「ASD児の子育てと療育 」カテゴリ記事一覧


発達障害児に向き合う方法を先祖伝来?の知恵から考えてみる

母親の実家伝来?らしき「むずかしい子の対応シリーズ」があるのを思い出した。


「むずかしい子にはちゃんと説明しろ」
「むずかしい子ほどよく話を聞け」
「むずかしい子は外でよく遊ばせろ」
「むずかしい子から話を聞くには手仕事させろ」



母の実家の家系は「むずかしい子」が高確率で出るようだから(変人揃いともいうが…)まあ対応策があっても不思議はない。



今風に言ってしまえば「発達障害児に向き合う知恵」だろう。


息子が小さい頃に母や叔母などから幾度となく聞いたものだが、結構役に立った。
そして思い起こすに、私自身がこのスタイルで育てられてきた。


「むずかしい子シリーズ」はもう一つ、親の心構えバージョンがある。


「あんた、この子はむずかしい子だから大事に育てなきゃいかんよ~」


というアドバイスもしばしば聞かされた。


「まあ、大事にそだてりゃなんとかなるわな~」


ってなところに落ち着けるのでいちいち不安になることもなかった。




ちょっと具体的に説明してみよう。


予防接種に幼児を連れて行く時、「痛くないよ~」と言うというのはよく使われる手らしいが、これは自閉症児には御法度だと言われることの1つ。


ではどうすればいいか?


自閉っ子でも2歳児になれば「目の前にいる人が真剣か?」はわかるもの。だから予防注射のときに「必要なんだ」ということをガッチリ説明する。
ごまかさずに「痛いけど病気を防ぐには必要」と説明する。

他者の感情がわかりにくいからこそ自閉っ子にはごまかさない説明がより重要なんだと思う。


ちなみにうちの娘も息子も予防接種はこの手を使った。
そしてこの手は結構応用がきく。


親がごまかし、いろんなことを説明なしに押し通すと自閉っ子は「物事は押し通されるもの」「自分の考えは伝えてはいけないもの」と学習し、これが親子間の問題の始まりになるのではないかと思う。


なあに、面倒な説明をいつまでも毎度やらなきゃいけないわけではない。


自閉っ子も成長する。幼児期を説明しまくりでがんばれば、ちゃんと「ものごといろんな事情があるんだな」を学習する。
そして「理由を聞いてみよう」とか「自分で考えて見る」という行動がとれるようになる。


自閉っ子幼児への言語的な関わりかたで重要なのは時期に応じて

「ごまかさずに説明」
「選択させ意思表示させる」
「説明させる、質問させる」

をやっていくことなんだろうなと思う。



残りの部分だが、

「むずかしい子外でよく遊ばせろ」

はからだ作りの部分だろうし、

「むずかしい子から話を聞くには手仕事をさせろ」

などは、「つい身構えてしまう」のを防ぐ効果があるのだと思う。

豆ご飯の豆をむいたり、インゲンのスジを取ったり、すり鉢をおさえる役をしたりしながら話をすると不思議とボツボツ話し始めてくれる。
小学校であったことを訊いてもなかなか話してくれない息子とコミュニケーションをとるためにはとても役に立った。


ちなみに、この「むずかしい子シリーズ」出所は定かではない。
母にきいても叔母に訊いても「おばあさんがそういってた」としかわからない。

いわゆるおばあちゃんの知恵なのだろうが、結構役に立ったので
もしかしたら役立つケースがあるかもと思い公開させていただくことにした。



<本稿終わり>


上記は数日前にツイッターでつぶやいたものを再編したものです。




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療育は諸刃の刃?-療育と定形発達の親御さんにおける子の障害受容-

なんか過激なタイトルだ。


このところ、高機能自閉圏児の療育関連を調べていて、ふと思ってしまったのだ。


高機能自閉圏児の療育って、親(定型発達の)における児の障害の受容を遅らせる(滞らせる)要因になる危険があるかもなあ…と。


で、ツィッターでブツブツつぶやいていたことをまとめてみた。


決して私は高機能自閉圏児の療育を否定する考えではない。
むしろ、療育は必要なものだと考えている。


家庭での療育、各種機関での療育、いろいろあろうが、子の自閉的特質を理解し、その特質を受容し、子の持つ特質に無理のない形で、自分自身や社会との折り合いの付け方を教えていくことは、将来社会へ出るときに役に立たないとは思わない。



我が娘、ミチャポンも今年度一年の予定で、月一回の個別療育に通っている。

但し目的は定形の親御さんが考えるものとは大きく異なるだとう。

わが家は総員自閉圏なのでミチャポンがそのままでいるのは
至って自然である。だが、就学にあたって、集団行動の際に問題と
なりうるような「特徴・特質」をできるだけ明文化しておく必要がある。
総員自閉圏だと、どうしてもこの辺が甘くなる。
このため、客観的な第三者から見たミチャポンの特徴(特質)
情報というものを収集しておきたい。

実は目的はこれだけなのである。
だからちょっとわが家の話しは外しておこう。




さて、定形の親御さんにしてみても、「将来社会にでて困らないように」
「学校に入って困らないように」という思いはあるだろう。


療育のスタートはどちらさまも

「我が子の将来のために何かしてやれることはないか」

であると思う。


言ってみれば「愛」だ。
それはまず間違いないだろう。


だが、そこに落とし穴があると思うのだ。


特に親との対人的なやりとりが難しい状態から療育を開始する場合、


療育を開始する
 ↓
子が、表面的にある程度やりとりの仕方を学習する。
 ↓
親側のコミュニケーション欲求が満たされる。
 ↓
親側に「もっと普通の子と同様にできるのでは」という期待が高まる
 ↓
子に対し無意識に「もっと普通に」を要求してしまう。


このような経緯をたどることも充分あり得るのではないかと思う。


障害の受容から療育をスタートしたはずが、なぜか障害の受容に関して一歩後退してしまう。すなわち子の自閉児としての側面から目を背けてしまうということが高機能自閉児の親の場合起こりやすいと思うのだ。


療育によって、社会的に対応できる幅が大きくなるのはいいことだけど、そうした場合にあっても、


自閉児は自閉児なりの内面の葛藤を抱えているし、
自閉児なりの思考様式はある。



そのことを定型の親が無視してしまいやすい。


知的障害があったり、肢体不自由だったりするのと違い、表面的には非常に見えにくい障害なだけに、このような受容の逆行が起こりやすいのだとも考える。


もちろん、障害の受容はまっすぐに進むわけはない、スパイラルで進むと考えられるが、、療育の「成功」で親の「普通」指向が強まり、


「一見普通の子」


であることを家庭でも高水準で要求されてしまうと、自閉圏児の家庭での居場所がなくなってしまうように思うのだ。



高機能自閉圏児は意外に感受性が強い。
親の無言の要求すらもしっかり感じ取る。


親の「普通に」の要求が強くなれば、


過剰適応状態に陥ったり、
子は内心「普通でない自分」を責めたり、否定的に捉えがちになったり



というようなリスクが増大するのではと思う。


これは特性理解が不十分だから…などという気は毛頭ない。
子の特性を頭で理解していても、定形の親には定型発達者的「感覚」があり「ついうれしくなって」ということもある。


だからこそ、療育にあたっては、上記のような逆行のリスクをしっかり意識して、特にSST系療育においては過剰適応にならないように注意しておかないと、療育の一過的な成功が、必ずしも子の将来の役立たなくなってしまう可能性があるのではないかと私は危惧する。


私の危惧が全くの杞憂であることを祈ってこの稿を終わりにする。



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考えすぎ…
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自閉っ子むけの視覚型算数教材を制作中

療育の記事で学習について大いにわめていてたのに具体策はないのかと思われる方もいただろう。



で、今日はその関連で少々。



さて実は、来年あたまからとある小学1年生の高機能自閉症児の個人指導(学習)を請け負うことになった。ま、要するに生徒一名の小規模な塾である。


で、私に何ができるのか、どうやったら理解しやすいのかということを考えていたら視覚型教材というのにぶちあたった。



視覚優位の自閉っ子には、算数の概念などは視覚的に教えた方が、ピンと来やすいのではないだろうか、というわけだ。



具体的には絵カードやアニメーションである。



都合のいい教材がないかとWEBを探し回ったが意外にない。
特に概念学習向けのものは見あたらない。
練習用の問題ドリルは多いのに…




こういう時の私は単純である。



なければ作ってしまおう!


である。



ま、ミチャポンにも試してみたいというのもあり、作っておいて損はないというわけで、さっそく「フラッシュメーカー」というソフトを購入。フラッシュアニメーションを簡単に作れるソフトだ。






これが意外に手軽にアニメーションを作成できる!
結構作業にはまってしまう。


というわけで、11月半ばからコソコソと?フラッシュアニメーションの教材を作っている。
対象は幼児~小学校1年くらい。


作ったのは全部WEB上においてある。URLは下記。
http://www.maminyan.com/shido/flash01.html


該当年齢のお子さんをお持ちの方、ぜひご覧になって感想などをお聞かせいただきたい
もちろん自閉っ子以外でも使えると思いますよ。



ついでに視線移動の訓練用のフラッシュも作っておいてあるので、よろしかったらそちらもどうぞ。


あっと、これは指導法で、特に視覚型ではないけど、徹底的にスモールステップに分解してあるので、自閉さん向けといえば自閉さん向けかもというのがありました(昔、息子に教えるのに使った方法をまとめたもの)
【くり下がりのある引き算の練習段階】










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アスペルガー児の療育について考える(10)

  <アスペルガー児の療育について考える シリーズ>
  前回までの記事はこちら
  第1回 第2回 第3回 第4回 第5回
  第6回 第7回 第8回 第9回 



さて反響の少なさにめげずにシリーズを続けてきたが(しつこい>自分)、やっと今日で終わりである。




<まとめ>



これまでしつこく9回も療育について書いてきたわけだが、そろそろネタも尽きてきたので、ここらで一旦まとめてみることにする。


はじめに立ち戻ると、この記事を書くきっかけになったのはriemitさんの「幼児期の療育は必要か」という問題提起であった。



数多くの書籍には確かに「早期の療育開始が大事である」と書いてある。
「ミチャポンのアスペルガー疑惑その2」のコメントでいただいた、riemitさんの指摘、

『「幼児期に診断して療育を開始しないと大変なことになる」的な表現を良く見かける』

は確かにその通りであろう。


そして書籍中には療育機関での療育の姿のみがクローズアップされているのも確かである。


だが、現実問題として、療育機関で適切な療育を受けられる環境にある場合は少ない。
生活する中、書籍等を頼りに家庭を中心として手探りで療育をする以外に道はない。


そんな中で、書籍中で療育機関によらねばできないような療育の例ばかりを出されても、それは療育する側の傲慢ではないだろうか思えてくる。


しかし本を書く側(即ち療育機関で療育する側)にとっては療育機関に来る子供の姿を主に見ているのだからそれはそれで仕方のない部分でもあるのだ。
それを批判していてもはじまらない。


書籍も含め、発達障害に関する環境は過渡期である。あちらこちらに齟齬はいくらもある。
そういった枝葉の問題にとらわれて大事な問題を見失ってはならないと私は思う。


それは、

「療育」というものが本当に必要であるか?
どういった「療育」が本当に必要とされるのか?



という問題である。


それも、アスペルガー者側の論理で必要であるかが重要だ。
アスペルガー児が大人になってアスペルガー者として生き抜いていくのに必要であるかどうかの実がところ問題なのだ。


よくありがちな親の側の「普通であって欲しい」という願いのために必要であるかどうかはこの際どうでもいいことだ。


(悪いが断言させてもらう、それだけ生きるのに必死こかなきゃならないのだ)



一貫してそうういった観点からこのシリーズを書いてきたが、私の結論を言うのであれば、前までの記事でさんざ書いたように「必要」である。


生き抜いていくための技術は必要だ!



しかしここでさらに難問にぶつかる。


現状、アスペルガー児の療育プログラムの殆どが定型発達の支援者によって作られている。


これではよかれと思ってした「療育」がアスペルガー児にとって「過剰な負担」や「余計なお世話」にしかならないことも十分あり得るのだ。


なにしろ定型発達者とアスペルガー者ではかなり感じ方も考え方も違う。


そこで今後の療育のあり方を考える上で是非取り入れて欲しいのが、成人アスペルガー者の感じ方や考え方を聴取しての療育方法へのフィードバックである。


定型発達の支援者とアスペルガー当事者が手を携えて療育というものを作っていけたら、今後、育ち続ける、そして生まれ続けるであろうアスペルガー児にとって大きな福音とはなりはしないだろうか。



と、遠大なのぞみを描いたところで、このシリーズ、終わりにさせていただきます。



なお、今回のシリーズ、徹底してアスペルガー者の立場から書きたかったので、定型発達の親御さんへのへの配慮は殆どゼロになっております。この点、批判・非難等々あるかと思いますが、そういったものも是非どんどんコメント下さい。
またそのご意見から何か見つかるかもしれません!



<おまけ>
分割して出してましたが、実は10記事書くのに要した時間は約10時間でした。これをアスペルガーの過集中っつうのね。







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アスペルガー児の療育について考える(9)

  <アスペルガー児の療育について考える シリーズ>
  前回までの記事はこちら
  第1回 第2回 第3回 第4回 第5回
  第6回 第7回 第8回 



やっと眼鏡が出来てきた。これでイライラせずにパソコンに向かえる。
しかし、もうこのシリーズ大詰めに近づいてしまった。
それにしても、今回は長くなった。



<学童期の療育>


ちょっと戻るようだが、学童期の療育について考える。



で、いきなりであるがちょっと脱線する。


ここ数ヶ月、実は某病院のグループワークに参加しているが、大体どの回もオブザーバーと称して保健所やら何やらの職員が同席している。

要はアスペルガー症候群者というものの実態を見に来ているわけだから、これがどういうことかと言えば、とりもなおさず、発達障害に関する世間の認知はまだまだであるということの表れである。

学校関係者についてもほぼ同様なことが言えるだろう。

特別支援教育の枠組みができたところで、現場の教師のアスペルガー症候群に関する知識が急激に増えるわけもなく、なにやらアスペルガーという「怪しい」存在を受け入れなくてはならないという負担の方が大きくのしかかっているような状態だろう。


実際、教師向けのアスペルガー症候群に関する本もまだまだ少ないし、娘の保育所の先生などでも結構誤解していることが多いのだから(大いなる誤解の記事はこちら)、学校とて同じであることはほぼ間違いないだろう。


運良く相当勉強家の教師にでも当たらない限り、それなりに親の側からのアプローチが必要だということだろう。




さて、のっけから脱線してしまったが、学童期の療育に話を戻す。



学童期の療育の大きな目標は、なんと言っても「6年間学校に通う」ことだろう。



ではどういった点で問題が起こることが予測されるかというと、


1つは二つ前の記事で書いた学習面、これはもう既に書いたので本稿では触れない。
もう一つは、周囲の子供達といかにうまくやっていくかである。
これはもっとぶっちゃけて言ってしまえば「いじめの防止」である。


とにかくこの年代、アスペルガー児はいじめのターゲットになりやすい。


深刻なPTSDや対人不信の原因となるケースも多々あるので、この問題はとても重要だ。


かくいう私もン十年前、かなりひどいいじめにあっている。
小学校2年生から6年生まで間断なくつづくいじめに相当参った。
結果、一度は自殺未遂などというものをしてしまった。(その後生への執着が強くなったので一度でやめましたけどね、それにしてもいじめ自殺第1号にならなくてよかった)

ついでに息子については診断が下っていなかったけれど、いじめのターゲットになりやすそうだということは自分の例からわかっていたので、相当気をつけてはいたが、やはり多少のいじめにはあってしまった。これに関しては、もっと介入すればよかったと結構後悔…。


さて、アスペルガーに対する認知が広まれば、いじめはなくなるかというと、そこは子供同士のこと、あまり期待はできないだろう。違和感のあるものを排除しようとすることは十分あり得るし、定型の子供にとってはアスペ児の素のままの行動に腹が立つことも多いはずだ。


そこで療育の登場となるわけだが、定型の子供達とうまくやっていくためのソーシャルスキルをつけてやることが必要になってくる。


だが気をつけなければならないのは、完璧はあり得ないということ。そして、ソーシャルスキルを身につけるという負担が生じるということである。


ごく自然に振る舞って、たいして問題を起こさない定型発達児と比較すれば明かであるが、過度のソーシャルスキルの「療育」は子供にとって負担ともなりやすいだろう。「周囲との違い」をなぜそんなにも意識させなければならないのかという理不尽さもある。


「周囲とうまくいく」だけを目標にすれば、そういったところへの配慮がどうしても薄くなってしまうだろう。


私の小学生時代を振り返って考えると、当時ソーシャルスキルをたたき込まれたとしたら、たぶん、「なぜ私だけ!」という感覚をもったと思う。


コミュニケーション欲求がさして高くない場合、本人はスキルを必要としていないというケースも多々あるだろう。そこに強引にトレーニングをすれば、当然反発も強くなる。」

幼児期からみれば安定してくるのではあるが、小学生はまだ子供である。
小学生にどれだけのソーシャルを教え込むのが適当なのかは悩むところだ。


ソーシャルスキルについてはアスペルガー児の負担にならない程度の「そこそこ」を目標にもってきて、あとは早期介入でいじめなどの重大な被害を防止するといった方が得策かもしれない。


さて、不運にもいじめにあってしまったらという点について一応触れておく。


親御さんに絶対やめて欲しい態度は

「あなたが悪いのでは」と非難すること
「なんでうちの子だけいじめられるの」…と、くよくよ泣くこと

なんの効果もなく、療育的でないことこの上ない。
子供はかえって居場所をなくしてしまうことになる。


(実は私の母がやってくれた…)


やれることは、できるだけ早期に介入し、教師と連携していじめの芽を摘んで回ること。場合によっては学校にたいして強硬な態度をとることも辞してはならないだろう。


(実は父がこの手合い…強硬なクチ…だったので私は助かった…)


である。



ともあれ、いじめの問題に学習の問題と、アスペ児の小学校時代はなかなか多難なものである。


幼児期の派手な不適応行動がある程度おさまるので、どうしても親も気がゆるんでしまいがちな時期だが、学校などへの交渉なども含めて療育はまだまだ必要…というより、幼児期以上に注意して療育する必要がある時期だと言えるだろう。



<おまけ>


…と、結論までもってきたところで、話をもう一度蒸し返す。

アメリカなどでは学校に通うことをせず、ホームスクーリングで学習するという選択肢もあるようだ。

いじめなどの問題などからとりわけリスクの多い年代である。学校という選択肢をとらないことによって無理なSSTを強いたりせず、学習に専念できるのなら、それもまた1つの選択肢として用意しておいた方がいいのかもしれない。

もっとも難しい同世代間のソーシャルスキルは後で…という方が、子供にとっては負担が少ないようにも思う。


<おまけのおまけ>


できれば私は学校に行きたくなかった。

いじめしか待つもののない小学校へ通わねばならなかった意味はいまだに見いだせていない。(そりゃ、ま、おかげさまで定型発達者の心理・行動パターンには詳しくなりましたが、払った対価が高すぎたわ~)


<つづく>






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アスペルガー児の療育について考える(8)

  <アスペルガー児の療育について考える シリーズ>
  前回までの記事はこちら
  第1回 第2回 第3回 第4回 第5回
  第6回 第7回 


いくら偏屈な著者でも多少は反響を気にする。
拍手がちらほら増えるのにコメントがあまりない不思議を感じるわけだ。
(と、コメントを暗に要請してみよう…ん、これじゃ暗にじゃないか…)



<思春期から青年期の療育>

仮にそれまでの療育が比較的うまくいっていたにせよ、課題はまだまだある。
とりあえず思いつく主なものを挙げると次のようなところだ。


1二次障害の防止

2一般常識の再確認

3適切な自己表現技術の習得

4自分の特徴をしっかりと知ること


まだまだあるかもしれない。


1は最重要課題だろう。特に周囲との関係からも二次障害を起こしやすい年齢である。
周囲との関係調整の手段(ソーシャルスキル)を教えるほか、適切な医療やカウンセリングなどの手段を利用して、徹底的に防止すべきである。

ちなみに、私は、ソーシャルスキルを教える年齢として、思春期がもっとも適当なのではないかと感じている。学童期には定型発達者との差異を理解するのが困難であったりする上に、本人の環境による混乱が強いためである。このため、学童期に教えるのは必要最低限の(つまり人に迷惑をかけない最低限の)ソーシャルスキルだけにして、それ以上のものは定型発達者との差違の理解ができる年齢になってからの方が、自閉者の精神には優しいのではないかと思う。


2は意外かもしれないが、結構重要だと私は思う。

意外なことに抜け落ちがあるものである。「言われたからやっている」的なものを「主体的にできる」ようにしていく必要がある。面倒なことではあるが、それにはいちいち理屈立てた説明が必要になってくる。

例えば、いわゆるホウレンソウ:報告・連絡・相談であるが、これができていない場合が多いのではないかということだ。なぜ必要なのか、意外にわかっていない可能性は高いと思う。


(実は息子がそうだった。「連絡」をなぜしなければいけないのかまるでわかっていなかった。で、このあいだとっくり話し合ったもんね…ってだけじゃないんですけどね…ま、そのへんはまたうまく説明できるようになってから)


3は社会に出て行く上でとりわけ重要である。
が、アスペルガー児にとっては自然には身につきにくいものである。アサーティブトレーニング(※末尾に説明)などを通して身につけていく必要があるだろう。


(とはいえ、一般のアサーティブトレーニングがそのまま流用できるかと言えば、ちょっと怪しい。やはりこれもアスペルガー者向けにアレンジする必要があるだろう、多分アサーティブ以前の問題で詰まっている例は多いだろうから)


4自分の脳みその苦手や得意を意識化して、しっかり利用or自分にフィードバックできるようにしておかないと、何かとストレスが増えてしまう。ひいては二次障害の原因ともなりやすいものなので是非とも押さえておかなくてはならないだろう。


さて、うちはちょうど息子がこの年代だが、まあ、課題は山積しているといった印象をぬぐえない。が、年齢も年齢である。小学生時代と違って親の多すぎる介入は本人の反発も招きやすい。


反発があるのは成長の証拠とばかりも喜んでいられないくらい課題があるので、この年代、家族によるものだけでなく、適切な第三者による介入があることがより望ましいのではないかと思う。


そういった意味で服薬などの医療の他に、自助活動でのピア・カウンセリング、医療機関によるグループワーク、ソーシャルスキルの講習などがあれば利用価値は大きいものと思う。


【用語解説】アサーティブトレーニング
アサーティブネストレーニング、アサーショントレーニングとも。攻撃的でもなく、受動的(非主張的)でもない「適切な自己主張」(アサーション)の仕方を学ぶトレーニング。アメリカで発祥。



<つづく>







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アスペルガー児の療育について考える(7)

  <アスペルガー児の療育について考える シリーズ>
  前回までの記事はこちら
  第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回



夕方、眼鏡が壊れた。眼鏡屋に行ったら乱視の度が進んでいてレンズが特注で一週間かかると…。眼鏡なしに耐えきれず壊れたフレームをガムテープで緊急補修してアップ作業。
はっきり言って情けない姿だ。




<アスペルガー児の学習について>


さて、アスペ児の学習について考えてみる。


療育というとどうしてもコミュニケーション面がクローズアップされてしまうが、生きて稼いでいくための基礎を作るということを考えると、教科学習というのは実は療育の上で外せない項目のはずである。


にもかかわらず、これに触れたものは多くない。
ではそんなに考える必要のないことなのかというとそうではないだろう。


さて、小学校教育に注目してみると、現状の教科書はどの教科も理屈屋のアスペルガー児にとってはもの足りないことこの上ない。


…というのは、今の教科書は授業での参加型学習を前提に作られているのである。


端的にいってしまえば学習のとっかかりが書いてあるに過ぎず、授業に「参加」しなければ結論がなかなか見えない形になっているのだ。もっといってしまえば、教科書を読んで自学することができない教科書なのだ。


それで教科書といえるのかということはさておいて、このことはアスペルガー児にとってはかなり厳しいものがある。


注意集中などの力の関係で集団授業に参加すること自体が困難を伴う上、教科書もアスペルガー向きでないとなると、学習に困難が伴うという現象が起こりうる可能性は十分にある。


教科書が今のようになったのは、ゆとり路線以降であるが、昔より今の方がアスペルガー児にとっては教科学習に困難を伴いやすくなっているというのは事実だろう。


定型発達児にとっては参加型の授業も悪くないのかもしれないが、アスペ児の立場から見れば全く逆の構図が見えてくる。



「興味関心の名の下に見通しのつきにくい授業に参加させられ」
「考えることが重要とばかりに結論を委ねられ」
「なんの意味があるかわからないグループ学習をさせられ」
「教科書を熟読しても何をどう学習してよいのかわかりにくい」



ということになる。
はっきり言って最低!である。


アスペルガー児にとって苦手なことの連続である。これで学校の学習が楽しくなるはずもないだろう。


実際、小学校のうちは、何度もこういったことから息子の学習がずっこけそうになり要所要所で私がフォローを入れている。私に塾講師や家庭教師の経験があったからできたようなものの、これが普通の親だったらフォローできるかというと難しいだろう。


「教科書をしっかり読んで勉強しなさい」というセリフが成立しないご時世なのである。


さらに悪いのが「総合学習」という奴だ。
これはまさにアスペルガーの敵とも言える教科だろう。


「グループで何をテーマにするか話し合い」
「話し合って分担して調べ物などをして」
「これまたグループで話し合って発表方法などを決め」
「みんなでだした結論を発表しあう」



というステップである。


定型の子にとってはそれなりに、ワイワイやれて楽しく、やりがいがある教科かもしれないし、コミュニケーション能力を伸ばすのに適当なものなのかもしれないが、アスペルガー児にとってはハードルが高い。


アスペルガーの子にとって好みのテーマであればまだいいが、そうでなければなんの意義も見いだせず、全く楽しめない授業である。


実際、うちの息子などは総合学習が大嫌いである。


曰く
「なんで総合学習なんてあるのかわからない、めんどくさいだけ」
だそうだ(小学生当時の発言)



まとめてみると、


・集団授業への適応の問題

・昨今の授業スタイルの問題

・昨今の教科書の問題

・総合学習という教科の問題



などの関係で、アスペルガー児の場合では各教科学習が好きな子であっても、学校の授業は好きではなく、ついて行きにくいという現象が起こりうるのだ。そしてその確率は高いであろうと思われる。


(当然、評価にも影響する。だが、小学校の間は(テストの点はまあいいが)学校での「評価」をあげようと躍起になることは避けた方が賢明だろう。なにせ、「興味・関心」なんてものが評価対象になっているのだ。もともと興味関心の幅の狭いアスペ児にとってはこれをまんべんなくクリアすることなどできようはずもない。)


さて、対策としては、学校側に個別対応を求めたり、必要な加配を要請することが必要になってくる。また、場合によっては塾や家庭教師の利用というのも1つの手段となりうるだろう。


(はっきり言って、塾の方が、算数・国語・理科・社会などの教科学習ということに関しては構造化された授業を提供してくれる)


結論をいえば、

学習関連の療育環境を親の側から積極的に確保していく必要がある。

ということである。





さて、次回は思春期から青年期にかけての療育について考えてみよう。

<つづく>





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アスペルガー児の療育について考える(6)

 <アスペルガー児の療育について考える>
 前回までの記事はこちら↓
 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回




今回の話からちょっと中身が過激化する…。




<療育の目標と現状について再び>



今回は療育の目標ということについて考えてみよう。


親(特に定型発達の)の考えることはいろいろあるようだ。


「何とか他の子と同じようにできるように…」
「あのパニックさえ起こさなければ…」
「もうちょっとガマンのできる子に…」
「お友達との問題がおこらないように…」
「もうちょっと普通の親子をしたい…」
「こんなに振り回されるのはたまらない…」
「お友達と仲良く遊んで欲しい」


まあ、いろいろあるだろうが、特に定型の親御さんが、アスペルガー児の子育て中、余裕をなくしているとつい長期的な目標を見失ってしまいがちなのは想像に難くない。


しかしここでアスペルガー児の生涯のQOL(生活の質)”だけ”を考えて療育の目標を設定するならば次のように設定できるのではないだろうか。




1 自活できるだけの能力・技能を身につけ

2 二次障害を起こさずに生涯を過ごし

3 自分で自分の環境などの調整ができるようにする

4 定型社会から排除されないで生きていけるようにする



これははっきり言って自閉者の側からしか考えていない。
親(特に定型発達者の)の気分は…悪いけどここでは無視だ。


さて、それぞれについて考えていこう。


1はまあ定型発達の子供の場合でも同じである。ただ、これ自体、認知面の問題などもあり、定型発達者のようにはいかないのでフォローが必要だろう。


2はかなり深刻な問題である。アスペルガー者の多くが思春期から青年期にかけて「うつ」や解離性障害などを起こしたりするようだ。またいじめの問題にぶち当たるケースも多く、PTSDやパーソナリティ障害を発症するケースもある。当然ないに越したことはない。


3だが、感覚過敏など自分でなかなか気づかないでイライラしたりしていたりすることも多い。逆に身体の感覚が鈍い場合もある。こだわりという名の「好み」も激しい。これらのコントロールがうまくできないとストレスの元になる。自分の感覚や特性についてしっかり自覚し、自分にフィードバックできるようにしていく必要がある。また、自分の苦手を知って対処法を確立しておく必要もあるだろう。


4もまたかなり深刻だ。社会生活を送るうえでなにかと誤解されやすいアスペルガー者である。単に表情が少ないだけでも誤解される。なにかと敵も作りやすい。なんだかんだで学校社会でいじめにあったり、実社会に出ても職場に居づらくなる例は多いし、リストラのターゲットにもなりやすい。そんなことになっては経済的自立もままならないというわけで、是非とも何とかしなければならない問題だ。


これについて「発達障害に関する理解の輪を広げよう」的な活動はそこここで広がりつつある。しかし、アスペルガー者の周りを全て理解ある人だけで固めるというのはいかにも不自然であるし、そんなことは現実的ではない。世の中善意だけで動いているのではないし、善意がかえって差別に結びつくことも少なくない。


この手の活動に熱心な人からは「そんなに周りが信用できないのか?」という声が聞こえてきそうだが、社会全体隅々までに理解が広がるまで待ってはいられないのだ。


となると、定型社会で無用な排除(と、それに伴う不利益)を受けないようにするための知識と技術(定型発達者の特性を知りそれに配慮する方法)は持っていた方がいいだろう。




このように考えていくと、療育というのは最低限就職するような年齢になるまでは必要ということになるだろう。


現状に目を戻すと、こういったニーズがありながらどれだけに対応できているのだろうかというとあまりに貧弱である。


特別支援教育制度がスタートしたとはいえ、発達障害自体の認知がまだまだの段階である。とても十分な療育をうけて育つ環境ができているとは言い難い。


早急な制度(と、内容!)の拡充を望むが、望んでいる間にも子供は成長していく。悩ましい問題だ。



<つづく>




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アスペルガー児の療育について考える(5)

  これまでの記事はこちら 
  第1回 第2回 第3回 第4回


お待たせしました第5回です。



<幼児期の療育の必要性を考える その4>




今回は母子アスペのケースについて「療育」の必要性を考えてみる。


このブログのプロフィールを見てもらえばおわかりの通り、我が家は息子と私のことを考えただけでも典型的な母子アスペである。


さて、息子が小さい頃のことを思い起こすと、ちょっと周囲とはなじみにくいかなと思うものの、幼稚園時代を何事もなく過ごし、小学校へと入学した。


ことばはかなり遅かったものの、幼児期、学齢期初期(小学校低学年まで)にとりたてて問題となるような行動はなかったのだ。


常同行動やアスペ特有のこだわりも、今思うになかったとは言えないが(ミチャポン程度はこだわりがあった)、私にとってさして不自然に思えなかったので、特に気にならなかった。


また、私がする行動・対応・説明や環境が息子にとってはいたってわかりやすかったのだろうか、パニックを起こすことも少なく(ないとは言えないが、それは元夫のDVがらみなので特殊ケースであるのでここでは論じない)非常におちついていた。(かんしゃくなどはミチャポンの方がずっと激しい…)


もしも当時息子がアスペルガーであることがわかっていたら今あるような「療育」を必要としたろうか?と考えると、私は否定的にならざるを得ない。


「かんたんにはパニックを起こさず」、「がまんすべきところはがまんでき」、「人の話をある程度きくことができる」ことに問題がない以上、そのための療育を受けることは本人にとってメリットがあろうわけもない。


私の側から考えてもやはり療育のメリットはない。障害の受容に関して、何らの感情的な抵抗もなく、定型の親御さんと共感できるわけもなくというのであれば、あとは療育の知識であるが、これとて障害特性上感情の入り込む余地がないので書籍で十分である。


となると、当時診断がつき、「療育というもの」が受けられる環境があったとしても、療育は受ける必要がないと判断し、受けなかっただろうと思うのだ。


話を一般的なものに戻す。


よそ様のブログで親子アスペ(特に母子アスペ)の例を読むことがある。
そこにあるのはやはり比較的安定した姿が多いようである。
特に幼児期にあまり問題を感じない例は多い。
(違和感ないので発見が遅れるということすらあるくらい…うちもか(爆))


生活の構造化などは母親がアスペルガー者である場合、ごく当たり前にやっている事も多いだろう。それはそうでなくては生活が成り立たないことによる生活の知恵であるが、それだけで十分療育的なことも多いだろう。


それで子供の状態が安定している場合、なにも限定性の強い公的あるいは民間の「療育(システム)」をわざわざ利用する必要などないのではないのかと思うのだ。


しかしそれは療育そのものを無用のものとして捨てるというのではない。さらに進んだ療育に家庭で取り組んだ方がいいということに過ぎないと思う。


なにせ幼児期から学童期にかけて、子供には集団生活と集団学習という難物がひかえているのだから。その準備をしておくに越したことはないだろう。


勿論、子供の状態が安定していない場合、また、親の状態が安定していない場合は、「療育」を利用するのも一手だ。


特に子育て期にはアスペ親の側が疲れきってしまうことは十分あり得る。親の側のパニック解消・防止に「療育」の知恵、「療育」という時間が役立つことも十分あり得るのだ。ただ、それは子供の療育の問題というよりは、成人アスペルガーのライフサポートの部分に含まれるものだろうからここで深く突っ込むことはやめておく。


さて、しつこく4回も幼児期の療育の必要性について考えてきたわけであるが、これといって結論はない。強いて言うなら、現在の療育スタイルはTEACCH式の構造化主体なので、それを学ぶことによって子育てが楽になる例は多いだろうということくらいか。

私はTEACCH信奉者ではないがTEACCHの構造化のテクニックは学ぶべきところが多いと思う。



<おまけ>

ミチャポンがクロと出たら、一度「療育」に突っ込んでみたいんだよねえ…って、実は私が療育の現場を見てみたいだけ…かも。


=======


さて、次は療育の目標について考えてみることにする。
話が穏やかななのは今回まで…かもしれない。





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アスペルガー児の療育について考える(4)

 アスペルガー児の療育について考える
 前回までのきじはこちら
 第1回  第2回  第3回


さて、反響がないのを多少気にしつつも、しつこくしつこく話はつづく。



<幼児期の療育の必要性を考える その3>

前回で話を幼児期の療育に絞ったが、さらに親が定型発達の場合に絞って考えることにする。


ミチャポンのアスペルガー疑惑その2でさんざん心理士に「冷静ですね~」と言われた話を書いたが、そのことはとりもなおさず、定型発達の親御さんにとっては、子供がアスペルガー症候群であるということは「冷静ではいられないこと」であるということを示している。


子供の態度に困り果て、悩んでいる親御さんは多い。

「なぜ他の子と同じにできないの」
「パニックにどうしていいかわからない」
「不適切な行動をどうなおせばいいのかわからない」

等々。

さて、こういったケースの場合、アスペルガー児の側から見れば
どうなるだろう。

『わけのわからない状況におかれることが多く』
『頼りにすべき人はおらず』
『情緒的に安定できない』

等々というような状況ではないだろうか?


これは親、子、双方にとって、好ましからざる状況なのは間違いない。


こうした事態を改善するのが療育なわけだが、週1回や2回の短時間の療育だけでこれを改善するのは至難の技である。


子供が生活する場は家庭である。
いかに家庭生活を改善するのかが問題となる。
すなわち、いかに家庭で療育をするのかというのが一番問題なのである。。


では週1回~2回のプログラムというものがまるで価値がないのだろうか?


否であると私は考える。


定型発達の親御さんにとっては「構造化」自体が自然なことではない。認知・行動学的な手法も特に学ばなければ知らないのが当たり前だ。


なんらかの機関での療育を受けることにより、親の側の意識を高め、療育に関する知識を増やすことは即ち家庭での療育に直結するだろう。


さらに、幼児期、療育に通うと言うことは、親御さん同士のネットワークを作ることになる。療育仲間とでも言ったらいいのだろうか、そういった仲間がいて、いろいろ障害について話し合うことができることは定型の親御さんの精神の安定に繋がり、ひいては子供の環境にも好影響を及ぼすだろう。また、親御さんが子供の障害を受容していくうえでもそういった仲間がいることは大きな助けになるだろう。


こういったことを考えていくとたとえ回数の少ない療育であっても、利用できるものは利用していった方がいいのではないかと思うわけだ。


だが現状、きわめて枠が限られていて、希望すれば全ての子が療育を受けられるわけではない。地域にもよるが、診断すらままならない環境に置かれている場合も少なくないはずだ。


これから、そういったことが改善されることを願ってやまない。


…と、これで終わりじゃないですよ。
次は母子アスペのケースについて考えてみようっと。

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