発達障害者(児)支援をどうデザインするか? -社会性の障害による困難には相手があることから-

ちょっと前に千葉市長の熊谷俊人氏がツイッターで「障害者という表記を障がい者に変えることは反対」というツイートをして波紋を呼んだ。

害の字の表記の問題にも熊谷氏の政治思想についても大して興味がないのだが、氏の主張の理由がなかなか興味深い。

熊谷氏は

『障害者』とは『社会の障害』でも『身体に障害を持つ者』でも無く、『社会との関わりの中で障害に直面している者』という意味であり、私たちはその障害を一つひとつ解消していくことが求められている、と理解しています」https://twitter.com/kumagai_chiba/status/600875438454378496

と、その理由について語ったのだが、これは結構多方面に使える障害モデルになりうるかもしれない。とりあえず発達障害者への支援や配慮を考える際にかなり有用だと思うので、そのことについて書いてみる。

だいぶ長くなるがおつきあいいただきたい。

さて、障害モデルは医学モデル(障がい者の自身の中に不都合があるとする)と社会モデル(社会の側に障がい者が暮らしにくくなる不都合があるとする)の二つが割と知られているモデルである。

近年では社会モデルを重視すべきだとする方向性が主流かもしれない。だがまあ、そのことについての是非はちょっとおいといて話を進めてしまおう。

 

障害というものを行動することという面から見直してみる

生活行動の上での障害(ハードル)

生活を送る上で、無意識化された行動以外の行動をしようと思えば目の前になんらかのハードルが立ちはだかる。

ただそれのハードルが十分に低ければたいした問題にならない。

冬場こたつに入っているときトイレに行きたくなったとする。こういったとき、

「あー、こたつから出たくない」

という思いを抱いたことがある人は多いだろう。

室温が低めだったら寒さがハードルになる。

だが、このハードルは普通十分に低い

たいていの人が難なく越えられるハードルである。

大げさにいえば生理的欲求からわき上がる気力がハードルを越えるに十分な大きさであるひとが多いのだ。

ここでこたつに入っている人物が膝に慢性痛を抱えていたり、あるいは下肢を自由にうごかせない状態であったら…

当然ハードルは上がるだろう。

つまり心身の状態によってハードルの高さは変化するということである。

 

社会生活上の障害(ハードル)

次に、社会生活ということに話を広げてみる。

人間二人いればそれは小さな社会であるというのはよく言われる話だが、ここではわかりやすくするために家庭内社会のことは割愛、家庭外における社会生活について考えてみる。

さて家庭外ということになると当然家の外に出ないといけない。

生活行動にやたら時間がかかったり、膨大な気力を要したり、からだに痛みがあったり、怠かったりすれば家に出るのが困難になる。困難度合いによって外に出るという行動に伴うハードルの高さは異なるが、とりあえずサクサク動けるひとに比べると家の外に出るだけでもハードルは高くなる。

そして外にでて誰かと接触を図るとここで社会関係が生じる。

近所の人に会って挨拶をするという場面を考えてみよう。

挨拶というのはまあ簡単にいえば「敵じゃないよ」ということを互いに表明する行動だが、結構複雑怪奇である。

A「こんにちは」

B「あらこんにちは、いいお天気ですね~。あ、そうだ、先日はどうもありがとうございました…」

まず相手を視認、挨拶をすべきか判断し、すべきとなったら視線を向けたりしながら適当な言葉を選んで相手に届くように発語をする。場合によっては前に接触したときのことを想起し、そのことを持ち出すべきかを判断し、必要とあらばそのことに言及し、場合によっては礼をいったりその他いろいろ言及したり…、もちろん表情なども連動させねばならない…とまあ、かなり複雑なことをしている。

たいていの人は惰性…つまりほぼ無意識でやっている行動とはいえ、まず見えたり、視線を向けたり、適切な範囲の音量で発語ができたりということが必要になるので、その辺の機能に問題があると大変である。そして口頭での応答をするとなると聴く機能もまた重要だ。

さらに挨拶が必要であるということがわかってないとこれまた挨拶は難しいし。前にあったことの記憶が適切に想起できたり、表情を適切に使い回せることもそれなりに重要になるので、これらの機能に問題があれば挨拶という行動一つとってみてもかなりハードルが上がる。

ここまでのところをまとめると、

「恒常的な心身機能の問題に起因する、社会生活上の障害(ハードル)が高く、なんらかの対処を要する状態(及び、対処をしない場合障害(ハードル)が高くなる状態)にある者」

を「障害者」と定義できるのではないだろうか。

 

障害者支援は障害(ハードル)を下げること

上記の定義を使って障害者支援、配慮というものを考えてみる。 支援・配慮というものは、障害当事者の目の前にあるハードルを下げることといえるだろう。

路上の段差を少なくするというのは、車いす使用者の移動の際に立ちはだかるハードルを下げるための支援であるし、料理や飲料にとろみをつけるというのは嚥下に問題を抱える人の飲食の際のハードルを下げるための支援である。視覚障害者が白杖をついて歩くときにちょっと道を空けようというのも移動のハードルを下げる配慮である。 これはハードルそのものを縮小化するタイプの支援・配慮であり、障害当事者の外にある支援である。

そして、視覚障害者への点字教育や脳梗塞の後遺障害のリハビリテーションなど、残存能力の活用を促進するのももまた支援といえるだろう。

これは本人の能力を開発することによってできることを増やし、ハードルを相対的に下げるタイプの支援であり、当事者の内へアプローチする支援である。

どちらがいいということも当然ないので、リソースの許す範囲で障害者のQOLを最大化する方法の組み合わせを選択できればいいわけだ。

下肢の一部欠損の場合の義肢の利用などはこの両方が必要な典型的な例だろう。高性能の義肢の存在はハードルそのものを縮小化するものだが、義肢を装着した状態で歩行するためには適切なトレーニングが必要であるので、トレーニングの提供はハードルを相対的に下げる支援である(もちろん当事者本人の自助努力も必要だ)。

ここまでをまとめると、障害者への支援・配慮を考えるとき

  • 周囲の配慮・支援でハードル自体を下げる
  • 自力のアップでハードルを相対的に下げる

の二つの方策があり、それを柔軟に使いわけすることが障害者のQOLを下げることになる。

発達障害者への合理的配慮を考える

やれやれやっと前置きが終わった。

実はここからが本論だ。

何か行動するときにハードルが全くないなんてことはないというのは冒頭のこたつの例でおわかりいただけていると思う。つまり、ハードルの高さが越える力に比して極端に高い場合に支援や配慮が必要ということになる。

相手がある問題が多いということ

ここで、発達障害者における障害(ハードル)について考えてみる。

視覚や聴覚の問題(過敏や注意の問題など)については基本的に身体障害の場合と変わらないが、社会性の障害部分やコミュニケーションの障害部分となるとちょっと話が異なってくる。

社会性の障害やコミュニケーションの障害、二次障害の問題になってくる場面というのはたいてい社会的場面である。そのため必ず相手というものが存在する。

相手のある問題で発達障害者の前のハードルを外側の支援・配慮だけでどうにかしようとするとどうなるか?相手の前にハードルが生じるという問題が生じてしまうのだ。

 

その配慮は可能なのか?

発達障害関連の本を読むと就業関係の本でも「周囲の支援や配慮を受けながらやっていきましょう」 という類いの文言がしばしば書かれている。

そして最近は障害者差別禁止法という法律もできて「合理的配慮」というのが叫ばれている。

 

障害者就労の場合「合理的配慮を受けられるはず…」と期待して就労する人も多いようだが、「理解がない」とか「配慮がなされない」という不満もあちこちから聞こえてくる(SNS等)。

だが、「もっと理解を」と叫んだところで、理解しても配慮できないことはたくさんあるのだ。

学校で適切な配慮が受けられないとか、支援機関等で適切な支援が受けられないというならそれは解決すべき問題だが、一般社会ではいかに法律ができようと、社会性・コミュニケーションの障害部分への配慮はかなり難しいものがあると私は考えている。

 

「傷つきやすいので配慮して欲しい」といわれてもそりゃほとんど無茶である。

「挨拶も会話もできないけど職場で疎外感を感じたくない」と言われてもいったいどうしろっての?

「叱責されると萎縮するのでほめて育てて欲しい」といわれても、企業は親でも学校でもない(常軌を逸した激しい叱責はパワハラなのでやめるべきだが、そりゃ対象が障害者でなくても同じこと)

社会性の障害、コミュニケーションの障害部分、二次障害部分への配慮をしようとすると、どうしても人的リソースを必要とする。

 

「ある人(Aさんとしておこう)が発達障害の特性のため傷つきやすい」ということに職場が配慮することを考えてみよう。

Aさんがどういう場面で傷つくか?が職場全体に周知される必要が生じる。

Aさんが傷つくような場面を生じさせないように業務を割り振り、上司、他の社員に対してAさんへの接し方を指導し、言動の制御を求める必要がある。

非協力的な人に対しては説得するなり接触しないように働きかける必要も出てくる。

 

ここまで書いただけでも結構無理難題なのはおわかりいただけたと思うが実はまだ先がある。

 

(1)もしAさんが「笑い」に対してすべて「自分に対する嘲笑」というとらえ方をするために傷つきやすいとしたら?

そう、配慮するには職場のAさんから見える範囲から休憩時間も含め笑顔をなくしてしまうしか対策はない。

現実的にはお手上げだ。だれがそれを納得するのか?そりゃだれもしないだろう。 仮に納得したとしてもしそんなことしたら生産性もさがるだろう。

 

もう一ついってみよう。

(2)もしAさんが、休憩時間の同僚の雑談についていけないことに傷つくとしたら?

お手上げだ。休憩時間なんぞどうしようもない。

 

さらにもう一つ。

(3)もしAさんが自分自身がどういう場面で傷つくかということを認識していなかったら?

いつ何でAさんが傷つくのか周囲が予測することは不可能なので対策も立てられない。これではまるで地雷である。

 

ここで上げた「もしAさんが」の例は現実にしばしば見かけるものだ。「笑い=嘲笑」「雑談にはついて行けないといけない」といった誤学習の例でもある。

誤学習を掘り起こしてアプローチし誤学習を解消すれば問題そのものがなくなるが、企業は医療機関でも教育機関でも支援機関でもないのだからそこまでやる義務はないだろう。

誤学習由来の傷つきやすさは本人が意識していないことも多いので地雷のような面もある。こうなると理解や配慮のハードルは青天井だ。

 

正直なところ、誤学習が絡むと発達障害者同士でも理解も配慮もほぼ不可能であることは多々ある。

また、こだわりへの配慮も他者に影響が及ばない範囲でしかできないし、自他区分の問題からくる被害感なんてのには配慮しようがない。

 

相手の前にできるハードル

数行前に「ハードル」という言葉が出てきたのでお気づきの方もいるかもしれないが、あるASD当事者の社会的な障害部分に配慮しようとすると、往々にして相対する人の前にかなり高いハードルが生じる。

対人状況において、なんらかのハードルが生じることはどんな人間同士の関わりでもあるので、人に会うとき初対面で緊張するとか、上の立場の人に会うと緊張するなんてのもこういった対人ハードルである。乗り越えるのにあまり難儀すぎなければ問題はないだろう。

挨拶や礼儀やマナーというのはこういった対人ハードルを下げる為にあるのかもしれない。

ただ、ハードルが高すぎたり、ハードルが地雷化していていつ出現するかわからないとなると、

「この人に関わるとあれこれしんどい」

とか

「この人に関わるとなにかとめんどう」

といって敬遠することになる。これはある意味自己防衛である。

対人関係において相手の前に生じる心理的障壁を下げるように努めるのと、上げるように努めるのと、どっちが受け入れやすいかといったらそりゃ前者だろう。

特に定型者にとっては発達障害者の思考を理解するだけでもかなりしんどい部分がある。 わかったところで気持ちがついて行かないといったことも起こりやすいのでいきおいハードルは高くなりやすい。

ある発達障害者に相対する人の前にできるハードルが異様に高くなってしまうような配慮の求め方をすれば、相対する人のほうが「重い障害者」になってしまう。

障害による問題が社会的な場面、対人場面で起こりやすい発達障害では、配慮の求め方によっては

「どっちが障害者?」

という現象が生じやすいといえるだろう。

周囲との関係性の成立に問題が生じる障害の場合、いたずらに周囲に配慮を求めることは「敬遠」というかたちでさらに周囲との関係性の成立を阻害することになってしまいかねない。

これから先、発達障害者を雇用する企業で人事担当者や直属の上司の胃に穴が開いたり 発達障害者がらみの合理的配慮訴訟なんてのがないことを祈るばかりだ。

相手の前にハードルを作らない戦略

さて、発達障害への理解・配慮を求めることが新たな敬遠を作り出しやすい部分に関しては、取るべきなのは新たな敬遠を作り出さない方法だろう。

そう、前述の「自力のアップでハードルを相対的に下げる」である。

料理から経験値のアップを考えてみる

だいたいさせればできるがさせねばできないことが多いのが人間というものだ。 調理技術なんてのもそういう面が大きい。

昨今、若い世代の調理技術というのは多いに下がっているようで、料理がろくにできない人なんざくさるほどいる。

まあ、昔と違ってそれでも外食・中食産業に金さえ払えば食事にありつけるし、調理関係のお助けグッズ、調理の楽な半調理食品も増えているので、料理が苦手な人の食事へのハードルを下げるのにそういったものが大いに役だっているわけだが、ジャガイモの皮をピーラーでしか剥けないと災害時に困りはしないかなあ?などと思ったりもする。

発達障害者でも料理が苦手という人は結構多いように思う。

ただ「やってないだけでは?」と思うケースも多い。

どうしても発達障害児者は興味関心の範囲がせまくなりやすいので積極的に料理の手伝いなどに引っ張り出さないとやれることが増えにくい面があるとは思う。

やらないからできるようにならないし工夫もしない、当然自信もつかない。成し遂げたという経験も少ないので自己肯定感も下がりやすい。自己肯定感が下がるとさらに物事にトライする意欲がしぼむ→(以下行頭に戻る)

という悪循環に陥っている人が多いように思うのだ。

料理以外でも、様々な面で同様の悪循環が生じてしまっているように思うことは多い。

将来につなげる支援とは

まず一冊の本を紹介しよう。

自閉症の子どもへのコミュニケーション指導―「関係」を育て「暮らし」を支援する (教育の課題にチャレンジ)

青山 新吾 明治図書出版 2005-03
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著者の青山新吾氏は岡山で通級指導等の特別支援教育に携わってこられた学校の先生である。

氏はこの本の中で、

周囲の人や物との関わりが増えることが自閉症児の自由度を上げると、 そして、そのためには親や教師との関係性が重要であるともいう。 さらに氏は日常を丁寧にすことの効用を挙げている

確かに、発達障害者でも特にASD者は他者との関わりを作る(=関係性を取り結ぶ)ということにかなりの困難を抱えている。 となれば、自力をアップして相対的にハードルを下げるための支援は、やはり他者との関係を取り結ぶことへの支援が重要になってくるだろう。

語彙や常識、定型者の発想などを学ぶといった学習部分もちろん重要だ。 そしてもう一つ、いろいろな当たり前のことに日々の生活の中で取り組んでいくといったこと、そして支援としてはその取り組みをサポートしていくことが結果的に周囲との関係をよくしていき、ひいては後々の生きる意欲を支える自己肯定感を揺るがないものとする経験となっていくという視点は非常に重要だと思う。

 

発達障害児者への支援のデザイン

発達障害児者の支援というのは自閉症児者のそのとき表出している欲求を満たすだけの表面的な配慮をすることではなく、困りごとや課題に当事者自らが取り組めるようにサポートしていくことなのだと思う。

発達障害者の声といえば「特性理解を」「特性に配慮を」というようなものが非常に多い。医者の中にもそういったことを主張するむきも多い。

だが、理解は相手がすることだ。理解したくない人もいるかもしれないし、理解が難しい人もいるだろう。 理解しても対応を拒否する人もいるかもしれない。

しゃべりたいことだけを一方的にしゃべるのを特性として理解し、周囲の側が対応するほうがいいとしてしまったら?

過剰に被害的なとらえ方をしがちなことに対してそれを特性として理解し、配慮したほうがいいとしてしまったら?

それは周囲の人の目の前にハードルを作るだけのことだ。

「しゃべるのを自分で止められないこと」や「周囲が見えにくくなること」

「つい被害的に捉えてしまうのを止められないこと」

などといった水面下の課題に発達障害児者自身が取り組めるよう支えるのが真の支援だろうと思うのだ。

いろいろ書いてきたが、発達障害児者の支援というのは、いたずらに一般の配慮義務を増やすよりも、ツールの利用、心身の調子を良い具合にもっていくことを含め、発達障害児者自身の課題への取り組みをサポートする方向性でデザインしていった方がよいように思う。

 

 



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