そろそろ正月料理やらクリスマスのやらの準備に取りかからなくてはならない。
が、決まってこの年末の時期になると、「うーん」と考え込むことが出てきて、脳みそが暴走をはじめ、ブログの更新頻度が上がる。ほぼ恒例になってしまったような気もなきにしもあらず。
ことによると、年越し準備からの逃避かもしれない。
(…といいつつ正月モードはなかば起動しているのだが…)
ま、それはともかく、話をはじめよう。
きっかけはアクセス解析である。
毎日のアクセス数や、このブログにどんな検索ワードでたどり着いたか?
そんなことがアクセス解析ツールを設置しているとわかる仕組みになっている。
で、アクセス解析を日々見ていると「人の気持ちがわからない」という検索ワードでこのサイトにたどり着く方が概ね日に最低一人はいる。
もちろん、その手の話題がこのブログにあるからこそ、その検索ワードでここにたどり着くわけなのだが、気分的にはちょっと複雑だ。
「人の気持ちがわからない(わかってない)」などと真顔で言われりゃ、理由の如何はともかく、だれだって多かれ少なかれシュンとしてしまうだろう。
そして、そういったことが多いのがアスペルガー症候群者である。
私も「もっと人の気持ちを考えなさい」といわれたことは何度もある。
(主に学童期、教師に言われた)
オマケに支援のための本にだって、堂々と「他人の気持ちがわからずに…」などと書かれていることがあるくらいだ。
ついでに言うなら、Q&Aサイトやあちこちの掲示板で、アスペルガー症候群者の行動・言動に何らかのストレスを感じている定形発達者の書き込みなどがいくらでもある。
どうやら…、
「定型発達者はアスペルガー症候群者の言動に”人の気持ちがわかっていない”という不快感を感じることがしばしばある」
ということは確からしい。
しかし、この「人の気持ちがわからない」という表現は相当あいまいなのだということにちょっと考えを巡らせてみると、定形発達者の皆さん、こと支援者や親御さんに理解して欲しいさまざまなことが浮かび上がってくる。
さて、「アスペルガー症候群者には人の気持ちがわかるか」という問題を考える時には次のような問題が複合的に組み合わさっていると考えられる。
1.アスペルガー症候群者には感情はあるか?
2.相手にも感情があるということが理解できるか?
3.相手の気持ちが感覚的に判るか?
4.相手の気持ちが推測できるか?
5.相手の気持ちに配慮した発言・会話が可能か?
6.相手の気持ちに配慮した行動が可能か?
(以上については細かくは後述)、
また、さらに、ちょっと裏返して考えてみると、
定形発達者が「人の気持ちがわからない」と判断するのは、
「アスペルガー者が定形発達者の予測通りの行動・言動をとらない、そして、その行動・言動が、定形発達者の気持ちを逆なでする」
ときに限られたことであり、定形発達者の考え方、感じ方が大きく関与している。
定形発達者側の前提として
1.気持ちは態度により(ある程度は)伝わるものである。
2.感情は他者と共有可能なものである。
3.人間は基本的にある行動・言動に関して、似たような感じ方をする。
というのがあるのだろう。
私の考えでは、この前提条件には、全て「幻想では?」という疑問符をつけざるを得ないのだが、定形発達者の世界では、この前提でけっこう物事が動いているのだから、定形発達者社会においてはある面現実であるのだろう。
ともあれ、アスペルガー者は本当に「人の気持ちがわからない」のか?
については、もうちょっと深く考えていく必要があるだろうと考える訳である。
さて、長くなるので、先にあげた6項目についての考察については次回にすることにして一旦終わることにする。
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NHK教育テレビ 2010年12月22日午後8時~
福祉ネットワーク キラキラ40 「発達障害」
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