「アスペルガー者のための定型発達者研究 」カテゴリ記事一覧


定型発達者はなぜ「世間」「みんな」を根拠に主張するか その1

定型発達者は



「みんなそうなんだから…」
「世間一般ではそうなの」



という主張の仕方をしばしばする。


アスペルガー症候群者では、それに対し「???」と思った経験がある人は少なくないだろう。



特に親が定型発達者の場合、


「みんなそうなんだからそうしなさい」

的なことを言われて、「みんなって誰?」「世間って誰」と疑問に思い、




「みんなって誰のこと?」

とか、

「あなた(かーさん)がそう思うんでしょ」
とか

「それはあなた(かーさん)の押しつけでしょ」

などと口にして、



「減らず口をたたくんじゃない!」(怒)

とか、

「話題をそらさないの!!」(怒)



ってな目に遭遇することもままあるようだ。

(学校で教師も多用するような気がする。)



さて…


社会に出てもこれに類することは多々あるので、


「みんな」「世間」を根拠とする主張で不愉快な思いをした人は少なくないと思う。



しかし、定型発達者は、


アスペルガー症候群者が、「世間さま」とか「みんな」という主張の根拠がわからないということが「わからない」ようである。



結果、こういった「世間さま」を持ち出した論議になるとアスペルガー症候群者も不愉快、定型発達者も不愉快という、ドツボにはまる。



これは両方にとって得なことは何もない。



さて、なぜこんなことになるか考えてみる。



定型発達者の場合、他者と共感するシステムが脳に備わっているが為に、ある種「錯覚(あるいは幻想)」として「共通認識」が自動的に「想定」されてしまうようである。


まあ、とどのつまり、そういった「認知」の仕組みがあるとしか言いようがないのだが、



定型発達者は「世間さま=共通認識」という発想から自由ではないのだ。


それゆえ、


「世間一般」「みんな」に疑問をはさまれると、


定型発達者にとっては、それが

「”あるもの”と認知されてしまっている」

ものなだけに、


「減らず口」
とか
「話題のすり替え」


などと、悪いようにとってしまうのだ。


共同感という「心地よい錯覚」が崩されるので不安になるというのもあるかもしれない。



だから、アスペルガー症候群者のとれる対策としては、「世間では…」「みんな」という意見に対しては、少なくとも表面的には逆らわない方がいい。



定型発達者にとってはそれは「あるもの」なのだ。否定されて嬉しいはずがない。


そこんとこは理解してあげよう。



だからここは面従腹背大いに結構!ということで、乗り切るべきだろう。



ただ、とりあえず、服装や言葉遣いなどのTPOに関しては、乗っかっておいた方が無難である…ということも覚えておいたほうがいい。なぜなら、この世は定型発達者主導の社会なのだから。


それをわかった上で、外れるかどうかを選択をする方がアスペルガー症候群者にとっては精神衛生上いいだろう。


もちろん、法律の許す範囲内でということは言うまでもないが。



=========

ちなみに、定型発達者の共感のシステムに関しては、「ミラーニューロン」の発見を発端に、脳科学がかなり解き明かしつつあるようだ。

=========


最後に定型発達者の皆さんに向けて…


極力「世間」とか「みんな」を根拠にした主張はしないで欲しいと思うし、それを無理にわからせようとしないで欲しいと思う。

アスペルガー症候群者の方は理不尽と感じるだけなのだから。

「私は…」で主張してくれた方が、よっぽど分かりやすいのだ。


どうしても「多数派の考え」を理解して欲しい時には、

「こうやったら、こう思われることが多いと”私”は思う。」

とでも言ってくれた方がアスペルガー症候群者の反発が少ないだろう。


その2はこちら




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定型発達者的『謝罪』の分化と文化



謝ることのできないPDD当事者が多いという記事があった。


http://blog.livedoor.jp/ohanami_road/archives/51319556.html
(ベンボー提督亭/SILVER船長さん)


確かにそうかもしれないと思った。

印象に残ったのがこのくだり。引用しておく。


自閉症者はよく、ストレートな物言いをして相手を傷つける というのがありますが、

本人は、そのストレートな物言いのどこが悪いのかがわかりません。


それどころか、

「思ったことを、そのまま言ってなにが悪いんだろう?」

です。


★思ったことを、そのまま言ってなにが悪いの?

★相手だって、自分の気に障ることを言う場合があるのに、どうして自分ばかり責められるの?

★自分には、○○という理由がある。理由があるから謝らない。

ネットを通して、成人当事者何人かと関わってきましたが

謝れない当事者は少なくありませんでした。


こちらが怒った…ということを告げると、

「自分には、○○の理由があった!」

「そっちだって、こういうことがあっただろう!! (←逆切れ) 」

「これは、○○で、××だった。だからそちらが怒る理由にはならない」

「これは、△△が、××で… (←まったく別な次元の話しを持ってくる) 」

「自分は、○○な良いこともした。 (←これもまったく別な次元の話し) 」



この理由ばかりを先に羅列して、謝らない。

(これを、世間では 言い訳 と受け取ります)


http://blog.livedoor.jp/ohanami_road/archives/51319556.htmlより引用





では、本当にアスペルガー者は「謝る」ことが出来ないのか。
ちょっと「謝罪のルール」から考えてみよう。


1「悪いことをしたら謝る」
 これはまあ理解しやすいルールだ。

2「迷惑をかけたら謝る」
 これもまあ、ルールとして入りやすいかな。

  延長線上に「お手数かけてすいません」の意味の
  「すいません」も位置するだろう

少なくとも私は上の二つには抵抗がない。

が、

3「相手が怒ったら謝る」

4「相手が傷ついたから謝る」

には若干抵抗があった。

が、世間さま=定型発達者は「気を悪くさせたことに対して謝る」のが当然といわんがばかりに「謝らない」とさらに怒りを増大させる傾向がある。

ま、一応それを経験的に知っているから、相手を怒らせないように気をつけることはするし、相手が怒っていそうなら先手を打って謝ることはする。


だが、やはりこの

3「相手が怒ったら謝る」

4「相手が傷ついたから謝る」

はなぜ成立するのだろうか?「生活の知恵」として利用してはきたが、長年疑問であった。


 理不尽な怒りに何故謝らなきゃならないんだろう?
 傷つく云々ってお互い様でしょ。

なのである。


もちろん、怒った理由が明確でこちらに非があるのなら1.2に入るので納得いくが、それ以外はどうも納得がいかない。


で、例によって分析マシン(脳みそ)起動。


まずもって、「怒っている事」が理解できないといういう向きもあろう。で、それにはこちら↓の記事をまずお読みいただきたい。


定型発達者における疑問文の分化とアスペルガー者の陥りやすい罠(前編)
http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-entry-228.html
定型発達者における疑問文の分化とアスペルガー者の陥りやすい罠(後編)
http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-entry-229.html



さて、納得いかないところから考え出したのが、以下の法則


「定型発達者は感情が高じたとき感情を慰撫されると落ち着く」


謝罪=怒りや落胆の感情に対し慰撫することなのだ。


そして、もう一つ、ここから派生して定型社会のマナーができてくる。


「怒りを表明されたら謝罪するのが社交的マナー」
「怒っている(がっくりしている:傷ついた)様子が見て取れたら謝罪するのが社交的マナー」


こう考えると、社会的に必要とされる謝罪の多くが、接遇的謝罪である。



ある面、謝罪は社交的文化なのだ。



(この「謝罪」は接遇行為であるという考えは以下のブログ記事にその知恵を得た
http://blog.livedoor.jp/tarako6180/archives/52390006.html
著者のたらこママさんには大いに感謝である)


アスペルガー者は怒っている時の感情の慰撫=接遇的謝罪というものが念頭に無いため、逆に「謝罪を要求されることの不当さ」を感じてしまい、いろいろと


世間的に「言い訳」ととられることをしゃべってしまう


のではないだろうか。


定型発達者では、成長の間に、謝罪の意味が「反省・贖罪の表明」だけから「相手の感情への慰撫」も含むものに分化してくるが、アスペルガー者では、一度覚えた事に対する変更を嫌うためかもしれないが、幼児期に習った「反省・贖罪」の表明のままであり続ける事により、


定型発達者の側から見れば

「アスペルガー者は謝らない」
「アスペルガー者は言い訳ばかりいう」

となってしまうのだと考える。


そしてアスペルガー者の方としては

「悪くないのに謝罪を強要される」
「何を言っても言い訳ととられる」

という不満、落胆が生じてしまうのだと。


さて、こういったところから定型発達者とアスペルガー者の間には溝ができてしまいがちなのだが、これはアスペルガー者の方で下記の様に知識を上書きすれば、かなりの部分解消することである。


『定型発達者の要求する「謝罪」の殆どは「感情への慰撫」であり、「反省、贖罪」ではない。
だから「申し訳なさそうな顔をして(内心気軽に)、謝ってしまえ」ばいい。』


とね。


これが、この間の記事「情動的言動にすぐ反応できないということ。~タヌキの例~(2)」でタヌキが装備していると書いた、「申し訳ありませんプログラム」の実態である。


さて、謝罪の概念自体の相違から生じる齟齬ついてはこれで一応カタがついたが、「アスペルガー者が謝らない」話についてはまだまだ理由がある。


それは次回としよう。


つづきはこちら



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マイペースだってことで疎まれないためには?

さて、しつこくマイペースについて考えてみる。


ちょっと切実なな問題に踏み込んでみる


マイペース…それがアスペルガー者にとって必要なことなのは前稿「「マイペース」について考えてみた」で書いたが、


「マイペースであること」を疎まれるということはよくあることである。


原因についての分析は前稿で書いたので細かいことは省略するが、

基本的に

   「仕事効率が本当に悪いから」
   「定型発達者のユアペース指向に水を指すから」

の二つであると思う。


正直言って、前者はいろいろ対策を練って何とかしていくしかない。
個別の仕事によって、個々のアスペルガー者の特性によって工夫していくしかないから今回はそこにはつっこまない。


が、正直言って「疎まれる」ケースの原因は大半が後者であろう。

つまるところ、感情的ニーズだ。

前稿のコメント欄でも書いたが、


「やる気をそがれたくない」
「目標に向かって一緒にはしっている気分で仕事をしたい」



という定型発達者の感情的ニーズ。

実はこっちへの対処がの方が重要になってくるのではないかと思う。
(9割方こっちだろう…とも思う)


で、これは感情的ニーズであるから、

要は、


「察しようとしている雰囲気」
「やる気があるように(定型発達者に)見える雰囲気)」
「協調性がありそうな雰囲気」



この表出方法を模索し、実践することが定型発達者社会で生きていくために必要なのだと考える。


これらの表出がないと、定型発達者は「不安感」「不信感」などを持ってしまうようである。


はじめから定型者のニーズにあわせるための「演出」だとわかっていれば、「合わせる」ストレスもたいしたことないのではないかともまた思う。

んじゃ、どうしたらいいのか?
想像もつかないという人も多いだろう。


私も若いときは結構悩んだ。

だが、実はそんなに難しくないのではないかという結論に至った。

意外に安直な方法がそれだと気づいたのだ。


「明るい声ではきはきお返事」

「笑顔で応対」

「逐一報告」



この三つを実践していれば、ちょっとやそっと「マイペース」であってもそこをつつかれないというのが私の経験から得た結論である。


ここはトレーニングでいかようにもなる。


マイペースを真に守れる場所を探して、そこで活動するという方法もあるが、この世は定型発達者社会である。


相手不信感や不安感を抱かせないための「スキル」として身につけておくに越したことはないだろう。


そして、家に帰ったら、十分使った顔の筋肉をいたわり、そのスキルを使っている自分をほめてあげていいんじゃないだろうか。



=======

前稿「マイペースについて考えてみる」本稿がほぼ自助会のショートスピーチで話した内容です。
もったいないので後半をこのブログでも公開しておくことにしました。

=======




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意外に安直だって?

その方が
いいっしょ。
…と、
関係ないけど
ぼちっとね







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定型発達者における「感想」のありようから

この記事は、先日書いた、
「アスペルガー症候群者には感想というものがわからない…かも?」の、その2に相当するので、よろしければ前回の記事からお読み下さい。


前回の記事ではたくさんのコメントをいただきありがとうございました。
おかげさまをもちましてだいぶ定型発達者における「感想」というものが少しずつ見えてきた。


で…感想…やっぱり実感はわかない。


というのが「感想」と解釈されるらしいというのはわかりました。


が、これ(2行前の一文)は私の中では「見解」に入るものです。


さて、本論に行きましょう。


===================

(1)定型発達者における「感想」というもの


ある事象に対して感じた事、思った事を述べたもの…これが「感想」辞書的表現であるが、


さらにこれに、「感情、感覚をともなっている」と定型発達者が解釈するものが「感想」として取り扱われるようである。


アスペルガー者(PDD者)が「感想」を伴わない「意見」「見解」として表現した文章において、定型発達者はかなりの確率で「定型発達者的に感想とおもわれるもの」を自動的に抽出してしまうことが十分にあり得る。


(2)コミュニケーション手段としての感想


定型発達者において、「感想」はコミュニケーションの一手段として機能しているため、「仲間確認」に使われる事もままある。

それだけに、定型発達者との会話において「対立する感想」を述べる事は、「仲間確認」の阻害要素となるため、注意が必要である。

ここでなぜ注意が必要かということに着目してみると、定型発達者においては「感想」「見解」「意見」の境界があいまいで、ある種これらは「コミュニケーション手段の1つ」として統合されたものであるといったことがいえるかもしれない。


(3)定型発達者は感想がない会話には不全感を感じやすい。

定型発達者は「感覚」「感触」等、感想に類する発言を言い合う事をコミュニケーション手段の1つとしているため、そういった会話の中で、感覚的用語がない「意見」「見解」のみの発言をするととまどい、かつ、意見、見解のみの発言に対して、物足りなさを感じるようである。

特に自身のことについて問われているのに「意見」「見解」のみで返答すると、「自分のこととして考えていないのでは」「他人事みたい」という感触を定型発達者に与えるようである。


(4)定型発達者の発する「感想」は一過性が強い。

どうやら、「そのとき」「その場での」といった限定性がかなりあるようである。


(5)「感想」という用語を「意見」「見解」を表すときもある。

意見・見解というと固くなるのでその印象を和らげるために「感想をお願いします」などという使い方をすることもあるようだ。


===================


さて以上5点を、定型発達者の感想の捉え方の特徴であるとするなら、


うわさ話、悪口、陰口の類も「感想」を用いたコミュニケーションとして成立することは、言うまでもないだろう。そして、それが比較的一過性のものであることも理解できなくもない。


===================


さて、不毛な対立を起こさないためのコツは上記から見えてくる。


◆何かについての感想を定型発達者と語るとき

1 「感覚的用語」を多用すること。
2 対立する感想はできるだけ言わない事。

◆何かについての感想についての記述を求められたとき

「感想」にこだわらず、「意見」や「見解」を書いてしまっても実質上問題はない。
また、「感覚的用語」が入っていると読む方は感想として理解してくれる。


===================


まあ、実際、感想をといわれてしまうと、アスペルガー者の場合「意見」だの「見解」だのを言ってしまうか、でなきゃ「言葉にならない…」ということも多々ある。


自動的に「意見」「見解」が先に脳内に浮かんでしまい、「感覚的なもの」は後回しになって、あとからぼーっと感じ入ったりすることも多々あるだろう。この辺は「自分の感情・感覚が自分でつかみにくい」というアスペルガー者の特徴としてあるのではないだろうか。


ついでに言うなら定型発達者とは違う「感想」をもつことも多々あるので、コミュニケーション手段としての感想というものについて行けない部分はある。


「聞き役に徹しておく」というのも、ある面かしこい選択だろう。


ま、実際のところ、ブログでは結構主張もするが、私は実生活においてはほとんど聞き役に徹している。「相づち」をうつのが関の山というのもあるが、その方が、妙な対立を起こしたり、妙な誤解を受けなくて済むということを経験的に学んできたような気がする。


==================


とまあ、こんなところかなあと、皆さんのコメントを読んで短めにまとめてみました。







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え、まとめただけ?
はいそうです。
ですが…
そこをなんとか
ひとつぼちっと↑





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定型発達者における疑問文の分化とアスペルガー者の陥りやすい罠(後編)

前編はこちら


アスペルガー者が受けやすい誤解…というか評価に、

  「非難がましい」
  「文句が多い」
  「すぐ怒りだす」
  「理屈っぽい」

などというものがある。

これも、前稿で書いた疑問形の分化がアスペルガー者では起こっていないことと関連する。


アスペルガー者の特徴として、

理由について詳しく知りたいというのがある。
つじつまが合わないことが気になるのだ。


これはアスペルガー者の特質であり、どうにもならない部分である。

納得いくまで突き詰める…これはアスペルガー者の良い面であるが、定型発達者が絡むと非常に注意を要する。



疑問形の分化が起こらないアスペルガー者の場合、日常的にダイレクトな疑問形を多用する傾向が見られる。


もちろん悪意はない。
アスペルガー者としては知りたいことをダイレクトに聞いているだけである。



しかしこれはダイレクトな疑問文が定型発達者には「怒りの表明」「非難」「注意」「指示」「制止」などの意味として捉えられることを考えれば、結構危険なことである。


定型発達者は、ダイレクトな疑問文を聞くと瞬発的に上記のような意味を「勝手に」感じ取ってしまうのだ。



そこで誤解が生じる。


というか、定型発達者の心中に


「非難されている気分」
「詰問されている気分」
「相手が怒っているのかという疑念」
「そんなに理屈追求してないよという思い」


などが生じたりする。



で、


ダイレクトな疑問文を相手にぶつけた場合。


定型発達者に「怒っている(のでは?)」という対応をされる
→会話のちぐはぐさにさらに疑問が膨らみ、
→「何で?」とさらに疑問をぶつけ、
→最後には逆に定型発達者に切れられる

という経緯をたどることも多いだろう。



また、相手が上司など目上の人の場合、即座に

「失礼な」
「何で君はそんなことを聞くのかね?」


というような強烈な「怒りの表明」を聞くハメになることを少なくないだろう。


実際に相手の怒りが「すぐ」わかる形で現れればいいが、わからない形で反映することも多い。


「ある日突然怒りの言葉をきく」
「突然の退職勧告」
「無視」
「社内(校内)いじめ」


などである。

アスペルガー者にとって、わけがわからないほど、心理的なダメージは大きい。


そこで、定型発達者の「疑問文の分化」に着目して、


できるだけ「ダイレクトな疑問文」を用いないように気をつけた方が、定型社会で生きていくためには便利


である。


指示がわからない場合
 ×「○○ってどうするんですか?」
 ○「すいません、○○についてわからないんですけど」


仕事で指示が来た場合の疑問
 ×「何で私が○○しなきゃいけないんですか」
 ○「すいません、私でできるでしょうか(いいんでしょうか)」
 ○「あの、ちょっといいですか、○○をどうして私に…」

(ま、基本的には仕事で何故自分がって疑問は禁忌だけど)


井戸端会議で
 ×「○○ってなに?」
 ○「ねぇねぇ、ちょっといいかな、○○ってなんのこと」


まあ、いろいろあるが、具体的なケースがなかなか思いつかないのでこの辺にしておこう。



相手(定型発達者)に無用な感情を抱かせない質問のしかたを憶えておくことだ。


定型発達者が角を立てずに「疑問」をぶつけている場面に聞き耳を立てていると、段々そのこつがわかってくるはずだ。



とりあえずは「ダイレクトな疑問文」は避けておく方が賢明だし、


同様に、


「畳みかけるように何度も連続で質問をする」というのは相手に無用な感情(怒っているのではという疑念…ひどいときは恐怖)を起こさせることになるということである。



さて、2回にわたって分析してみたが、具体例が乏しいのは否めない。
具体例があればもうちょっとわかりやすく解説できると思うのだが…




そこで、当事者の皆さんにご協力のお願いです。

「突然相手が怒りだした」
「質問しているうちに会話がちぐはぐになった」

などの例があれば、できればコメント欄にいただけないでしょうか?
記事にして、分析してみたいと思うのです。
よろしくお願いします


あ、もちろんその他のコメントも歓迎です!





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長くてすいません
んでも
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まあお一つ
あれ?




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定型発達者における疑問文の分化とアスペルガー者の陥りやすい罠(前編)

幼児はいろいろな疑問をぶつけてくる。


そう、「何で?の時期」である。


なんでおつきさまはみーちゃんについてくるの?

 なんでだろうねえ、お月さまはみーちゃんが好きなのかな。

なんで、たまごはまるいの?

 うーんなんでだろうねえ。

なんでお花がさくの?

 …


答えられる質問かどうかはお構いなし。
とにかく疑問をぶつけてくる。


これをかわいらしく感じる人は多いだろうが、苦々しく思う人は定型非定型にかかわらず少ないだろう


(ま、なんて答えたらいいのか困ってしまうケースは多々あろうが。)


定型発達児でもアスペルガー児でも、こういっった時期はある。


が、それ以降「理由を明かすことの楽しみ」に没頭してしまうことが多いアスペルガー者に対して定型発達者では成長につれ「疑問文」自体が様々に分化していくと考えられる。



単純な「疑問」の他に

「皮肉」「怒りの表明」「非難」「注意」「指示」「制止」などである。


かなりバリエーションは多い。


これは相手から発せられる疑問形に付随する表情等、定型児では幼児期から常にフィードバックしているためと「理由を明かすこと」にあまり没頭しないことが原因ではないかと思う。


これらの区分を理解して運用していくことがコミュニケーション能力の発達とするなら、小学校中学年あたりでこの手のコミュニケーション能力が定型発達者では急激に発達するらしい。



さて、疑問文にいろんな意味が生じれば、疑問形に疑問以外の意味を込めることだけでなく、答え方にも当然分化が起こる。



 疑問形→答える。

     ↓

 疑問形→応えるand答える



と、分化して発達するようである。



応える内容も。「感情」や「要望」と分化していく。



(この分化は、相手の表情や声のトーンをなかなか捉えられないアスペルガー症候群者では当然起こりにくいわけだが、そのことに関する話しはちょっとおいておく。)



とまれ、定型発達者のコミュニケーションでは、徐々に「答える」ことより相手の感情や要望に「応える」方が重要だという認識になってくるようだ。



そこで、特別に設定された質疑応答の場(代表的なのは国会の議論や学術学会の、講演会等の質疑応答、ディスカッションの場)以外の場では「(何故…?どうして…?などの)ダイレクトな疑問文」は「質問」の意味では徐々に使わなくなってくる。


(「ねぇ」「ところで」などの接頭辞がついて、衝撃を緩和しているケースはあるだろうが)


ではどういった場面で「ねぇ」「ところで」などの前置きなしの「ダイレクトな疑問形(何で?どうして?など」が使われるかというと。



「怒りの表明」「非難」「注意」「指示」「制止」などをする場面である。



実際にはシチュエーションによって混在しているのであるが、こんな感じ。


「何であなたは協力しないの」
(怒りの表明・非難、注意、指示)

「そこまで言わなくてももいいんじゃない」
(非難、制止)

「何やってるの」
(怒りの表明・非難・制止)

「何度言えばわかるんだ」
(怒りの表明・非難)

「今、何時だと思っているんだ」
(怒りの表明・非難)

「遅刻してもいいと思っているのかね」
(非難・注意)

「馬鹿にしているのか」
(怒りの表明・非難)



さて、疑問形の分化があることを知らないアスペルガー者はは当然疑問形に回答形で答えようとする。(その方がアスペルガー者的には話しのつじつまが合うからだ)


もしくは質問の意味がわからずに、その意味を問う疑問形で返してしまう。


こんな感じだ。↓


君は協力する気がないのかね。
   →ありますけど(もごもご)…
   →協力って何をするんですか?

あんたいったい何してるんだ?
   →え、○○してます。


何度言えばわかるんだ
   →三回目です。
   →無言(何度だっけ?と考えはじめる)

そこまで言わなくてもいいんじゃない
   →なんで言ったらいけないんですか。
   →言わなきゃわかって貰えないでしょう。

馬鹿にしているのか
   →馬鹿にしていません。
   →そんなことはないですが?


この対応は間違いなく相手の気持ちを逆撫でしてしまうのだが、アスペルガー者では
それ以前の表情などから、定型発達者が「既に」感情を昂じさせていることに気がつかないため、こういった対応をしがちである。。



だが、前記の定型発達者における質問の分化を前提に置けば、定型発達者に対応するのに上記のような対応をすることが、定型発達者の感情を逆撫でする(すなわち怒りをさらに増大させる)という理由は理屈として理解できるだろう。


しかしながら、相手の表情などから相手の感情の動向を察するということは難しいのがアスペルガー者である。



経験を経れば状況などからある程度察することができるようになるとはいえ、それ以前にわからないまま「怒りを増大させた相手」にさんざん罵倒されたり、相手との関係が気まずくなったりして、自分に自信を持てなくなるアスペルガー者も少なくはないだろう。


これを回避するのは


ダイレクトな疑問形には


「とりあえず手をとめ」
「申し訳ありません(ごめんなさい)」



と対応するのが定番のトラブル回避法なのである。


相手に非難等の意図がない場合、相手が意図について説明してくれるし、非難等の意図がある場合は、その原因たる「怒り」を鎮めることになる。


ま、これが下手に出るということであるが、アスペルガー者が身につけておいた方がいいテクニックである。


定型発達者の疑問形の分化ということを考えれば「何でそんなこと(下手に出ること)をしなきゃならないの」という腑に落ちなさは多少は軽減されるのではないだろうか?




さて次回は質問を発するということについて考えてみる。


後編はこちら






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定型発達者にとっての「察してもらうこと」の重要性

久々の定型発達者研究。
今日のは「配偶者がアスペルガー問題」も若干含むのでどちらのカテゴリーに入れようか、ちょとまよったのだが…というような枝葉の話しはさておいて、本題に入ろう。



夫に障害(病気ではない)があったから離婚したいとか鬱になった(なりそう)とか言うのは、アスペルガー症候群くらいのものではないだろうか?と、私はしばしば考える。


ま、その手の話しを読みたい方は下記をどうぞ
http://okwave.jp/qa3951330.html
http://www4.rocketbbs.com/241/bbs.cgi?id=hime(配偶者の会井戸端掲示板)


で、上記のうち下の方の掲示板にて、おもしろい議論があった。


「自分が病気になったときどうしますか」No.1964



まあ、夫がアスペルガーで特に困るという場面なのだろうが、私が着目したのは、夫側の家事・育児能力のなさや、気のつかなさではなく(もちろんそれはそれなりにかなり大変そうだが)、妻側の心理である。


夫が「察して色々やってくれないこと」に関して、

 情けなくなる。
 惨めになる。
 大事にされていないと思う。
 寂しい。
 (病気の時くらい)同情されたい


等々の気持ちが見え隠れするということだ。
(って、書いてあるから見えてるのだが)


色々の論理だてはちょっと省略して、やや、直感的に総合するに、


定型発達者は多かれ少なかれ、

「(気持ちを)察してくれること」
「(事情を)察して色々相手が動いてくれること」に対して、

「自分の相手にとっての重要性」を感じる、すなわち、


「尊重されている」


と感じるものであるようだ。


すなわち、

「察してもらうこと」は、定型発達者の自尊心の維持にプラスに働く

ということだろう。


逆に察してもらうことが少なければ自尊心の維持機能に問題を生じてくる。


と、どうやら定型発達者にはそういった性質があるのだと考える。


極端な言い方ををしてしまえば、定型発達者は「察してもらうこと」に依存的であるということだ。



特に主婦という、人間関係(こと感情の関係)の多くを夫に依存しやすい場合は、これが極端に振れるということにも納得がいきやすい。


確かに、自尊心の維持が難しくなれば、鬱になりやすかったり、精神的に不安定になるのもうなずける。


では、アスペルガー症候群者と定型発達者がうまくやっていくにはこの「察する」ということに関してどう乗り切ったら良いのだろうか。


まず、アスペルガー側から何ができるか考えてみる。


「感情を察する」はなかなか難しいものがある。
その通常ある機能が機能していないのがアスペルガー症候群というものなのだから。


定型パターンとして、ある程度頭に放り込んでおいて、対応するしかないだろう。
が、限界は低い。


となると、やはり、まずは「事情を察する」ということが基本になるだろう。


これは理屈と気力と体力で対応可能である。



相手(家庭)に生じる「必要性」を洗い出して行動に移す、と考えれば良い。
実行できてなんぼであるが…。



さて、定型発達者の皆さんにお願いしたいことは…

アスペルガー者に「察する」ことを他の定型発達者に期待するように期待すると、精神的に消耗することを理解し、自尊心の維持には別手段をとるように努めていただきたい。

というようなことになろうか。



ちょいとおまけになるが、特にアスペルガー症候群の男児を療育するにあたって、「家事の重要性」「同情的な言葉かけ」の重要性について,特にしっかり教育しておく必要性があるのではないだろうかと思う。





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定型発達者の「感情指向」配慮した会話の方法

前稿で、定型発達者は感情や気遣いのやりとりがないとストレスに感じるということを述べた。そして、その特徴に配慮してしまう方が、アスペルガー者にとってもむやみやたらに嫌われたり怒りをぶつけられたり憎まれたりすることが少ないということを述べた。


では対策としてどういった手段をとったらいいのだろうか。


実は簡単である。機会を狙って次のセリフを過剰と思うくらい多用すればいい。


1 「ありがとう」
2 「うれしい」
3 「楽しい」
4 「大丈夫?」
5 「大変(だ)ね」
6 「恐れ入ります」
7 「お手数おかけします」
8 「おかげさまで」
9 「ごめんなさい」
10「申し訳ありません」


とにかく機会を鵜の目鷹の目で狙いまくって言いまくる。


ちょっと過剰かと思うくらいで十分だ。


使い回すのがしんどい場合は
1、2、3、4、8をまず使ってみよう。



多用しすぎたところで問題はない。
「ちょっと変な感じ」を定型発達者が感じるかもしれないが、定型発達者が不快感を感じることはきわめて少ないからだ。


「あ、どうも」とか、「すいません」で済ませているところをできるだけ上記のはっきりした言葉にに置き換える。これだけだ。



アスペルガー者はこのことを

「自然じゃない気がする」
「面倒くさい」
「なんでいちいち言わなきゃならない」



と思うかもしれないがこれは処世術だと思った方がいい。


パターンが身につけばそんなに難しいことではないのと、(定型発達者の)相手の反応がこれでもかと言うくらい変わってくるので効果を実感できるはずだ。



定型発達者は感情型表現があると相手のことを理解しやすいのだ。そしてそれがあれば相手(アスペルガー者)に対し安心感をもって接することができるようになるのだ。



これらの言葉は、それ(相手に対する安心感)をイメージづけるための表現なのだ。




経験上、1238の効果は特に絶大だ。
(もちろんにっこり笑顔でというのは必須条件だ)



実際に言えるかどうか不安な場合もあるだろう。そういった場合は
まずは使い慣れていないことばだから発声を練習してみるのがいいだろう。
鏡を見ながら練習するのも悪くない。



慣れない顔の筋肉を使うので多少始めは顔が疲れるが、まあそれはしかたないだろう。



家族や親しい人間が「顔が引きつってる」と言おうが気にすることはない!
(うちの息子は私が外で近所の人と会話している姿を見てそう言う(爆))



まとめると…


前稿で述べたように「気遣い」のキャッチボールによる「感情の交流」とやらが定型発達者にとっては必要なコミュニケーションの要素なのだ。それは定型発達者の性質なので、変えようとしても変えられないのだから配慮は必要である。


そのための基礎的対人安心感とでもいうものをこちらが普段から提供すると言うことなのである。





さてもう少し込み入ったときの会話技術、相づちとオウム返しについて考えてみる。




「実は~最近○○なのよね」



ってな話でもされた時にどう返すか。



アスペ的には「あ、そう」だったり、でなきゃ「ああしたら、こうしたら」というアドバイスを考えなくちゃいけないような気がしてくる、「そんなこと急に言われても…」とも言ってしまいたくなるときもあるだろう。聞いているんだからことさらの返事は要らないような気もしてくる。で、つい


「あ、そう」


となってしまう。
だいたいこれで会話が続かなくなる…場合によっては


「聞く気ないのね」


と、むくれられる


再三述べたように「気遣い」「感情のやりとり」先にありきなのだ。


というわけで模範回答は以下である。


「へえ、そうなんだ~」
「ふーん、最近○○なんだ、大変だね」
「そう、○○なの。」


話をことさら止める意図がない場合でないのなら、相手がつづきを話しやすいような相づちの打ち方をする。


また、復唱することで「真剣に聞いている」「共感的である」「受容的である」ということ(気遣い)を表現する。



アドバイスなんかはあとでいい…無くてもいいことも多い!



この手の配慮ができるようになれば定型発達者から「何故か」嫌われたりということは徐々に少なくなってくるだろう。



<おまけ>


しかし


配慮し続けているのも疲れるというわけで、そこはそれ、こういった配慮なしでつきあえる人間ともぜひつきあっておきたいものである。







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定型発達者の会話では気遣いや感情が他のものに優先する

先月は定型発達者について考えることが多かった。
というわけで、年が明けてもしつこく定型発達者研究シリーズを続けてしまおう。




普通に会話しているつもりでも、訳のわからないうちに定型発達者の機嫌を損ねてしまったという経験のあるアスペルガー者は多いだろう。


そこには言語というものの根幹に関する理解の違いが関わってくる。


アスペルガー者は言語を事実や用事の単なる伝達手段として使っているが、定型発達者は言語を感情のやりとりに非常に多用しているのである。


さて、10日ほど前だっただろうか、息子から、とある質問をうけた。


 ○○を断るときに定型発達者的にはどういう回答になる?


というものだった。


飯を作っている最中にいきなり言われても急には出てこない。
当たり前だ、この辺は頭脳にデータベース化して普段、定型さん対応しているのだ。
で、家の中ではデータベースを起動していない!
急いで起動し頭の中を検索し答えるが、結構焦る。


どんな内容かというと下を参照して欲しい。
「アスペルガーの為の一般人用語翻訳」
http://blog.livedoor.jp/terazuhurido/archives/50994502.html



上記の例以外にもアスペルガー者がはまりやすい落とし穴は沢山ある。
とりあえずメジャーな落とし穴で考えていきたい。


さて、ここからは例を出して話を進めていこう。


==========================
【例1】


A「大変そうだね、手伝おうか?」


B「珈琲もう一杯どう?」



これは定型発達者的には単にそのもの(こと)が必要かどうかを問うているのではない
相手の事を気遣っての発言でもある。

==========================


もう一つ例をあげておく。
なんだかんだとトラブルのネタになるこれだ。


【例2】======================


「どうして君はそう何度も遅刻するんだ!」


「なんど同じ事を言わせれば気が済むんだ!」



これは定型発達射的には怒りの表現である。基本的に叱責がメインである。(理由を問うているのではない。まして回数を答えさせようというのでもない。)

===========================



さて、【例1】で問題になるのは断る場合なので断る場合で考えてみる。


アスペ的断り方は、「内容が伝わればいい」ので


Aに対しては
「いや、いいよ」
Bに対しては
「いらない」


であるが、定型発達者相手だとそうはいかない。
なんて素っ気ない答え方だと思われることうけあいである。
下手をすると怒りを買いかねない。


そうならないためには、つまり…相手が自分を気遣ってくれたことに対し、礼をいう部分が必要である。


だから、模範回答例は


Aに対しては
「ありがとう、でも、もう少しでおわるからいいわ」

Bに対しては
「ありがとう、でももう結構です」


となる。



さて、【例2】のケース。


表面的に疑問形になっているので、アスペルガー者は「反射的に」理由を答えようとしてしまう。または回数をカウントしてしまう。


そしてそれを答えてしまい、さらに相手の怒りを増大させてしまう。というパターンを取りがちである。


しかし、この手の表現は「怒り」の表現だから、まず相手としては「怒りを収めさせて欲しい」のであるからして、正しい回答は


「申し訳ありませんでした」


理由をのべるなら相手の怒りがおさまってからである。



ここで疑問に思うことがある。
「謝られると気が収まる」という現象だ。定型発達者は謝られると怒りの度合いが比較的簡単に減少するようである。それと何故「謝って欲しい」と思うのか…(頻度もけっこう高そうだ)これも疑問である。なぜなら、私は人に「謝って欲しい」と思うことはまずないからだ。
ま、これはまたの機会にしておこう、追求し始めると長くなりそうだ。




さて安直にまとめてみるが、定型発達者は「感情や気遣いのやりとり」をできるものとして、相手に接するので、アスペルガー者がそこに配慮しないやりとりを繰り返していると、次第にアスペルガー者に対し不快感を蓄積して嫌ったり、「心の交流ができない」というようなストレスを感じてくる。



定型発達者の会話は「感情指向」なのである。


アスペルガー者が実際に「人の気持ちがわからない」といわれるのは、実はこういったところが大半であると私は考える。


さて、いったいどうしたらこれを解決できるのか…



定型発達者側に理解や配慮を求めるのは実は現実的でない。アスペルガー者の方が定型発達者の「感情や気遣いのやりとりがないとストレスに感じる」という特性に配慮してあげる方が手っ取り早い。




次回は具体的なかつ簡単な対処法に踏み込んでみたい。





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いや、あのですね…
年始早々のお願いというのも
なんではありますが…
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定型発達者は感情への対応優先の会話を好む

アスペルガー者と定型発達者では基本的な会話の指向性が違うのではないかと私は思う。

さて、


「他者と私とAS(アスペルガー症候群)」のしろさんがお母様と会話が続かないという話をされていた。とても端的な例だと思うので少し引用する。



私と母の例で言えば、
母「疲れた」
私「寝れば?」

母「頭痛い」
私「薬飲めば?」

母「忙しい」
私「仕事減らせば?」

こんな感じです。

こういうとき「大丈夫?」と声をかければ、「うん、なんとか」等と会話が続くそうなのですが、私のような返事の仕方だと、母は「言ってることは正しいんだけど、会話が止まってしまう」と言っていました。

会話が止まってしまうとどういう不都合があるのか、私には分からないのですが、定型発達の人々はこういう雑談を好むようです。





この辺のかみあわなさは定型発達者が感情への対応優先で会話することを欲し、アスペルガー者が問題への合理的対応優先で考えて回答することによるものである。



さて例で説明しよう。


私は持病の掌蹠膿疱症性骨関節炎がひどくなると起きているのがしんどくなる時がある
こんな時の息子と私の会話は以下のようになる。


たしか半月くらい前の夕刻の実際にあった会話そのまんまである。


【例1】==========================

私  「肩が痛くなってきたから薬飲んでしばらく寝る!」

息子 「晩飯は?」

私  「米は炊いてある、後は○○の材料があるからタヌキと相談して適当に作って食え」

息子 「あんた晩飯は?」

私  「後でなんとでもするから用意せんでいい、あんたらだけ作って食べな」

息子 「わかった」

私  「んじゃね」 退出

=============================


定型発達の人から見たら味も素っ気もない会話かもしれないが、これで我が家は問題なく動いている。


別に息子が冷たいとも思わない。私にとってはこの手の対応の方が気軽である。
ここで1発目に息子に


万一「大丈夫?」なんて言われようものなら、


「大丈夫じゃないから寝るって言ってるんだ!下らんこと抜かすな!」と切れるだろう。


「晩飯は?」の質問は合理的なのでOK。
確かにどうするか決めておかねばいけないことだからだ。


「あんたの晩飯は?」も合理的なのでOK。
何人前つくるのかに必要な情報だ。


となる。


が、これを定型発達者相手にやると




「大丈夫?のひと言くらい言ったら!!」
「人の痛みより夕ご飯なわけ!」
「人が痛みで苦しんでるときに神経逆撫でして!!」



となることうけあいである。



というわけで、定型発達者の場合での理想的な?会話はというと…




【例2】===========================


A「肩が痛くなってきたわ~」

B「大丈夫?」

A「うーん、今日はかなりしんどいわ」

B「薬飲んだ方がいいんじゃない?」

A「うん、そうする。ちょっと薬効くまで休んでてもいいかな」

B「うん、休んでて、晩ご飯適当に見つくろってつくっておくから心配しなくていいよ」

A「ありがとう、先に食べちゃっていいからね」

==============================


定型的には癒される会話とでもいうのだろう。
完全に感情対応が解決より優先されている。
(というか解決までのスピードは【例1】よりちんたらしている。)


しかしこっちの方が一般的らしい。



が、【例2】にはアスペルガーな私は随所に突っ込みを入れたくなる。


1、「痛い」だけ言ってもしかたないだろう。「だからどーした」と言いたくなる
2.薬飲むべき状態かどうかは自分が一番よく知っているのでいちいち口出しして欲しくない。大体、自分でとっとと判断すべきことだ。
3.いちいち許可とらなきゃしんどくても休ませてくれない家族なのか?
4.冷蔵庫の中身を勝手に漁られてとんでもない材料が余るのは困る。
5、身体がしんどい人間に「ありがとう」を言わせるなど余計な気を遣わせるな。


とか言いたくなるわけだ。
この辺が感覚の違いとでもいうのだろう。



正直なところ、【例1】息子の対応は私にとってはベストだ。
ちなみにうちのタヌキ(亭主)も同様の対応をする。。



はじめに「寝るぞ」宣言して、安心してあとの対処を任せられる方が私にとっては楽だし安心である。




ちなみに私が万が一にでも(まあやらないけど)、



「肩が痛くなってきた」



だけで会話をスタートしようしたら、うちの家族はたぶん無視するだろうし、下手をするとタヌキ(亭主)あたりは。



「だから何なんだ?ぐだぐだ言わずに晩飯早くしろ!」と怒りだすだろう。



(それは「どうするかは自分で判断するだろう」ということで信頼されている証であるとも思う。そういう信頼関係もあるのだな、はは。)





かくて家中アスペルガー者だらけだとなにも問題が起こらないが、家の中に定型発達者とアスペルガー者が混在する場合は、こういった違いを理解しておかないと、どちらにもストレスがかかるということになるわけだ。




おっと家中アスペだらけ?でやはり問題の生じていない例をちょうど「あろえよーぐると」のぴーまんさんが出してくれているのでそちらにもリンクを貼っておこう。
http://soudayo.cocolog-nifty.com/dayo/2007/12/post_9258.html



しかし、外でどちらがどちらに合わせるかというのもまた問題だ。

残念ながら、全ての人にアスペルガー者の思考法を理解してもらうのは無理だからして、必然的にアスペルガー者の方が定型発達者の発想に配慮した方が無難だろうとは思う。




配慮っていうとどっちが障害なんかわからなくなる気もするが…
定型発達者はアスペルガー者から見ると非常にナイーブで傷つきやすいようにも思える。






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