ASD児者における指示と提案の混乱現象と「選ぶ力」

ここ数年、自助会、SNS、ご家庭内、その他いろんなところで自分以外のASD当事者と接する機会がある訳だがときどき面食ら現象がある。

現象としては、「こーいうのはどう?」「よかったらどーぞ」といった提案に対して「押し付けられた」と突然怒り出されてこちらが唖然というパターンだ。


前々からこの現象はいったい何だ?と思っていたのだが、もしかして「提案」と「指示・命令」の混乱なのかなと思うに至り、ちょいといろいろ聞き回ったのだが、結構ありがちな現象のようだ。


親が心配から「アドバイス、提案」をしても「押し付け」と受け取ってしまうために親子関係に亀裂が入る例も多々あるらしい。将来的なことについて自分では決められないのだが周囲からの提案に対して「押し付けるな」と激怒するという例もあるそうだ。


ちなみにしばしば「提案」「指示・命令」の区分がつきにくいという当事者の談もゲットしたが、あとになってよく考えたときに「もしかして提案だったのか?」と思うこともあるが、その場では気がつかないで怒ってしまうということのようである。



まあ「押し付けられた」と思えばそりゃ圧迫感を感じる事もあるだろうし、反発も感じるだろうし怒りが湧くこともあるだろう。逆に提案をした側から考えれば「なぜそこまで反発したり怒ったりするのか?意味不明」現象でもある。




混乱が起こっているとするなら気になるのは学習過程だ。



他者の行動に影響を及ぼす言語コミュニケーションを列挙してみる。


「制止」「指示」「提案」「お願い」


人間どれを一番先に学習するか?といえばまずは「制止」なのではないだろうか?

乳幼児の危険を防止するために行動を制止する「めっ」というのは幼児もいち早く憶える単語である。
そのあと「ちょうだい」「ないないして」など、「お願い」や「指示」などが理解されていく。


と考えていくと「提案」は結構後の方にくるだろう。


これら応答の拡大に際して必要なものとはなんだろう?


「制止」には必要ないが、「提案」には必要なもの


「制止」は基本的に有無をいわせぬものなので意思表示の必要はほとんどない。
「お願い」「指示」では「応じるか応じないかの」選択と意思表示が必要になってくる。
そしてさらに「提案」となると「受け入れる」「受け入れない」「保留する」の選択、お願いや指示に対するのよりも高度な応答が必要になってくる。


「選択!」


ここで思い当たったのはASD者児でしばしばきく「レストラン等でメニューから選ぶのが遅い、苦手」現象だ。


確かに私自身外食時にメニューを決めるのに時間が掛かる時があるし日常の買い物もわりと時間がかかる方だ。

細部にまでこだわってしまうというかなんというか?
じっくり選ぶので通販等ではずれをひく確率は低い(というかほとんどない)が、スーパーなどでの日常の買い物は結構難儀する。早くすませようとすればできなくはないが、早く済まそうとすると結構気合いがいるので疲れる。

昔、母の買い物する姿を見ていて「よくこんなに早く買い物ができるなあ」と感心していたし、
「あんたに買い物を頼むと時間が掛かる(苦笑)」というのもよく言われた。


そして我が娘、スーパーで落ちついていられるようになってからだが、お菓子売り場でお菓子をせがまない。
お菓子をせがまれるよりマシ…と思われるかもしれないが、私はなぜかこれが結構気になった。

よくよく観察してみると欲しくない訳ではないのだが迷っている。


迷う、迷う、また迷う!さらに迷う!ずっと迷う!


まよったあげく言い出すところまで到達しないといった感じである。
これが数年前の話。


全くの勘なのだが「この子、選ぶ力弱くないか~?ちとまずいのでは?」と気になって、
日常の中で「選ぶ」をかなり意識してきた。


「押し切らずにゆっくりでもいいから選ばせる」

からはじまって

「選ばないと進まない」という状況をつくる。
選びやすいように「二者択一」にしてみる。
徐々に「その他」「保留」の選択肢をいれて複雑化してみる…などなど


まあ、その効果かどうかはわからないが、
今はお菓子を選ぶのにもDSのソフトを選ぶのにも苦労していない。



話を戻そう。



人生なんて選択の嵐である。
お菓子を選ぶ、おもちゃを選ぶからはじまって数限りない選択が待ち受けている。
指示に従うのも従わないも、提案を受け入れるのもやめておくのも選択だ。



だが「選ぶ力」「選んだことを表現する力」が育たないままであったらどうだろう?



本人の内面的には自分の意思によらないものを強制されているのと大差ない状況ではないだろうか?さらにいえば、提案というちょっと高度な概念、そしてそれへの応答が身につかなくてもある面当たり前かなと思うに至ったわけである。


これが

提案が聞けずに内容にかかわらず拒否的な反応をしてしまうケース
指示にたいして従順だが、なぜか後になって爆発したりするケース

などの内実はこういったものなのではないか?


ありがちな行き違いの影には実は「選ぶ」ということの学習の問題が潜んでいるのかもしれない。



とまあ、そんなことを考えた。






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コメント

選べない実母
狸穴猫様、

私の母親が、まさに選べない、決められない人です。
もともと「何が食べたい?」と言われて「何でもよい」と答えることが謹み深く、人様に迷惑をかけていないと思い込んでいます。(その証拠に、あれが食べたい、これはいや、等と訴える人は彼女いわく「自分本位」)

しかしながら、何でもよい、という回答は時に、質問者を困らせることがあります。無責任ですし、本当に何でもよいのかと言えば、あとからケチをつけてみたり。
決められない、決めようとしないことは、無策であり、迷惑になることもあります。

そんな母は、時代もあったのか、年長者に言われたことを鵜呑みにして人生の岐路を選んできました。
反動で娘の私には、とやかく言わない、と言いつつ、私には自分の意向を押し付けて当然、親切の押し売り何が悪い?という感じでした。(現在疎遠のため、過去形に)

選べないって、本当に罪深いです。
母はおそらくADDなのですが、選べないことを独自の理屈で正当化していると、かなりめんどくさい人間になってしまっています。

長々とすみません。内省のきっかけとなりました。
Re: 選べない実母
選べないにしろ選ばないにしろ、自覚的に選択しなかったという場合はどうしても他責的になりやすいですねえ。

選んだ事に関しては結果に責任を持ちやすいですが、選ばなかったことはうやむやになりがちです。

そういった意味で、「仕方ない」という表現は結構危うさをもった表現だと思います。


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