という記事を先日アップしたが、コメント欄で実に有意義な、様々な議論がなされた。
なかでも「定型発達者における相づちの機能・役割」について、かなり突っ込んだ話しが定型の方からいただけたのは非常に意義深かったと思う。
ところで、そろそろ終息か…と私がおもっていたころ。
トラネコさんから下記のような疑問が提示された。
ところで、相槌が苦手な方は、相槌をうたれるのは好きですか。
私自身は、相槌をうたれた時の変な感覚って何だろうとも思っていたのです。
頷かれるのも同様で、耳を傾けるという姿勢の間は話し続けていたのが、
頷かれて、身構えてしまったりします。
いつも必ず、ではないんですけれど。
これはちょっと考えてみる価値のある話題ではないかと思い、コメント欄でこっそり続くにはもったいないと、記事にして取り上げてみた。
で、私のことをいえば、定型発達者はやけに相づちや頷きが多いなあと、若干の違和感を普段から感じている。
ぶっちゃけていえば…「そんなに、うん、うん言わなくてもいいよ」という感じなのである。
「多すぎ」なのだ。
最近は歳もとったので「定型さんはそうするもの」と、あまり違和感に対して気にしないようにしていたが、
こちらがあまり同意や共感を求めていない時にも、定型発達者の皆さんは共感を示したがるように思うし、「同情」も派手に示してくれる。
その違和感に関しては一度記事にしている。
「ミチャポンのアスペルガー疑惑」の最後の方の児童相談所職員との電話のやりとりである。
違和感はあるのだ。
特に過剰な同情的・同調的相づちには「ホントにわかってんの?」と聞きたくなる。
突っ込みを入れたくなる
といったほうが正確かもしれない。
で、話しを元に戻すが、トラネコさんの発言に対してマルマルさんが
会話に込める欲求度が、あまり無い、ということでしょうか。
「聞いてくれるだけで良いので、反応は要らないよ」という解釈でよろしいのでしょうか。
と書いてらっしゃるが、これに対し、私個人はこう思う。
相手に情報が正確・確実に伝わっているのかは気になるし、場合によっては感想や意見も欲しいが、会話中の相づち・頷きなどが多すぎると、それに気をとられて肝心な事話しそびれそうになるし、また、相手に聞き漏らされていないかの方が気になってしまう。
そして、(私から見て)過剰に同情的・同調的相づちに関しては、「本当にわかっているのか疑いたくなってしまう」こともままあるのだ。
だいたいそう言うときは、こっちの欲しいのは意見・見解だったりするのに「聞いてあげた」というような顔をされることで、不可思議な思いに駆られたりするし、たまには不愉快にならざるを得ない場合がある。
というわけで、当事者サイドから見た相づちの感じ方に関するご意見、それに対する定型発達者の方の感想等いただければありがたいです。


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