自閉症者の「社会性の障害」「コミュニケーションの障害」とはいったい何なのか?という疑問
自閉症スペクトラム(ASD)といえば、三つ組みの障害特性が有名である。
これだ↓
- 社会性の障害
- コミュニケーションの障害
- 想像力の障害
だが、社会性の障害にしろコミュニケーションの障害にしろ想像力の障害にしろ幅が大きい。
そこそこ社会生活を送れてしまう人からかなり社会生活がしんどそうな人まで非常にさまざまである。
特性にあった環境、充分な配慮があればいい…ともいわれるが、それだけではどうも説明がつくようなつかないような…。
正直なところ私はこのあたり納得していなかった。
社会性やコミュニケーションの面ではどうも「学習」の問題が大きいような気がしてならない。
もちろん「学習」といっても学校の勉強ではない。「人間」「社会」についての学習である。
まあ、このあたり、いろいろ考えてもなかなか埒が開かなかった部分だ。
だが、先だって見つけた書籍読む目・読まれる目―視線理解の進化と発達の心理学
(この本の書評記事はこちら)
同書は基本的に健常者における視線研究からの知見をまとめたものであり、対比として健常者とは違った動作をする自閉症者のことも多少扱っているのであるが、健常者(=定型発達者)において、視線が感情のみならず、情報のやりとりにもかなりの機能を有するというのだ。
そしてその機能は対人交渉時に特異的に働くようである
健常者における対人特異的視線認知システムの存在
さて、前座としてちょいとこの図を見てみて欲しい。

現在のパソコンは1つの処理装置で動いているのではない。
中央演算装置(CPU)の他に、画像処理に特化したグラフィックス プロセッシング ユニット(GPU)というものがあり、画像・動画の処理・描画などはもっぱらGPUに処理をまかせる形になっている。
画像処理に、画像というでかいデータを扱うのに適した処理ユニットを使用することで、動画にしろ静止画にしろ高速描画が可能になっている。そして画像処理の負荷をGPU(=画像処理プロセッサ)が担当することによってCPU(=汎用プロセッサ)の機能の低下を招かないシステムになっている。
こういうシステムになっているおかげでエクセルをガンガン使いながら快適にYoutubeの視聴をすることができるというわけだ。(昔なら考えられない!)
これと同様のいやもっと高度なシステムが健常者には備わっているらしいのである。
「読む目・読まれる目/遠藤利彦」よりちょっと気になる部分を引用しながら話をすすめる。
…後でも述べるが、バロン・コーエンが仮定するようにEDD(視線方向検出装置)を完全に生得的な進化の産物と見なしうるかにどうかについてはいくつかの議論があるのだが、少なくともある程度、個体発生が進行した後においては、それがかなり明確な脳神経学的基盤に支えられて在ることは確かなようである。
遠藤利彦 2005 読む目・読まれる目―視線理解の進化と発達の心理学 p.14より引用
どうやら「視線方向」というのを認知するための特有の入力システムがあるようだ。
…心理学的知見からも、「見つめる視線」は視覚探索や顔の記憶を促進することや、「見つめる視線」は見るものの注意を捉え、顔以外の視空間における処理を抑制するといったことが明らかになっている、…<中略>… 「見つめる視線」によって顔処理に関わる脳活動が促進された結果を反映していると考えて良いのかもしれない。
遠藤利彦 2005 読む目・読まれる目―視線理解の進化と発達の心理学 p.212より引用
そして、顔処理のシステムも他の処理とはかなり違う動きをする、つまり独立性が高いということらしい。
かいつまんでしまうと、どうやら、健常者には汎用の情報処理システムとは別に、表情や視線の認知に特異的に関わる高速な処理システムが存在するということのようだ。そして、それは「顔」や「人の視線」を目の前にした場合に自動的に処理を加速させるという。
読んでいてポンと思い浮かんだのが冒頭で出したCPUとGPUの関係である、とてもよく似ているような気がする
これを図にしてみるとこんな感じだろう。
(出力部分は省いた)

性能のいいインターフェイスとGPUを積み込んでるパソコンのような感じである。
自閉症者の情報認知・処理システムを考えてみる
さて、では自閉症者の情報認知・処理システムはどうなっているのか?
自閉症者は人の顔・視線に反応しにくいということはよく知られた話である。
目が合わないという現象は早期発見の手がかりともなっている特徴でもあるし、人の顔や表情を見分けるのが苦手というのもよくある現象だ(私もそのひとりである)。
「読む目・読まれる目」にもこういった記載がある。
視線方向への注意シフトと社会的ではない方向刺激である矢印による注意シフトを比較したところ、定型発達児では矢印に比べて視線手がかりによる注意シフトが相対的に強かったのに対し、自閉症児ではこのような傾向は見られなかった。
遠藤利彦 2005 読む目・読まれる目―視線理解の進化と発達の心理学 p.210より引用
これから健常者にある対人特異的認知・処理システムが、自閉症者の場合は無い、機能が低いといったことがうかがえる。
となると、自閉症者の情報処理システムというのは下記のような図になるだろう。

また、同書によると健常者では言語や社会的学習の多くが、視線検出や表情検出を基盤とした対人特異的認知・処理システムを利用した形でなされるということのようだ。
さて、ここからわかることだが、
自閉症者ではこの対人特異的入力・処理システムがない、あるいは脆弱であるがゆえに社会的学習に関しては図の青と緑の部分、すなわち比較的低速の汎用の入力・処理システムを使わざるを得ないということであり、充分な社会的学習できない、あるいは学習する機会を逸する(発達遅延or未学習)といったことや、認知・学習のエラー(誤信念or誤学習)が生じやすいものといえるのではないだろうか。
そしてコミュニケーションの障害もこのあたりに端を発するものである可能性も高い。
<つづく>
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先は長いが今日は社会的学習の部分まで。
まだ2.3回分は書くことがありそうだ。
ASD者の得手不得手の大元や、療育や自己改善の方法といった方向に話が進む予定。
今日の話だけでは暗澹たる気持ちになる当事者もいるかもしれないが、「結構自閉脳も捨てたモンじゃない」というお話もでますのでご安心を。

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