ASD者のもつ「伝わるように伝える」ということに関する困難のこと。
このブログ、数百記事書いたが、1記事だけ文のスタイルがまるで異なる記事がある。下記だ。
http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-entry-29.html
この記事、私のブログの中でとても反響の多い記事だ。数年前に書いたものにもかかわらずいまだにコメントをいただくことがある。
だが、この記事、自然体で書いたものではないということを白状させていただく。
長年の定型発達者研究?によって、どうすれば伝わりやすいかというのはある程度想定がつく。その知恵を総動員し、背中がかゆくなる!としか言いようがない違和感と罪悪感を「伝えるため」に押し殺して書いたものなのである。
これは異文化に向けたものだ!と自分に言い聞かせながら「伝えたい一心」で文章表現を加工した。
たぶん定型発達の方には私がなぜ「違和感」や「罪悪感」をもつのか感覚的にはわからないだろうと思う。
違和感…、これはかなり生理的なもののようで、私にも正体がつかめない。とにかく背中がかゆくなりそうにむずむずしてくる、下手すると笑いたくなってしまう。
罪悪感…、これは文体の極端な加工によって人を欺いていることによる罪悪感だ。
先に挙げた記事、私の素のままの文体で書けばものの10行でおさまってしまうだろう。そして、たぶん伝えたいことは全く伝わらない。逆に反感すら買いかねない。
自分の伝えたいことを定型発達者に「感覚的」に伝わるようにするためには、自分の感覚の方を押し殺すことが必要になってくる。
ASD者は往々にして「失礼」な言い方をすると言われる。そして、その場合だいたい伝えたいことは伝わらない。
定型発達者に感覚的にわかりやすいように表現を加工すれば言いたいことは伝わるが、ASD者の内部には、違和感や罪悪感がおりのように残るし、ASD者の中に生じるそういったものは伝わらない。
ものごと、伝わるように伝えたい…だが、これは結構困難であり、苦痛でもあるのだ。
ASD者が素の言葉で語るとき、批判、否定の意味を持たせるつもりがなくても定型発達者にはそういった受け取り方をされることが多い。
どういうことかといえば、ある事象に対し「これ、困ってるよね~」くらいの意味しか持たせたつもりがないのに「許せない!!」「腹立たしい!」と言っているように受け取られるということである。
そういった構造を理解していなければ、その受け取り方の違いによって、双方の間に横たわる溝が深まってしまう場合すらある。
それを避けるために定型者に受け取りやすい表現にすること、これはどうしても伝えたいことがある時は必要なテクニックだ。だが、それは決してASD者にとって自然なことではなく、困難を伴うことなのだ。
そのことをどうやったら定型発達者に伝えられるのだろう?
そして、ASD者はどこでどれだけ表現について配慮すべきなのだろう?
そんな事を時折考える。

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