10月28日のNHKの「おはよう日本」で発達障害の特集があり、その中で「偏屈者宣言」なるものをした沖縄のADHDの精神科医、後藤健治氏が取り上げられたわけだが、その放送をきっかけに、
発達障害者はなぜ「身勝手」といわれなきゃいけないんだろう?
という疑問が私のアタマに渦巻くことになったのは前稿(発達障害者はなぜ「身勝手」といわれなきゃいけないんだろう?)で書いたところだ。
そこで、後藤氏のブログでご本人に直接尋ねてみたところ、氏の見解をご回答いただいたので紹介しておこう。
多数派は「お互い対立しない」ことだけを非常に重視して生きています。本当のことを言うよりも自分を主張するよりも優先していると私は観察しました。そういう多数派の価値観に照らすと、自分を平気で主張出来る発達障害が自分勝手であったり身勝手に見えたりするということだと思います。
文化の違いの問題というのが私の見方です。
(後藤氏のブログより引用)
後藤氏のブログの該当記事はこちら
かいつまんでしまえば、
後藤氏は発達障害者のわりと平気で「自分を主張する」という部分を取り上げて、多数派の衝突回避傾向から多数派に身勝手ととられると考えておられるようだ。
これはこれで現象の側面を的確に表したものであろうと私は思う。
しかし、しかし、しかし!!である。
珍しくも!当ブログで前稿に大量のコメントをいただいたこと、そしてそれが定型発達者の「衝突回避傾向」以外の部分を取り上げたものが大半であることなどから、少なくともアスペルガー症候群に関しては、「身勝手」(当然、「わがまま」とか「自分勝手」も含む)と定型発達者が思う現象は一つの要因によるものではなく、多岐にわたったものがその要因であると言えよう。
コメントを読んだり書籍を調べたりしていて、おぼろげながらわかってきたことはアスペルガー症候群者が「自分勝手」と言われる現象には次のようなものがあげられるのではないだろうか
・協調行動にかんするもの
・共感性に関するもの
・こだわりに関するもの
・アスペルガー症候群者の主張しかたに関するもの
・察することができないことによるもの
・(定型側の)感情のフィードバックをアスペルガー症候群者ができないことに伴うもの
・自分のために使う時間の多寡に関するもの
・定型側がアスペルガー症候群者の感情(感覚?)を理解できないことによる誤解的なもの
まだまだあるのかもしれない。
もうちょっと本質にせまるべきものもあるかもしれない。
どうやら「家族」など狭い人間関係で、この「身勝手」という問題は大きく浮き彫りになってくるようにも思う。
とにかく、やはりアスペルガー症候群者の行動を見る定型発達者側の心理というのが大きく関わっているように思えてならない。
まだまだ生の声が聞きたい
「アスペルガーのここがわがままだ!」
「こうしたら身勝手だと言われた」
というような話を知りたい。
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