以下である。
BLOGOS「どーすりゃえーねん」(非国民通信)
この記事自体、ダイヤモンドオンラインの
「成績優秀なのに仕事ができない“大人の発達障害”に向く仕事、向かない仕事」
という記事をうけたものだ。
以下引用
そして「不向きな職業」も列記されています。ものの見事に「求人の多い職業」が並んでいる、同時にこれらは大学などでの専門教育を必要としない職業でもあります。特定の専門職に向けた専攻「ではない」圧倒的多数の人にとって現実的な就業機会があるのは、こちらの「ADHDやアスペルガー症候群の人たちが不向きな職業」であり、ここで挙げられた職種を避けていてはやはり就職が著しく困難になることは言うまでもないでしょう。発達障害なので営業は自分に向いていません――それは確かなことであるにせよ、では「向いた」ポジションに空きがあるかと言えば、そのポジションは大学の時点から専門的な教育を受けた人たちのひしめく超激戦区、既に埋まっていることがほとんどのはずです。果たして「大人になってから」発達障害に気づいた場合に打つ手があるのか、少なくともここで引用した元の記事では何一つとして示されていません。
「どーすりゃえーねん」(非国民通信)より 引用終わり
当事者、企業、それぞれの「どーすりゃえーねん」
発達障害というものの存在が知られるにつれ、発達障害者の問題も取り上げられることが多くなってきたが、
同時にこういった「どーすりゃえーねん」感も高まって来た。
「適職に」をあまり真に受けてしまうと、職種の範囲は狭まるし、
「適切な配慮」の範囲を広げすぎれば不満を感じやすいし、就業への一歩を踏み出しにくくなる。
当事者にはこういったことで悩んでいる人も少なくない。
企業側も困ってしまう面はあるだろう。
いくら専門家や支援者が、
「特性に応じた適所に配置し、適切な配慮があれば企業にもメリットがある」
といったところで、
「ウチはそんなに職種の幅広くないよ」
とか、
「マイペースも適当にしてくれないと全体の生産性がねえ…」
とか
「そこまでの配慮はうちの体力では無理!」
とかまあいいたくなるのではないだろうか?
企業というものは限られたリソースを有効活用して収益を上げるという目的を持った集まりなのだから、
生産性・収益性が大きくダウンするような無理を伴った雇用が難しいのは当然だ。
障害者雇用をする企業には助成金などが多少は支給されるが、それ以上のコストがかかれば雇用できなくても当然だろう。(参考:障害者を雇い入れた場合などの助成/厚生労働省)
適職を選ぶこと、適切な配慮があること、これはまあ理想としてはいいのかもしれないが、今現在いわれているようなものを金科玉条のように掲げるのはあまり現実的ではないのかもしれない。
「どーすりゃえーねん」脱却のキーはコミュニケーション力
コミュ障という言葉が普及して久しいが、
最近私が注目しているのは「コミュニケーションの障害」というものだ。
多数のアスペルガー症候群(ASD)者をみたとき、コミュニケーション能力の幅があまりに大きいという現象はなぜ起こるのか?
そこが疑問の発端だった。
発達障害でも特にASD者では「コミュニケーションの障害」があるといわれる。
確かにいろいろいわれ放題ではある。
目が合いにくい、
共感性にとぼしい
空気が読めない
何考えてるかわからない
表情がない
堅苦しい
周囲とトラブルをおこしやすい
…
だがこれが問題の本質なんだろうか?
実は違うと私は考えている。
私の脳内では、アスペルガー者の抱えやすいコミュニケーションの問題は現状下図のようになっている。

つまりコミュニケーションの問題はひとつではなく、
1)認知と感覚の問題
2)未学習・誤学習の問題
3)2次障害による問題
といった要素がからみあってできているのではないかということだ。
そして、実のところ、実際に困ることの大きな部分を占めるのは
「未学習・誤学習の問題」と、「2次障害による問題」
だと考える。
何らかの要因によって、
「コミュニケーションとはどういうものか?」
が学習されていない状態が基礎にあり、
その延長線として
「コミュニケーション行動の意味するところ」
「どうしたらコミュニケーションをとりやすいか?」
「良好な人間関係をつくるためにアプローチや言いまわし」
「相手の話のききかた」
「人間関係をどう捉えたら楽なのか」
ということが学習されていない、あるいは本人に負荷がかかる歪んだ形で学習されてしまっている(誤学習されている)ケースは少なくない。
(定型さんはこういうことを学ぶ機能が超高性能なので、「方法論」であると意識することはあまりないようだが、どうみても「方法論」だ)
誤学習や未学習の状態で無理なコミュニケーション負荷をかければうまくいく確率は当然下がる。
対人関係で失敗が多くなれば自信がなくなっても当然だ。
落ち込むこともあるだろうし、他者に怒りを感じる場合もあるだろう。
たび重なれば対人不安や鬱などの2次障害の原因ともなりかねない。
(正直、多くの当事者と会っていると、「こじらせてますねえ」といった感じを受けることは多い。)
そしてコミュニケーション忌避まで行けばコミュニケーションの学習はさらに進まなくなる。
この辺りがコミュニケーション力の幅が大きくなってしまう要因だと考える。
実は「空気を読むのがヘタ」なんてのは大した問題ではないと思うのだ。
空気が読めないことすら「コミュニケーションの種」にすることは可能だし、ろくすっぽ相手の顔が覚えられなくてもなんとかなる。
到達しうるコミュニケーション力をあまり低めに見積もる必要はないのではないかと思うのだ。
そしてその方が就業の可能性も広がるのではないだろうか。
さて、一応の結論をだしたところだが、
「じゃあ、どうすれば?」
という疑問を感じる方もいるだろう。
それについては現在いろいろまとめている最中なので、
もしコミュニケーション力について悩んでいるのなら、
まずはビジネス向けの人づきあい本をひと山読んでみたほうがいい。
とだけいっておこう。

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