がその役割である。
内容の決定…が、なぜこんなに面倒なんだ!
検討した内容を顧問?担当?の教員(=教務主任)に見せ、承認をとる。
まるで検閲である。
この段階で、早くもいや~な感じをひしひしと感じ始める。
何度か差し戻しを受けるうち、フラッシュバックが襲いはじめる。
小学校時代のいやーな思い出がチラホラ出てくる。
教師の顔色をうかがう…というのが気持ち悪い。
ま、それは無視して突き進むと
その後、先生方への執筆依頼がある。
何かわからんが、どうも緊張する。
一言で言ってしまえば
「学校臭がする」
のだ。
おかしい…パソコン通信時代には学校教員とのつきあいも多かった。
別に大昔の教師嫌いがそのまま継続している訳ではない。
箱(建物)が悪いのか?
まさかである。
そんなこんなで、何とかやってはいたものの、決定打は意外にも委員さん達との前期終了の打ち上げにやってきた。
「何でわざわざ遠くのイタリアンレストランに打ち上げに行かなきゃ行けないのか…」
と、思いつつ、断り切れずに出席。
(実は近場にもいくらでも店がある地域だ)
学校サイドとの交渉などで、教師の言いなりになりっぱなしだったのに
教師への愚痴が飛び交う、いない人の悪口が飛び交う。
そうだ!この雰囲気…
小学校時代の女の子流の陰湿ないじめが頭をよぎる。
吐き気がしてくる。
もうダメだ…
当たり障りのない話しに終始し、なんとかその場をやり過ごしたが、帰ってきてぐったり寝込んだ。
疲れる…
後期に入り、私の脳みそは広報委員の仕事を拒否し始めた。
女性同士の裏のあるつきあいに耐えられなかった。
いちいち教師にお伺いを立てるという、物事の決め方にも吐き気がした。
(いったい何だってそんなに気をつかわにゃいかんのだ!)
フラッシュバックが頻発するようになった。
何度か委員会の会合に足を運んだ。
何とかある程度原稿をワープロで打った。
が、限界が来た。
私は完全に鬱状態になっていた。
委員会の集まりにどうしても出て行けない…。そんなことが何回か続いた。
昼間は雨戸を閉めて布団にくるまって寝ている。
フラッシュバックが続いて気分は最悪。
広報委員の人からかかってくる電話が恐い…。
「もう無理だ、これ以上続けられない」
結論を出した私は、こわごわと「委員長」に連絡をとり、
体調が悪くてこれ以上できない旨を伝えた。
途中放棄だ。
そのことによって、「もうでなくて良い」となったが、
自責の念がどうしても出てくる。
「どうしてこれくらいのことができないのか」
「本当はあの輪のなかに入らなきゃいけないんだよな~」
「途中放棄なんてやってはいけない事なのに…」
「PTAすらまともにできないのか…」
活動も低下、
食事を作るのもおっくう。
死にたくなった。
が、幸い、ここで、予め作っておいたストッパーが発動した。
鬱病のことは、テレビ等で見聞きしてある程度知っている。本も読んだことがある(立ち読みだけど)
で、私は、
「死にたくなったら精神科へ行く」とあらかじめ決めていたのだ。
「あ、行かなくちゃ」
さっそく、タウンページで、近所の精神科を探し、自転車で15分ほどの精神科のクリニックを見つけて駆け込んだ。
医:「PTSDによる鬱状態ですね」
何とも納得のいく診断だった。
ということで、抗鬱剤と抗不安薬をもらってきた。
そして数ヶ月で寛解。
今思うに、小学校時代の学校でのいじめの記憶と、女性同士のコミュニケーションが苦手といったところ引き金になったのだろう。
引き金はあったものの、ASDのいわゆる二次障害といった感じの現象だったのだろう。
(当時は未診断だったが)
まあ、鬼門に触れてしまったといえばそれまでだが、
特に「女性同士の特有のコミュニケーション」と「学校的なもの」という二つの苦手が重なって起こった事だったと思う。
(「家庭内の孤立無援感も手伝っていたとは思うが…」)
これからミチャポンが小学校に入る。
当然一回くらいは役員をやらざるを得ないだろう。
まあ、今回は現時点で精神科に通っているので「まったくの丸腰」ではないからなんとかなるのではないかと踏んでいる。
が、実はちょっとは不安なのであった。

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