「昔のこと 」カテゴリ記事一覧


私が離婚するまで 第3話 夫(元)の異動と転職

第2話はこちら



3 夫(元)の異動と転職


3月のある日

夫(元)は塾の個別指導部への異動を言い渡された。

個別指導が塾業界で注目されていたのは確かだったが、塾講師にとって、これはすなわち左遷であった。

確かに、これで辞めていった人も多いのは知っている。

ひと月、ふた月…段々夫(元)の愚痴が多くなる。

話の中で塾業界批判も増える。
それにいちいち付き合わされる。

「別段給料は減らないんだからいいじゃない」などとはとてもいえない雰囲気。

特に夫(元)は出世(昇進)にこだわっていた。

塾のメイン路線である集団授業、そして成果の上げられる成績高位クラスの受け持ちになる事が夫(元)の望みだったが、全く逆を行ってしまったのだからしかたないといえばしかたない。

それでもなんとか辞める辞めるという夫(元)をなだめ続けていた。

が、

年末のボーナスを受け取った直後。夫(元)は会社に辞表を出してきたと言った

つぎの職は決まっていない。

幼稚園の入園やらヒイロの入院やらで貯金はろくすっぽなかった。

無職の状態で年を越すのかと思うとやりきれなかった。

年末で職探しもままならないまま、一家は年を越した。

職のない年越しは最低だった。


夫(元)はただひたすら塾業界批判と、業界分析を続けた。
そして私はその話に付き合わされた。

年が明け、一向に動く気配はなし。

ひたすら話に没頭する。
ニュースの話、業界の話…

だらだらと半月が過ぎ、

「今月中に決めて貰わないと干上がるから」

と伝えると、重い腰をあげて求人を探しはじめる夫(元)

そして1月も末、やっと就職先きまった。


が、それで終わりではなかった。


<第4話へつづく>

=================

事情によりこのシリーズの記事のコメントにはお返事できません、ご了承下さい。








にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害・自閉症へ
にほんブログ村
発達障害ランキング


↑ブログランキング参加してます。↑



ひとつぼちっと↑
応援お願いします。









このエントリーをはてなブックマークに追加

にほんブログ村 トラコミュ それぞれの*発達障害と共に*へ それぞれの*発達障害と共に*
にほんブログ村 トラコミュ 発達障害児を育てていますへ 発達障害児を育てています

 

私が離婚するまで 第2話 発病×2

第1話はこちら


2 発病×2

その1

K市に引っ越してから2ヶ月。ヒイロ(当時2才)が喘息を発病した。

熱を出し、ぜいぜいいっているヒイロの脇で、私は夫(元)の仕事の手伝いのプリントのチェックをしていた。

そして、なにやら様子が変なのに気づき、近所の小児科の門を慌ててくぐった。

「こりゃいかん、うちではダメだ、すぐ日赤に行きなさい、自転車はうちにおいていっていいから、タクシー呼ぶよ」

医師は自ら電話をとり、タクシーを呼んでくれた。

日赤病院の救急外来につき、受付を済ませ、診察室に入ると間もなく。

「喘息です。重症です、器官挿管します」

人工呼吸器をつけられ、小さなヒイロはICUへと運ばれた。


ICUの前の待合室で夫(元)に電話をかけ、待っているとき、気がついた。

情けないことに、カバンの中には”夫(元)に頼まれた教材”が入っていた。


2週間ほどして、ヒイロは退院した。


その後3年間で4回ヒイロは入院し、そのたびに泊まり込みで付き添ったたが、そのたびに、ヒイロには悪いが、「教材作りの手伝いをしなくていい」事で私は解放された気分だった。


=====================
その2

ヒイロの初入院から3ヶ月、夏の終わり頃だったろう。

洗濯物を干そうと腕を上げたら肩に激痛が走った。

これが掌蹠膿疱症性骨関節炎のはじまりだった。

28才の時だった。

医者には「ちょっと早めの40肩ですね」と言われた。

症状は徐々に悪化して、寝るのも辛い日々になるのに一年とかからなかった。

<第3話へつづく>

===============

事情によりこのシリーズはコメントにお返事できません(たぶん)。ご了承下さい







にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害・自閉症へ
にほんブログ村
発達障害ランキング


↑ブログランキング参加してます。↑



ひとつぼちっと↑
応援お願いします。





このエントリーをはてなブックマークに追加

にほんブログ村 トラコミュ それぞれの*発達障害と共に*へ それぞれの*発達障害と共に*
にほんブログ村 トラコミュ 発達障害児を育てていますへ 発達障害児を育てています

 

私が離婚するまで 第1話 K市への引っ越しから

古い友人からのメールをきっかけに、整理していなかった事を整理する気になった。

前の結婚が破綻するまでのあれこれだ。
(ちなみに、プロフィールにもあるが、今は再婚している)

ここを見ているはずの友人にどうしても伝えたいことがあるからだ。
フラッシュバックにさいなまれた…でも、どうしても書きたかった。

コメントは可能ですが、このシリーズはコメントにお返事できないことをご了承下さい。(気が向いたら返事するかもしれないけど…わからないなあ)


短くしたつもりだったが、11話になってしまった。
というわけで、年内に連載完了することにして第1話からスタートする。


注:危険な目にあったタイプのPTSDをお持ちの方はフラッシュバックの危険があります。そういう方は6話以降読まないで下さい。

=============================

1 K市への引っ越しから

東京のK市へ引っ越したとき既に私は疲弊していた。

引っ越したいきさつは夫(元)が前の職場(社宅つき)をいきなり辞めた事だった。

つぎの職のあてもない状態だった。

夫(元)の親類のすすめで、夫(元)の親類が援助してくれるというのを頼りに、引っ越し資金すらないのに職場をやめ、そして親類に裏切られ、援助の話が白紙撤回されたことで、お金に詰まり途方に暮れた。

泣く泣く実家の両親に助けを求め、援助して貰えることになり、夫(元)は職場を探し、塾講師のクチを見つけてきた。

やっと引っ越したとき、手元にはやっとひと月生活できるだけの資金しか残っていなかった。

それでも近所へ挨拶に回り、新しい地での生活が始まった。


新しい職場に嬉々として通いはじめた夫(元)であるが、あっという間に問題が生じた。
仕事上の問題を家に持ち込んでくるのだ。

教材の選定、生徒の分析、補充プリントの内容検討、解法の研究等々、

理由は「中学受験はよくわからない」

中学受験を経験し、また、かつて塾講師を少しばかりやった事のある私は、しかたなく「慣れるまで、当分の間だけ」という夫(元)と約束し、仕事を手伝う事になった。

が、これが悪夢のはじまりだった。

山ほど仕事を持ち込んで来るのだ。

私は夫(元)が家にいる時間のほとんどを教材研究のつきあい等に費やすハメに陥った。
夫(元)は「これやっておいて(検討しておいて)」と私への宿題までおいていった。

家事や育児にも支障をきたす程、夫に付き合う時間は長時間に及んだ。たまりかねた私が、

「もうこれ以上手伝えない」

というと夫(元)は決まってヒステリックにわめき立てた。

「できなきゃ困るんだよ!!」
「俺がどうなってもいいのか!!」
「もう終わりだ!!一家で死ぬしかない!」

いつの間にか、私は夫(元)の妻ではなく、仕事の助手と化していた。

夫(元)が家にいる時間、私はまるで馬車馬のように脳を酷使していた。
それは離婚するまでずっと続いた。

<第2話へつづく>





にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害・自閉症へ
にほんブログ村
発達障害ランキング


↑ブログランキング参加してます。↑



ひとつぼちっと↑
応援お願いします。






このエントリーをはてなブックマークに追加

にほんブログ村 トラコミュ それぞれの*発達障害と共に*へ それぞれの*発達障害と共に*
にほんブログ村 トラコミュ 発達障害児を育てていますへ 発達障害児を育てています

 

大学時代の超アスペルガー的大失敗

アスペルガー症候群者は「言外の意味」がわからないという。
私もまた然りであった。



私は大学に2度入っている。
が、出たのは1回だけだ。

要は1回目は中退。
その中退のきっかけとなる一件のことを書いてみよう。





さて、はじまりはじまり。





私が大学に入学したその年はどういうわけだか「教養の化学」の教授が不在だった。


薬学部の教養の化学の教授ポストなんてのは、やる人がいない。
典型的な左遷コースだからだ。


前の教授が退官したもののやる人がいなくて教授不在のまま新学期を迎えていた。


となると当然授業はない!


こんなことあってはいけないことだが、「教授が決まってからはじめる」ということになっていたらしく、半期の間、授業がなかった。



そして入学した年の後期、さすがに教授も決まり、授業が始まった。
本来通年の授業を半期でやろうというのだ、つまり週に2限。



教授は出席をきちんととる人だった。それがことの発端だった。


10月、すなわち後期に入り、派手な風邪をひいた。
私にとって風邪は大敵である。なぜなら思いきり寝こむからだ。
それで2日ほどその授業を休んだ。
別に診断書もらって提出するでもなく、とにかく休んだ。



それがまずはまずかった。


いーや、ふつうならまずいはずはない。
あとで適当に出席すればいいことだ。


だが、11月に入り、事態は一変した。

盲腸憩室炎という、虫垂炎よりちと重い病になってしまったのだ。


思えば、数週間、右の腹の下の方がしくしく痛んでいたが、いつものことだとほっておいた。…が、11月のある日、その痛みはどんどん増幅し、油汗をかく始末。


明け方に救急病院の門を叩き、即座に入院、同意書を書いてくれる親が到着し次第手術ということになり、ベッドに横たわり、痛みにうなるハメになった。



入院一週間くらいとタカをくくっていたが、入院3週間、自宅療養1週間を余儀なくされた。


さらに悪いことにやっと体力が回復仕掛けたところでまた風邪をひいた。
1週間追加で寝こむハメに…。





ここまで来ればわかるだろう。






出席が足りない!





出席をとらない教官の授業はいいとして、そうでないところは問題である。
あっちこっちの研究室まわりをして、事情を説明し、レポート等でなんとかしてもらったり、特別に実習をさせてもらったりして、殆どの教科は何とか試験を受けさせてもらえることになった。



ところがである。



「教養化学」の教授室のドアをたたき、事情を説明したが、
入院以前に2回ほど休んだことを理由に、こうきた。



「試験、受けさせられませんねえ」


さらに



「あらためて授業を受けて下さい」



薬学部の授業カリキュラムは余裕がない。
4年に上がる際に関門があるのだが、2、3年で教養化学を受ける余裕はないのだ。



当然私はお願いする。



「そこをなんとか…!!!」


だが、教授は頑としてゆずらない。




「わかりました、そのようにさせていただきます。」




年度初めから授業があればこんなことには…とも思ったが、どうしようもない。




1年の12月に2年後の留年が決まった瞬間だった。





さて、1年の後期試験、当然、教養化学の試験は受けに行かなかった
受ける権利がないと思っていたのだから当然だ。




しかし、試験期間後、思いもよらぬ呼びだしを食らった。
そうだ、試験を受けに行かなかった教養化学の教授からである。



なんだぁ?と思って行くと、教授はいたくご立腹の様子。



「何で試験を受けなかったんだね」



私は耳を疑った。
留年して授業を受けろと言った張本人が、その逆のことを言っている。



私は腹を立てた。



「先生が試験を受けさせないとおっしゃったからです」


「だからといって試験を受けないとは何事だ」




私は教授の矛盾に満ちた言動にさらに思いきり腹が立ってきた。



「だから、先生が受けさせないとおっしゃったじゃないですか」




沈黙が流れる。
にらみ合い状態になる。




「もう結構です、留年して改めて授業を受けさせていただきますから」



そう言って私は教授室をあとにした。
2年後の留年が今度こそ本当に決まった瞬間だ。





1年のうちに留年が決まって、やる気の起きようわけがない。
私はだんだんと大学から足が遠のき、実習をのぞき、半不登校状態になった。
勉強する意欲も減退し、鬱状態になっていた。



そして、留年し、中退するに至った。



  ………



あれから20年もたって、アスペルガーであるとの診断を受けてから、ようやくあの時の教授の矛盾ある言動がわかった。





もっと日参してお願いすればよかったのだ。


「受けさせない」と言われても試験を受けに行けばよかったのだ!


呼びだしのあとでも追試のお願いをすればよかったのだ!






しかし私は教授の話す言葉の言外の意味が全くわからずに私は教授にただただ腹を立てたのだった。



もちろん、その教授もあまり性格がいいとは言えないかもしれないが、実は留年させる気まではなかったのだということが、2年ほど前にやっとわかった。




これが私の人生最大級のアスペルガー的失敗である。
これから大学に入る諸君には、ぜひとも同じ轍は踏まないでほしい。




それにしても、気がつくのに20年かかるとは…
しかし、かくも診断とはありがたいものだ。



<分析編へ続く>





にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害・自閉症へ
にほんブログ村 発達障害・自閉症

↑ブログランキング参加してます。↑


え、ただのアホ?
はい、そうです。
そんな私に
アナタの「ぼちっ↑」を!







このエントリーをはてなブックマークに追加

にほんブログ村 トラコミュ それぞれの*発達障害と共に*へ それぞれの*発達障害と共に*
にほんブログ村 トラコミュ 発達障害児を育てていますへ 発達障害児を育てています

 

私と母の間にあった軋轢

みなさまこんにちは、狸穴猫です。
RDIについてまだ最後の稿を書いていないけど、今日はちょっと寄り道して昔の話を書きたくなりました。
私と親との軋轢の話です。
この手のネタでフラッシュバックが起こりそうな人は待避してください。


+++++



私の母は心配性だった。


小学校の頃、当時「いじめ」という言葉がなかったけど、確かに私は「いじめ」に遭っていた。
今思うに、私がアスペルガー的特性がいじめの標的になってしまっていたように思う。


それはともかく毎日泣いてかえる日々が続いた。
小4だった。


泣いて家にたどり着いた私を見て、母は


「なんであんたばっかりいじめられるのか?」
「あんたも悪いところがあるんじゃないか?」
「あんたが強情なんじゃないのか?」


そういっていつも泣いている私を前にオイオイ泣き始めた。


泣かれてしまうと、こっちは冷める。
涙が自然と引いてしまう。
「この人に何を言っても無駄だ、私を泣いて責めることはあっても、決して味方になってはくれない」
そう思うと悲しくなった。


そんな日々が続いたある日、学校の帰りがけに決意した。
「もうあの人(母のこと)の前で泣くまい、心配させるようなことは伝えるまい」と。



相談事はみなこっそり父にした。
父はいつも私の味方だったから。


それから28年ほど、私は母の前で本音を吐くことはなかった。
15年前、父が他界してからも変わらなかった。


母に何か聞かれても「大丈夫」とだけ応えるのが常になっていた。


しかし転機が訪れた。


元夫からのDVが酷く、離婚を決意した私は母にやっと窮状を伝えた。
しかし1人では伝えることができず、当時同僚だった今の夫が母を説得してくれた。


「何でもっと早く言わなかったの?」
母は昔と同じように涙を流しながらそういった。


私にはそれがものすごく腹が立った。


離婚からしばらくのあいだ。
何かのたびに残してきた息子の心配をする母の言動が私のカンにさわった。


私は母を責めた。


話は全て昔へ向いていった。


「心配心配って、私のことは心配しないくせに!」
「あの頃、わかってくれなかったじゃない!」
「いつも責めるばかりで味方になってはくれなかったじゃない!」
「だから私は何も言わなくなったのよ!」


いつも泣きながらそう訴えてしまう。
28年前の思いがフラッシュバックのようにこみ上げてきて母を責めてしまう。


頭ではわかっている。


別に悪い人じゃない。ただ心配性なだけだ。
私がどう思うかよりも自分の気持ちの方がこみ上げてきてしまう人なんだ。


2年ほど、それを幾たびか繰り返し、母も泣き、私も泣いた。


はき出すものをはき出し尽くしたのか、
私は徐々に落ち着いていった。


今になって思う。
責められる怖さから母と距離を置こうとしていた自分がいたのだった。
母のむき出しの「感情」に責められるのが怖かった。


それはアスペルガーゆえのことだったかも知れない。
幼かったからうまく伝えられなかった部分もあるかもしれない。
ずっと自分の思いを伝えるのが怖かった。


しかし私はずっと母にわかって欲しかったのだ。


母には私を責めているという意識はない。
それが辛かった。



私はやっと母に伝えられる言葉を少しだけ持つに至った。
もう母に隠し事はしなくてすむだろう。



ただそれでも時折こんなことを考えてしまう。


いじめがなければ、私と母の間にこんな軋轢は生じなかったのかもしれない。
もし当時アスペルガー症候群という私の障害がわかっていたら少しは違ったのかもしれない、と。



このエントリーをはてなブックマークに追加

にほんブログ村 トラコミュ それぞれの*発達障害と共に*へ それぞれの*発達障害と共に*
にほんブログ村 トラコミュ 発達障害児を育てていますへ 発達障害児を育てています

 

アスペルガー的通知票?

アスペルガー症候群の診断をもらうのに別段通知票などの資料は必要なかった。その他のデータが満載だったからか診察時に特に提示を求められたりすることもなかったのだ。

が、ふと、自分の通知票はいったいどんなだったのだろうかとおもいついて、実家の母に幼稚園から高校までの通知票全てを送ってもらうことにした。

幼稚園のモノまでとなると37年前からのものだ。
興味は小学生までの生活の記録である。


アスペルガー的要素がでているかとワクワクしながら?封を開け、中身を見て自分の通知票ながら笑ってしまった。


アスペルガー丸出しじゃん!

幼稚園の記録には
「あまりしつこくするといやがられることも覚えましょう」
「保育中少し落ち着きをもってほしいと思います」


積極奇異型で多動があったことが思われる内容である。
うん、確かに思い出せばいろんな事を誰彼なくしゃべりまくっていた覚えがある。話しを聞いてくれるので先生のところや幼稚園バスの運転手さんのところが好きだった。


小学校1年生の通知票には
「理解は良好だが授業態度はかんばしくない」
行動と性格の記録の欄にはしっかり「協力性-C」とある

協力性のC評価は6年まで断続的に散見される。


たしかに小学校一年の頃、先生の話を聞かずにぼーっと窓の外を見てたり、ノートに落書きして注意された事って多かった(窓から花壇が見えるのがお気に入りだった)。

私の当時の思考では(って、今もあまり変わっていないかもだが)授業って「自分がわかればおしまい」って思っていたのでした。

おまけに「協力」って、まるでわかんなかったのよね~である。で、協力性にC評価をつけられる理由がわからなくて不愉快だった覚えがある。
(さりげない協力なんていうのはいまだにわからないかも…)


と、まあ、自分の通知票を眺め終わってだが、協力性なんてものが評価の対象になっていたんだなあ!と思う。

当時はそういった概念がないから仕方ないけど、アスペルガー的なちょっと変わった行動が、「しつけ」だとか「性格」、「性根」の悪さの問題とされていたって感じがありありですね


発達障害者支援法ができた今日の通知票はいったいどうなっているのでしょう?


michaponが小学校に行く頃の通知票に「協力性」の評価項目がなければいいなあと思う狸穴猫でした

このエントリーをはてなブックマークに追加

にほんブログ村 トラコミュ それぞれの*発達障害と共に*へ それぞれの*発達障害と共に*
にほんブログ村 トラコミュ 発達障害児を育てていますへ 発達障害児を育てています

 

中央線が前をよぎる 私は身を固くする。

13年前だっただろう。前の亭主が貯蓄ほぼゼロ、新聞屋の社宅住まいの時に突如新聞屋を辞めた。叔母と伯母のススメで、援助してくれるというのでやめたのだが、夫の実家との関係で援助話は露と消え、残るは「2週間で社宅を出なければいけない」ということと「それまでに亭主は職を探さねばならない」ということだった。

当然、職もない人間に借りられるアパートなどない。職が先だ。亭主はのほほんと構えている。


当時息子が1歳半。住みかも決まらない私は働きにでるにでられない。そんな頃、確か、市役所への年金か何かの手続きをするべく、バス代も節約と、息子を背負って徒歩約3キロの道のりを市役所へ。用事は済ませたものの、もう帰り道足に疲れがきていた。


折悪しく、小雪がちらついてきた。傘は持っていた者の冷え込む中、これからどうなるんだろう?生きていけるのだろうか?引っ越し費用すらない。この時代に「宿無し」になるなんて…生活費すらあと1ヶ月分持つんだろうか?という有様である。

あまりの惨めさに涙が流れてくる。

中央線の踏み切りが鳴り、足を止める。
このまま足をすすめれば惨めさから逃げられるよな…
そんなことをふと考えてしまい、いけないと身を固くする。

眠り込んでいる背中の子のぬくもりが、踏切内に進もうとする私の足を止めてくれた。

中央線は行き過ぎて行った。
結果的には余命3月もなかった私の父が手をさしのべてくれて私も息子も今、生きている。


でも「職の不安」が少しでも脳裏をよぎるとき…そのときの中央線の踏み切りの映像がフラッシュバックして私をパニックに陥れる。

このエントリーをはてなブックマークに追加

にほんブログ村 トラコミュ それぞれの*発達障害と共に*へ それぞれの*発達障害と共に*
にほんブログ村 トラコミュ 発達障害児を育てていますへ 発達障害児を育てています

 

ブログ内検索


サイトマップ(全記事一覧)はこちら

アスパラガスの会のお知らせ

成人ASD(自閉症スペクトラム障害)者のための自助会:アスパラガスの会 ご案内

アスパラガスの会は、大阪南部を拠点に活動する成人自閉症スペクトラム障害者の自助会です。1ヶ月に1回の集いを中心に活動しています。アスパラガスの会ホームページはこちら

アスペルガーライフblogの発達障害関連動画

発達障害の常識とやらにツッコミをいれてみる !

発達障害に関するよく言われるセリフってなんか変!

自閉症(ASD)児者の聴こえ方を疑似体験!

自閉症児者の聴こえ方を定型発達の方に疑似体験していただける動画を作ってみました。

この動画に関する詳しい説明はこちらの記事をどうぞ。

うわ!狸穴猫が本に登場してしまった
かなしろにゃんこ。さんの新刊に狸穴猫が登場します。
閲覧ありがとうございます。
にほんブログ村メンタルヘルスブログ 発達障害・自閉症へ
にほんブログ村
発達障害・自閉症
←ランキング参加してます。応援の1クリックをよろしく!

別館 自閉症スペクトラム情報館はこちら

スポンサード リンク
ソーシャルメディア
便利ツール(別館)
狸穴猫のおすすめ
管理人からのお願い

記事に関係ないコメント・個人的な相談にはお返事できない場合があります。あらかじめご了承下さい。
また、できるだけ個人的な相談はご遠慮下さい。

狸穴猫のおすすめ(その2)
RSSフィード

 

こんなページが読まれています