発達障害当事者研究に潜む危険-べてるの家の当事者研究との比較から-

当事者研究とは何か?

まず当事者研究とは何か?といえば障害や疾病の当事者による当事者についての考察、分析などのことを指すことが多い。広義にはもうちょっと意味がありそうだが、少なくとも障害や病気がからむ分野での意味はそういうところだ。

病者、障害者個々人の自分の状態に対する考察などもあれば、障害や疾病に起因する困り事に関する対策を模索するものもある。当事者の視点で病気や障害に何かの特質や共通性を引き出すといったタイプのものもある。タイプはさまざまだ。

;そういう意味で、このブログも当事者研究的要素をかなり含んでいるといったことなる。

;さて、「当事者研究」という言葉で検索をかけると、Wiki以外で真っ先に出てくるのが「べてるの家」である。

知ってる人は知っているが知らない人は知らない(当たり前だ)ので一応簡単に説明すると、べてるの家とは北海道にある統合失調症者の共同生活施設で、昆布や昆布の加工品などの地産品やオリジナルグッズの製造・販売もしているし、さまざまな社会活動もしていて、当事者活動が特に有名である。本も数多く出版されており、いくつか読んでみたがとてもユニークで面白い。

(関係ないが、べてるの家の昆布はとても美味しかった。)

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べてるの家の当事者研究の中心となるのは自分の状態を自分の言葉で表現するといったもののようである。

さて一方発達障害関係での当事者研究はというと、まあ有名なのが綾屋五月さんとかしーたさん、小道モコさんだろうか。とにかく書籍ですら数がやたら多いので把握しきれないといった状況でもある。

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実のところ当事者研究というのは特段のスタイルがない。当事者が自身と自身のもつ疾患、障害のことについて何かネタをもってきてなんらかの考察をし、研究と言い張れば研究なのである。

当事者研究の効用

当事者研究というのは、当事者が当事者のことを考察するわけであるから、当然のことながらある程度自分自身を客観的に見る必要がある。

そこで「あー、けっこうこういうときって結構やばいね~」とわかれば自己管理に結びついたり、治療の継続に結びつきやすい。さらにいえば、自分の持つ疾患なり障害なりを受容することにも繋がる。これが当事者研究の効用の主たるところだろう。

べてるの家の取り組みは当事者研究の上記のような効果をうまく使って当事者のQOLを上げるのに成功している例だと思う。

統合失調症の場合、病識が薄いために治療を継続しにくかったり、自己管理がしにくかったりすることがQOLを下げやすい要因であるから、当事者研究をすることによって病識を維持しやすいといったメリットは大きいのかもしれない。

発達障害における当事者研究を考える

さて、こtこで発達障害者の当事者研究について考えてみよう。

正の側面

「私はこうである」を冷静に見て把握していくことは悪くないかも知れない。

できること、できないこと、苦手なこと、得意なことを冷静な目で分別する。それは自分で自分自身に過剰な負荷を欠けてしまうことを抑制するのには役に立つだろう。

自分の感じ方、思考、行動のクセを詳細に解体して見ていくのも悪くない。他者との比較が容易になるという面はある。そしてこのあたりは専門家の研究のネタになることもあり得るので、ネタの提供を通じて発達障害の解明につながるやも知れない。

負の側面

いまのところ負の側面なんてものについて言及したの見たことがないのだが、私はこれは馬鹿にできない問題だと思う

発達障害者が発達障害の特性について「「こうである」という結論を出すとその結論に縛られやすい。

その上「自分はこうである」という結論を「発達障害は治らない」という一般に流布している説が補強して、「治らないからこれは仕方がない」という結論に至りやすいというわけだ。

これではQOLの向上に寄与しないどころか希望がわかなくなりかねない。もっと言ってしまえばどん詰まり感の醸成にしかならない。

あれこれ自分のことを知るために勉強したあげく、社会的支援の必要性を訴える方にとても熱心になる人少なくないのは「どん詰まり感」を社会的支援の拡充で打破しようとするのがその理由なのかもしれない。

じつのところ「発達障害は治らない」というのはかなりあやふやであいまいなものだ。発達障害そのものが診断モデルで定義されているため、定義で示されたものはありがちな表現形でしかなく本質的なものでない可能性は結構高い。

特性…と言われるものはたくさんあるが、それに翻弄されていない部分を多く持つ発達障害者も結構いることから考えても、「治らない範囲」は現在特性と呼ばれているものよりかなり範囲を縮小できる可能性もまた高いと私は思う。

結論:発達障害者の場合当事者研究には慎重を期すべし

結論は上記のとおりなのだが、ちょっと具体的にしておこう。少なくとも下記のようなことは念頭に置いておいた方が良いだろうと思う。

  • 状態像が変化しないもの思い込むとどん詰まり感がでやすい。
  • 現在の診断用の定義は障害の本質をうまく表していない可能性がある。
  • 出した結論に縛られないように厳重に注意する必要がある。
  • 対策(すり抜けるも含め)を研究する方がQOLはアップしやすい。

特に自閉症傾向のある発達障害者は「疑問をもったことについてあれこれ調べる」ということにハマリやすい傾向がある。「自分はどうすればいい」をスタートに、「発達障害って何なんだろう?」と、いろいろ調べ、勉強しまくるひとは少なくない。

上記のような点に気をつけておかないと迷宮にハマりやすいということには気をつけておく必要があるだろう。

<おまけ> 自分の取り扱い説明書づくりってのも一部で流行っているようであるが、これも当事者研究でき菜ものでアリ同様の危険性をはらむと思う。

とまあ、こんなところで本稿終わり




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コメント

「べてる」(略)は創設にあたって医師が関わっていたので、
継続的な長時間・長期的観察ができていることが研究として役立っているのだと思います。
ただ「べてる」の研究が全国の当事者各々のためになっているかという点では、
発達障害の当事者研究と大差は無いのではないかと思います。
当事者研究は治療者側に対する情報提供の面も多く、
「べてる」の研究は現在の精神病院の開放型治療に大きな影響を与えています。
発達障害の回復の可能性は病気の特性による病識の濃い薄いではなく、
“認めたくない思い”がブレーキになっているのではないかとおもいます。
知能的に問題が無く、学歴が高いと特に。
ガンになった人、アルコールや薬物依存の人達が立ち上がる、立ち直る心理パターンは共通しています。
怒り→絶望→受け入れ→小さな希望です。
彼らは「水面にはでられないかもしれない、
でも、沈んではいない。時にはじっとして、もがき苦しむことなく浮上する努力をする」ことで希望を手に入れます。
当事者研究の功罪を認めた上で、発達障害者がドン詰まってから立ち上がるための研究も進めてほしいと思います、
そのためにも狸穴猫さんたちの自助グループや大阪で行われている「づら研(当事者による生きづらさ研究会?)」などの
成功例、失敗例の情報発信を楽しみにしてます。
アタマ良くない私にこんなに学習意欲があったなんてと自己満足してたら、
「それは病気の成せるワザで、結局迷宮にハマる」ってドンピシャ過ぎで笑いました。
ちなみにNHKのETV特集で「べてるの家」が放送されます。2/28、3/6(再)。
長々と失礼しました。
はじめまして。
以前から、ちょこちょこ見せていただいていて、考察や記事が面白いなと感じていますので、思い切ってコメントしてみました。
例えば生きづらさは必然でないという記事など、今回のも、前から私が感じていた発達障害にまつわる違和感にピタリと当てはまって、とても頷けました。

私は生活上支障がないので診断は受けてませんが、親も私も完全に何らかの発達障害かなと思っています。
幼稚園の時から集団から浮いて一人が多かったですし、先生にはよく攻撃されましたし、常識や他人の気持ちや罪悪感や集団のルールの把握の仕方が人とは違うと常々思っていましたし、運動会や文化祭が苦手でしたし、ニートも二年やりました。でも少ないですが友人はいますし、いわゆる定型発達の方への恨みとかもないです。


そんな中で色々な当事者さんの自己分析を見ていると、定型発達と発達障害とをきれいに二分しておられる方が多いなと。
定型発達でも色々な要素を持たれている方がいて、それぞれ色々感じているし、強いところ弱いところあるのに、定型発達は全て敵、なのに、自分の発達障害は理解して配慮せよ、と来るのがすごく違和感です。
定型発達とはコミュニティの同質性にに精神安定要素を求める一群を指してるのかなと思うのですが、そういう性質の人がその同質性を乱されることでどれだけ精神的ダメージを受けているかとか、そういうこともちゃんと考えた上で自分を侵されずに快適に暮らす、そういう方向性が、相互理解なのではないかと思うのです。

なんだか話が逸れたかもしれませんが、今後もご考察楽しみにしてます。
とんとんさんへ
べてるの家の番組のお知らせありがとうございました、みました。

発達障害者の「認めたくない思い」って何なんでしょう?
どうもそのあたり私にはわかりません。
病弱だったり斜視だったり弱視だったりとまあいろいろあるせいか、
脳みそに関しても脳みそ取り替えられないしなあとしか思えないんです。

立ち直りの研究はしてみたいですねえ。



もぐさんへ
もぐさん、はじめまして。

人間皆それぞれ悩みながら生きてるってのには定型者も発達障害者もないだろうと思うんですよね。
定型の友人の話を聞くのも楽しいです。
逆に発達障害者でもどうしても相容れない人も当然います。

一応ある程度理解した上で適切な距離を設定するのが快適に暮らすためのコツかなあと思ってます。

初めまして。最近周りの情報も仕入れてみようと思ってブログを読み始めました発達障害者です。面白い情報ありがとうございます。楽しく読んでいます。
自己分析の負の面に関することで、自分は分析することで自分の状態を決めつける事が良くあります。ですが「決めつける」という事も分析の対象です。なので自分は決めつける癖があるなぁと理解していますし、そのどん詰まり感があるからこそ詰まってない分野に努力を傾けた方がいいなぁと感じます。決めつけると心の余裕を感じる事も出来ますし。(そうでなければどこまでも自分で自分を追い詰めてしまう(笑))
当事者的に感じますが、発達障害は治らない。
こんなこと書くと、元も子もないかもしれないのですが、

発達障害は、治る、
というのは、
苦労した当事者からすれば、語弊があります。
現実的に 言い換えると、

人に迷惑をかける事をしないよう、
改善しつつ、
それでも一生向き合っていかなければなりません。

発達障害者の幸せは、"ふつう"の人と同じ様に
集団に溶け込み、例えば サラリーマンやOLになって 会社仲間と飲んだりして 過ごすこと等では、必ずしもないし、むしろそういう風に過ごしている方のほうが、周りも当事者も不平不満が多く、QOLなんて状況どころではないと思います。無理して"ふつう"に過ごすだなんて、迷惑なだけです。

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