アスペルガー症候群者は正直であるしかない

以前定型者は「振る舞う」が当たり前という話を書いた。

それがなぜなのかとつっこんでみたのだが、どうやらこういう事ではないだろうか。


定型者では

 相手の心情が伝わってくる(意識せずとも表情などから推し量れる)
 ↓
 それに応じた態度を意識せずともにとる。



ところがどっこい、アスペルガー症候群者では、

 相手の心情を表情などから簡単には読み取れない。
 ↓
 意識して相手の心情を読み取ろうとする
 ↓
 意識してそれにあわせた態度をとる
 ↓
 (疲れる)



という経路に入るか、でなければ

 相手の心情を表情などから簡単には読み取れない。
 ↓
 アスペルガー症候群者としては自然な態度をとる
 ↓
 不評を買う


などとなる。


なんで自然で、正直でいてはいけないんだろう?


私は若い頃から何度もこの問いを繰り返した。
結局わかったのは、自分がアスペルガー症候群者であることがその問いを作り出しているのだということだ。



アスペルガー症候群者は常に対人情報不足の状態にある。


だから、よほど意識的に相手の様子を読み取る技術を身につけないと「正直である」ことから逃れられないということだ。

そして、仮にその技術を身につけ、努力をしたとしても「疲れる」のである。

いくら情報不足の判断だろうとできれば正直でいたい…とふと思う。

そして、気を抜けば正直な状態に戻ってしまう。


アスペルガー症候群者は「正直であること」から逃れられない存在なのかもしれない。


そして振る舞うことに使うエネルギーが定型者とは比べられないくらい大きいために、アスペルガー症候群者はより「正直であること」に対しての希求が強いのではないかとも。


そんなことをふと考えた。






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コメント

ご無沙汰しております。
専らツイッターばかりでこちらにはお邪魔できておりませんでした。

結局疲れるんですよね、健常者相手だと。
仕事中は割り切っていられるのですがプライベートでは疲労が上乗せされるというか。
とはいえ仕事中もそのままで対応してしまい、オフィスが騒動(健常者の事務員さんがカンカン)になる事もあるわけでして・・・。
社長が頭を抱えております。
記事に関係ないコメントで。
こんばんは。

AQチェッカーで、自分でもびっくりの高得点、47点を出しまして、さすがにかかりつけの主治医にこれを見せて来ました。

ついでに、『いままでの人間関係のうまくいかなさ』ぶりを、幼少期から今に至るまでをかいつまんで追加記入もしました。

そしたら、参考になるからと、コピー取らせて、と仰られました。

これで私もひと安心できました。

AQチェッカーのリンク、ありがとうございました。

ちなみに、いまのクリニックは、二件目です。お薬も全く変わりましたが快方に向かっています。ある程度通ってもなかなか快方に向かわない場合は、お医者さんを変えるのも手だと思いました。

そんなわけで、うつも経過快調でして、今月はめでたく、アスパラの会に参加します。一応、話し合う内容を、私なりに準備していきますね。

ではでは。
迷惑被った
正直者?ふざけるな!不愉快なんですが、周り迷惑や不快感を考えて下さい。あなた方を排除したいです。こんな事言われたら不愉快ですが、あなた方と同じように正直に書きました。人を傷つけ、不評を買う。覚れない者を正直者だとは言わない。ニュアンスって、判りますか?言わないのが普通で雰囲気察するのですが、あなた方は平気で口走る。暗黙の了解って判りますか?ふざけるな!世間は迷惑被ってるんです。
FP2さんへ
疲労の問題はでかいですねえ。
それに「ついぽろっと」が会話事故になるのも結構怖い。
安心できるところがあれば…ですね。
Re: 記事に関係ないコメントで。
あずきさん、こんにちは。

おや、ひと安心ですね~。
お目にかかれるのを楽しみにしています。

Re: 迷惑被った
被迷惑さん、はじめまして。

まずは当ブログの注意書きをご一読いただきたく思います。
http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-entry-4.html

いろいろな軋轢があるのは理解できますが、迷惑はお互い様ですよね。
世間は健常者のみで構成されているわけではないでしょう。

多数派の流儀に合わせることができない事そのものが障害ということ。
なかなか理解しにくいことではありますが、ちょっと頭においておいてもらえればと思います。

被迷惑様へ
ハッキリ言って、勉強不足さを感じました。普通が当たり前と考える辺りが、人間勉強の不足だと言いたいです。
生活をするのに必要な知識であり、普通とか当たり前とかで考えると、とんでもない事になります。ASの方やADHDなどの発達障害の方で気づいている人、結構いますよ。
寧ろ、普通と呼ばれる大多数の方が、それを知る事が大事です。ムカつくとかで見下して、自分の首を締めかねませんからね。

仕事とかが出来る事より、それを知る事を第一優先的にお願いしますね。
正直の反対は嘘つき?
少し分かって頂きたいので、とっても久しぶりにコメントしてみます。
場の空気を読む、雰囲気を察する、相手の心情を読み取るというのは確かに自然に身についているのですが、ではそれで失敗しない、疲れない、苦痛ではない、と思われても、ちょっと違うのですよね。
意図的に注意していないと空気を読めないこともありますし、特に脳疲労がひどい時はセンサーの感度は落ちてます。完璧にいつでも自然に苦もなくこなしている訳ではないんです。
また、相手の心情を読み取り、場の空気を感じ察した結果として発言した内容や取った行動は、決して自分の気持ちや考えを偽っての事ではありません。
確かに意に添わないときもあれば、本心と少し違っていることも多いのですが、判断の結果に嘘はないと思います。
今はこうした方がよい、こう答えた方がよいだ
ろう、と判断して行動しているので、それを正直ではないと捉えられるのは、それこそ本意ではありません。自閉圏の方々には分かりにくい精神構造で、嘘つき集団のように感じるのでしょうが、自閉圏ではない人々も正直に生きています。なぜなら、自分の脳が判断した結果に従って行動している訳ですから。
なので、今回のような自閉圏の人間は正直にしか生きられないといった主旨の記事を書かれしまうと、非自閉圏の人間は正直者ではない=嘘つき者と言っているのか?自分たちは聖人だとでも言いたいのか?と感じられて更なる誤解を招くのだと思います。そのため、感情的になりやすい人や日頃自閉圏の方たちとの食い違いや摩擦に悩まされている人はついつい正直に思っていることをコメントしてしまうのではないでしょうか?
自閉圏の方々の思う正直さと、私たちの思う正直さが違っていることも、少しだけ理解して貰えたら、と思います。

自分の本意とは異なる判断を下して指令をだす私たちの脳も果たして正常なのか?と時々考えます。判断と指令伝達の速さには抗うことも難しく、そういう自分自身を俯瞰で見てみると滑稽で哀れに感じたりもします。
どちらが健常か障害かを議論するよりも、お互い歩み寄るための理解が必要なのでしょう。ただ、多数派の全体にある一定の知識と理解と具体策を周知させることは、人間の数が多いだけにかなりの困難が伴うことも理解して貰えたらと思います。
少し補足
場の空気を読み取る、相手の心情を察する、その結果から判断して行動、発言する。これを当たり前のように非自閉圏に合わせて「スキル」として身につけ駆使することが皆さんにとって疲れることで、正直(本来の自分)でいたい、と思っているように、対自閉圏モードに切り替えて対応することは私たちにとっても非常に努力を要します。日常「わざわざ言わなくても良い」環境にいるだけに「細かく、丁寧に、ゆっくり、伝わったのか確認しながら」関わることは神経をすり減らし、とても疲れるます。
なぜならば、皆さんが私達に合わせているときは正直でないように、私たちが皆さんに対応するときも正直ではないからです。もちろん、私たちは1対1~2人程度で済む対応が皆さんは1対大勢なので遥かに疲れるのも分かっています。ただ、皆さんが一歩外へ出ると対応モード持続を強いられるのに対し、私達の場合は頻繁にモードの切り替えを強いられます。これはこれで大変ですし、煩雑な時や緊急時、複数の判断事項が重なっている時には切り替えが瞬時にできないこともあるんですよ。その結果「少しは空気を読めよ!」八つ当たりしてしまいます。

補足が長くてすみません。
おひさしぶりです
おひさしぶりです。

被迷惑者さま

凪さま、そのほかの方たちの意見ですが わかってほしいのはケンカを売るつもりはなく、どちらがただしいか議論したいわけではないのです。
どうかわかっていただきたいです。

人を傷つける、迷惑をかける、といったことが道理的にわるいことであることはどちらの立場でももおなじで、理解しています。
ただ、どういう言葉によって人が傷つくか?
ということについては人それぞれです。
たとえば友達は多いほうがいいに決まっている。ひとりではさみしいだろう。と思って話しかけられても
わたしたちにしてみれば迷惑ということがあるのです。
友達というものが悪いものだとは思っていませんが、
自分ひとりのほうが楽だったり、ものごとに集中したいから放っておいてほしい。ということのほうが多いのですね。

「相手の立場にたって考えなさい」
とか「自分がおなじことをされたらどんな気分?」といった言われ方は
わたしたち発達障害者には理解しにくく
「ルールで決まっているからやってはいけないこと」と明確にいわれたほうが理解しやすいのです。

わたしたちのほうも、
相手を傷つけるなんて夢にも思っていないようなことで人を傷つけた、正しいことをしたはずなのに怒られたということが毎日あり、
それが周囲から理解されないという苦痛をつねに感じてきました。
みなさんのいっていた「人に合わせるのは疲れる」とはそういう意味です。
みんなと飲み会などで
一緒に会話をして、いっしょに笑えば楽しい、という一般の人たちの感情がわれわれにはないのです。
仕事も仲良く、楽しくよりも、的確な指示と最小限の会話のほう自分がなにをすべきかがわかりやすく楽なのです。

あと言いたいのは
ルールで決められた「いいこと」「わるいこと」と、
感情で感じる不快感・不愉快というものはまったく違うのです。
定型発達の方はどちらかといえば感情でものごとの善悪を判断しているように思います。
ただ、そのあいまいではっきりした定義のない善悪というのがわたしたちにはわかりにくいのです。

ですが考えてみてください。
たとえば、国がちがえば文化のちがいがあり
この国ではやっていいことが、べつの場所ではいけないことだったりしますよね。
おなじ国に住んでいても、
大小の違いはあれどコミニティーによって考え方はちがいます。
じぶんにとって当たり前のとこが相手にはそうではないこともあります。
一般に社会の中で「常識」「当たり前」といわれていることは、いろいろな考え方・文化などの違う人たちがいる世界の中では
じつはほんのごく一部の人とたちの、マイノリティーな考え方であって、
全人類共通の考え方ではありません。
もちろん社会において、人それぞれ考え方がバラバラでは組織や集団がなりたちませんから
「みんなでこれだけは守りましょう。」
という決めごとが「ルール」だったり「マナー」だったりするわけです。
だからルールを守らない=悪人・犯罪者・非人間
では絶対にありません。
あくまでルールはルールであり、人間の心の善意や悪意とか、正義・不正という意味とはまったく違います。

ですので障害者が悪意を持って人を傷つけるような行為をしている。意図的に迷惑をかけている。などと誤解しないでほしいのです。
たしかにわたしたちの行為はあまにも一般的な人たちとは違っているので、
「非常識」「空気が読めない」ように思えるでしょうし、それが普通なのかも知れませんが
まさにそこが障害なのです。
いまは脳のホルモンの分泌量や、小脳の一部の障害が原因、また神経系統の感覚・認知の広い範囲で汎用的に障害が起きていることがわかってきました。
そのため感じ方・考え方の違いが起きます。
ですから
発達障害は「心の問題」「性格の問題」ではなく「脳の障害」だということを知ってください。
したがって本人ではどうしようもなく、
周囲の理解が必要になってくるのです。
被迷惑さん
あなたは誰も傷つけたことはないのですか?あなたがしていることはすぺて正しいのですか?
うまく説明できないのですがアスペルガー症候群の方は正直すぎるがゆえにそうなってしまうのです。
ふたたび。
やっと、我が家に(一人ですが)インターネットが開通いたしまして初のコメントです。

携帯は便利ですが、やはりパソコンのほうが打ちやすいです、慣れでしょうね。

わたくし、職場の人から「あなたに対していつも言いたいのは、逆の立場だったらどう?ってことなの」と言われ、はっ!!とさせられました。そのとき、そうか、普通の人は、逆の立場でいつも考えているんだ、と、思ったんですが。。。

言葉を使うとき、この言い方はどんなふうに受け止められるのだろう、と考えて発してもダメなときはダメです。

普段の会話は、秒単位で進みます。じっくり考えていたら、会話についていけません。で、結果として、ただただうなずいてばかりいる、私が居ます。

前のコメントにもありましたが私も、人と喧嘩したくはありません。わからないのです、決してわざとではないことだけ、わかっていただけたら。。。と思うのです。



見えない障害
 私は知能検査受けたらアスペルガー症候群で無いと診断された者です。夫はアスペルガー症候群です。

?自分の表情を読んで欲しく無い時と、?自分の表情を読んで欲しい時が有ります。?の時は相手がお客様や通りすがりの場合です。お客様に疲れた表情を読まれたら商売になりません。配偶者や友人には表情を読んで欲しいです。

表情が読んで貰えない場合を考えました。

?相手に表情を読む能力が無い場合
?相手が体調不良で表情を読む余裕が無い場合
?相手が私の表情を読む必要が無い場合
?相手が私の事を嫌っている場合

白杖持っていれば目が悪いと分かります。目が見えないので私の表情が見えないのも分かります。赤ちゃんや意識の無い重症患者も表情が読めないのも分かります。でも、誰が発達障害者かわからないので、表情を読んで貰えない時に、自分が嫌われているのか、自分が何か悪い事したのか悩みます。
配偶者の場合
一生懸命に家事や子育てしても、配偶者の苦労を分かって貰え無いのが悲しいです。夫のおかしな言動が発達障害の為と分かるまで、私に嫌がらせしているのかと勘違いしてました。発達障害者と分かっても、それが障害によるものか、性格によるものか、迷います。きっとどっちかで無くて重なり有っているのでしょうね。

赤ちゃんや幼児や重度知的障害者や上司向けに、自然と話し方が変わります。一見、発達障害者と分からないから、定型発達者と発達障害者の話し方が同じになってしまいます。

 アスペルガー症候群の夫に分かる様に話していると、定型発達者と話しすると「回りくどい話し方」と思われてしまいます。凪様が言われる様に、定型発達者向けと発達障害者向けに話し方を変えるのはとても大変です。

 特に配偶者が発達障害者である事を家族以外に知られていない場合は、発達障害のある配偶者対応に一人で悩む事になります。定型と言われる人も悩んでいる事を分かって欲しいです。
ジャムおばさん様

はじめまして。

PDD当事者、成人男性です。
障害をもつ配偶者からの貴重なご意見ありがとうございます。拝見させていただきました。

ひとりで悩んでいる、ということですが
こちらのブログで紹介されているような
障害をもつ人たち、またはその家族のコミニティーのようなものが、お住まいの場所にないか探してみてはいかがでしょうか?

わたしの母も、障害をもつ親が集まる家族会というものにはいっており、
またその中でも気の合う仲間 数名でちいさな会をつくり定期的に集まって話しなどをしています。

市役所の福祉課に、障害者の家族会のようなものがないか、
また障害者の配偶者がいる者が相談できる福祉士さんなどを紹介してもらえるかも知れません。

地域ごとに、またその会ごとに内容や会の名前は異なるかも知れませんが、
こういったことはおなじ立場の人たちで話し合ったり、そういった知りあいをつくるだけでも
ひとりで悩むよりはいいと思います。

成人の発達障害に限定してしまうと、
そういうコミニティーは少ないと思いますが、
幅を広げて精神障害などほかの障害者がいる家族の人たちの会ならあるかもしれません。
中には発達障害とほかの障害を併せ持っている家族がいる、という人もめずらしくないと思います。
お住まいの市の福祉課、保健所などに一度問い合わせてみてはどうでしょうか?

それから、障害者の人に
定型者も悩んでいることをわかってほしい。ということですが・・・
これは、まず障害をもつ当事者が自分の障害について理解しているかどうか?にもよると思います。

こちらのブログの管理人さんのように、
障害について知識があり、また自分と他人がどう違うかをしっかり考えている人は少ないのです。
まして自分の言葉で、それを伝えられる障害者や、定型者の気持ちを考えられる障害者は残念ながら少ないと思います。

わたしも発達障害で、
今いろいろな障害の人が働いている職場で仕事をしています。そこで
若い子に仕事を教えたこともあるのですが、
なにしろ幼いころ診断をうけ、障害者として育ってきた子なので、
自分が他人とどういうふうに違うのかがそもそもわかっていません。自分が障害者だという自覚もないようです。
ですが、発達障害ですので言葉だけは人並みにつかえるのです。
だからおなじ障害者でも、仕事を教えるのはたいへんでした。

あなた様とは立場が違いますが、
仕事上のつきあいで、おなじ障害者どうしでも
これだけたいへんなのだから
配偶者が発達障害となれば、それはもうたいへんだと思います。
しかし、当事者が自分が障害者だという自覚がない、というか
自分と他人がどういうふうに違うのか、また気持ちを定型者にわかるように伝えられないという場合もあります。
こうなると定型者の気持ちを理解させるのはむづかしいです。

あなた様は障害者に合わせて話し方を変えているといいますし、
勉強しているし、たいへん理解のある方だと察しますから
こんなこと書くと不快かも知れませんがお許しください。

もふ太郎様へ
発達障害者支援センター、精神科数件、児童精神科(息子の主治医)、病院の医療相談にもいきましたが、それは大変ですねで終わりました。アスペルガーについての本も買いました。発達障害の講演会にも行きました。

私が住む所には対応を教えてくれる所も、家族会もありませんでした。結論は「諦める」でした。妻としての幸せを諦め、黙々と家事するしかないです。

ある時に「配偶者がアスペルガー」との医師による講演会があり、直ぐに申し込みしましたが、定員オーバーで駄目でした。私以外にも配偶者問題で悩んでいる人は多いと感じました。
ジャムおばさん様へ
配偶者に関する悩み、というのは相手の障害云々に限らず色々尽きないのかも知れません。

私の夫は定型発達者です。私の表情一つ、言葉一つを変に深読みしてあっという間に不機嫌になり、怒りだすと暴走します。肉体的な暴力はかろうじて理性が抑え込むようですが、その分物やら壁やらに当たり散らしながら暴言を吐きます。怒りが冷めて反省するとやたらと謝り、家事やらなんやらと精を出して頑張り、私に嫌われまいと必死になります。はっきり言って精神的DVです。怒りの原因が私自身にあるわけではなく、夫の勝手な思い込みや勘違いなだけに私の精神的ダメージもかなりのものです。
なぜそうなるのか、何が夫のそんな人格を形成したのか、私なりに分析して理解していますが、私が理解したところで本人が自覚しない限り改善される訳ではありません。他にも同じことが要因の問題もあります。
元々、結婚前から私は鬱を患っていることもあり、最近は精神のバランスを保つことも厳しくなっています。仕事柄なるべくは精神状態をフラットに保つ必要があること、周囲には容易に話せない悩みなだけにストレス解消もできないことなどで肉体的にも多彩な症状が出ています。

解決策として私が最近始めたことが2つあります。
一つは私の思い、気持ち、困っていること、恐怖や嫌悪を抱く夫の言動、を全て正直に話すことです。なるべく冷静に伝えるようにし、夫との関係をどうしたいのか具体的に示しました。押し付けるのではなく、夫婦としての将来像をお互いに確認しあい、そのためにはお互いどんな努力が必要なのかを話し合いました。
2つ目は、自分の鬱も含め夫のことに関する現状や私の抱える問題、悩みを職場の上司に相談しました。身内ではなく、他人に話を聞いて貰うことで自分がどうしたいのか冷静に確認できました。身内では感情的になりやすく、要らぬアドバイスやお節介でこじれることもありますが、現状を知ってもらうだけであれば周りの雑音に振り回されずにすむと判断してのことです。
公的な機関や自助会、医療機関への相談も本来は必要なのでしょうが、まずは周囲に隠さないだけでも気持ちの負担は軽くなりました。
本格的に治療や支援が必要と判断したら公的機関への相談を予定しています。

ケースが違うので参考にはならないと思いますが、一番大切なのは「隠さないこと」「当事者と向き合うこと」つまりは一人で抱え込まないことだと、自分の経験から学んだことを書いてみました。

幸せをあきらめる前にもう一度だけご主人と向き合ってみてはいかがでしょうか?
凪様
私も人の表情や行動を深読みしています。車を運転する事が多いので、運転者の顔の表情から、こちらに気付いてないかもしれないと用心してしまいます。息子は重度知的障害を伴う自閉症なので、顔の表情読み取るしか有りません。

例えば、夕御飯作っても夫は何も言いません。夫婦なら「有難う お疲れ様」と言って欲しいです。それが言えないのは、言葉が話せない程疲れているのか、言う必要の無い相手(嫌い)なのか、夫の表情で判断してしまいます。

夫婦としてやり直そうと何度も努力しました。でも諦めました。夫婦として仲良くしようとするのは、私には無理でした。

夫抜きで子どもとの3人での幸せを考えています。
こんばんわ。

ジャムおばさん様

すでにご自分の中で結論が出ていたのですね。
よけいな口出しをしてしまいました。
申し訳ありませんでした。

ベストな答えだと思います。
どうかご自分の人生をたいせつにしてください。

ごはんをつくっても、なにも言わないのは
疲れてるからでも、嫌い(あなたに悪意がある)からでもないと思います。

わたしの場合なのですが、
家族といっても他人であり、自分とはまったく関係のない別個の存在である。と感じています。
考えている、ではなく感じるのです。

ただ、それで家族と関係がなりたっています。
他人だからといって、礼儀やマナーを守らないわけではないからです。
親や兄弟にも、敬語をつかっていますし 家の中でのルールもきちんと守っています。

「ありがとう」や「ごちそうさま」も、
その言葉の中にある感情的な意味よりも、
「それを言うことがきまりになっているのだから、守らなければいけない」
と言われれば、その通りにできます。
そのほうが理解しやすいし、道理にあっているからです。

だだ、あなたが望んでいたのはそういうことではなく、
「おなじ気持ちを共有する」
ということですよね。

おなじことに幸せを感じられないのだから、ご主人の幸せなんて考える必要はないと思います。

歩み寄り
アスペルガーが定型者に歩み寄ろうとはしないのですか?
私は嘗て身体と精神障害を持つ重複障害者でした。今は、治療薬の後遺症が残り身体障害者です。
健常者に理解を求めてましたが、色々と負担したり、支援する健常者の苦労や労力を考えて欲しいと返されました。
健常者の歩み寄りは、かなりのものですが、障害者はどれだけ健常者の労を考慮してるでしょうか?。障害者が定型者に歩み寄る必要があります。
私も理解を求めてましたが、過剰だったので「そんな事ばかり言うなら、障害者だけで離島でも行って生活しろ!」と反論され、口をつぐんでしまいました。
相互理解が大切ですが、障害者からの歩み寄りはしてるでしょうか?
私はアスペルガーですが、アンチ綺麗事氏の意見に近いです。

世の中の大多数の人達は健常者であり、その健常者の中に入っていくのであれば、障害者である私が歩み寄るのは当然と思っています。

自分に害を与えてくる障害者を受け入れてくれる程、世の中は甘くない筈です・・。
あのですね・・・。
そもそも、アスペルガーや高機能自閉症者が、
「健常者に歩み寄ろうとしていない。」というのが、
おおきな誤解であり、偏見ですよ。

ここに書きこんでいるみなさんの意見を見ればわかるでしょう?

言い方が突き放したような言い方だったり、理屈っぽいのは
それがまさにアスペルガ―の症状のひとつであるからです。
みんな、かれらなりの方法で試行錯誤しながら
定型者といっしょに生きていこうと努力しています。

わたしのまわりにいる障害者の人たちもそうです。
みんな やり方や考え方が普通の人たちとはちょっと違うだけで、
それぞれお互い歩み寄りながら生活しています。
その「ちょっと違う」考え方を受け入れられるかどうか?
それは個人の問題だと思います。

協同体
ならばアスペルガーだけの村や町を離島に造って生活すれば良いじゃないですか?。
手足は普通に動くんでしょうし、定型者に文句も言われないで済みますから。
「歩み寄り」像が異なるのかも?
こんばんは。

私の頭に浮かんだ「歩み寄り」像
1.「定型発達者と発達障害者が、お互いの感情を理解しようと努力する。そして、感情理解を他者への「配慮」に結びつけ、そのことに基づいてお互いが言動を変えていく。
2.「感情を理解する」という方向性で努力した経験はあるのだが、行き詰まったり却って火に油を注ぐ結果となったりした。この経験から考えるに、「感情とは別に、社会を生きるためのスキルとして」の「社会的に適切と思われる具体的な言動」を、周辺事情を考える等の方法で検討したほうがよさそうだ。

「『定型発達者と発達障害者との歩み寄り』という言葉について、定型発達者は1のイメージで捉えている人が多いのかもしれない」と私は思いました。
発達障害者側では、1のイメージで捉えている人も2の人もいると、私には思えます。

ひょっとしたら、「1のイメージで捉えている人にとっては、2の方向性は『残酷なもの』とうつっているのかもしれない」とも、私は思いました。
「感情を理解しようとすることは、同じ文化を共有する『仲間』として接することだ。2の方向性は、発達障害者に対して、『あなたたちは、我々定型発達者とは距離のある文化に生きている、理解不可能なヨソ者なんだよ。』と冷たくあしらう行為だ。」というふうに。

私は、「『異なる文化背景を持つ他者として、人と接する。そのことによって、社会の在り方を自分なりに再考していく』という方向性もありだ。」と思っています。
>2.「感情を理解する」という方向性で努力した経験はあるのだが、行き詰まったり却って火に油を注ぐ結果となったりした。この経験から考えるに、「感情とは別に、社会を生きるためのスキルとして」の「社会的に適切と思われる具体的な言動」を、周辺事情を考える等の方法で検討したほうがよさそうだ。

私はこのパターンですね、(1)の方向性でやろうとすると逆に「どうして自分のことを分かってくれないの?」というジレンマにお互いが苦しめられた気がします。

自分の操縦方が分かればわかるほど、「感情」で結びつこうとするのはある一定のラインを超えると無理があるような気がします。

もっとも定型発達同士ですらお互いのことを理解するのに苦しんでいるので、さらに構造が違えば当たり前かな、と思います。

ただ、最大公約数の和としてお互いのコンフォタブルゾーンがどこにあるのか、そのことがお互いにとってどのようない利益をもたらすのかは常に試行錯誤する必要はあると思います。


アンチ綺麗事様へ
そういう文句は止めましょう。同苦力なすぎます。
どういう風にするかで悩みながら学んでいく事こそ意味があるのだと思います。
文句言われたくないわけではなく、本当に戸惑ってるんだと云う事をシッカリ認識して下さい。
アスペさんは、人によって、そういう言葉で傷つき、自分を責めて嘆いて、心の病気になってるんですよ。根性がないからじゃないんですよ。
二次障がいが重くなるから、無理が禁物も当たり前ですよ?
私はASの症状が軽いので(PDD)、アンチ綺麗事さんの仰ることは、ある程度は分かりますよ?

でもねえ……。
相当苦手なことばかりを、日常的に要求され続けていくと、人は誰しもストレス病にかかります。
身体が不自由ならサポートも期待できるけれど、発達の人にはたいてい何のサポートも周囲からもらえないし、罵倒や中傷は常にあるもの。

そんな状態でストレス病が悪化していくと、簡単にうつ病や躁鬱病といった二次障がいになっていく。

これが、ASが背負っているものです。

周りに合わせようと頑張り過ぎるほど、うつ病か躁鬱病持ちになっていく……。
すでに悪いのに、さらに周囲が要求ばかりすれば、張り過ぎて、症状はさらに激化するし……。

無理をしすぎないために当事者同士がアドバイスしている話を、
安易に批判されても困ると思うんですが……。

定型発達の人に、そういう苦労や苦痛を理解しろと言っても、所詮は無理なんでしょうかね……。
突っ込み?
アンチ綺麗事さんへ

離島に村とか作って移住すれば? とおっしゃりますが、今現在無人島の離島というのは皆無に等しいですよ。少なくとも人の住める無人島は。この間殺人を犯した人が逃避行の果てに無人島に住んでいましたが、あそこが最後かもしれません。
たびたびすみません。
今度は本文から。

>定型は相手の心情が伝わってくる
いまいち良く解りません。
そもそも言葉というのは自身の心を相手に伝えるためにあるものなので、心の中というのは言葉にして伝えなければ相手に伝わらないものなのではないですか?
具体的に言葉にしてくれないと伝わるものも伝わらないと思うのですが。
「心情が伝わってくる」ということは、言葉にしなくても心が通じ合うということですよね?
それって幻想なんじゃないでしょうか。
言葉に乗せていないので、相手の心中がわかったといってもそれはその人の主観による推察でしかないのではないだろうか。ちょうど見えない箱の中身は主観を交えた推理で解っている気になるような。
同じような感じで「空気を読む」というのもいまいち理解できません。
空気は読むものじゃなくて、吸うものだし。
イワンのばかの様に正直に
こんばんは、鬱で落ち込んでいるところを以前ツイッターでお世話になりました、ふくろう(@clayowl)です。

意識的に空気を読もうとすると、本当に疲労しますね。発言の度に不安にかられて消極的になってしまいます。

私は上手くいっていた職場では、いっそ相手の懐に入ってしまえとバカのように正直にやっていました。お手本にしたのは、トルストイの子供向けの本「イワンのバカ」です(実際は本のように純粋ではなく、かなり辛辣なイワンのバカになってしまいましたが ^^; )。
まだ20代だったこともあってか可愛がられ、劣等感の塊だった自分にとって積極性や自尊心を取り戻す契機になりました。

こんな実例もありますので、とくに正直であることが尊ばれる年代の方は、管理人さんも仰る「正直でありたいという希求」に応えられてみてはいかがでしょうか。
定型は、人の表情や声の表情から相手の気持ちを察する脳機能があるんだよ。
それがないのがアスぺ。
ここでアスぺは迷惑!って言ってる人は、それがわかってない。
買わないでよいものを
買ってしまいますが・・・
アスペだけ別に暮らせっていいますが、スペクトラムなのですよ、きっちりわけれない。

それに、人類の発展に寄与した人ってアスペ率けっこう高いんじゃないかなって思うのは私だけ?
お医者さんとか研究者ってそういう傾向をもった方、多いですよ。

あと、「察しろ」は、日本社会でとくに強いかも。日本だと「きついよね」といわれる、うやむやにしない感じが、海外ではほめられたなぁ。
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No title
分かるわ―。疲れるんだよなー。
あ さんへ
お疲れですか、よい癒やしの方法などが見つかりますように!

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