それを見ていてふと思ったことを綴ってみた。
コミュニケーション障害があるといわれるが、我が家では実にコミュニケーションに困らないのである。不思議なことだ。
世間で被らなければならない仮面を被らず済む。
目線を合わせないで話していても誰も不思議に思わない。
息子の学校の体育祭直前の我が家の会話である。
息子 「ねえ、何であんなに体育祭で盛り上がれるんだろ?」
私 「うん、そうだねえ、私もわからないな」
夫 「世間とはそーいうもんだ、俺にもわからん、適当に付き合っておけ」
安直に会話は成立する。
しかし定型発達を主流とする世間的に見ればこういった会話は顰蹙ものである。
家の外に一歩出れば私も夫も息子も露骨にこういうことは言わない。
番組を見ていて、出演していた高機能自閉症の人たちも、やはり学び蓄えたソーシャルスキルフル動員で「ちょっと変わっているけどいい人」というラインに自らをはめ込んで発言していたようにも思う。
本音で発言したり行動したりすると世間的に顰蹙ものになってしまうから、長いこと付き合わなくてはいけない学校や職場ではどこかでついボロが出て排斥の対象になってしまうことがある。
学校であればいじめの対象になりやすく、職場であれば左遷やリストラの対象になりやすいというわけだ。
診断は受けていないがAQハイスコアの夫はリストラされたこともある。彼は常に「世間に合わせる」ということにかなり心を砕いている。しかし周りからどうにも「浮く」ことは避けようがないらしい。
生きる糧を稼ぎ出すのに必要なソーシャルスキルを身につけることはとても重要である。それがなければ障害を持つが故に排斥され、経済的に多大な苦労することになってしまう。そしてそれとともに、我々の「本音」はどこへ行くのだろう?と思えてならないのでもあるのです。
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